外伝17話:世界最強の護衛部隊(後編) -elLegsjun elMehrek-
'19.12/26 演出変更およびエピソード挿入後、長くなったので分割しました。大まかなプロットやミステリ要素に変更はありません。
'20.08/29 表現を修正。
'20.09/12 若干の文章修正。
外伝17話:世界最強の護衛部隊(後編) -elLegsjun elMehrek-
* * *
たしかにスフィルは、今この目の前の少年を視ている。
だが――どうしてだろう。彼からわかることが、何もないのだ。「論理の芽がでない」とはすなわち、そういうことであり、普通の人間ではありえない状況だった。
(そもそもこの人、本当に憲兵?)
憲兵の制服を着ているものの、彼には憲兵らしさが何もない。
どこからも何「らしさ」も感じられない、すべてがちぐはぐな、継ぎ接ぎの人形のような印象だ。
外見はかなり若いものの、あまりに年不相応な落ち着きのおかげで、まるで少年の姿を借りている仙人のような、どこか世俗離れした印象を抱かせる。王室護衛官というよりは、王宮に招聘されたどこか遠くの国の魔術師と言われたほうがしっくりくるが、そんなおとぎ話のような話があるわけがないので、実際のところはまったくの謎だ。
彼は憲兵にしては色白で、石膏のようななめらかな肌をしている。それゆえか、どこか中性的な印象だが、それはおそらく化粧の影響でもあるのだろう。くっきりとしたアイラインには、この国の多数民族であるターク系の面影はあるものの、東西南北どこの国ともつかぬ、不思議な顔立ちをしている。まるで古今東西の民族をかけ合わせたような顔立ちで、とりわけて地方の特色のない言葉のアクセントといい、出身地はまったく想像できない。
外見年齢は、スフィルよりほんの数年年上の15から16歳程度だが、彼の肩書を考えると、そんなわけがないのだ。たかだか15歳前後で国内最高の護衛部隊に入れるほど、この業界は甘くない。
とすると彼は、外見以上に年上ということになるが、どこの民族ともつかぬ顔立ちのおかげで、実年齢はまったく予想できない。
そして、不思議と惹きつけられるのは、その目だ。
すぐ近くにまで迫った青色の瞳は、あざやかな海の色のような、深みのある美しさをもっていた。
それは瞳というよりは、生命力を宿さぬ石のようで、まるで環境で色を変える水のように、彼自身ではない何かを映しているように思われた。
その目が、まるですべてを見透かすように、じっと見つめてくる。
この感覚。
(まさか、ボクが視られてる……?)
間違いない。今視られているのはほかでもない、少年ではなくスフィルのほうだ。視ても何もわからない相手に、一方的に視られている。そのえも言われぬ不気味さが、スフィルを戦慄させた。
すると彼は、唐突に言った。
「きみは、スフィル・アクトツィアティク一等兵。――そうだね」
「え……?」
どうして名前を知っているのか、それを聞く前に、少年憲兵は突然、その顔をしかめた。人形のように端正な表情しか見せなかった彼が、初めて見せた、人間らしい表情だった。
「それにしても今、きみは耐えがたい痛みを感じている」
「あの……?」
「それはそうか、カリエク本気の蹴りをまともに食らったんだ。呼吸はできるか?」
「は、はい、あの……」
「急いで答えようとしなくていい。ここに集中して」
言いながら、少年護衛官が右の手のひらを上にあげた。
わけがわからずも、スフィルはいつの間にか、彼の指示通り、上げられた右手に意識を集中させていた。
「息を吸って。それから吐いて」
静かにゆっくりと語りかける少年の言葉が、意識の奥深くに浸透するように入ってくる。
スフィルは急に不思議な世界に迷いこんだような感覚に襲われた。
「痛みはただの信号でしかない。存在を認めて受け入れてやれば、もはや信号は必要なくなる。そのうち自然に消えるはずだ。時とともに大海の嵐は過ぎ去り、やがて夜明けの水面のような静寂が訪れる」
(なんだろう……)
まるで自分の身体が自分でなくなるような感覚。そしてこの初めて会ったはずの少年が他人ではないような感覚。彼の透明な瞳を介して自分が映る。一瞬のうちに主体と客体は崩壊して、やがてそこには、波ひとつない穏やかな水面が存在していた。
蹴られた痛みも、失態の恥も罪悪感も、すべてドロドロと溶けだして、もはやどこにも存在しなくなってった。
少年の言葉を聞きながら、スフィルは言葉にならない感覚に支配されていた。
額を落ちる汗を拭おうと思ったら、少年が、彼自身の顎に手を当てていた。まるでそれがさも当然のことであるかのように自然な動きだったので、一瞬あとになるまで、スフィルはその状況の異常性に気づかなかった。
果たして今汗を拭こうと思ったのは、本当に自分だったのか? どこからどこまでが少年の感覚で、どこからがスフィルの感覚なのか? その判断がままならないほど、人格の境界が溶けだしていた。
異常な感覚のはずなのに、不思議と嫌悪感は湧き上がらなかった。
「――よし、落ち着いてきたな」
少年の一声に、スフィルは再び現実世界に引き戻された。
手を握ってみる。開いてみる。少年の手元を見やるが、彼は動かしていない。
そんなあたりまえのことに、スフィルは安堵した。一瞬溶けて消え去ったと思われたスフィルという人格が、長い旅を経て再びここに戻ってきた。そんな心地だった。
「幸い骨は折れていないから、もう大丈夫なはずだ。試験続行に支障はないだろう」
少年がスフィルの腹のあたりに視線を落としながら言ったので、そういえばとスフィルは思い出した。
先ほどまでは、動けないほどの激痛を感じていたはずなのに、なぜか今は、まったく気にならなくなっている。
「なんで――」
「痛みは必要ないと、身体に気づかせただけだよ」
少年はなんてことないように言った。
「【同調】も大概にしてください、主任。あなたが負う必要のない怪我です」
突然少年憲兵にそう言い放ったのは、親衛隊長と名乗っていた軍人サイラだった。
「同調……?」
スフィルの問いかけに、少年がまた聖人のような穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「俺の特技に、勝手に名前をつけられただけだよ。きみの【真実の芽】と似たような能力だ」
「あ、あの、なんでそれをご存知なんですか」
仲間内での勝手な呼称だと思っていたのに、それをいきなり憧れの《青獅子隊》の口から聞かされて、スフィルは今、顔から火が出る思いだった。
「べつに恥ずかしがることはないよ。《青獅子隊》の皆も、それぞれ能力名とかつけられてるし。――そういうの考えるのが好きな隊員がウチにいてね」
「ま、待ってください! そもそもなんでボクの特技の推理能力のこと、ご存知なんですか」
この少年とは、どう考えても初対面のはずだ。
年齢的にはこの学校の訓練生にいてもおかしくない少年だが、この少年が在籍していないことはわかる。これほどに、なにも印象が「生えてこない」人間は、一度会ったら絶対に忘れようがない。
(まさかさっき、ボクの思考が全部読まれた……?)
あの一瞬、たしかに主体と客体が崩壊していた。
そんなことがあるはずがないが、あの感覚は、それ以外に表現できる類のものではなかった。
聞くところによると、そういう特殊能力としか思えない能力をもつ人間は、ごく少数ながら実在するらしい。以前、「神職の家系には特殊能力者が多い」とティガルが言っていたことを思い出すが、あのふざけた相棒のことなので、それが事実かは定かではないと思っていた。
だが、先ほどの奇妙な体験に加えて、彼にいろいろと悟られていることを考えると、もはや彼に心を読まれたとしか考えられない。
それがきっと、【同調】なる能力の意味。あの時彼は、スフィルの思考の中に入り込んでいたのだ。
「わかるのは、きみの推理能力のことだけじゃないよ。ほかには――そうだな」
少年はにこりと微笑んだ。その先ほどと変わらぬ完璧な笑みが、その精巧さゆえに、不思議なほどの不気味さを感じさせた。
「きみほど類まれな勇気と行動力をもった人間はそういないってことかな。きみのその行動力を思えば、多少首を絞められようが、責めるどころか称賛に値する。なのに俺のせいで試験に落ちたら申し訳ないから、応急処置として【同調】させてもらったよ。怪我そのものを治したわけじゃないから、くれぐれも試験後は安静にするんだよ」
やはり彼は、スフィルを知っている。
その【同調】なる能力を使って、スフィルの記憶を読んだに違いない。今やスフィルは、そう確信するに至っていた。
(だとしたら、どこまでバレてる……?)
最初に抱く懸念は、性別の秘密が彼にバレていないかどうかだ。
彼がどこまで知っているのか、必死に観察してその答えを知ろうとするが、どこまで視ても彼は平然としていて、スフィルの性別を悟った時のザイレムのように、驚いて動揺する様子もない。
スフィルはおそらく、あまりに真剣に怖い顔をして少年を見つめていたのだろう。少年がスフィルに対して、茶目っ気のある笑みを向けてきた。
「――なんてね。驚かせてすまない。実はなんてことはない、ハーナム教官に伺っただけなんだ」
「ハーナム教官に……?」
まさかここで、警護課の主任教官の名前が出てくるとは思わなかったので、スフィルは唖然として訊き返した。
「そう。きみにおもしろい推理能力があることは、教官から伺ったんだ。実は数週間前、教官から推薦の手紙を受け取った。スフィル・アクトツィアティクという、齢14歳にして主席候補の訓練生がいると。《青獅子隊》のカリエクを育てた実績のある教官からの推薦だから、どんな有望な訓練生かと興味が湧いてね」
「教官が、推薦……? ボクを……?」
あの終始いかつい顔をした、カリエク以外に人を褒めたところを聞いたことのないほどの鬼教官が――?
思わず涙が溢れそうだった。
「たしかに、俺から視ても、教官の目に狂いはないように思える。視たところ、君のその勇気と行動力、そしてその成長率は一流だ」
「『視たところ』?」
一体何を視たというのだろう。まさか外見と首を絞めたという事実だけで、勇気と行動力があるなどと安直に結論づけられるわけではあるまい。
やはり彼には、それ以上の何かが視えている。憧れの部隊の人間に褒められたよろこび以上に、秘密を知られることへの恐怖のほうが上回った。
「今会ったばかりの君について、そう多く知るわけではないけれど、そう思う根拠は簡単だよ」
そう前置きしながら、彼は淡々と、さもそこに列挙された事実を並べるような口調で告げた。
「親戚かあるいはごく親しい人に陸軍の軍人がいるだけで、それ以外には親戚に護衛官どころか憲兵もいない商家のご子息が、親御さんの反対を押し切って12歳ではるばる王都までやってきて、年上ばかりのなか優秀な護衛官として育っているのだから、それは相当な勇気と行動力と成長率のある人に違いないと思ったんだ。簡単な根拠だろう」
「へ……っ?」
スフィルは思わず目を見開いた。
根拠が簡単であるか否か、それ以前の問題である。根拠となる事実が、どこから仕入れられたものなのか、てんで見当がつかない。
「どうして、ボクの家庭のことまで……?」
初対面の彼が知っているということは、ハーナム教官がそう教えたに違いない。
だがそれにしても奇妙なのだ。教官は、スフィルの両親がこの職に就くことを反対していたことを、なぜ知っていたのだろうか。
あまりに呆けた顔をしていたのか、少年がスフィルの思考を見透かしたように言った。
「今のはハーナム教官から伺ったわけじゃないよ。視たところ、そういう感じがしたんだ。適当な推理だから、間違っていたら赦してほしい」
「適当な推理……? 今、『推理』っておっしゃいました?」
推理と称するからには、誰にでもわかる論理が必要だ。読心能力などではない、れっきとした論理が。
彼に言われたことは、すべてあたっている。
それに驚くと同時に、スフィルの背中に冷や汗がつたっていった。
なぜだ。スフィルはこの少年のことを何ひとつとしてわからないのに、向こうはあたかもすべてを見透かしたように当ててくる。
これが推理なわけがない。推理なら、スフィルが理解できないはずがない。絶対に、この少年には人智の及ばない能力があるに違いないのだ。
「そんな大層なものではないよ」
少年が軽く手を振りながら言った。
スフィルはこの目の前の少年に対して、恐れを抱かずにいられなかった。
彼の言がスフィルの思考に対する返答である以上、その言葉そのものが矛盾している。
こちらからは何も読めないのに、向こうに思考が読まれている。ゲームにおける心理戦を得意とするスフィルには、それ以上にないほどの恐怖を感じる相手だった。
「大丈夫。俺はきみの思考を読めるわけではないし、きみを洗脳して操作するつもりもないから、どうかそんなに警戒しないでくれ。俺はただの憲兵だよ」
彼はスフィルの心を読んでおきながら、平然とそんなことを言った。
「でも――」
先ほどから、最も恐れていることがある。
先ほど彼は、いとも簡単に言ったのだ。「親戚かあるいはごく親しい人に、陸軍の軍人がいる」と。彼がそれを知るという事実は、その裏にもうひとつ、恐ろしい事実を示唆していた。
何よりも知りたいのに、尋ねる勇気が湧かない。
スフィルはなんとか、上ずりそうになる声を制しながら尋ねた。
「あの、どうして元陸軍の叔父さんのことを――?」
彼が陸軍人の叔父のことを知っている。その事実は、それ以上の大きな問題を意味するのだ。
ほかの情報はこの憲兵学校の誰かに聞けばわかるとしても、元陸軍人の叔父のことなど、王都にいる誰にも話していないのだ。知っているとすれば故郷の人間しかありえず、そして故郷の情報を知るということは、スフィルの本当の性別まで知っていることになる。
(やっぱりこの人、絶対性別バレてる――!)
少年憲兵を見上げ、スフィルの心臓はドクドクと高鳴った。
(やばいやばいやばい! 暴露される前に白状する? でもそんなことしたら――)
憧れの護衛部隊に入隊する道が閉ざされる。だが、それだけじゃない。
偽りの申告により、憲兵学校は退学。
その件が父の耳に入れば、護衛官への道そのものが絶たれる。スフィルは家に連れ戻され、夢潰えて父の望む「名家のお嫁さん」になるしかなくなる。
(いやだ……! それだけは……)
平然と対峙する少年憲兵は、まるで今の狼狽も、すべて知っているかのようだった。
彼は今も、じっとスフィルを見つめいている。この、すべてを見透かす、青の双眸で。




