第2章 噂と影(1)
研修旅行二日目。
午前のプログラムを終え、ミヨクとギルバートとエルフリーデは昼食を取るために街中へ出ていた。
真守は一緒ではない。午前中は、四人の中で真守だけ別の講義に参加していた。霊媒関係の講義であり、ミディアムの大学の代表として来た真守にとっては、受けない方がおかしいといった内容だった。それに講義の内容を後で教えてほしいとエレンに頼まれていた。その講義は大学から少し離れた場所で行われるということで、昼食もミヨク達とは別で取ることになったというわけだ。
さて、ミヨク達三人は街中に来るまで何を食べるかを考えていなかった。とりあえずミヨクが提案する。
「ハンバーガーでも食べようぜ」
研修の小冊子で紹介されている店にハンバーガー店があったことをミヨクは思い出した。ゲルミリアの料理のことはよく知らないが、どんな形であれハンバーガーならばメイスラで慣れ親しんだ料理とそう遠くはないだろうと考える。ギルバートも納得したように首を縦に振る。
「いいね。そうしよう」
ギルバートが言った後に、エルフリーデがこんなことを言う。
「ハンバーガーというのは何ですの?」
「ハンバーガーっていうのはなぁ……」
ミヨクは答えようとしてから、エルフリーデがとんでもない発言をしていたことに気付いた。思わず立ち止まって大声を上げる。
「お前、ハンバーガー知らないはさすがに嘘だろ……」
エルフリーデは名門リヴィングストン家の令嬢だ。名のある魔術師の中でも頭が一つ抜けた富裕層であり、庶民の暮らしには馴染みがない。最近ではミヨクとギルバートがいろいろ教えるようになり、彼女自身も庶民の生活スタイルに興味を持っているので、以前よりは知識が身についてきたようだが、それでもまだ彼女が知らないことが山程あるみたいだ。そしてそれは、ミヨク達が知っていて当然だということもよくある。
エルフリーデは少し困惑したような表情を浮かべる。
「本当に知りませんの。名前だけなら聞いたことがありますが、実際に食べたことはありませんわ」
ミヨクはどうしようか悩んだが、ギルバートが冷静そうに言う。
「なら尚更ハンバーガーを食べに行こう。エルフリーデもきっと気に入るよ」
エルフリーデは迷った様子を見せている。そこへミヨクが最後の一押しをする。
「これも勉強の内だろ?」
ミヨクは考える。エルフリーデは庶民の生活スタイルに抵抗があるわけではないはずだ。ただ知らないので躊躇ってしまうだけだろう。
「そうですわね。行きましょう」
エルフリーデが了解したところで、ミヨク達三人はハンバーガー店に向かう。進み始めたところで、ミヨクはエルフリーデに話しかけた。
「ところでエルフリーデ、真守とは昨夜どんな話をしたんだ? もちろん俺達にも話せる範囲のことでいいから」
ミヨクとしては邪な気持ちは一切ない。純粋に真守とエルフリーデで共通の話題があるのかどうかが気になった。エルフリーデは昨夜の会話を思い出しているのか、はたまたミヨク達に話してよい内容なのか考えているのか、しばらく黙って俯いた後、何か閃いたように顔を上げた。
「服の話を長い間しましたわ。まずはドレスはどこのブランドかと訊かれましたけど、専属の服飾士によるオーダーメイドと答えましたら、大変驚かれていましたね」
「まあ、驚くだろうな」
おそらく真守は、どこの高級店で買ったものなのかを聞きたかったのだろう。しかしエルフリーデはさらに高い次元にいたようだ。庶民のミヨクにはついて行けそうにない領域だ。
エルフリーデが話を進める。
「真守は有名なブティックをよく調べているようで、わたくしと一緒に巡りたいと言っていましたわ。だからメイスラに帰ったらエレンも交えて買い物に行くことにしましたの。真守もドレス以外でわたくしに似合う服を選ぶんだと張り切っていましたわ」
「そうか。それは楽しみだな」
ミヨクがそう言った直後、それまで楽しそうに話していたはずのエルフリーデが、何かを思い出したかのように困惑の表情を浮かべた。そしてミヨクに相談するように語り始める。
「その時に、ソニア・ヘンシェル様のことも呼ぼうなんて真守が言い出しましたの。真守とソニア様に交流があるのは何となく知っていたのだけど、まさか一緒に買い物に行く程の仲だとは知りませんでしたわ」
確かにミヨクも、ソニアの交友関係をよく知らない。メリッサや真守くらいしか同年代の友人がいないのではないだろうかとすら思える。高等部では友人はいただろうが、ソニアが大学に進学せずヘンシェル教会の職務に専念するようになってからは、交友関係も希薄になっていてもおかしくはない。
どちらにせよ、今はエルフリーデの話だ。ここまでの話の中で、エルフリーデが困るような内容がないようにミヨクには思える。
「お前はソニアに憧れているんじゃなかったか。良い機会じゃねぇか」
ミヨクは不自然なことを言っていないつもりだ。しかしエルフリーデは全力で首を横に振る。
「そんな簡単に言わないでくださいまし。あなたは婿候補になっているから馴れ馴れしく接することができるのでしょうけど、わたくしにはそんな度胸はありませんわ」
婿候補という言葉は聞き流しておいて、エルフリーデの言葉には一理あるとミヨクは感じた。ミヨクはすっかり忘れていたが、ミヨクと同年代の魔術師にとって、ソニア・ヘンシェルという魔術師は雲の上の存在だ。特にソニアより年下の魔術師にとっては話すことも憚られるだろう。まして一緒に買い物をするなど想像もできないかもしれない。
しかしミヨクにも反論したいことがある。
「そんなこと言っても、お前は去年の首席だろ。同じ首席同士、仲良くなれるんじゃないか」
「そんな……『稀代の三席』と比べられませんわ」
エルフリーデが少し怒った風に言うのを聞いて、自分も同じ気持ちになった時期があることをミヨクは思い出す。しかしエルフリーデはソニアと話したことがないわけではないだろう。
「魔術戦大会の表彰式の時に会ってるだろ。確か、ソニアがトロフィーを渡すことになっていたんじゃなかったっけ」
ミヨクは魔術戦大会の高等部男子の部で準優勝を収めたが、試合中の怪我で表彰式には参加できなかった。そこでギルバートが会話に割って入る。
「あの時のリーデちゃん、ソニア様にトロフィーを渡されたんだけど、緊張していてガチガチに震えていたんだよ。トロフィーを落としそうになったりして、隣にいた君の妹さんにフォローされていたくらいだよ」
ギルバートが説明している間、エルフリーデは恥ずかしそうに俯いていた。憧れの人を目の前にして緊張するのはミヨクも理解できる。しかし一点だけ腑に落ちないことがあった。
「でも、エルフリーデ。卒業式で首席の表彰をされた時、メリッサさんに対しては全然平気だったじゃねぇか。メリッサさんだってソニアと同じ『稀代の三席』だぞ」
卒業式はミヨクも出席した。次席だったのでエルフリーデの隣で表彰されたが、その時のエルフリーデにおかしな様子は見られず、むしろ堂々としていた印象を受けた。そこでエルフリーデが慌てたように言い返す。
「別に、ミス・スプリングフィールドのことを侮っているということではありませんわ。ただ、ソニア様は、ずっと憧れていた人なので……。その、上手く話せませんの……」
エルフリーデは再び俯いてしまった。そんな彼女に朗報があるのだが、もしかしたら彼女の緊張を増幅させてしまうかもしれないと思いつつも、ミヨクは話してみる。
「でも、この間ヘンシェル教会の訓練に参加させてもらってる時に、ソニアがエルフリーデのことを気にしていたぞ。何かの機会があったら是非話してみたいって」
ソニアの方は単純に、同じ首席だと思っているのだろうか、エルフリーデのことを好意的に話していた。一瞬だけエルフリーデの顎が跳ねたが、まだ視線は下に傾いたままだ。
「そんな……。でも、粗相してしまったら……」
と言いつつも、段々とエルフリーデの顔が上がってきていることをミヨクは見逃していない。さらにエルフリーデの不安を和らげることを試みる。
「大丈夫だって。まあ、俺は今でも、余計なことを言ってしまった後に、腹いせに訓練でぶっ飛ばされることもあるけど、年下の女の子には優しい人だよ」
「最初の情報要らないだろ……」
ギルバートが呆れたように言った後、エルフリーデがくすりと笑った。先程までのエルフリーデにはソニアに対する尊敬の念と同時に畏怖の念があったのだろう。ようやく畏怖の念の方が弱まってきたようだ。
エルフリーデが顔を上げて、ミヨクに晴れやかな笑顔を見せる。
「そうですわね。ありがとう、ミヨク。ソニア様に会う話、前向きに考えてみますわ」
さて、そんなことを話している間に、ミヨク達は目的地に辿り着いた。そこでミヨクは思わず声を上げる。
「げっ?」
ハンバーガー店にはテラス席がある。ランチタイムであるためか、テラス席はほとんど埋まっている。とはいえミヨク達三人が座る席は残されている。ミヨクは店の混み具合に不平を漏らしたわけではない。
テラス席の奥の方から、ミヨク達に向かって手を振る人物がいた。
「オー。君達は昨日の子達ですね。研修は頑張ってますか」
マーティンだ。昨日と違い元気そうだ。しっかりと睡眠を取ったのだろう。今日は担当する講義がないのか、ハンバーガー店で用事を済ませているようだ。もちろん、ミヨクはマーティンに見つかったことを嫌がったわけではない。
マーティンの向かい側に真っ赤なローブを来た銀髪の女性がいる。ミヨクは彼女を見つけてしまったので驚いてしまったのだ。
ミヨクは最初見間違いか早とちりかと思った。銀髪の女性の隣には牧師姿の男性もいる。しかしミヨクは二人の後ろ姿を見ただけで、顔を見ていない。よく似た風貌の人が他に存在してもおかしくない。
そこで真っ赤なローブもとい修道服を来た銀髪の女性がミヨク達の方へ振り向く。ミヨクは直感が当たっていたことを知る。噂をすれば影が差すとはまさにこのことだ。
ヘンシェル教会のシスター、ソニア・ヘンシェルがそこにいた。




