外伝15話:真偽の邂逅(後編) -Las'ajrtur elQawam-
'19.12/16 08話の演出変更およびエピソード挿入後、長くなったので分割しました。若干の新規エピソードが加わりましたが、大まかなプロットやミステリ要素に変更はありません。
'20.09/29 若干演出を変更。
外伝15話:真偽の邂逅(後編) -Las'ajrtur elQawam-
* * *
こんな試験官からも死角になる場所は、通常なら試験会場内とは見做さない。だからこそ敵もいないだろう。そう考えていたのに。
敵は、そうして裏をかかれることまでを先読みした上で、この場所に見張りを配置していたのだ。
今まで脱出ルートの外側に敵がいなかったのは、すべてここまで安心して来させるための、罠だったのだ。
心臓が裂けるほどに高鳴る。
うまく敵の裏をかいたつもりだった。それでも、この敵指揮官の思惑の上を踊らされていたに過ぎなかったのだ。
この敵指揮官の指揮力は、想像以上だ。
それも、遥か昔に元陸軍人の叔父に兵法を聞きかじった程度では、到底敵わないほどの。
「どうする、スフィル」
突然うしろから、ノワンが問うてきた。
制止をかけたのに無視してここに来たということは、彼はここに訪れているのが敵だと、何らかの方法で察知したのだろう。
選択肢は、ニつ。逃げるか、戦うか。
ただひとつだけ、この状況でも、幸いなことがある。向こうがこちらの存在に気づくよりも先に、敵の存在に気づけたことだ。見張りの連中は気楽にも、倉庫の中でなにやら話しているようだ。彼らがこちらに気づいている線はない。
たしかに、敵指揮官の指揮能力は、スフィルでは敵わないほどなのだろう。
だが、いくら名指揮官といえど、実際に動くのは兵たちだ。その敵兵たちに、こんな野外訓練場の端を見張ることへのモチベーションがなかったことが、彼らの敗因だ。彼らの連携能力のなさに、護衛班は救われたのだ。
今なら、戦える。
今この状況では、先に気づけたこちらが、圧倒的に有利だ。敵に見つかって応援を呼ばれる前に、彼らを全員、暗黙のうちに落とせる。
倉庫を歩く足音からして、ノワンの言うとおり、敵は三人いるようだ。
「ひとりずつ、シメて落とします」
接近戦は不得手だが、それが不意打ちなら、スフィルはここにいる誰よりも長けている。ノワンもそれを承知のようで、彼は頷くと、
「任せたぞ。援護はする」
剣を抜きながら、静かにそう言った。
スフィルは慎重に壁に身体を這わせながら、ゆっくりと前へ出た。
耳を澄ます。敵の足音が聞こえる。こちらに――倉庫の出口付近に、ひとり近づいてくる。
(大丈夫。足音からして、まったく警戒されてない)
仕留めるのは、一瞬だ。
敵が倉庫から出てきた、その瞬間がいい。襲いかかると同時に、一瞬のうちに飾手拭を奪い取る。
でなければ、こんな訓練場の端で大声で敵の応援を呼ばれてしまったら、この野外訓練場の隅はもはや、袋の鼠も同然だ。今の有利な状況から一転、最も不利な状況へと転落してしまう。
絶対に、失敗は許されない。
スフィルは倉庫の出口の前に構え、耳を澄ました。
(来た……!)
ついに中の敵は、極限まで出口に近づいた。
足が倉庫から一歩踏み出した、その瞬間。
スフィルは地を蹴り、相手の頭めがけて飛びかかった。
まず、ほかの仲間を呼ばれないよう、手で口を塞ぐ。すぐさま反対側の腕で固めて頸動脈を絞める。
標的は声を上げることもできず、倉庫を出てすぐ横の地面に突っ伏した。
ひとまず、奇襲成功だ。
相手は口を塞がれた手を外そうとするでもなく、すぐさま懐に手を伸ばした。奇襲で息を塞がれても、パニックになることなく武器を手に取ろうとする。すくなくとも、戦い慣れしている人間の冷静さだった。
だが、そのくらいのことは想定済みだ。
標的が懐から取り出した何かを、瞬時に奪い取る。それから飾手拭を奪おうと目を向けた――その時。
一瞬、思考が停止した。
ふとスフィルの鼻孔にかすかに漂った、香木の匂い。この敵の衣服の匂いに、頭の奥で何かが引っかかったのだ。
遥か昔にどこかでかいだことのあるような、なぜか懐かしさを感じさせる、香木の香りだった。
スフィルが集中を欠いたのはほんの一瞬のことだったが、その一瞬がいけなかった。
「――っ!」
次の瞬間には、スフィルは衝撃とともに勢いよく飛ばされて、雑木林の地面に転がっていた。横腹に、重い鈍器で殴られたような激痛が駆け巡る。
「うがッ……?!」
動きだそうにも全身が痙攣して、動くことはおろか意識を保つことも難しい。
今、一瞬のうちに何が起こったのか。まったく理解が追いつかない。
それでもこの横腹の激痛から、かろうじて推測することはできる。横から攻撃されたということは、すなわち倉庫の中の人間にやられたのだ。絞めているところを、別の敵に見つかったらしい。
ぬかったと思うが、あとの祭りだ。
「うっ……ケホ、ケホッ」
喉がつかえて、うまく息ができない。
痺れるような痛みで、固く瞑る目には、気づかぬうちに涙がつたっていた。
伏して悶ている間に、地を踏みしめる音が近づいた。スフィルはかろうじて薄目を開けて、近づいてきた対象を見上げた。
おぼろげに、背の高い男のシルエットが映る。
――この男だ。
この男の一撃によって、スフィルは倒されたのだ。
憲兵にしては線の細い、二十代前半くらいの男だった。
殴られた凶器を警戒しようと目を走らせるが、見たところ彼は、めぼしい武器を手にしていない。憲兵が帯刀する細剣も、鞘に収まったままだ。何があの強烈な衝撃をもたらしたのかはわからない。
そこまで見た時、スフィルはある事実にぎょっとした。
(まさかこいつ……ここの訓練生じゃない……?)
彼の羽織る短外套はたしかに憲兵のものだが、そのどこを探しても、憲兵学校の徽章が見当たらなかったのだ。
(間違いない、プロの憲兵だ……!)
なぜ試験に、現役の憲兵が関与しているのか。そんなことを考える余裕はなかった。
彼は一歩また一歩と、スフィルに近づいてくる。
彼が歩を進めるたびに、紫色の頭布の上を這う金の留め具が、木漏れ日に反射して明滅した。
その頭布の影になった彫りの深い目もとからは、くっきりとした双眸が、射抜くような鋭さをもって、スフィルを見下ろしている。一言でいえば、殺気立っているという語がふさわしい。
今すぐに動こうと、地に這う草を握りしめる。だが握りしめた腕は震え、それ以上身体を持ち上げるほどの力は入らなかった。
(マズい、ここで殺される……!)
スフィルは近づいてくる男を見上げたまま、睨まれた視線から目をそらすことができないでいた。
(こいつは、化け物……! 戦力が桁違いすぎる……!!)
男は一度立ち止まり、はめている黒い革手袋を引っ張った。
腰にさげた剣を抜く素振りは見せない。おそらく、剣を抜くまでもないと、甘く見られているのだろう。
甘く見られているなら、通常はチャンスと思うところ。
だが、それでもこの男に勝てるビジョンが視えない。甘く見られているのはわかるのに、隙がまったくないのだ。
スフィルは下手に視線を動かすことすらできなかった。
些細な表情の変化、かすかな動きで、スフィルの思考のすべてを読まれる。否、読まれるだろうと思わせるほど、彼は怜悧な、冷徹な目でスフィルを見下ろしていた。きっと、戯札で使う簡単な視線誘導さえ、彼にはまったく通用しないだろう。
スフィルは、ここで殺される。
諦めたわけでも悲観的になったわけでもなく、ただそこにあるひとつの事実として、スフィルはそう悟った。――彼には、絶対に勝てない。
(お願い、逃げてください、皆――!)
今この場で声を出すことはできない。
唯一願うことは、仲間がこの事態を察知して、逃げてくれることだ。
今はノワンの危機察知能力を、そして阿吽の呼吸で任務に挑める相棒の咄嗟の判断力を、信じるしかない。
ノワンがヤバいと判断し、ティガルが護衛対象を率いて逃げてくれれさえすれば、この危機は脱せられる。
だが次の瞬間、スフィルの希望は粉々に打ち砕かれた。
「動くな!」
うしろから響いた張りのある声。まぎれもなく、よく聞き慣れた相棒の声だった。
(嘘……っ!)
あろうことか、彼は出てきてしまったのだ。先ほどまでならまだ、スフィルひとりが犠牲になるだけで済んだのに。
(ダメだ、ティガル!)
腹にくる耐えがたい痛みに加えて、唯一の希望が断たれた痛みで、スフィルの顔は歪んだ。
「それ以上オレの相棒に近づいてみろ。テメエの足折って、立てなくしてやんぞ」
ティガルは剣を構えて牽制しながら、倒れるスフィルの前へと立ちはだかった。
「ティガ……ル、逃っ……」
思うように舌が回らない。
呼吸が苦しく異様に口が乾いたこの状態では、それだけ言うのが精一杯だった。
目の前の男が、ちらりとティガルの剣を一瞥した。主だった動きといえばそれだけで、腰にさげた自らの細剣を抜くことすらしなかった。
「ここで相棒を見捨てて逃げろってか? 笑えねえぞ」
ティガルは不敵な笑みを浮かべながらも、慎重に腰を落として剣を構えた。ティガルがここまで警戒するのは珍しい。おそらく、相手が恐ろしいほどに格上だと、すでに悟っているのだろう。それをわかっていてなお、彼は飛び出したのだ。ひとえに、スフィルを助けるために。
そこにきて、思い出す。そういえば彼は、いつもこうだった。絶対に友人を見捨てる人間ではなかった。
だからこそ、いつもは頼れる相棒なのに。
なのに――どうして今なんだろう。
どうして今、この相棒の友人思いな性格が、裏目に出てしまうんだ。
「向かってくるつもりなら、不可逆的レベルで打ちのめされる覚悟をしろ。たとえ護衛官の卵だろうが、容赦はしない」
憲兵はとくに構えることもなく、ティガルにそう言い放った。相変わらず、一向に腰にさげた細剣を抜く素振りも見せない。
「何だよ。剣を抜かねーのかよ」
「必要ない。俺が剣を抜く隙を狙われているこの状況なら、なおさらな」
「チッ、バレたか」
ティガルが吐き捨てるようにひとりごちた。
「まあいい、上等だぜ。隙を見せまいと丸腰のままオレに対峙するなんて、大したバカだぞ。憲兵学校最強のオレ様の剣術を見せてやる……!」
尊大な彼の言は、決して誇張ではない。「剣術に関して言えば」、彼は今の憲兵学校最強である。それは長年相棒を務めるスフィルだからこそよく知る事実だ。
だが、それでも。
相棒の腕をよく知るスフィルだからこそわかる。彼の剣術をもってしても、この現役の憲兵には勝てない。
「ティガル、待っ……!」
スフィルの制止を聞かずに、ティガルが地を蹴った。
一瞬ののち、ヒュンと振り上げられたティガルの剣は、そのまま弧を描くと思いきや、そのまま真横へと軌道を変えた。
これだ。この読めない剣筋で編み出される剣術こそが、ティガルが「バケモノ」と恐れられるゆえんである。【天邪鬼剣術】と呼ばれる彼の軌道を見切れる人間は、憲兵学校にひとりもいない。
だが次の瞬間、スフィルは瞠目していた。
「な……っ、避け……?」
途中で軌道を変えたはずのティガルの剣が、たやすく躱されたのだ。
「クソ、ナメやがって!」
ティガルはゆらりと剣先を上下させると、再び地を蹴った。
訓練用に刃に白い布の巻かれた剣が、すかさず憲兵の青年の前方に迫り――
「が……っ」
次の瞬間、ティガルは剣を振るうこともなく胸を押さえ、地面にひざまずいた。
直前まで彼の胴があった位置には、憲兵が足を高く上げて静止していた。
「な……っ、あれは、蹴り技――?」
初めて見る動きだった。
蹴り技など、憲兵学校で習うことはおろか、この国の格闘術で使われること自体ない。体勢が不安定になる上、転ばされる危険性もあるので、多くの人間は足技を使おうと思ったことすらないだろう。
だが。
(強い……)
ティガルは地面に膝をついたまま、先ほどからまったく動けずにいる。それほどに強烈な衝撃だったのだ。
今もなお続く腹の痛みに、スフィルは初めて合点がいった。彼が何の鈍器も持っていないわけだ。先ほどは鈍器で殴られたのではなく、蹴られたのだ。
「クソっ! スフィル……今のうちに、お前だけでも、逃げろ……!」
ティガルが顔をしかめて相手を見据えながら、再び剣を構えた。
彼はようやく、絶対に勝ち目がないことを悟ったようだった。
(悟るのが遅いんですよ、バカ……!)
スフィルは痛みで、今も動けない。相棒に加勢したいのは山々だが、身体に力が入らないのだ。
スフィルはもう、倒されたも同然だ。あとはティガルが班を率いて逃げてくれれば、最小限の犠牲で済んだのに。
このバカな相棒はきっと、仮に勝ち目がないと最初からわかっていたとしても飛び出したのだろう。いや、むしろ勝ち目がないほど、喜んで飛び出すかもしれない。なにせ天邪鬼なひねくれ者で有名な男だ。できないと言われたら、だからこそやる男だ。
今ごろ、おそらくノワンなら、この危機的状況を察して、ダカと護衛対象を連れて雑木林の奥あたりに避難して隠れているだろう。ダカ――に関しても、スフィルが脱落の危機だとノワンがわざわざ伝えなければ、おとなしく従ってくれるはずだ。
立ち上がれ、スフィル。
自分自身を鼓舞する。
脱落が確実でも、護衛対象は護れる。ここでスフィルとティガルが脱落するのは大きな痛手だが、それでもここで最後の力を出しきったところで、それ以上失うものはない。恐ろしく格上でも、関係ない。恐怖する理由も、躊躇する理由もない。
スフィルは震える膝を制しながら、なんとか立ち上がった。
こんな試験官から死角の場所だが、相棒とともに、最期まで華々しく戦ってやるのも悪くない。否、ここで脱落するしかないのだから、せめて最期まで悪あがきをしてから脱落したい。
よろけながらも、なんとかティガルのとなりに立つ。
「大丈夫か、相棒」
「なわけないでしょう。まったくティガル、あとで挽肉決定ですからね。――その体力が残ってたらですけど」
腹の痛みをこらえて、目の前の憲兵の青年を見据える。
いつもは天邪鬼な相棒の奇行に呆れる側だが、ここにきて初めて、無謀に挑みたくなる彼の気持ちが、少しだけわかるような気がしてきた。
負わされた怪我が悲鳴をあげているのに、負けることは確定しているのに、謎の高揚感が抑えられない。相手が格上だと、わかっているからこその高揚感だ。
「行きますよ、ティガル……!」
スフィルが腰の細剣を抜いた、その瞬間だった。
「双方、そこまでだ」
突然、凛とした声が響いた。
間に入ってきたのは、長外套を纏った若い軍人だった。どこか異国の雰囲気を漂わせた精悍な顔立ちで、ティガルたちに突きつけて制した棒は、陸軍指揮官がもつ指揮棒に相違なかった。
(陸軍?! 本物の、しかも現役陸軍人……?!)
その軍人はどうやら、先ほどまで倉庫の中にいたらしい。目の前の憲兵に対して意識しすぎて、近づかれるまでまったく気づかなかった。
(なんでここで、陸軍人が……?)
スフィルは突然の事態に、唖然とするしかなかった。




