永劫の重圧
目前に迫る鋭い氷柱にモントは思わず仰け反り、支える手はソファーに沈み体勢を崩した。
オーベン伯爵の冷たい瞳に一切の妥協は無い。
「我が一族は常に狙われている。理由は分かるか?この力があるからじゃない。元が平民だからだ。
土地が潤い領民が増えれば街になる。増えた領民を養うために貿易をし、徐々に大きくなれば奪わんとする者は多い。それは他の領地も同じだ。
だが此処は違う!最初からケチがついて回った。“平民が叙爵した”それは貴族という者達の神経を逆撫でするには十分だ。叙爵した本人なら功績が盾となる。だが時が経てばその功績も、単なるお零れでしかない。
⋯―慈雨の英雄―
領民の期待、崇拝とも取れる信頼。
幾星霜過ぎようとただ一つ。英雄と言われ続ける事だけが我が一族の存在意義。
その対象となる継承者が消えたとなればどうなることか。その危うさが君に分かるか!?」
伯爵の気迫にモントは慄くしかなかった。
深い海底の様に光を失った伯爵に掛ける言葉などモントは持ち合わせていない。
すると突如張り詰めていた糸がぷつんと切れたように、モントに迫る氷柱は一瞬の泡沫にして砕け散った。伯爵の威厳が揺らいだ瞬間を垣間見た気分だ。
モントには伯爵の複雑な胸中を窺い知るに及ばないが、教会に兵士が来た理由は何となく分かっていた。
あの魔法陣は“フェルヴァッへ・シュピーゲリンデス・ヴァッサー”通称“千里水鏡”と呼ばれ、鏡のように遠隔で監視する水魔法。よって来訪者に気付き兵士が来た。
腑に落ちなかったのは魔法陣の設置理由。最初は人を置くよりも効率的で、魔法を扱うオーベン伯爵ならあり得ると考えてはいた⋯が、息子の誘拐がきっかけだったのか。
(つまり、フルフューリヒ様の行方を探す為の魔法陣だったんだ。)
伯爵は重い溜息を一つ、長く白い指をパチンッと鳴らし一人の執事を呼び込むと、老爺の執事が抱えるように肖像画を持って来た。
豪華な額縁に入れられた肖像画は、父であるオーベン伯爵が椅子に座り、画角右側に立つ青のネックレスが目を引く女性。その手は小さな男の子と繋がれている。背景はモントが今居る客間が描かれているようだ。
この小さい男の子がフルフューリヒで女性が妻であり母と窺える。大きな瞳は伯爵と同じ紺碧で、癖のない滑らかな髪は母に似ている美形の少年だ。
「坊ちゃまのお年は10歳。背丈は貴方様より小柄でいらっしゃいます。服装は落ち着いた緑の革の半ズボンで、厚手のウールの上着をお召しです。性格は好奇心旺盛ですが、暗い所は苦手で⋯。」
老爺の執事はまるで自分の孫のように大切に思っていたのだろう。肩を震わせ説明する。
モントは考えを巡らせる。
(求められていることは明確。伯爵の息子、フルフューリヒ様を捜索すること。見つけられるのか⋯?もし見つけられなければ⋯)
最悪な想像だけ豊かな自分の頭に嫌気が差しつつ、断る糸口を探すが見つからない。
飛び出しそうな心臓を大きな深呼吸で鎮めてから、モントはソファーから立ち上がり床に片膝を付いた。
「オーベン伯爵閣下。その多大なる下命、私モント必ずや遂行して参ります。」
その言葉を聞いたオーベン伯爵はそっとモントの前に来ると膝を付いた。執事も制止することなく、ただ落涙する。伯爵はモントの手を取り、その長く白い指で力強く握った。
「モントよ。我が息子を⋯⋯頼んだ。」
モントが顔を上げると今まで威厳に満ちていた伯爵の顔は愁眉に歪み、子を案ずる一人の父の顔をしていた。
モントは行方不明となった経緯や詳細を聞き城を出た。一歩踏み出す度に一つ溜息が出る。
(はぁ⋯。どうして⋯何で⋯僕なんだよぉおお!?)
癇癪のようにぐしゃぐしゃと髪を両手で掻いたモントは、フルフューリヒの足取りを追う為、冬晴の日差しの中を小走りで駆け抜ける。
オーベン伯爵が城の窓から見下ろす先に、兎のような小さな歩幅で城門に向かって歩くモントの姿を目視する。
ふわりとした茜髪は風に揉まれ憎らしくも鮮やかに煌めいていた。
「茜髪⋯モント、か⋯。」
蘇る幼い頃の父との思い出。
――
護衛一人だけを連れて、親子は山道を登りこぢんまりとした教会に来た。護衛を外に待たせ、親子は教会に足を踏み入れる。
「セーゲン。私達の先祖がこの力を授かったのは“茜髪の聖人”のお陰なんだ。」
空っぽの教会は祭壇だけ。飾られた聖人の像を前に、幼子の肩を寄せ父は話し始める。
「嘗てこの村は水源が枯渇し、土地が痩せ、人は死に、遠い隣村からひとりの青年が汲み運ぶ水だけで命を繋いでいた。青年は切実な願いを込め水を汲んでは毎日此処で祈った。
ある日、日暮れが迫り急いで水を運ぶ途中、転んだ拍子に零してしまった。
絶望の中、祈るしか無かった青年の前にある人が現れ、こう問うた。
『貴方が望むならこの魔法を差し上げます。でも決して、この地を見捨てず発展させ続けるのです。出来ますか?』
その問いに青年が大きく頷くと、ふわりと風が巻き上がり青年を包むように精霊が舞った。すると川が流れ、井戸は蘇り草木を濡らす雨が降った。
その後、青年はその人の夕日の様な髪を見て“茜髪の聖人”として此処に像を作ったんだ。」
――
兵を配置し貿易を止め、領民には跡取りがいないことを悟られぬよう探し回った。然し見つからない。最後の望みをかけてあの場所に魔法陣を描いた。
――映ったのは茜髪の少年だった。
「茜髪の聖人⋯
違うと理解しつつも助けを求めてしまうよ。」




