第1章 血と魂(2)
八月某日。研修旅行当日。ミヨク達は大学の校門前に集まっていた。研修旅行の参加者で、ミヨクが住まう地域の周辺の学生は一旦、大学で集まることになっている。ミヨクには大学の上級生のことに知り合いがあまりいないが、だからこそ同級生の知り合いをすぐに見つけることができた。
ミヨクは真守と一緒に手を振りながら同級生のところへ歩み寄る。
「よぉ。ギルバート、エルフリーデ。ついにこの時が来たな」
ギルバートとエルフリーデも同じように手を振る。四人ともこの研修旅行を心待ちにしていたいった素振りだ。
「やぁ。ミヨク、そしてミス・マモリ」
「お二人とも、ご機嫌よう」
ギルバートとは元々悪友と言った感じだったが、高等部の魔術戦がきっかけとなったのか、ミヨクはエルフリーデともよく話すようになった。
「ミヨク。いつもより元気ですわね。楽しみなのは分かりますけど、あまり浮かれ過ぎないようにね」
「リーデちゃんだって、楽しみ過ぎて昨夜は眠れなかったんじゃねぇのか」
ミヨクとエルフリーデはファーストネームで呼び合うような仲になっていた。そして冗談も交わすようになっている。その様子を見て、真守が面白くなさそうな表情をしていた。
「みよ君。エルフリーデさんのこと、リーデちゃんなんて呼ぶようになったのですね。私のことは真守ちゃんと呼んでくれなくなったのに……」
妙なところを気にするのかとミヨクは思っていたのだが、横で見ていたギルバートも呆れた様子でミヨクを眺めていた。さらにミヨクへ威勢よく言い返そうとしていたエルフリーデが気まずそうにミヨクから離れていった。そして真守に向かって釈明するように言う。
「別に、ミヨクに気があるとかそういうわけではないですわよ。ただの同級生ですわ」
ミヨクも慌てて真守を宥めようとする。真守に恋心を抱かれていることを忘れていたわけではない。ただ、他の女の子と仲良く接しているところを見るのは真守にとっては面白くないだろうとまで気が回らなかった。
「そうだ。何も毎回リーデちゃんなんて呼んでるわけじゃないぞ。ちょっとからかおうとした時だけだ」
依然として真守は納得していないように頬を膨らませている。真守の言う通り、昔のミヨクは真守のことをちゃん付けで呼んでいた。ちゃん付けを止めたのは、自分の性格が変わったというのもあるだろうが、再会した時の真守があまりにも大人びていたからだったようにミヨクは思う。
それに、エルフリーデは背が低いので、英語でちゃん付けに当たる呼び方がしっくりとくる。対する真守は背が高い。
そこで真守が一言。
「私のことも少しはからかってくれてもいいのですよ」
言われてみれば真守に対して冗談を言うことが少ないとミヨクは考える。まだ、ソニアを茶化して怒られた場面の方が思い浮かぶ。無意識のうちに、気の弱かった過去の自分が気の強かった過去の真守に引っ張られているイメージから抜け出せていなかったのかもしれない。
「分かったよ……」
ミヨクがそう言うと、真守はとりあえずは許しくくれたようで、少し頬を綻ばせた。さらにエルフリーデが真守に気さくな提案をする。
「ミヨクはともかく、ミス・マモリはそう呼んでいただいても構いませんわ。エレンもわたくしのことをリーデと呼んでいますし」
「では、お言葉に甘えて。私のことも真守でいいですよ。リーデちゃん」
いつの間にか真守がいつものように晴れやかな笑みを浮かべていた。今回の研修旅行では、真守とエルフリーデが同じ部屋に宿泊するとのことなので、こんなのも早く打ち解けるのは幸先がいいとミヨクも思う。
しかしミヨクがそう安心したのも束の間、真守は何かを思い出したかのように眉を顰める。そして何かを探すように周囲を見回しながらミヨクに訊く。
「そういえば、メリッサさんはいないのですね」
メリッサは同じ大学の上級生だ。だからメリッサもこの研修旅行に参加すると真守は考えたのだろう。しかしメリッサはこの集合場所に来ていない。
「ああ、家の用事で行けなかったらしい。もしかして会いたかったか?」
「いえ……。そういうわけじゃ……」
そんなわけないとでも言いたげに真守はミヨクを横目で見る。確かに迂闊な発言だったとミヨクは反省した。真守はメリッサのことをあまりよく思っていないということはミヨクも気づいていたはずだ。やはり真守の中では、想い人を振った女性という印象が強くなってしまったのだろう。
また気まずい雰囲気になってしまった。これから研修旅行で行動を共にするというのに雲行きが怪しい。真守は普段では明るくて人懐っこいが、何かの拍子にへそを曲げてしまうことがある。女性関係の話題が上がった時にそうなってしまうとミヨクも薄っすらと感じている。
なんとか真守の機嫌を取らなければと思っている時、ふとミヨクは三人の女性がミヨク達の方へ近づいてくるのを見つけた。ミヨクが知らない人だ。この場にいるということは研修旅行に参加する上級生なのだろう。
とにかく何の用事かは大方の予想がつく。ミヨクはギルバートを見遣った。
「おいギルバート、ファンのお姉さんが来たぞ」
端正な顔立ち、長身で体格も引き締まっている、加えて昨年の高等部では一、二を争う程の優秀な成績を収めた美青年だ。女子からの人気は凄まじく高い。魔術戦の大会でも多くの女子から黄色い声援を浴びていた。
ギルバートは笑顔を作っているが、どうやら女性にサービスしようという意図ではないようだ。それどころか女性の方へは目もくれず、ミヨクのことを見ていた。
「いや、そうじゃないみたいだよ」
ギルバートに言われてからミヨクも気づいた。女性達の視線はギルバートからは外れていた。心なしかミヨクに向いているように見える。ミヨクが様子を窺っていると女性の一人と目が合った。その途端に、女性達が一気にミヨクへと接近する。
そして最初に目が合った、真ん中にいる女性がミヨクに声を掛けてきた。
「ねぇ、君があのミヨク・ゼーラー君だよね」
さすがにどうして自分のことを知っているのかとはミヨクも思わなかった。前回の魔術戦大会の高等部男子の部では準優勝を収め、高等部を次席で卒業した。ちなみに首席はエルフリーデであった。大学の上級生が注目しているのも不思議ではないだろう。
「はい。そうですが……」
とはいえ女性に囲まれる形になるとはミヨクも思っていなかった。しかも三人ともミヨクと同じくらい背が高く、美人である。何か厄介なことに巻き込まれるのではないかとミヨクは疑ったが、女性は三人共、嬉しそうに頬を緩ませている。
そして真ん中の女性がこう切り出す。
「私達、あの魔術戦を観て、すっかりゼーラー君のファンになったの。大学に来るとしたらここだろうから、もしかしたら研修旅行で会えるかなと思って」
魔術師の大学では、何かしらの同好会に参加をしない限り、上級生と交流する機会は少ない。ミヨクはどの同好会にも所属していないし、講義や演習以外で大学の構内にいることはほとんどない。メリッサや彼女の知り合いと交流することはあるが、その程度だ。
「それは……どうも、ありがとうございます……」
こんなことを言うとギルバートに笑われるだろうが、初対面の複数の女性からこうも好意的に言い寄られることは、ミヨクのこれまでの人生では一度もなかった。どのように対応すれば分からずにしどろもどろになっている。
真ん中の女性はミヨクの様子を見て違う解釈をしたようで、慌てたように捲し立てる。
「ごめんごめん。私達の自己紹介がまだだったね。私はボニー、こっちがシェリー、そしてこっちがリサね。みんな三回生だよ。よろしくね」
真ん中の女性、ボニーが手で差しながら二人の女性を紹介してから頭を下げると、両端の二人も後に続く。ミヨクは戸惑いながらも同じことをしなければならないと気づいた。
「よろしく、お願いします……」
それからボニーが愉快そうに語り始める。
「ゼーラー君の戦い、本当にかっこ良かったから、また観たいな。今年はまだ一回生だから大会の参加資格がないだろうけど、来年はきっと出るよね。ゼーラー君の実力だと間違いないと思うよ」
もちろんミヨクは大学の部でも魔術戦の大会に参加するつもりだ。そのための訓練もしっかりと積んでいる。そろそろ緊張もほぐれてきたので、今度はいつものようにはっきりと声に出すことができた。
「はい。そうなれるように頑張ります」
ミヨクがそう言うと、ボニー達は一斉に少し身を引いた。声が大き過ぎたかとミヨクは焦ったが、次の瞬間にはボニー達は全員、笑顔に戻っていた。
「友達と話しているところ邪魔してごめんね。それに、ゼーラー君に色目を使ってるなって思われたら、あのソニア・ヘンシェル様に何されるか分からないから、このくらいにしておくよ。じゃあ、これからも頑張ってね。応援してるよ」
「はい。ありがとうございます」
もう一度、四人とも丁寧に頭を下げる。そしてボニー達は踵を返してミヨクから離れていった。その途中、小声でこんなことを話す。
「魔術戦の時はかっこよかったけど、なんか可愛い感じだったね」
今までなかったことなので、ちゃんと対応できていたのかミヨクは自身を持てなかったが、三人が満足しているようで安心した。
その次の瞬間、再び不安が頭の中を過ぎる。また他の女性と馴れ馴れしく接することになってしまった。しかも女性がミヨクのことをファンと言い出す始末だ。真守は今のやり取りを目の前で見ていて気が気でなかったではないか。ミヨクはおそるおそる真守の方へ振り向く。
しかし真守は呆然とミヨクを見つめているものの、特に怒っているというわけでもなさそうだ。ギルバートもそう感じているようで、こんなことを真守に言う。
「おやっ。これにはあまり機嫌を損ねないんだね」
ギルバートに指摘されて、真守はもう一度考えるように俯く。それでも怒りや不満は沸いてこないようで、短く頷くだけだった。
「まあ、鼻の下を伸ばしていたらそうなったでしょうけど、意外と浮かれていないようですから。むしろ安心しました」
真守からはそう見られていたようだ。確かに自分の戦いが高く評価されていたことは素直に嬉しかったとミヨクも思う。とはいえ真守やソニアのような女性から好意を抱かれているのに、他の女性にうつつを抜かす気にもならなかった。
さらに真守はこう続ける。
「しかし一つ気になったことがあります」
「なんだよ?」
ミヨクが訊くと、真守は楽しそうとも悔しそうとも取れる微妙な微笑みを浮かべながら答えた。
「もうソニアさんが、みよ君を狙っているというのは周囲の共通認識なのですね」
「なんかもう、そうらしい……」
ミヨクは正直に答えた。真守は魔術師の学園の生徒ではなかったので、そんな噂を耳にする機会がなかっただろうが、魔術戦大会の後はその話題で持ちきりだった。ミヨクは後で知ったのだが、ミヨクが第四セットを取った時、ソニアが解説の仕事を忘れて「かっこいい」と言っていたらしい。
さらにミヨクが入院している病室で、ソニアがミヨクに求婚したという噂まで流れている。ちなみに一応は事実である。
ミヨクの答えを聞くと、真守は何かを納得したように二回だけ頷いた。
「ほう……。私も負けていられませんね」
頼むからまた面倒な噂を流されるようなことはしないでほしいと、ミヨクは研修旅行の行く末を憂うのであった。




