外伝25話:信頼と協力 -elDawar vek Jez're-
'20.01/29 大幅な演出およびプロット変更。長くなったので分割しました。
'20.08/30 演出を全面変更しました。
'20.09/14 途中から演出を変更しました。
外伝25話:信頼と協力 -elDawar vek Jez're-
* * *
「スフィル、時間がねえぞ」
ノワンがそう言いながら、大きな水筒を、口を下に向けた状態で、こちらにかざしてきた。
彼のもつ巨大な水筒は、動物の胃袋に紐を通してでつくられたもので、先ほどまで、後方からの支援が主である射手のダカが、肩に提げていたものだ。
それを現在見張り中の彼からノワンが受け取り、各々から水筒を回収して水を補充して回っていたのだが――今回の配分で、とうとう空になってしまったらしい。
護衛チームは今、深刻な水不足に陥っている。
あくまで試験であるため敵に殺される心配はないが、万一死ぬ可能性があるとしたら、水分不足による脱水症状である。日の降りそそぐ炎天下だが、脱落しないかぎり井戸にはありつけないので、水分の確保が文字通りの生命線となる。
その生命線が今、絶たれようとしている。ノワンの「時間がない」とは、そういう意味だった。
護衛たちは、今までの訓練で、多少の水不足には慣れたものなのだが、心配なのは、護衛対象エズレの体調だ。
「ノワン君、エズレ君の体調は」
スフィルが問いかければ、ノワンは当人に聞こえぬよう、声を落として返した。
「あいつは隠しているようだが、おそらく熱がある。担いでいくか、最悪の場合、降参の覚悟も必要かもな」
エズレは現在、倉庫の影に腰を下ろし、動物の胃袋でできた小さな水筒を片手に、うつろな目でぼんやりと倉庫の影になった地面を眺めている。
彼の丸い目は黒く淀んでいて、傍から見て、かなり疲れが溜まっているように思われる。今は休息中とはいえ、この暑い訓練場に長時間いる時点で、エズレの体力は限界に近づく一方だろう。
「ノワン君。エズレ君のこと、頼みました」
どうやらエズレは、スフィルやティガルが相手だと要らぬ見栄を張るが、同い年のノワンに対しては、あまり気張らず会話できるようで、ここに来るまでの間、ノワンにぼそぼそと話しかけている姿が見受けられた。
護衛対象に信頼されているノワンなら、真っ先にエズレの体調の異変に気づけるだろう。その意味を込めて頼めば、ノワンは意外にもすんなりと承諾した。
「ああ、任せろ。とはいえ、すでにあいつの装備は大方俺がもってるし、できることは全部やってる。俺の携帯栄養剤も全部飲ませたが、見てのとおりあの調子だ。状況が許すなら、一刻も早く試験を終わらせて、救護室に送りたいところだが」
スフィルがぽかんとしているのを見たのか、ノワンは急に目を細めた。
「……なんだ、スフィル」
「いえ、ノワン君、意外と面倒見がいいんだなって、驚いてしまって」
憲兵嫌いなノワンのことだから、てっきり体力のない護衛対象に、迷惑だと嫌悪するかと思ったのだ。
「はぁっ? べつに、軍人として最低限、傷病者の面倒くらいみられるにきまってんだろ!」
驚くほど早口でまくし立てたあと、ノワンはスフィルの手元に視線をやった。
「それより、お前のほうはどうなんだ。順調に作戦を立てられてんのか?」
スフィルは今まで、地に片膝をつきながら、砂上に小枝で文字や図を描きだしていた。
あれこれと作戦を考えているのだが、正直、どのアイデアもぱっとしない。
何度も砂上に作戦を書き出しては、その砂をすべてかき消す。今まで何度それを繰り返しただろうか。
時間は無限にあるわけじゃない。今は一刻も早く作戦を考えて、実行に移さなければならない。そう焦れば焦るほど、完璧な敵指揮官の戦略に隙を探すのは、難しく思われた。
――果たして今、本気で考えられているのか? それとも、この熱でぼーっとしているだけなのか?
その意識すらも揺らいでくるほどに、スフィルは先ほどから、周囲の熱気で思考が鈍っている心地だった。
ノワンは傍から、その様子を悟ったらしく、やれやれと息をつきながら言った。
「ったく、お前はお前で、だいぶ参ってんな」
「考えてる作戦なんですが、どうにか敵からこちらの位置の特定を妨げられるように、囮作戦を筆頭に、いろいろアイデアを出してはいるんですが、敵の裏をかいているつもりでも、本当は敵の手のひらで踊らされているような気がして……」
先ほど地面に書いたキーワードを、スフィルはサンダルで無造作にかき消した。
「おい、また消すのか?」
「まだダメダメなんですよ、こんなんじゃ。ボクなんかの実力じゃ、あの人を超える策が簡単に思いつけるハズがないんです」
考えれば考えるほど、先ほどさとり憲兵に完全に思考を読まれた記憶が蘇ってくる。
「ったく、気に病みすぎだろ。王室護衛官とはいえ、お前の奇襲に簡単にやられるようなクソ雑魚護衛官だぞ。こっちはただでさえ、深刻な水不足なんだ。あの迷惑な雑魚護衛官をとっとと黙らせて、試験をとっとと終わらせる気概くらいねえのか?」
相変わらず王室護衛官に対して容赦ない言い方をしながら、ノワンがスフィルのもとから去りかけた、その時だった。
「ざけんなよ!」
突然エズレが立ち上がり、ノワンに食ってかかった。
「エズレ君?!」
「お前……いきなり立ち上がって平気なのか?」
突然の事態に呆然としながらもエズレの体調を気にかけるノワンに、エズレは胸ぐらを掴んで吠え立てた。
「ナメやがって! 誰が『迷惑な雑魚護衛官』だッ!」
「は……?」
「とぼけても無駄だぞ! 聞こえてたんだよ、今の会話! さっきからおれをチラチラ見ながらスフィルと内緒話してると思ったら、このおれを、迷惑な水泥棒とか言いやがって!」
しばらく唖然としていたスフィルは、先ほどのノワンのセリフを思い出して、ようやく合点がいった。
ノワンは先ほど、《青獅子隊》のさとり憲兵のことを、「あの迷惑な雑魚護衛官」呼ばわりしていた。どうやらエズレは、それを自分のことを言われていると勘違いしてしまったらしい。
「あの、エズレ君……? それは完全に誤解で……」
間に割って入れば、すぐにエズレの怒りは、スフィルのほうにも飛び火した。
「お前もどうせ、体力カスで迷惑な護衛対象とか思ってんだろ、おれのこと!」
「いえ、そんなことはないですよ。ていうか今のは完全に誤解で……」
「ウソつけ! 良い子ちゃんぶりやがって。わかってんだよ、お前も心のなかでは思ってんだろ、おれのことメーワクだって!」
エズレが思いのほか真剣な眼差しを向けていたので、スフィルはノワンの弁明をやめて、叮嚀に彼に向きなおった。
「本音をいうと――逃げてほしいときに逃げてくれないとか、指示に一々文句をつけてくるところ以外で、エズレ君のことメーワクだとは思いませんよ」
「やっぱ思ってんじゃないか! 涼しい顔してサラッと言いやがって!」
「それは事実ですからね。さっきグズグズ言って逃げてくれなかった時は、ちょっと気絶させてやろうかと思いましたよ」
笑顔でそう言えば、エズレは押し黙った。
「でも、ここだけはハッキリとさせておきたいのですが、体力がないことや、水分を必要とすることは、迷惑でも何でもありません。ていうか、半年間の基礎訓練を積んできたエズレ王子にさえ不満を抱いていたら、護衛官失格です。本物の王子殿下をお護りすることなど、到底できません。――先ほど、《青獅子隊》のカリエク大先輩が教えてくださったんです。言葉は悪いですけど、どんな護衛対象役も、すくなくとも『本物の王子殿下よりは、はるかにマシ』と」
カリエクによると、本物のホムラ王子は、神職として他者を護る意識が高すぎて、自身が護られる気があまりないらしい。それに比べれば、素直に自分の身を案じるエズレは、護衛対象としてはかなり良心的なのだ。
「だから、もしボクらがこの試験に失敗したとしても、それはボクらの選択の結果で、百パーセント、ボクたち受験者自身の責任です。エズレ君が気負う必要は、まったくないですよ。ノワン君も、チームの誰も、エズレ君の体力を責めたりしませんから」
エズレは一瞬、目を見開いていた。
やがて顔をくしゃりと歪めたかと思うと、すぐに側方を向いた。
「べつに気負ってなんか……」
「充分気負ってますよ。だってそうじゃなきゃ、ノワン君のセリフを誤解したりしないですよ」
そこで初めてエズレは、現在胸ぐらを掴んでいるノワンに振り返った。
「誤解?」
「俺は《青獅子隊》にいる、スフィルの奇襲に一発で倒されたクソ雑魚護衛官の話してたんだ。スフィルがあいつに勝つ作戦を考えるのに、無駄に頭悩ませてたからな。――あいつの名前知らねえから、とりあえず雑魚護衛官って呼んでたんだが」
「な――っ?!」
ようやくエズレは、自分の早とちりを悟ったらしい。
「早く言えよ、馬鹿ッ!」
エズレはノワンの服を離すと、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「勝手に誤解しておいて俺に怒るな。そもそも、名前を知ってたらちゃんとそう呼んでいた」
「そうだぞスフィル! 敵の名前くらい、ちゃんと聞き出しておけよ!」
「ええっ?」
いきなりノワンと、矛先をスフィルに転換してきたエズレのふたりに咎められ、スフィルは幾分か気のない返事をした。
「すいませんね、聞き出せなくて。じゃあとりあえずの呼び名は、『サトリさん』とかで良いんじゃないですか」
咄嗟にスフィルの頭に浮かんだのは、人間の思考を読んでくる、伝説上の妖怪の名前だった。
「覚か。まるで妖怪だな」
「実際バケモノですよ、あの人は」
彼と時間を共にしたのはほんの数刻のことだが、それでもわかる。あのサトリ憲兵は、スフィルが今まで出会った人間の中で、最も人間から離れた「バケモノ」だった。
そしてスフィルには今、そのバケモノに勝つ手段を考える使命があった。死ぬほど難しい使命である。
「お前、さ」
エズレが話しかけてきた。
どうせまた、諦めろと言うのだろう。自分でも、無謀だとはわかっている。
それでも。無謀でもなんでも、護衛官はいつだって、護衛対象を護るために立ち向かうしかないんだ。
――そう反論しようとして、スフィルは言葉を飲み込んだ。
エズレが投げかけてきた言葉は、違ったのだ。
「サトリを凌駕するバケモノになれよ」
「え……?」
一瞬、聞き間違いかと思った。だがたしかに、彼はそう言った。
「応援してやる……っていうか、最大限に協力はしてやるよ、お前らの試験。すくなくとも、足は引っ張らないよう努力する。――お前に『絶対護る』と豪語されちゃな」
エズレは片側の口角を上げて息をつくように笑うと、ゆらりとその場から立ち上がった。
ここで休んだからといって、彼の疲労は完全には抜けきっていないはずだ。
なのに立ち去るエズレの後ろ姿は、先ほどよりも元気な様子だった。すくなくとも、先ほど陸軍を相手にしたくないと怯えていたあの姿は、どこかに消え去っていた。
今しがた彼が浮かべた笑みは、決して余裕から生じたものではないが、だが無理な笑いを浮かべるのは、ほんの一片ばかりの心の余裕がないとできないことだ。
彼はスフィルが「護る」と言った言葉を、信じる決意をしてくれたのだ。この数十分刻のあいだで、異様に警戒していた彼が、ついにスフィルを信頼してくれたのだ。
チームの信頼を重要視する護衛の職務において、護衛対象との信頼関係が築けることほど、護衛に必要不可欠で、そしてスフィルを喜ばせることはなかった。
(ありがとうございます、エズレ君)
やはり、教官の言ったとおりだったらしい。先ほどまでと状況は変わらないのに、俄然やる気が湧いてくるのは、きっと「最強の護衛官になりたい」という自身の夢以上に、あの護衛対象を護りたいと、心の底から思えたからだ。
護衛対象との信頼関係が、今大きな情熱となって、スフィルの思考を突き動かすように先に進ませているのだ。
そうだ。
現実的に彼を護りきれる方法が思い浮かばないなどと、言っている場合ではない。信じてくれているエズレを護るためにも、この現状をなんとかしなければならない。
「おい、こんな棒きれでいいよな」
突然の頭上からの声に視線をあげると、そこには今しがたどこかへ離れたはずのエズレが覗き込んでいた。
「エズレ君……?」
スフィルの横にドサリと座り込んだエズレは、その手に、枝の切れ端をもっていた。
「言っただろ。最大限の協力はするってよ」
「もしかして、作戦立てるの手伝ってくれるんですか」
「もうお前だけの試験じゃないんだ。おれは兵法とか知らないけど、詰まってるなら、多くの案を出しとくに越したことはないだろ」
「ありがとうございます……」
あまりに驚いたので、スフィルは呆然としてしまった。
「ティガル! 暇してんなら、こっち来て手伝ってくださいよ! アイデアはひとつでも多いほうがいいんですから」
「おー、行く行く!」
エズレが呼びかければ、雑木林のほうで剣を抜いて何やらしていたティガルが、こちらに駆けてきた。
それとほぼ同時に、ノワンがその場から立ち去っていく。
「おいノワン、お前は協力しないつもりか?」
「俺はいい。陸軍の作戦に関して門外漢だ」
エズレの呼びかけに無愛想に答えると、ノワンは倉庫の向こう側へと歩きだした。「見張りのダカの様子を見てくる。――少し嫌な予感がするんでな」
「まったく。相変わらず協調性のないやつだよな」
「いや、それお前が言うか?」
つぶやいたエズレに、ティガルがすかさず呆れた声をあげた。
「じゃあ皆、力を合わせて作戦を考えんぞ!」
木の棒を掲げたエズレに、スフィルは思わず笑ってしまった。
「おい、何笑ってんだよ。おれなんかじゃ良い作戦思いつくわけねーだろって?」
「いえ、違いますよ。護衛対象のエズレ君にこんなに協力していただけるのが、嬉しくて」
本当は彼は、動くのもつらいはずなのに。それを押して協力してくれることが、何よりも嬉しい。
「な、なんだよ、そんなことかよ。護衛対象役でも素人たちにアドバイスをやりたいって思っちまうのは、護衛エリートの宿命だし」
「そうですよね、ありがとうございます」
微笑みながら、スフィルは再び、地面に転がした枝を手にとった。
「ではこれより、皆でアイデアを――」
「あっ、ちょっと待て! その前にひとつ、言っておかなきゃいけねーことがある」
ティガルはそう制止をかけてスフィルの横に腰を下ろすと、高揚を抑えきれないとばかりに、身振り手振りで言った。
「実はオレ、今スゲー技考えちまったんだよ! これであのカリエクにも対抗できるかもしれねえほどの、スゲー新技なんだ!」
「え……っと、剣の技って、そんなすぐに開発できるものなんですか?」
「いや、正攻法じゃねーから面白えんだよ! オレが元からもってる武器と組み合わせたってワケだ!」
語るティガルの目は、燦燦と輝いていた。




