第1章 血と魂(3)
魔術国家ゲルミリア。
地理的にはドイツに位置する魔術国家だ。メイスラと同様に、地下に建国されており、表向きには地上の世界には認知されていないことになっている。赤レンガの街並みはメイスラと似ている。魔術師の性質上、これはノースキーナも変わらないのかもしれない。
ただ、研修の会場であるトヴェルレダン城は、レンガ造りの建物を見慣れているミヨク達にとっても荘厳なものであった。
今ではゲルミリアの大学施設なのだが、昔は魔術連盟の研究施設として使われていたらしい。太陽光が当たらないので色褪せた箇所は少ないが、くすんだ箇所はちらほら見られる。その黒い汚れが時代を感じさせるが、それでいて荒廃しているという印象はなく、むしろ強固さを際立たせている。
研修期間は一週間である。その間には様々なプログラムが組まれていて、いくつか参加者全員が受けなければならない共通のプログラムがあるものの、多くは参加者が選択できるプログラムで構成されている。
研修会場に到着したのは夕方なので、まずは参加者全員が食堂で夕食を取ることになった。その後、研修の説明会が行われる。一日目のプログラムはそれだけだ。二日目から本格的に研修が始まる。
夕食後、説明会までに少し時間が空いたので、ミヨク達四人は休憩所に集まって、テーブルを囲んで座り、談笑をしていた。
今回の研修旅行の目玉といえばこれだろう。早速、ミヨクが話題を切り出す。
「ギルバートとエルフリーデもエルドリッチ教授の講義を受けるんだったか?」
「ああ、そうだな」
「ええ、わたくしも血と魂の繋がりというテーマには関心がありますわ」
血と魂の繋がり。
肉体と魂がエーテルによって繋げられているというのは魔術師の間では常識なのだが、肉体の中にある血液は魂やエーテルとどのように関わっているかは未だに解明されていない。
マーティンは血液属性の魔術師でありながら、血と魂の繋がりについて長年研究している。ミヨクも彼の過去の論文は何本か読んだ。それにマーティンはLOCの研究者でもある。異世界生命体に対する造詣も深いことが論文からも窺えた。
そこでエルフリーデが落ち着いた口調でこんなことを言う。
「ミヨクの病気のことも何か分かるといいですわね」
「ああ、そうだな」
ミヨクは普通に答えたつもりだった。落ち込んだ素振りも見せず、それでいて変に明るく振る舞おうとしなかった。何気ない日常の会話の一つであるとすら思っていた。しかしエルフリーデは深刻そうにミヨクを見つめている。
確かに心配をかけてしまったとミヨクは反省する。真守がメイスラに来てくれる前は、ミヨクは授業中に何回も意識を失いかけて倒れた。エルフリーデもその光景を見ていて、その内の何回かはエルフリーデが助けてくれたものだ。
そのことは承知の上で、ミヨクは敢えて平然と言ってのける。
「そんなマジにならないでくれよ。気を失うこともなくなったし、最近はむしろかなり調子が良いぜ」
ミヨクの言葉に嘘は全くない。実際のところ、ミヨクがエーテル欠乏症により体調を崩すことはここ一年間で一度もなかった。とはいえ、それは真守が夜刀神のエーテルでミヨクの魂を繋ぎとめてくれているからである。治療しなければならないことには変わりない。
ミヨクがそこまで主張すると、エルフリーデも胸を撫で下ろす。
「それを聞いて安心しましたわ。わたくしもできる限りのことは協力しますので」
「ああ、ありがとうな」
ミヨクとエルフリーデが話している間、真守がにやにやと笑いながらその様子を眺めていた。女の子と仲良くしていることを不満に思っているわけでもなさそうだが、ミヨクとしてはなんだか少し不気味である。
「今度はどうしたんだ?」
ミヨクが訊くと、真守は笑顔を崩さずに答える。
「いつの間にか研修モードになりましたね。明日のオルブライト選手の試合の方が楽しみにしていたみたいだったのに」
女の子のことについてはミヨクが意識し過ぎていたようだ。ところでバルナサスのことを真守に指摘されてしまった。二日目の夜、研修旅行とは関係ないのだが、バルナサス・オルブライトの魔術戦の試合が近くの競技場で行われる。その時間は自由時間となっているため、ミヨクは真守を連れて試合を観戦しに行くのだ。
ゲルミリアへの移動中は、ミヨクはバルナサスの試合のことをよく話していた。もしかしたら多かったかもしれない。バルナサスがメイスラに来ることはほとんどなく、試合が見られる機会はかなり少ないので、興奮してしまったことは否めない。
「ああ、そうだけど、研修は研修で真面目に受けるからな」
「そうですね。一緒に頑張りましょう」
真守がそう言い、皆で笑い合う。そんな風に雑談している最中、廊下の向こう側から一人の男性が歩いてきた。明らかに様子がおかしい。上半身がゆらゆらと揺れていて、足元もおぼつかない。癖の強い歩き方というよりかは、体調が優れないのだろう。
ミヨク達四人は会話を止めて、男性の様子を注視していた。男性がミヨク達との彼我が二十メートルのところまで来た時、糸が切れたようにうつ伏せに倒れる。
ミヨク達四人が一斉に男性の元へ向かった。ミヨクが最初に男性の元へ辿り着いたので、声を掛けることになった。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
ミヨクが肩を叩くと、男性から呻き声が上がった。とりあえず意識はあるようだ。
「ギルバート。とにかく起こそう」
「そうだね」
ミヨクとギルバートが男性を仰向けにしてから、両肩を支えて上体を起こした。その時に男性が目を覚ましたようだ。
「オー。これは失礼しました。自分で立てます」
意外としっかりとした声で男性が言う。ミヨクは一度ギルバートと頷き合うと、彼から離れた。すると男性はよろけながらも立ち上がる。
「すみません。昨日からずっと研究していて寝不足なんですよ」
ミヨクは立ち上がって男性の顔を見る。確かに目には酷いクマができている。それに体型はかなりの痩身だ。ミヨクよりも十センチメートルくらい高いだろうが、体重はミヨクと変わらないかそれ以下に見える。
ところでどこかで見たことがある顔だとミヨクは思ったが、その答えにはエルフリーデが先に到達した。
「失礼ですが、あなたはもしかして、マーティン・エルドリッチ教授ではないですか?」
エルフリーデがそう訊くと、痩身の男性はあっさりと頷いた。
「オー、そうです。ここで研修をするので主任講師にきました」
ミヨクはもう一度、マーティンを観察する。小冊子の写真での彼は、耳に掛かるくらいの長い黒髪が額の真ん中で綺麗に分かれていて、垂れ目ではあるが研究に対して実直そうな凛々しい眼差しをしていた。
しかし目の前にいるマーティンは、髪が乱れていて、目に生気がない。辛うじて笑みは浮かべているものの、体調の悪さを隠しきれていない。ここに来たということは研修旅行の説明会に講師として来たのだろうが、彼が来て大丈夫なのかミヨクは心配になってきた。
「とにかくそこの椅子に座りましょう」
マーティンは立ち上がったとはいえ未だによろめいている。休ませた方がいいとミヨクは判断した。
「オー、そうですね」
自分のことを言われていることを気にしていないのか、マーティンは呑気に返事をする。ミヨクとギルバートが支えながらも、マーティンはテーブルのところに辿り着き、椅子に吸い込まれるように座った。
「すみませんね。元々、貧血気味で、でも研究がなかなかキリの良いところまで行かなくて、ついつい徹夜でやってしまいました。少し仮眠をしたのですが、この通りです。ところで君達は、ここにいるということは研修の参加者ですね」
「はい。四人ともそうです」
ミヨクとしては、研修の参加者としてやる気のあることを講師にアピールしたかったところだが、その講師が体調不良で倒れたとなると気後れしてしまう。
「あの……本当に大丈夫ですか?」
「一回気絶して脳がリセットされました。もう大丈夫ですよ」
気絶したとはっきり言われて安心はできないだろう。ミヨクはそう思うが、マーティンの声色は段々と明るくなったし、身体のふらつきも治まってきている。説明会でどれだけ話すかは分からないが、おそらく簡単な挨拶くらいはできるだろう。
そこでマーティンの身体にさらなる異変が起きた。
「オー、ちょっと……」
マーティンは咄嗟に鼻を押さえる。しかし抑えきれなかったようで、小さな赤い雫が床に落ちる。鼻血である。倒れた時に鼻を打ったのだろう。
真守がポケットからティッシュを取り出して、マーティンに歩み寄る。
「上を向いてはダメですよ。小鼻をつまんでください」
マーティンは真守からティッシュを受け取り、真守の言う通りにする。やがて鼻血が治まったようで、マーティンは血の付いたティッシュを近くのゴミ箱に捨てて、元通りに椅子に座る。そしてあっけらかんと話し始める。
「オー、すみませんね。まったく、貧血気味だというのに、鼻血まで出してしまって。でも、明後日の研修はきっちりやりますので心配しないでください」
いろいろな意味で大丈夫なのかと、ミヨクは思わずにはいられなかった。とはいえ魔術師や研究者としては一流なのだろう。研修旅行の主任講師に選ばれるくらいだし、LOCでも一目置かれている存在であるはずだ。
ふとマーティンが立ち上がる。少し休んで体調がそれなりに良くなったようで、まだ身体がふらふらと揺れているものの、足が震えているということはなかった。
「では、私は準備がありますので失礼します。講義を楽しみにしてくださいね」
「よろしくお願いします」
ミヨク達四人は頭を下げてマーティンを見送った。ふとミヨクは下を向いたまま、床を見る。そこはたまたま、先程マーティンが鼻血を落とした場所だった。
そのはずだ。しかし床は綺麗であり、シミ一つ見当たらない。
ミヨクは頭を上げてから真守に訊く。
「真守。いつの間に床の血を拭いたんだ?」
すると真守は訳が分からないという風に首を傾げる。
「えっ? 拭いていませんよ。って……」
真守も床を見て、再び首を傾げる。床に血の跡が全くないことに気付いたようだ。ミヨクと真守の様子を見て、エルフリーデがさらりと言う。
「きっと床には落ちなかったのですわよ」
「そんなことないと思いますけど……」
真守は納得していなさそうだ。小さな一滴だったが、それでも血が床に落ちたのを見たとミヨクも確信を持っている。しかし床に血の跡がないという事実が残っているだけだ。
その後、煮え切らない思いを抱えつつもミヨクは仲間と一緒に説明会の会場へ向かった。




