外伝14話:真偽の邂逅(中編) -Las'ajrtur elQawam-
'19.12/17 前話の演出変更およびエピソード挿入後、長くなったので分割しました。若干の新規エピソードが加わりましたが、大まかなプロットやミステリ要素に変更はありません。
'20.06/28 文章を若干修正。
'20.09/29 演出を変更。
外伝14話:真偽の邂逅(中編) -Las'ajrtur elQawam-
* * *
警護課の広間を見上げると、壁一面に、かつての卒業生たちが手にした表彰状の数々が並んでいる。この百年間、この地が王都に定められる以前から、ナームファルカ憲兵学校が多くの護衛官を輩出してきたことを物語る、壮観なほどの数の表彰状だ。
全国の憲兵の格闘大会に、事件が起こった際に活躍した栄誉賞など、あらゆる種類の賞が並んでいる。よく見れば、よほど優秀な護衛官がいたらしく、いくつもの賞状に何度も同じ名前が並ぶこともある。
その壁にかけられた額のなかで、ひときわ目立つ存在があった。その額だけが表彰状ではなく、内容は黒の硬筆による書だった。
装飾的な字体で、ぱっと見てなんと書かれているのか判別することは難しいが、内容自体が現代イスカ語なので、よく見ればわからないこともない。
「Lac'emer, lasekel, jna lanuhr elzec'mar jet.(汝、命令せよ。汝、服従せよ。汝、いかなる時も主人たれ)」
太い硬筆と細い硬筆を使いわけているらしい。大胆な筆づかいが内容の力強さと勢いを表現しているものの、かといって粗雑さはまったくなく、細部に至るまで精緻に形取られている。その緩急のある美しさに、つい見入ってしまう。
その書の端に書かれたサインをよく見れば、つい先ほどどこかで見たものだと気づいた。
有名な書道家のものだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。広間に並んだいくつかの表彰状の名前と同じだった。その書き手はどうやら、この警護課の卒業生のようだ。
スフィルが壁を見上げていると、唐突にうしろから声がした。
「その書が、気になるか」
思わず肩をびくりと震わせ、ふり返る。そこには警護課の主任教官ハーナムが立っていた。
彼は憲兵学校一厳しい鬼教官と名高く、警護課だけでなく、あらゆる課の訓練生から恐れられている。
いつの間に背後に立っていたのかはまったく気づかなかったが、彼は長年先代国王の盾となった元王室護衛官だ。気配を消すくらい造作もないことなのだろう。
スフィルは改めて書を見上げた。
「この書、きっと護衛官の心構えをあらわした格言なんですよね」
汝、命令せよ。――軍人として、きちんと意思伝達を行え。
汝、服従せよ。――貴人にかしずく者として、主の命令には忠実に答えよ。
そういう意味だろう。そこまではいい。問題なのは――
「ちょっと気になってたんです。『汝、いかなる時も主人たれ』――この一文。護衛官である以上、いかなる時も、『主人』なのは自分ではなく護衛対象のはずなのに、最後の一文、前の『服従せよ』と矛盾してるようにしか思えなくて」
ハーナムはその皺の寄った口角に笑みを浮かべた。
「それは誤訳だ、スフィル」
「えっ?」
スフィルは鬼教官が笑みを浮かべることの珍しさに驚きながらも、訊き返した。
「その格言は、自分を律するよう戒めた言葉なんだ。その意味は、『自分自身に命令し、その命令に忠実に服従せよ。常に自分自身の主人であれ』」
自分で決めたことは、確実に成し遂げろ。
どうやらそういう意味の、自制の言葉らしい。美しい字体から、その芸術性にばかり目がいってしまいがちだが、訓練生が自分で書いたとなれば、その意味が変わってくる。この書における「汝」は彼自身を示していて、そのサインは彼の決意の証として刻まれたものなのだ。
スフィルは有機的な曲線を描いた彼のサインを、なぞるように眺めた。
「Qaljek Jehnazalak……」
「それは、カリエクが自分で書いて部屋に飾っていた書を、譲り受けたものなんだ。ヤツの座右の銘らしい。その書があらわすとおり、カリエクは昔から、自分にとことん厳しい性分だった。今からはもう7年くらい前の卒業生だろう。当時から『バケモノ』と呼ばれていた護衛官だ」
「ば、化け物……?」
不穏なあだ名に、スフィルは眉をひそめた。
「ああ。今はホムラ皇太子殿下の親衛隊の副隊長を務める護衛官だが――ヤツは在学時代、全科目『秀』という、バケモノ級の成績を叩き出したものでな」
「全科目『秀』?!」
ありえないと、口に出しそうになったのをこらえて、スフィルはやんわりと尋ねた。
「可能なんですか、そんなこと」
警護課は二年半と、ほかの課に比べて訓練期間が異様に長い。さらにこの学校では、鬼と名高い主任教官ハーナムが仕切っているおかげで、脱落せずについていくだけで困難をきわめる。実際、毎年警護課に入った訓練生のうちの数割は、卒業できることなく退学したか、ほかの課に移っている。
「いや、普通はありえない。私の監督下であんな成績を叩き出したバケモノは、過去にヤツひとりだった。――いや、私の監督下どころか、ナームファルカ憲兵学校約百年の歴史で、唯一の成績だ」
だからなのだろうが、教官の言い方からは、その護衛官を特別視している印象を受けた。きっと彼が認めるほどの、めったにいない訓練生だったのだろう。
「カリエクの剣技は『不可侵領域』と呼ばれて、当時の訓練生だけでなく、教官陣にまで恐れられていた」
「不可侵領域……」
「ヤツの間合いには、絶対に無傷で入ることができなかった。憲兵学校始まって以来の逸材だった」
スフィルは驚きを以て、懐かしげに壁の書を見上げる教官の、彫りの深い鷲鼻の影になった鋭利な横顔を凝視した。
普段は厳しく叱り飛ばすことしかしないこの鬼教官が、訓練生に対してそこまでの評価をするなど、今までに一度もないことだった。
「それほどすごい先輩がいらっしゃったんですね」
感嘆とともにつぶやいたスフィルに、教官は笑った。
「あいつも入学したばかりの頃は、色白でひ弱なお坊ちゃまだったんだがな。何が彼をそこまで成長させたかといえば、やはりヤツの、確実に実行する自律心と精神力以外にないように思える。死ぬほどストイックな男だったよ」
(そっか……もとから特別に優秀な人じゃ、なかったんだ)
気づかぬうちに、スフィルの握られた拳に、力がこもっていた。
「教官、ボク、王室護衛官になりたいんです」
同期で一番小柄で若輩なスフィルがそう言えば、必ずと言っていいほど笑われるか、現実を見ろと窘められる。それゆえ意識して人には言わないようにしている夢を、この時すんなりと言えたのは、ひとえにこの書に勇気づけられたことが大きかった。
教官は、スフィルの言葉に「無理だ」と即答することもなく、嘲笑うこともなく、かといって「努力すればできる」などと安直な答えを示すこともなかった。
彼はただ、淡々と告げた。
「王室護衛官になる人間は、何も特別なことはしない。毎日同じことを積み重ねるだけだ。毎日変わらぬ平凡な平和を守るために、毎日たゆまず訓練を重ねて、毎日死と隣り合わせに生きる。たったそれだけのことだ。――だが、それだけの単純なことを毎日、それも何年も続けるには、並々ならぬ覚悟と実行力が必要だ」
ごくりとつばを飲む。教官が述べたのは一般論だが、彼は暗に、スフィルにその覚悟があるのかと問うていた。
「それができたなら、お前もあるいは、化けるかもしれん。――ヤツのようにな」
独り言のようにそうつぶやくと、教官はおもむろに広間を後にした。
ひとり残されたスフィルは、じっとカリエクの書いた額を見上げていた。
一度志をもつのは簡単だ。だが、それを現実にするまで意志を抱きつづけるのは簡単じゃない。だからこそこの先輩は、日々自分を律することに重きをおいて、こんな美しい書にしたためたのだろう。この優雅な力強さのなかに形取られているのは、まぎれもなく、彼の強固な覚悟だったのだ。
「カリエク先輩、かぁ。かっこいいなぁ……」
文体の美しさも相成って、この会ったこともない卒業生のことが、とんでもなくかっこよく思えた。それは、スフィルが9歳のときに抱いた護衛官への感動以来、はじめて沸き起こった憧れだった。
その日からその伝説の卒業生は、スフィルの具体的な目標になった。あの書を何度も眺めたいと教官に頼み込んで、スフィルの部屋に飾らせてもらった。
「Lac'emer, lasekel, jna lanuhr elzec'mar jet.(汝、命令せよ。汝、服従せよ。汝、いかなる時も主人たれ)」
そうだ。己を完全支配せよ。自分を律するのだ。
スフィルは今、日射のそそぐ野外訓練場で、目を瞑り静寂に耳を傾けていた。
この試験を諦めたくない。――それは、スフィルのごく個人的な情熱だ。一時の情動に身を任せた判断をするわけにはいかない。
長期的に見て、最善手を指せ。それが王室護衛官になるということだ。
回想にふけっていたスフィルは、ようやくその場で顔を上げた。
「コード『ゼロ』実行後、すみやかに目標を、任務達成ではなく、敵をひとりでも多く倒すことにシフトします」
スフィルの瞳に決意のほどを察したのか、ティガルはそれ以上反論してこなかった。
「了解、班長」
彼はただ、事務的で静かな返答のなかに、スフィルの判断に従う意思を見せた。これで班の行動方針は決まった。
一行は再び、ゼロ地点に向けて走り出した。
エズレもなんとか、ついてこられているようだった。黄塵の迷路に、乾いた砂上を走る音だけがつづく。
現在、もと来た第三ステージの中には入らずに、その横を通過している。完全に通常の脱出ルートの外であるためか、辺りに周回する敵はいない。やはりこの敵役たちは、兵法理論から鑑みた、最低限の必要箇所にしか兵を置かないようだ。
敵と遭遇することはないとはいえ、薄い絨毯の壁を挟んだ一枚隣は、敵の巡回する本ステージである。極力音を立てずに、慎重に通り過ぎなければならない。
ようやく布壁の迷路の終わりとともに、その向こうに雑木林が見えると、スフィルはその場で立ち止まり、うしろの仲間に制止をかけた。
「着きました。周囲の安全を確認してきます」
スフィルがひとりで班を離脱しようとした、その矢先だった。唐突にエズレが話しかけてきた。
「おい、スフィル。お前バカだろ」
「え……?」
エズレは言いながら、まぶしそうに空を仰ぎ、野外訓練場のとなりにある憲兵学校本館を見上げた。
「ここ、本館3階バルコニーから、完全に死角になってるぞ。これじゃ、もしここでいい動きしたとしても、試験官や、せっかく観に来てる憲兵署の人事担当に見られなくて、何の評価にも入らないだろ。――ったく、これだから護衛素人は、見ててイライラする。考えるのは逃げることばかりで、肝心の試験のことを忘れてんだからな」
「ええ。この場所を退避場所に設定したのは、だからこそですよ」
「はぁ?」
エズレはぱちくりと目を瞬かせた。
「まともな受験者なら、こんなバカな場所には行きたがらない。こんな場所は、試験会場の『外』だと見做されるのが暗黙の了解です。だから絶対に、こんなバカな場所には敵がいないといえる。つまり、バカであるがゆえに、ここは最も安全性が高いんです」
言葉を失っていたエズレは、すぐに我に返ったとみえて、スフィルに指を突き出した。
「当たり前だろ! そんな話は前提条件! つまりおれが言いたいのはつまりだ、つまり、つまるところだな、そんなリスクを負ってまで逃げる必要があったのか、そういう議論なんだよ! お前みたいな護衛素人のチビは、そんなこともわからないのか?」
「いえでも、さっき逃げなきゃ、危うく敵と遭遇するところでしたし」
「う、うるさい! 護衛対象に言い訳すんなよ!」
スフィルをキッと睨みまがら吠えるエズレに、スフィルはどう反応したらいいものかわからず途方に暮れた。
(やっぱりボク、この王子様に、嫌われとるっちゃないかな)
思い当たるフシはあったかと、スフィルは普段の生活を思い起こしてみた。
エズレとは同じ課ではあるものの、スフィルより二年も下の代の後輩なので、合同訓練などの接点はない。普段寝泊まりしている兵舎が同じなので、よく顔を合わせるくらいだ。
ただ本当に顔を見かける程度で、会話した記憶はほとんどない。
(なんか嫌われるようなことした記憶は、本当にないっちゃけど……)
そもそも接点がないのでは、仕方がない。
それでも嫌われる理由があるとすれば、それはおそらく、スフィルの年齢からくる侮蔑なのだろう。
なにせスフィルは王都の従軍可能最低年齢である12歳になってすぐに入学したので、憲兵学校において常に最年少のようなものだった。
そんなチビなガキンチョが、王室護衛官なんて大きな夢を語るのが気に食わないという連中は、今までに大勢いた。訓練生だけでなく、教官に嫌われることもあった。
(そういえばさっきも、『お前みたいな護衛素人のチビ』って言っとったしな。この人も大方、チビが王室護衛官の夢語るのが気にくわんっちゃないかな)
「大体お前、敵がいないから安全とか言いながら、敵がいないか確認してくるとか言うしな」
「それは念の為ですよ。万が一でも、不測の事態は起こりうるんですから」
スフィルがそう言った、次の瞬間だった。
「その不測の事態だが、すでに今、起こってるようだぞ」
突然静かにそう告げたのは、ノワンだった。
「え……っ?」
「そこの地面に、まだ新しい足跡がある。三人分だ」
ノワンはちらりと木々の根元のぬかるんだ地面を見やった。たしかに彼の言うとおり、よく見れば、あたらしい足跡とわかるそれは、廃棄武器庫のほうへとつづいていた。
よく目を凝らさなければわからぬほどの異変に早々に気づいた、ノワンの鋭い観察眼に感心しながらも、スフィルはすぐに班に指示を出した。
「皆さん、そこで待機しててください。まずは敵か味方かを確認してきます」
こんな野外訓練場の端の寂れた廃棄武器庫に、敵が来る理由はない。それでも誰かが訪れるとしたら、脱落の結果三人にまで減らされた、他班の護衛官たちである可能性はある。
雑木林のなかを、慎重に歩いた先。
木漏れ日に照らされ佇むのは、ところどころ漆喰のはがれ落ちた、古びた倉庫だった。
壊れた武器や、もう使われない古い武器などを一時的に置いておく、廃棄武器庫である。訓練場の端にひっそりと立つその寂れた景観は、「忘れさられた」という形容が似つかわしい。普段誰も立ち入らない、器具のごみ置き場である。
その中を確認しようとして、スフィルはぴたりと動きを止めた。
(まさか――)
倉庫の中から、なにか音がしたのだ。
足跡の三人は、倉庫の中にいるようだった。倉庫の壁に耳をつければ、何やら小声で話し合う声まで聞こえる。
この状況で考えられるのは、ただひとつ。
(敵だ……!)
彼らが敵に追われている護衛班だった場合、まともな護衛なら、倉庫の中に入らずに裏に回る。万一敵に見つかったときに、反対側への逃げ道を確保するためだ。自分から袋小路に入るなど、少なくとも追われている人間のすることじゃない。
ゴクリと、息を呑む。
(倉庫の中に、敵がいる……!)




