神様の悪戯
間違いない。夢だ。またあの夢の感覚。
私ではない誰かになる感覚。トーマスさんの時と同じ。
だけど明確にトーマスさんではないということは理解できる。
まったく違うものがある。妙に心臓の鼓動音が気になる。妙に周りの音が気になる。足音が、手足を動かした時の風切り音が気になる。
音だけじゃない。衣服が肌に擦れる感覚が気になる。空気が擦れる感覚すら気になる。
おかしい。感覚が。全て。
段々と自分の意識が遠くなる。この『夢の主』の感情に引っ張られる。
そう、この感覚全てが壊れ始めたのが、あの男のせい。
ゼーレンを守るため。いや、たった一人の女を失った恨みをゼーレンを守るためという感情にすり替えて動くあの男……ゲルドのせい。
だが今は。こうして放免された今は。そのすり替えられたと思っていた奴の感情は、本物だったのではないかとすら思い始めた。全部許す気はないが、守りたいという感情だけは認めてもいい。
視界が白く染まる。
暗闇から日の光が当たる外へ出ると、一時的に視界が遮られる。
視力もまた感覚の一部。一瞬の光に疎ましさを感じるが、徐々に色を取り戻していくと。
そこには切り立った崖上に建てられた小さな都市。
久しぶりに見た故郷の空には無数の白い影が飛んでいた。魔力を使用した際に現れる、青白い光とともに。
その正体を知っていた。あの男はこれを阻止するためにオレを解放したのだから。
あれは、王国軍。漁夫の利を狙いにきただけのハエだ。
オレにはあれを阻止する力がある。あの男に力を与えられたから。望まずに。
だけどこの時だけはゲルドに感謝した。故郷を守る力を与えてくれたのだから。
眼下に広がる森はゼーレンの森とは違い生い茂り、手入れも行き届いていない。下手に手入れをしようものなら王国と道を繋げてしまう。だから誰も手を付けない。
森を城壁にするというゼーレンの考え方と、壁にするというクリスタの考え方の違いがそこにはあった。
あの男の防衛思想を思い出し、苦笑する。本当、あの男は防衛戦略を立てるのが上手い。誰のために上手くなったのか。それを考えれば苦笑するしかない。今のゼーレンが鉄壁の要塞になったのはあの男が守りたいものを失った結果なのだから。
オレはあの男のようになりたくなかった。あの男も、望んでいなかった。
だからこそ今、オレはこの場所にいる。心臓が高鳴る。空気の流れが音としてわかる。お前がオレの同意なく植え付けた力……感覚が過剰に研ぎ澄まされるという代償で得た、この魔力を使って……オレはお前の望み通り、お前とは違う道を開く!
オレは手をかざし、全身の魔力をその手に集める。そして。手に嵌めていた手甲に取り付けた発電機構にその魔力を通し、命じる。
「放て!」
手から放たれた稲妻は天に昇り、白い影に着弾する。そしてまるで流れるように次の白い影へと延び、着弾する。着弾した白い影は黒い煙をあげて無残に落ちていく。そして、地上に落ち、赤い飛沫をあげ肉塊となった。
この日、クリスタの森に鉄の雨が降り、大地が赤く染まった。光の龍が空を覆う白い影を貪り食った、神がクリスタを救ったのだと、クリスタの街ではそう囁かれたのを聞いた。
もしもそうなら、神様はたいそう意地悪で、気まぐれで、身勝手で残酷で……可哀想な男だな、と苦笑した。
翌日、血に染まった森を歩いた。
鉄の匂いと焦げ臭さ、そして腐臭が混じり合うその森の匂いは最悪で、五感が研ぎ澄まされたオレには耐えられなかったが、それでも自分がしたことを確認するかのように、鼻をつまんでその惨状を目に焼き付けた。
これが戦争なのだと。誰も幸せにならないのが、戦争なのだと。
こんなひどい森の中に1人、人影を見つけた。帝国でよく見られるツナギ姿の女。金髪で、背筋が伸びているのが印象的だった。その表情は真っ青で、まあ、この肉の塊を見てしまえばそうなるだろう、というものであったが。風に流れてきたその一言が印象的で、目が離せなくなった。
「私のせいで……」
そうつぶやく女。『私のせい』というのはどういうことなのだろうか。なぜ帝国の服をした女がこんなところへ? 工作員か? 確かめるべきか?
しかしオレはファルシア公国の騎士としては抹殺され、ゲルドの実験体にされた身。調べられたらオレの方が危うくなる。しかしそれでもオレは彼女の肩に手を置き、尋ねた。彼女の一言を運んできた風は、彼女の匂いも運んできた。……悲しい、水の匂い。放っておけなかった。
「こんなところで何をしている。オレはサイラス。ファルシア公国軍の騎士だ。お前は?」
真っ青な顔のまま、オレに振り向く。金色の瞳に、涙を浮かべながら、声を震わせながら答える女。
「私は……セシリア。」
その凛とした中に悲しさが混じるその声色に、心を奪われた。この光景に涙する心があるのなら……まだ。どこの人間だとしても、やり直せる。
オレはその心を失くした。この森を平気で歩けるのだから。だがお前はそうではないんだろう。だから……オレが助けてやる。セシリア。
手を差し伸べて、彼女の手を取って、気が付いた。
これじゃまるで、オレはゲルドが出来なかったことをやってやってるみたいじゃないか。
この日、オレはファルシア公国の真の騎士になった気がした。




