外伝16話:世界最強の護衛部隊(前編) -elLegsjun elMehrek-
'19.12/26 演出変更およびエピソード挿入後、長くなったので分割しました。若干の新規エピソードが加わりましたが、大まかなプロットやミステリ要素に変更はありません。
'20.08/29 演出等若干変更しました。
外伝16話:世界最強の護衛部隊(前編) -elLegsjun elMehrek-
* * *
「まったく。双方とも、遊んでいる暇があるのか?」
闖入した若い陸軍人は、足技使いの憲兵に、まるで一昔前の武人のような堅い口調で話した。
(遊び――?)
陸軍人の言葉に、スフィルは当惑していた。
あれほどの力で蹴っておいて、まさかまだ本気でもなんでもないとでも言うのだろうか。
憲兵の青年は、不機嫌な様相で整った眉を顰め、それから心外だとばかりに声の主にふり返った。
「これが遊んでいるように見えるか、サイラ」
「え?」
スフィルは驚きとともに、その呼び方を聞いていた。
「サイラ」は女性名なのだ。神職や、神職の家系には、稀に男性にも慣習的に女性名が使われることがあるが、彼はどう見ても軍人である。
(ってことはこの人――もしかして、女性……?)
たしかに声のトーンは男性にしては高く、そして大抵の成人男性がたくわえている髭は、その陸軍人にはない。女性らしさを感じさせない身なりから、てっきり美青年だと思っていたが、どうやら違うらしい。
(やっぱり女性なんだ、この人)
スフィルがしげしげと眺めていることにも気づいた様子はなく、精悍な顔の陸軍人は、どうみても年上に見える憲兵の青年に対して、説教する口調で話した。
「突然襲われたとはいえ、早々に名乗って正体を明かすのが筋だろう。子どもたちと戯れたいなら、せめて名乗りを上げてからにするんだな」
「向かってくるから、ついでに実力を見ただけだ。ほんのついでだ」
「お前の『ついで』で人が死ぬから困るんだよ。お前の蹴りの威力は洒落にならない。自覚してるのか、カリエク」
(カリエク――?)
スフィルは目をむいて、対峙する憲兵を見上げた。
(まさかこの人、あの伝説のカリエクさん……じゃ、ないよな……?)
カリエクという呼び名。この国ではそう珍しい名ではないが、スフィルにとっては特別な名前だ。全科目「秀」という、憲兵学校史上最高成績を叩き出した、伝説の護衛官の名なのだ。
あの王国最強の護衛官が、こんな憲兵学校の隅に、訪れるはずがない。
そうは思いながらも、スフィルは彼の一挙一動に至るまで、じっと観察していた。彼が何者なのか、本当にかの憧れの人なのか、その外見から推理することくらいはできるはずだ。
外見年齢は、20代前半。7年ほど前の卒業生だというハーナムの証言から考えて、違和感のない年齢だ。
だがその体格は、人間離れした戦果をあげた男だというにしては、あまりに普通すぎる。長身だが、一般人とそう変わりのない筋肉量だろう。護衛能力が筋肉量と比例するとは考えていないが、すくなくとも一定以上の筋肉がなければ、戦闘能力も含めた全科目で実績を出すことは不可能だというのが、この三年間でのスフィルの実感だ。
(それにこの人、どちらかというと護衛官というより、護衛対象っぽいし)
整えられた身なり。無駄のない立ち振舞い。そしてなにより、まったく荒れていないきれいな肌。そのすべてが、彼が高貴な育ちであることを示している。
野外訓練が多い憲兵という職にもかかわらず、この砂漠の国で、肌荒れを防いで生活することは、殊の外難しいのだ。高価なクリームで欠かさず肌をケアすることができる人間は、金持ちの子女以外にいない。
観察すればするほど、彼は武人というより、優雅な貴公子という語が似つかわしい。格好だけ見れば明らかに憲兵ではあるが、知らない人間に「彼が王子です」と紹介したら、大半の人間は鵜呑みにしそうなほど、端正な顔には高貴さをにじませている。
やけに王子様然としたこの青年が、あの憧れの卒業生なのかは判別できなかったが、たった一点だけ、彼だと言われて納得できる要素があった。
広間にあった格言の、あの字だ。
太い硬筆で大胆に画面を埋めながらも、その余白に絶妙な比率で繊細なタッチを置いている。一瞬で目を奪われ、惹き込まれたあの字体。最初はプロの書道家の作品だと見做していたあの字体に、彼は似ているのだ。
隙のない圧倒的な強さと、そして王子様のような繊細な高貴さを併せ持った存在。
まさにあの書を目にした瞬間に感じた魅力を今、この青年に対して感じていた。
「書は人なり」とはいうが、文字から受けた印象を、書いた本人からも受けることは、果たしてありえるだろうか?
半信半疑ではあったが、スフィルは尋ねずにはいられなかった。
「あの、あなたは――」
尋ねたスフィルの言葉が、彼に届くことはなかった。それを遮るように、陸軍人がスフィルたちに向き合い、叮嚀に軍隊式の礼をしたのだ。
「うちの隊の者が失礼したな。名乗りもせずに訓練兵を蹴り上げた、部下の非礼を許せ。私はサイラ・マファルカ陸軍少佐。《青獅子隊》の親衛隊長だ」
「《青獅子隊》っ……?!」
彼女の口から飛び出したありえない言葉に、スフィルとティガルは、ふたりそろって唖然とした。
――ということは、やはり。
スフィルは改めて、対峙する青年を見上げた。
(この人が、本物のカリエク・イエナザラク――?!)
なんで彼が、こんなところに。
頭の中であらゆる疑問が渦巻く。
驚きに呆然とするスフィルたちに、カリエクは疑われていると思ったらしく、ちらりとその短外套を広げてみせた。
「《青獅子隊》副隊長、カリエク・イエナザラクだ」
腰帯につけられた徽章は、たしかに示していた。12の光に囲まれた、神の目。まぎれもなく、皇太子殿下の親衛隊、通称《青獅子隊》の紋章だった。
「バカな、本物の王室護衛官、だと……?」
ティガルが戦意喪失して剣を下ろしたことを確認すると、カリエクは腕を組んでスフィルたちを見下ろした。
「言っておくが、勝手に勘違いして先に襲い掛かってきたのは、そこの赤毛のチビだ。それと、そこのやたらと態度のデカいお前に関しては、かなり手加減したからな。文句言うなよ」
「これで手加減っすか。そりゃどーも……」
ティガルが腹を押さえながら、苦しげにつぶやいた。
「それでどうだったんだ、後輩たちの実力は」
「そこのそいつは、剣筋はまあまあ良い。だが妙に動きが読みやすいのが難点だ」
「読みやす……ってマジっすか?! このオレの剣が? なんで?!」
ティガルは大いに混乱しているようだったが、カリエクはそれには構わず、つづいてスフィルに視線をやった。
「うしろのお前は、奇襲の技術に関しては問題ない。よくやったと言っておこう」
「ありがとうございます、感激です……!」
憧れの護衛官に褒められた。
在学中ずっと彼を追いかけて訓練してきたスフィルにとって、それ以上に嬉しいことはなかった。腹の痛みも忘れて、感動で熱いものがこみ上げてくる。目にはじわりと涙が浮かんだ。
「いや――正確には、『よくもやってくれた』と言うべきか……」
次に彼の口から苦々しく吐き出された言葉に、スフィルの涙は引っ込んだ。
カリエクは腕を組みながらスフィルに向かうと、ビシリと指さした。
「技術以前の問題だ。襲うなら最低限、相手を確認してから襲え!」
「あ……っ」
そうだ。すっかり記憶から抜けていたが、スフィルは今初めて、先ほどの自らの行いの意味を理解した。
彼らが王室護衛官だとわかった以上、スフィルが先ほど行ったことは、憧れの護衛官の首を絞めたという、とんでもないミスに相違ない。その事実に、今この時初めて気がついた。
「も、申し訳ありません……っ!」
まさかこんな場所に王室護衛官がいるとは、想像できるはずもないが、そんな言い訳は通用しない。憧れの部隊の人間の首を絞めたという事実に変わりはないのだ。
カリエクは、腕を組んだまま、冷淡な目でこちらを見下ろしてきた。見るかぎり、彼は相当に不機嫌らしい。
スフィルは未だおさまらない腹の痛みを堪えながら、しおらしくうなだれているしかなかった。
「お前の罪は、不意打ちで王室護衛官の首を絞め、公務執行の妨害をしたことにとどまらない。――その腕だ」
「腕……?」
「朝から野外訓練をしているということは、相応に砂埃と泥と汗にまみれているということだ。そうだろう」
「は、はい」
「つまりその穢らしい腕で! 突然うしろから首を絞められた仲間の苦しみを思うと、お前のえげつない行為は、決して赦しがたい重罪だ! その罪の重さを自覚しているのか。自覚しているんだろうな。まさか自覚してないとは言わせないぞ」
「はいっ、申し訳ありません」
カリエクの射るような視線に、スフィルは首をすくめて萎縮していた。
「お前も護衛官ならわかるだろ。俺たち護衛官がキレる瞬間は、自分が汚されたときじゃない。護衛対象や仲間が汚された瞬間だ。名誉を汚されるだけでも赦せないのに、身体的な接触による汚染など論外だ! 恥を知れ!」
カリエクはこの時初めて、自身の腰にさげた細剣を抜いた。彼は今にも斬りかからん勢いで、殺気立った視線をスフィルに向けていた。
「汚染……」
「オイオイこいつ、仲間の首絞められたことより、訓練中の手で触られたことにキレてるぜ。軍人のクセに潔癖症とか、バカじゃねーの」
うなだれるスフィルのとなりで、ティガルがケタケタと命知らずな笑い声を上げた。
「ティ、ティガル!」
スフィルは慌てて相棒の口を塞いだが、すでに遅かった。カリエクはギロリと殺気立った目をティガルに向けていた。
「まあまあカリエク、俺は全然大丈夫だよ」
うしろから宥める声を上げたのは、先ほどスフィルが首を絞めた少年憲兵だった。先ほどはうしろからだったので気づかなかったが、憲兵学校内でチビと言われるスフィルの背丈と大差なく、全体的に小柄な少年だった。
彼は長身なカリエクの隣に並んだので、最初の印象よりも一層小さく見えた。顔のサイズに合わないほど大きなメガネをかけているのも、その原因かもしれない。
「気道を絞められたわけじゃないし、それに清潔さに関しては、俺は全然気にならない」
カリエクは一度その少年の無事立っている様子を確認すると、すぐにスフィルに視線を戻した。
「お前、最後に風呂で汗を流したのはいつだ」
「えーっと……今朝です」
「今朝か」
そうひとりごちた彼は、一拍おいてうなずいた。「お前は先ほど、決して触れてはならないものに触れた――が、お前のその清潔レベルに免じて、今回だけは特別に赦してやる。次はないからな」
「あ、ありがとうございます」
どうやら赦してくれたらしい。スフィルはほっと胸を撫でおろし、相棒の口を塞いでいた手を離した。
「あの、先ほどは申し訳ありませんでした。大丈夫ですか?」
少年憲兵に謝ると、彼はにこりと品のいい微笑みを浮かべた。
「ああ、全然問題ないよ。職業柄、襲われることには、ある程度慣れてるから」
彼はなんてことないように言いながら、スフィルの目の前にしゃがんだ。それと同時に、羽織る短外套の下から、《青獅子隊》の徽章が見える。
ベテラン揃いのはずの王室護衛官とは思えないほど若く見えるが、彼もれっきとした《青獅子隊》の一員らしい。
「それより、それのほうが大切だ。俺に返してくれるかい」
少年が指さしたのは、スフィルの足元に転がっている冊子だった。
見覚えのない冊子に一瞬戸惑ったものの、記憶をたぐり寄せれば、すぐに出処を思い出した。
先ほどうしろから彼を襲ったときに、彼が咄嗟に懐から取り出したものを奪い取ったのだった。状況からして武器だと思ったが、どうやらただの冊子だったらしい。
懐に入るほどの小さな本で、地面には開かれた状態で転がっている。中身はなんと書いてあるのか読むのも億劫なほど、びっしりと黒い文字が並んでいる。
ちらりと見ると、数字と単語が羅列しているらしいことだけがわかる。
「先ほどは奪い取ってしまい、申し訳ありません。どうぞ」
スフィルは慌てて冊子を手に取り砂を叩き、閉じて少年に手渡した。
そこで初めて、その本の表紙が見えた。金装飾が這っていて、なかなかに豪華なつくりだ。金持ちが手帳として持ち歩いていそうな装丁である。
「ありがとう」
少年は受け取ると、心底大切そうにその表紙を拭いた。「大事な帳簿なんだ」
「帳簿、ですか……?」
意外な言葉に、スフィルは神妙に繰り返した。
帳簿を持ち歩くこと自体が変だが、それが王室護衛官となると、ますます奇妙だ。
(この人は、一体……?)
先ほどからこの目の前の少年を観察しているが、彼が何者なのか、まったく見当がつかない。
たしかに護衛部隊の徽章をつけているが、お世辞にも、彼に立派に護衛が務まるとは到底思えないのだ。言っては悪いが、スフィルの奇襲に気づかなかった程度のマヌケさを持ち合わせることは確かであり、最高峰の護衛部隊の隊員としてはあまりに致命的だ。
そういえば、思えばカリエクの態度も奇妙だった。
もしスフィルが親衛隊の副隊長なら、勘違いして襲ってきた訓練生よりも、訓練生ごときの奇襲に対処できないマヌケな隊員のほうを叱るだろう。
カリエクは「仲間を汚された」と怒っていたが、あれは仲間というより、さながら護衛対象に危害を加えられたような反応だった。
(いや、あるいはただ単に、カリエクさんがボクの常識を超える潔癖症な方なだけかもしれないけど)
汚染と言いながら剣を抜いていた先ほどの彼の様子を思い出すと、カリエクには清潔さへのただならぬこだわりがあるようだが、それを鑑みたとしてもやはり、この少年護衛官への態度には、普通でないものを感じられた。
この少年は、一体何者なのか?
帳簿をもっているということは、社会捜査課の憲兵なのか? それとも別の課なのか? 観察していれば、必ず手がかりはあるはずだ。
じっと見つめるスフィルの視線にかまうことなく、彼は帳簿を自身のさげたかばんに叮嚀にしまい入れた。
それを終えると、「さてと」とつぶやきながら、少年はかけていた大きすぎる眼鏡をはずした。
それから、一瞬の静寂が訪れた。
彼は何も言わずに、その均整な双眸で、スフィルの顔をじっと凝視してきたのだ。観察されている――というよりは、見透かされているような心地だった。
「あ、あの……?」
スフィルは内心、ドクドクと高鳴る心臓を抑えることで必死だった。
美少年に間近で見つめられたからではない。
(どうして……?)
スフィルは今、まったく別のことで愕然としていた。
(この人、論理の芽が……まったく出ない……?)




