プロローグ
「ヘンシェル教会メイスラ支部長ソニア・ヘンシェル。ただいま参りました」
ソニアはクレメンスと共に、メイスラの中心部に在所している魔術連盟の本部を訪れた。連盟長から直々に話があるとのことだ。こうして連盟長の執務室に足を踏み入れることになった。
執務室は調度品も少なく簡素な空間ではあるが、部屋にしてはかなり広い。一般的な民家とあまり変わらないだろう。赤い絨毯の先に連盟長の机があり、ソニア達を呼び出した張本人がいる。質素な白いローブに身を包んだ金髪の男性だ。他には秘書と思われる女性が一人いるだけで、他には誰もいない。警護をつけていないのは自分の実力に余程の自信があるのか、それともあまり多くの人間に聞かれたくない話をするためだろうか。
連盟長はソニア達の姿を見るとすぐに立ち上がり、机の前まで来てから丁寧にお辞儀をした。
「ご足労いただき誠にありがとうございます。ソニア・ヘンシェル殿」
魔術連盟の連盟長、レジナルド・ジェマスティー。まだ三十代の後半ではあるが、魔術連盟の頂点に上り詰めた天才魔術師だ。適正属性は公表されていない。端正な顔立ちで、とても柔らかい態度の青年のようにソニアには見えた。クレメンスと雰囲気は似ているが、少し頬がこけているクレメンスと違い、レジナルドの頬は綺麗な曲線を描いている。
連盟長の前といっても緊張しなくてもいいとでも言うかのように、レジナルドは気さくに話しかけてきた。
「ご活躍はお聞きしておりますよ。最近では、魔術が使えないサンクチュアリなる商業施設で起きたテロ事件までも解決してみせたとか」
レジナルドは興味深そうに話す。しかしソニアとしてはサンクチュアリ人質事件のことを自慢げに長々と語るつもりはない。
「ありがとうございます。ですが、あれはほとんど、一緒にいた私の友人が解決してくれたようなものです」
余計なことを言ってしまったとソニアは心の中で反省した。思いの外、魔術連盟の長もゴシップ記事を嗜まれているようだった。
「噂のブラックニンジャガールですね。是非一度お会いしたいものです」
レジナルドの言葉を聞いてソニアは考える。真守は果たしてレジナルドに会いたがるだろうか。人懐っこい性格ではあるが、面倒事は意外と嫌がりそうである。いくら日本霊媒界の精鋭といっても、住み始めて一年しか経たない国の権力者と会えと言われれば戸惑うだろう。
「今度彼女に会った時、連盟長がそのようにおっしゃっていたことだけは伝えておきます」
「ええ、よろしくお願いします」
それからレジナルドの関心事がもう一つの事件に移ったようだ。
「あと、ソニア殿といえば去年のエヴォーダー吸血鬼事件ですね。その節は本当に感謝いたします。あなたが吸血鬼を止めていなければ、世界は今のような平和な時間を過ごしていないでしょう」
去年の時点でソニア達ヘンシェル教会は魔術連盟から表彰を受けた。しかしレジナルドに謁見したわけではない。彼から直接感謝の意を伝えられるのは初めてだ。
「お褒めに預かり光栄です。しかしこれも仲間の力があってこそのことです。それに、私達は大切な仲間を三名失いました」
「さぞお辛かったことでしょう。遅いと思いますが、お悔やみ申し上げます」
「お心遣い感謝します」
そう言いながらソニアとレジナルドが頭を下げ再び顔を上げた直後、秘書の女性が話に割り込んできた。
「ただ、エヴォーダーで発生した吸血鬼の血液を全て焼却するという判断は、あまりにも過剰な措置と評価せざるを得ません」
魔術連盟としては、吸血鬼の血液という貴重なサンプルを確保しておきたかったことだろう。異世界生命体の研究も魔術連盟の目的の一つだ。ソニアも魔術師の一人としてその理念まで否定するつもりはない。
しかし魔術連盟が吸血鬼の血液の確保を主張するには、エヴォーダーで起きた事件に対する責任が大きいとソニアも評価せざるを得なかった。
「エヴォーダーで起きた吸血鬼事件の首謀者であるリチャード・グレンは魔術連盟直轄のLOCの幹部でした。当該事件の人間の実行犯は彼一人だけでしたが、LOCの中にグレンに対して協力的な人間がいないとも限りません。先にその調査をしないことには吸血鬼の血液を残していても、次の事件を生み出すだけでしょう。当時の私はそう判断しました」
ソニアは魔術連盟の人間が起こした不祥事に巻き込まれた当事者だ。魔術連盟に属していた過激派の魔術師が起こした重大犯罪は他にもある。魔術連盟に対するソニアの信頼はかなり揺らいでいると言っても過言ではない。
直接的ではないもののソニアが目の前で魔術連盟に対する不信感を表明したにもかかわらず、連盟長のレジナルドは少しも憤りを見せない。それどころか申し訳なさそうに頭を下げる。
「まったくもってソニア殿のおっしゃる通りです。返す言葉もない」
ソニアもレジナルドを責めたいわけではない。レジナルドと同じように頭を下げた。
「私も言葉が過ぎました。ただ、ヘンシェル教会としては、世界に破滅をもたらしかねない危険因子を排除したことを優先したとご理解ください」
「理解しています。しかし、この世界から全ての吸血鬼の血液が消失したわけではないでしょう。アイラ・メイスフィールドの血液も、彼女の死から六百年経った今でも発見されていません。あくまで公式にはですが……」
アイラ・メイスフィールドを不死の吸血鬼に変えた呪いの血液。それは本当に残存しているのか疑わしい。ソニアは本気でそう思っているわけではないが、そうだったらいいという希望も込めて発言してみた。
「では、エヴォーダーの吸血鬼の中にアイラの血液が混じっていたのかもしれませんね」
「それはありえません」
特に強い口調ではないものの、ソニアの言葉に被せるようにレジナルドが言うものなので、ソニアは少し驚いてしまった。そんなソニアの反応を察したのか、レジナルドはわざとらしく咳払いをしてから話を続ける。
「断言します。エヴォーダーの吸血鬼は全て、アイラの血液に比べたら遥かに格の低い生命体です」
ソニアも心の内ではそう思っていた。ソニア達が戦った過剰摂取型も、真守達が戦った人型の吸血鬼も、伝説の吸血鬼アイラ・メイスフィールドからは程遠い存在であった。
「エヴォーダーの事件に関する報告を見る限り、エヴォーダーの吸血鬼の血液には太陽に対する耐性がありませんでした。しかしアイラが排出した血液は太陽の下でもある程度は形状を保っていたという記録があります」
ソニアもその事実をセシル・ヘンシェルの研究日誌で知った。ソニアが持っている情報で解釈すると、アイラは『白い魔女』の魔術で自らの体内にある吸血鬼の血液を排出していた。本来、吸血鬼の血液は寄生先の人間の体内から離れると太陽光に耐えられず焼かれてしまうはずだが、アイラの血液はその限りではなかった。彼女の血液が他とは違う特別性のものであったのだろう。
それにアイラと他の吸血鬼にはまだ相違点がある。レジナルドが質問する。
「報告書でもあったのですが、エヴォーダーの吸血鬼は魔術を使用しなかったのですね?」
「はい。その通りです」
彼らは元が魔術師であったはずだが、魔術を一切使わなかった。しかしアイラは容姿が人間の時と変わらず、魔術も使用できたと聞く。
「詳しいことは判明していませんが、たいていの吸血鬼は魔術師に寄生した際、生命維持のために宿主の魔力を酷使し、そのため宿主が魔術を行使するだけの魔力を確保できないという説があります。単に脳機能が低下して魔術が行使できないという説もありますが、それではソニア殿が倒した過剰摂取型についての説明がつきませんね」
「はい。私も同じ考えです」
吸血鬼の血液の中にも格がある。よく考えてみれば、生物としては当たり前のことだ。さらにレジナルドは説明を続ける。
「とにかく、吸血鬼の血液には宿主の魔力を効率的に活用する能力に差があるとのことです。エヴォーダーの吸血鬼はその効率が悪かったと評価してもいいでしょう。ただ、アイラ・メイスフィールドの血液には届かなくとも、質の高い血液も存在するらしいのです。我々はそういう吸血鬼のことを『深紅の鍵』と呼んでいます」
明らかに何かを連想させるような命名だ。ソニアでもなくてもこう言うだろう。
「門を開ける鍵ということですね」
『悪魔の門』を開ける鍵。ソニアは皮肉で言ったつもりではないのだが、レジナルドがそう受け取ってしまったようだ。
「気を悪くしたのなら謝ります。『悪魔の門』であるあなたに対する配慮が足りませんでした」
「いえ、『悪魔の門』のことなら連盟長こそ当事者でしょう」
むしろソニアよりも、他の勢力からの干渉を警戒しなければならない重要人物だ。こんなことで謝罪されてはソニアの方が恥ずかしく思えてしまう。
「お気遣いありがとうございます」
そう言った直後、レジナルドの目の色が変わった。依然として物腰柔らかい態度ではあるが、真剣な眼差しでソニアの瞳をしっかりと捉えてくる。
「さてそろそろ本題に入りましょうか。先程、我々のことが信用できないので吸血鬼の血液を焼いたとソニア殿がおっしゃいましたが、私もその判断は正しいと思います」
勿論ただの雑談のために呼ばれたとソニアは思っていない。何かしらの依頼を受けることは最初から予想していた。ミヨクのことを探られるのかとも心配していたがそれは杞憂だったらしい。
「エドガー・テルフォードによる禁書保管庫襲撃事件、そしてエヴォーダーの吸血鬼事件を受けて、魔術連盟本部も内密に調査をしているところです。今回お呼びしたのは、第三者機関としてヘンシェル教会にも協力していただきたいのですよ」
ヘンシェル教会は魔術連盟から独立した在野の防犯組織である。任務の上で魔術連盟と提携することはあっても、それ以上の繋がりはない。魔術連盟から支援金を受けているが、それも防犯組織として最低限の金額だ。第三者として魔術連盟の闇を暴くには適任と言えるだろう。リチャード・グレンの野望を阻止した実績もある。
しかしソニアは腑に落ちなかった。
「内部調査は既に異端審問会が行っているのではなかったでしょうか?」
エヴォーダーの事件の後、LOCに対する監査は異端審問会が執り行っていた。そしてリチャード・グレンが残した資料を押収したものの、他に反逆者と思われる人物は発見されなかったとソニアも聞いている。一年経った今でも、定期的に監査が行われているはずだ。
「はい。その上で、ヘンシェル教会にもお願いしたいのです」
レジナルドが少しも気を悪くした素振りを見せず、丁寧に申し出る。何か特別な事情があるのだろうが、ただの防犯組織であるソニアからは聞き出しにくい。たとえ訊いたとしても何の根拠もない状況では体よくはぐらかされるだけだろう。
「分かりました。内容をお聞きしてもよろしいですか?」
ソニアが答えると、秘書がすぐに資料を渡しに来た。ソニアとクレメンスがそれぞれ受け取ると、レジナルドが話し始める。
「一ページ目に今回の調査対象の写真がありますので、見てください」
そう言われてソニアもクレメンスもページをめくる。ソニアは会ったことはないが、ソニアが全く知らない顔でもなかった。メイスラの中でもそれなりに有名な人物だ。
「ご存じかもしれませんが、彼の名前はマーティン・エルドリッチ。LOCの外部機関で働く研究員です。彼には、『深紅の鍵』を秘密裏に所持しているという疑いがあります。詳しくは資料に書いていますので後で確認してください。それと――」
次にレジナルドは、ソニアが今まで教えられてきた魔術師の常識を根底から覆すようなことを言い出した。
「彼は、六百年前に吸血鬼の血液を召喚した一族の末裔であるかもしれません」




