外伝26話:ひとつの武器 -elTebed-
'20.09/14 前半部分を新規エピソードとして追加。
外伝26話:ひとつの武器 -elTebed-
* * *
「武器?」
ティガルが得意げに取り出したのは、彼がいつも携帯している、長い紐だった。
足元に張って罠を仕掛けたり、敵を捕縛するときに、いつも彼が重宝しているものだ。
敵の意表を突くトリッキーな動きが好きなティガルらしく、長い剣が使えないようなせまい建物などでは、よくこの紐を武器にして戦っている。
「この紐を、剣と手首に巻きつけるんだよ。そうすればオレが剣を離した瞬間、剣は誰にも読めないありえねー軌道で回る。これで『動きが読みやすい』なんて言わせねーぜ! 発想の勝利だな!」
「でも、戦ってる途中で剣を離すとか、いきなりそんなことできるんですか? ヘタしたら自分を斬っちまいそうですけど」
心配する声をあげたエズレに、ティガルはニカッと笑みを浮かべた。
「まあ、見てろって」
ティガルは立ち上がると、その場で細剣を抜いた。訓練用なので、その刀身には白い布が巻かれている。
「スフィル、ちょっと相手してくれよ」
「いいですよ」
スフィルは立ち上がり、憲兵が携帯する十字形の小杖を構えた。剣を防ぐだけなら、それで充分だ。
ティガルは軽く剣先をふわりと上下させ――その瞬間、彼は地を蹴り、スフィルの目先にまで踏み込んでいた。
右手の剣は瞬時に左上から振り下ろされ、スフィルは咄嗟に小杖を構える。当然、このまま単純に剣を振り下ろすような相棒ではないことは承知なので、すかさずその弛緩した腕に注目する。
(横……いや、上か……!)
剣筋を読もうとしても、彼の変幻自在なトリックに惑わされるだけだ。三年間を共にしてきたこの相棒の、心を読むのだ。人の意表を突くことが大好きなティガルなら――
スフィルは瞬時に頭を横に反らし、小杖を頭上で構えた。
果たして予期していた衝撃は来た。
(次は、右か)
わずかな手首のスナップを見逃さず、すぐに小杖で防ごうとしたスフィルは、その瞬間、不意に頭をのけぞらせた。
一瞬前までスフィルの顔があった鼻先を、剣が風音を立てて勢いよく横切った。
「い、今の――」
危なかった。反射が一瞬遅れたら、スフィルは頬に、訓練用の斬れない剣という鋭利な鈍器を、顔面に食らっていた。
「悪り。攻撃が速くなりすぎちまったな。遠心力だからどうしても、意図的に遅くすることは難しいんだよな。――本気出したら、こんなモンじゃねんだーぞ?」
どうやらティガルは、見せるためだけだからと、だいぶ手を抜いていたらしい。
「びっくりしました。なんですか、今のは」
「攻撃の瞬間に、一瞬だけ手を離したんだよ。剣は直前までのオレの力と遠心力で、オレの手首の動きとは関係なく進んでくって寸法だ」
言いながら、ティガルはその場でヒュンヒュンと剣を回した。攻撃の瞬間だけ、手を離す。目を凝らせば、たしかにその様子が窺えるが、だからといって相手にした時に、その動きを見切ることは不可能だ。
その新しい戦術は、元のトリッキーな剣の動きに、異様なまでに馴染んでいた。
スフィルはその様子を見ながら、ゴクリと唾を呑んだ。
この相棒は、この短時間の間に、さらに上の段階へと成長してしまったのだ。
「本当にビックリですよ。新技なのに、まるで昔からの技みたいにすごく馴染んでるんですもん」
「まーなっ!」
相棒はすっかり元気に笑った。
「剣術も紐使うのも、どっちも元々オレの領域だからな。元からのオレの特技を組み合わるって発想に至ったオレ、やっぱ天才だよな!」
「ティガルの領域ですか。すごいなぁ……」
スフィルも負けじと作戦を立てようとして、はたと気づいた。
(そういえばボクって、いつも、どう戦っとったっけ。東方兵法を使った戦略って、今までほとんど立てたことなかったしな。これ、明らかにボクの領域じゃないっちゃんね)
思い出そうとしてみて、はたと気づく。
そうか。簡単な話だ。
あのサトリの思考を辿ろうとするから追いつけないのだ。この東方兵法の戦略は、彼の領域であって、決してスフィルのものではない。昔叔父に聞きかじったレベルの兵法知識で、そもそも陸軍の従軍経験者にかなうはずもないのだ。
(そうやん! ボクは最初から、勝てるはずもないアプローチで挑もうとしとったったい)
考えてみれば、今まで正攻法で相手に挑んで勝てたことなど、一度たりともなかったというのに。スフィルはいつだって、幼い身体というハンディキャップでは勝負しない方向で、トリッキーな戦略で勝ってきた。
きっとハーナム教官が、この試験でスフィルに期待しているのは、これなのだ。
スフィルの領域なら、あの現役の《青獅子隊》のサトリ憲兵にも勝てる。教官はそう判断して、この試験をセッティングしてくれたのだ。
むしろ今まで、なぜサトリの思考を懸命に追おうとしていたのかが、今となってはわからない。
「やりますよ。やってやりますよ、ティガル! ボクもあのサトリさんを凌駕できる方法で、勝負してやりますよ!」
敵兵が公安だろうが、戦略が東方兵法だろうが、敵指揮官が勝ち目のない《青獅子隊》だろうが、関係ない。今は護衛対象のために、できることをやって、最大限に突き進むだけだ。
(ボクの、領域で……!)
スフィルは大きく息を吸って、吐き出した。
「ボクの、ゲームで……!」
ふたたび小枝を拾い、砂の地面に臨んだ。そこに何歩も歩きながら大きな正方形を描き、中に格子状のマス目をつくる。
「おい、なんだよそれは」
スフィルが何やら大掛かりなものを描きはじめたので、エズレが横から覗き込んできた。
「陸上将棋の盤です」
「盤って……? まさかこんなときに、ゲームでも始めるつもりなのか?」
首をかしげて太い眉を寄せたエズレに対して、ティガルは待ってましたとばかりに、喜々として笑った。
「おう、ようやくゲームが視えてきたか、スフィル」
そう。これはゲームだ。
今スフィルの視界には、自身で描いた正方形の枠の中に、敵と味方の駒が浮かび上がって視えている。
敵の駒数十に対して、こちらは五つ。
(傍から見れば、とんでもない縛りゲーですけどね。――いや、だからこそ、道がある)
陸上将棋には、きまった定跡がある。もはや思考するまでもなく身に染みついた、先人たちの知恵の結晶に、今この状況を上乗せする。問題はなにか。対応できる策の方向性はなにか。すべての情報が洗いざらい、正方形の内側に描き出される。
「おい、なんだよ『ゲームが視えてきた』って。こんな事態にゲームなんか見えたら困るだろ? 何やってんだよ」
「バーカ、そんなんじゃねーよ」
状況についていけずに混乱している様子のエズレに、ティガルが笑いながら答えた。
「この複雑な状況を単純化して、日ごろ遊び慣れてるゲームになぞらえて考えられるほど、こいつの頭ン中が整理されてきたってことだ」
「できるんですか、そんなこと」
「どうやら、できたらしいぜ、このゲーム馬鹿の頭ン中ではな」
スフィルは小枝を地面に捨て、立ち上がった。
今までぐちゃぐちゃと頭の中を渦巻いていたものが、一気に吐き出されたような爽快さを覚える。
マスの先に――ついに視えたのだ。複雑に入り組んだ戦略のその向こう側に、儚く小さいながら、希望の光が。勝利のビジョンが!
「相棒、このゲームにおける『問題』は?」
ティガルの端的な問いに、スフィルは静かに答えた。
「問題は、ただひとつ。――彼らの圧倒的な守備能力の高さです」
「それを解決する方法は?」
「通常、この手の『ゲーム』では、どこかに突破できる一点を探して攻め込むのが定跡です。しかし、この合理的につくられた迷路では、そんな一点は存在しません」
東方兵法という、人類の戦争史に裏づけされた、きわめて合理的な理論によって。
「ですのでこの場合、次に考えるのは二点突破法です」
「二点突破法?」
「ええ。味方を二手に分けて、片方を囮として使うという方法です。でも、数十の敵数に対してこちらには五人しかいないので、おそらく長時間二手に分かれれば、ふたつとも全滅してしまいます。なのでボクたちは、一点でも二点でもない、別の突破法を新しく考える必要があります。おそらく敵指揮官は、この見取り図を穴があくほど読み込んだ上で、必要な敵を配置しているので、それを出し抜くには、彼が考えもよらなかった方法を見つけなければならないということです」
砂上に描いた盤を見つめたまま、よどみなく告げれば、ティガルが「ほらな」と笑った。
「問題が、きれいに整理されてるだろ」
「いやでも、陸上将棋の盤を描いただけ……だよな。なのになんでここまで」
「憶えとけ、エズレ。これが生粋のゲーマーの底力だぜ」
目を瞠るエズレの横で、ティガルがスフィルに対して目配せしてきた。
(あと、一息だ)
見張りと見廻りによる強固な守備。どの一点をついても崩れない。かといって二点を突けるほどの戦力の余力はない。
必要なのは、敵の戦略における「盲点」だ。
常識的に考えれば、そんなものは存在しないが、ここで常識を超えなければならないのだ。
山賊に甚振られるだけの無力な少女だった、9歳のあの頃とは違う。今はこの能力を、皆に信頼されている。そして、憧れの王室護衛官に期待されている。
あのバケモノじみた頭脳のサトリに、伝説の卒業生。そんな彼らのいる《青獅子隊》に入るのなら、ここで常識を超えるくらい、できなければならないのだ。
スフィルは確信をもって、砂上の陸上将棋の盤を、穴があくほどに見つめた。
作戦に足りないものは、たったひとつ。
敵の指揮官の、「盲点」だ。
その盲点を、ここで必ず見つけ出してやる。敵指揮官が当然のように想定する、そしてスフィルでさえ今まだ気づいていない、今までの常識を覆す、あっと驚くような「なにか」を。




