神様。シナリオ背景がわかりません。
118年に第一次ゼーレン事変が起こることを、王国は知っていた。それを示唆する記述がルルブにはある。今まで私が見落としてしまったのも無理はないと思う。だってこれは……この場所とは一切関係がない場所の出来事だったからだ!
トントンと、118年の所でペンを立てる。
ファルシア公国第三都市『クリスタ』
ファルシア公国の首都と魔鉱石が採掘できる洞窟で繋がっている都市。山の崖にそびえ立つことから崖城都市の異名を持つ。ファルシア公国の都市の中で唯一、王国側に面しており、118年に王国の空襲を受けた事もある。
王国が、わざわざ118年に襲撃を行った理由は、帝国がゼーレンを118年に襲撃することを知っていたからではないだろうか? その情報源は?
……ペンで118年の所にセシリアさんの名前を大きく書いて丸を付ける。
セシリアさんは、ザメック博士を探すための諜報員であり、ザメック博士の居所が公国にいるという情報を得たから公国にスパイとして潜り込み、ゼーレンの騎士として働いている。
じゃあ、その前は? ……王国から逃げたザメック博士が、帝国に拉致されそうになったという情報を、どうやって手に入れた?
順当に考えれば、王国内で探し回って帝国が拉致しようとした痕跡を見つけたのなら、最初に探すのは帝国……セシリアさんは、この付近の年に、帝国にいたのでは?
だとすれば。セシリアさんは『第一次ゼーレン事変』が起こることを知っていて王国に報告し、そして撃退した公国に入り込んだ危険な……!
鼓動の音がうるさい。汗が止まらない。そんなことないと、否定したいのに、体はそうかもしれないと反応する。ペンを投げ出したい衝動に駆られる。
「私ね、ゼーレンに家族を連れてきて暮らそうと思ってるの。この10万の兵を退けることができたなら、多分、この世で一番安全でしょう。ここ。」
あの言葉すらも嘘かもしれない。そう考えると……頬に涙が流れる感覚を覚えて、首を振って涙を慌てて拭く。これは、あまりに悲観的過ぎる考え方だ。あの言葉は本当に言ってくれたと私は、信じたい。
ペンを強く握り直す。
よく、考えよう。セシリアさんは王国にこれまで全く報告なしでいられたかどうか。
いられないわけがない。
なら、帝国が公国を襲撃しようとしている情報位は、報告するだろう……
これは、立場上、仕方がない事……
そう必死に思い込もうと思ってもどうしても頭から離れてくれない。
ペンが前のページのセシリアさんの名前に向かっていく。二重線で、消してしまおうとする。ついに私はペンを離した。
深呼吸をする。高鳴っている心臓を整えるように。
再びソファーに座り直して、天井を見上げて目を瞑る。
何分こうしていただろう?
結局私は、この結論は先送りにすることにした。
今やらなければいけないこと……考えなければいけないことはここがTRPGの世界でシナリオとして成立するのかどうか、だ。そう、自分に言い聞かせて。
書き終わったメモを見直す。
色々まとめたけれど、私の知識の中でまだ腑に落ちない所はある。
帝国。
帝国は何故、10万の兵でゼーレンを襲撃したのか。
何故、ゲルド支部長やリディアさんに憎まれているのか。
何故、新兵器を導入してまで権威を示そうとして、それでも負けてしまったのか。
ここが重要なこと。何故なら、シナリオとして描くならば、敵国の背景というのははっきりと書かないとGMがシナリオを進行させるのに困ってしまうからだ。GMはシナリオを進行する上で、シナリオの流れや背景をしっかり把握する必要がある。NPCのRPだけじゃない。ナレーションからPLに対する指示、PLからの質問などへの回答などありとあらゆることをする必要がある。その根底にあるのがシナリオ背景。今の現状は、TRPGのシナリオであるというには、シナリオ背景に不透明な所が多すぎる。
そしてシナリオ背景がわかっていないこと。特に帝国についてわからない。これは私も非常に苦しい状況であることも示している。私は立場上、帝国に詳しいことになっている。だけど、実際のところ私は帝国のことを何も知らない。どうにかしなければいけない。どうしたら、帝国の事を理解できるだろう? ルルブに載っていた情報は何かなかっただろうか?
再びゴロンとソファーに寝ころぶ。このソファーは気持ちがいい。手でふわふわと感触を確かめながら思考に落ちる。
ルルブは王国vs帝国を中心に取り上げている。私が思いつかないだけできっと何かが……
バタンッ
突然、玄関の扉が開く音がした。私は咄嗟にメモをしまった。
「ミコちゃん、ただいま。どうしたの。こんなところで寝転がって。」
セシリアさんだった。いつものように綺麗な顔で、金色の澄んだ瞳で私を見つめる。今まで気が付かなかったけれど、耳には小さな青いイヤリング。長い髪に隠れていて見えなかったのかもしれない。とてもよく似合っている。まじまじと見る私の態度が珍しかったのか、私の返事を待たずにセシリアさんが口を開く。
「元気ないわね。どうしたの。私が出かける前まであんなに元気だったのに。そうだ。これ飲む? ゼーレンの森で採れる『陽光果』って言われる果物のジュースよ。貰ってきたの。」
私は軽く笑顔を作って返事をした。
「うん。ありがとう、セシリアさん。」
光を反射するように輝く淡い琥珀色のジュースがガラスのコップにとくとくと注がれていく。8分目まで注がれたガラスのコップをセシリアさんが両手で優しく手渡してくれた。
「やっぱり、元気ないわね。何かあったの?」
私は首を横に振る。全力ではなくゆっくりと。何もないわけじゃない。だけど、セシリアさんが心配するようなことではない。私がまだ、セシリアさんに告げる勇気がないだけ。
「そう。じゃあ、聞かないわ。じゃあ次に私が話したい事、話していい?」
私はジュースを少し口に含んだ。甘くさわやかな香りとともに蜂蜜のような甘さが広がる。しかし、それが口の中から消えた瞬間、すっきりとしたさわやかさが残る。控えめにいってこれはとてもおいしい。それを味わった後、コップを置いてセシリアさんに次の言葉を促す。
「そのジュースね。リディア様の好きなジュースなんだって。リディア様がこの場所に配属されてから、毎日欠かさず飲んでた時があるぐらい、大好きなんだって。」
……このジュースが? でも、理解はできる。だって凄く美味しいもの。でも……毎日?
「やっぱり毎日はおかしいと思うわよね。『陽光果』は今は外に輸出してるぐらい、ここの名物って形で推されてる。問題はこの方策案、出したのも、リディア様って言う所。」
自分が好きなものを全力で推す……リディアさんらしくはあるけれど……
「変よね。何かあるわ。そこで……このことの調査を貴方に任せたいと思うの。」
え?
「その、ね。実は私も、リディア様からのお土産を調べる必要があるから……手が回らなくて、ね。その。資料とかはほら、私、色々持ってきたから……貴方は結構、資料の深読みが得意っぽいし……」
……もしかして、セシリアさん……元気づけようとしてくれてるのかな? ……いいのかな。やっぱり、セシリアさんのことは、信じてもいいのかな? ……でも、今この疑問をぶつければ私は責めてしまいそうで。今の関係が壊れてしまいそうで……
だから私は少し無理して笑って見せた。切り替えて見せた。
ふふっ、そうですよね。こんなの私らしく、ないですよね。わかりました!
「任せてください、セシリアさん! 泥船に乗ったつもりでいてくださいね! あ、でもでも! わからない単語があるといけないので一緒の空間にいてもらってもいいですか!」
「ミコちゃん、泥船にはのりたくないけど……でもやってくれるなら助かるわ。ええ、じゃあ一緒にやりましょうか。」
すっと差し出された資料を笑顔で受け取ると、セシリアさんにいつもの笑顔が戻る。よーし! リディアさんの好きなジュースの謎、私が見つけてやりますよ!




