外伝36話:商人娘の交渉ゲーム(後編) -alJz'ma Sverehka-
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'20.09/16 文章を修正。演出等に変更はありません。
外伝36話:商人娘の交渉ゲーム(後編) -alJz'ma Sverehka-
* * *
通常なら、交渉は論理から攻める。論理的に考えて、こちらと協力したほうが有利になることを提示するのだ。
だが、主席魔と成り果てたイェルマヒムを相手にするには、もはや論理では敵わない。
となると、次の手だ。
彼の感情に訴えかけるしかない。
だが、ただ単純に情に訴えればいいというわけではない。必要なのは、「相手が最も理性を失う感情」だ。
スフィルはイェルマヒムを見据え、すっと目を細めた。
質実剛健、公明正大、弱きを助け強きを挫くこのエリートは、一族がほぼ全員が憲兵で、生まれながらに弱者を護る強者としての高邁な精神を育んでいる。
さらに彼は、純粋な強さだけでなく、怒りや悲しみをコントロールできるだけの高い理性をも具えている。
この何でも完璧にこなすエリート青年は、当人なら弱点となる感情などないと言うだろう。
あるとすれば――
スフィルは意を決して、イェルマヒムを見据えた。
「エルマ君たちはこれから、任務成功は諦めて、派手な戦闘を見せつけて、最大限の点数を取る方向で行くんですよね。その場合の成績は、任務失敗している以上、どう頑張っても『優』です。でもボクたちはこれから、任務成功を目指します。当然、成功した場合は、最高成績の『秀』になる可能性が高い。その場合は、ボクが主席で卒業することになります。それって、一番悔しい逃し方ですよね。任務から逃げて諦めたせいで、主席卒業を逃すことになるんですから」
スフィルは一段声を低くして、冷静に告げた。
「そうなってもいいんですか、エルマ君」
そう。彼が最も嫌うのは――臆病であること。
生まれながらに強者の自覚のある彼は、臆病な弱者を助ける精神は持ち合わせているものの、自分がそうだと言われることには我慢ならないはずだ。それが彼の、強者のプライドなのだ。
「キサマ……」
つぶやかれたイェルマヒムの声は、すでに苛立たしげだった。
「でももしお互いに協力すれば、成功しても失敗しても、ボクたちは同じ程度の成績になります。いえ、同じことをしても、接近戦が得意なエルマ君に有利にはたらくのは当然です。戦闘になったらボクはたぶん十人と討ち取れずに死にますが、エルマ君なら二十人はいけるでしょう。――それともそんな有利な条件なのに、行動を共にして、最後にボクに負けることを恐れてるんですか」
スフィルは口もとに、ニヤリと笑みを浮かべた。
「まさか、そんなにボクが怖いんですか」
効果は覿面だった。イェルマヒムの握りしめられた右手は、怒りにわなわなと震えていた。
それでもまだ迷っているようなので、さらに追い打ちをかける。
あと一押しだ。
「『逃げるなんて臆病者のすることです。ボクは最後まであきらめずに突き進み、そして結果を手に入れた』――ボクが主席卒業したあかつきには、皆が出席する卒業式の代表スピーチで、そう言ってやります」
「キサマ」
不意に、イェルマヒムがぽつりとつぶやいた。
「――調子に乗るなよ」
彼の震わせていた拳が、瞬時に振り上げられた。
反射的に悟る。
(あ、殴られる)
そこからはまるで時間がそのものが遅くなったかのように、前に突き出される拳が、ゆっくりと捉えられた。この過剰戦力青年の筋力は凄まじく、彼の一撃を食らって立っていられる人間はいないと言われるほどだ。
その拳が風を切り、眼前に迫る。
「エル!」
セツナの叫び声が聞こえた。
反射的に目をつぶる。――だが、予期していた痛みは襲ってこなかった。
イェルマヒムの右手は、スフィルの頬の前で、ぴたりと静止していた。
「エルマ君……?」
イェルマヒムはその場で目をつぶって一呼吸おいたあと、淡々告げた。
その様子は、思いのほかあっさりとしていた。
「なるほどな。これがいわゆる、『商人の戦い方』ってやつか。さすが商人の息子は、人の心を操る術を心得ている。キサマが尋問術に秀でている理由もうなずける」
そこまで言うとイェルマヒムは、突然その凛々しい顔に、満足げな笑みを浮かべた。
「潔く認めよう! 危うく、キサマの手に乗るところだったとな。――それにしても、初めて誘導にかけられる体感をしたが、貴重な経験だった」
「――ええっ?」
彼の感情を煽るどころか、イェルマヒムは逆に、感心していた。
さすがにその反応は、予想外中の予想外である。
「さすがだぞ、スフィル! さすがはこのオレが、ライバルと認めた男だ!」
爽やかな顔にアツい眼差しで称賛してくるイェルマヒムに、スフィルはどう言ったらいいかわからず、その場で呆けた顔をするしかなかった。
目の前でハハハと笑う筋肉質な青年を見上げ、ごくりと唾を飲む。
恐るべし、憲兵学校一の優等生、イェルマヒム・イクウィサナク。
一時の感情に流されて我を忘れるなど、彼にはありえないことだったのだ。
それどころか、この段階ですでに、あえて挑発したこちらの手の内までバレているなど。
スフィルは彼を見上げて沈黙しながら、背中を冷や汗が流れていくのを感じた。
こんなアツい優等生相手に、どう戦う? すでに感情を煽るという交渉術は使えない。
なんとか交渉をつづけようとしたスフィルだったが、結局口をついて出たのは、交渉とは言えないほどに直球の言葉となった。
「エルマ君、成績のためにも、ここは一緒に協力すべきです」
「悪いがオレは、キサマとは最後まで戦いぬくと、心に固く誓っている」
「なんでそんな不条理な誓いを!」
「なぜって、それは当然、この試験はオレとキサマのどちらが――」
「主席卒業でしょう! わかりましたよ!」
スフィルは彼の口癖をさえぎり、声を荒らげた。
イェルマヒムのその不条理な誓いのおかげで、スフィルの希望は粉砕されたも同然だ。
スフィルと戦うことが彼の目的なら、そもそも協力自体が、彼の願望とは真っ向から対立することになる。対立しながら協力するなどという相容れぬ二人の願いを同時に達成する解決策など、あろうはずもない。
「それと、ひとつ指摘したいんだが」
イェルマヒムはつづけた。
「そもそも冷静に考えれば、先ほどのキサマの説は矛盾しているよな。キサマらザコ三班が単体で任務成功できる確率など、端からゼロに等しい。そうでなければ、そもそもこうして協力を持ちかけてくることすらないわけだろう」
痛いところを突かれた。
そういえばイェルマヒムは、「脳筋」などと呼ばれているものの、基礎訓練で受講した尋問術はトップだったと思い出す。当時のスフィルはどの科目でも大体底辺の成績だったが、尋問術だけはトップの彼に並んだので、そのことはよく覚えている。
さすがに基礎訓練の総合成績トップは、伊達ではなかったようだ。
早々に交渉の罠を見抜いた挙げ句、不条理に希望を打ち砕いておきながらも、班長として、彼はしっかりと合理的な理由によっても判断していたのだ。
「オレの不安を煽ろうとしたところで無駄だぞ。まったく、このオレが、ゼロパーセントの事象に対して慌てふためくような愚か者だと思ったか」
「ゼロパーセントじゃありません。ボクたちは、本気で任務成功する気ですよ」
「そうか」
言いながらイェルマヒムは、意味ありげに笑みを浮かべた。
「ではオレからも、キサマにひとつ提案しよう」
そう言うと、イェルマヒムはスフィルを正面に見据えた。「キサマの言う通り、全面的にキサマら三班に協力してやっても良い」
「えっ、本当ですか」
「だが、ひとつ条件がある。一班の全面協力は、キサマと完全に決着をつけてからだ」
「それって、どういう……?」
突然彼は、腰にさげた細剣を抜き取り、スフィルの首元に突きつけた。
「剣を抜け、スフィル・アクトツィアティク。ここでキサマに、決闘をを申し込む」
「えええっ?!」




