第4章 徹底抗戦(1)
ソニアは環境整備室と四階のフロアの間にある小さな部屋にいる。重々しい扉が両端にあるが、他には特に変わったものはない。それどころか小さな事務机が一台あるだけの殺風景な部屋だ。
今となってはこの部屋が存在する理由がソニアにもよく分かる。可能な限り、フロアの空気を環境整備室に取り入れないためだ。本来のこの小部屋にも、魔術の使用を制限する異世界生物が漂っていた。しかしソニアは環境整備室側から黒い炎を放ち、この小部屋の異世界生物の機能を停止させた。よって、今ではこの小部屋においても魔術を使用することができる。
ソニアの黒い炎は実際に想定された効果をもたらした。しかし真守達に言った通り、サンクチュアリ全体を巡らせる程、ソニアの魔力は多くない。とはいえバリーとベンから聞いたイベント会場程度の広さならば、ソニアは黒い炎で満たせるし、それによってソニアの魔力が枯渇することはない。
ソニアの黒い炎は人体に直接危害をもたらすことなく、ソニアの調整次第では精神に多少の負荷をかけて気絶させる程度に留めることができる。後遺症も残らないだろう。換気口からイベント会場にのみ直接送ることは可能とのことだ。
しかし今はそれを実行するわけにはいかない。真守は的確に指摘していた。ラクタリストの残党をどのように迎え撃とうか話し合った時のことである。
「ラクタリストの残党の全員が、その部屋に集まっていることが確認できれば、その作戦もありなのですがね」
黒い炎がイベント会場にいる全ての人間を気絶させたとして、その外にラクタリストの残党がいれば最悪の結果を引き起こしかねない。そもそも連中の何人かはソニア達を襲いに四階へ来ようとしている。だからソニアは他の手も考えた。
「今から四階に来る奴らを黒い炎で焼くのはどうかしら?」
敵が四階に来ることが分かっているなら、四階を丸ごと黒い炎の海にしてしまえばいい。たとえソニアが魔力切れになったとしても、それから一階を換気によって異世界生物を排除し、魔術によって瓦礫を撤去できれば、ラクタリストの残党の制圧に近づくだろう。
しかしこの案も真守によって却下されることになる。
「危険な賭けのような気がしますね。広すぎて敵全員を本当に焼けるかどうか怪しいです。もし撃ち漏らして、ソニアさんが魔力切れになったら、こちらが一気に不利となります。最後の手段としてはありかもしれませんが……」
「なら、真守には良いアイデアがあると言うの?」
皮肉や競争心ではなく、純粋に真守から打開策を聞きたいとソニアは思っている。ちっぽけな自尊心よりも人命が優先されるべきだ。
とはいえ真守の提案だからいって必ず受け入れるというわけではない。実際のところ、真守が編み出した作戦はソニアからすれば博打もいいところだった。
「ソニアが小部屋で待ち構えて環境整備室を防衛します。私は近くで潜伏して襲撃してきた敵を後ろから攻撃します。挟み撃ち作戦ですよ」
そう言いながら真守は自信満々といった様子で笑顔を浮かべていた。さらに蟹を表現したいのか、両手で鋏の形を作って何かを切るように指を動かしている。真守が真面目なのかふざけているのかソニアには分からない時が偶にある。
「あなたねぇ……。それこそ危険でしょ。拳銃を持っているといっても、相手も拳銃を持っているのよ。少なくとも三丁あるはずよ。その全員が四階には来ないと思うけど、必ず誰かが拳銃を持ってくるわ」
ソニアは狭い場所で魔術が使える。相手が拳銃を使っても銃弾を防ぐことは難しくないだろう。しかし真守は未だに霊能力を使えない。夜刀神はついてきているらしいが、サンクチュアリの環境に関係なくメイスラではほぼ使えないらしい。
「大丈夫です。霊能力がない時の戦い方も心得ています。危なくなったらソニアさんに任せますよ」
「いや、全部私に任せて環境整備室にいた方がいいと思うのだけど」
ソニアはそう言うと、真守はなぜすねたように唇を尖らせる。
「けど、それだと私にすることがありませんし……」
「あなた、メイスラでは自分が一般人だということ忘れているでしょ」
今更言っても仕方のないことである。バリーとベンも一時は反対したが、結局今の状況を鑑みるとそうするしかないと真守に押し切られてしまった。
そして真守がフロアへ潜伏する直前、ソニアに声をかけてきた。
「ソニアさん。くれぐれも無茶なことをしてはダメですよ。ここでは魔術が使えるからといって、まだ万全に戦えるわけではありませんから」
真守の言うことには一理ある。しかし今の真守が言えることではない。
「それは真守もそうでしょ。遊技場の時だって冷や冷やしたのよ」
ソニアは文句を言っているつもりだが、当の本人はどこ吹く風という様子である。
「私はまともに戦おうとは考えていませんよ。遊技場の時も格闘の振りをする必要は少しありましたけど、基本的には不意打ち狙いです。たとえ相手が弱そうでもわざわざ正面切って正々堂々と戦おうなんて微塵も思いません。不意打ちで倒します」
つまり真守は卑怯な手を使うと高らかに宣言した。真っ直ぐと胸を張って言うものだからむしろ清々しささえ覚える。もちろんこれは試合ではなく命を懸けた戦いなのだから、不意打ちを否定するつもりはない。それでもソニアはあることを連想せずにはいられなかった。
「サムライというよりはニンジャね」
「私、侍を自称したことなんてありませんけど……」
確かにそうだ。そもそも本来の侍が正々堂々と鍔迫り合いをしていたかどうかもソニアは分からない。自分でもつまらないことを言ってしまったと反省する。
そこで真守が真面目な顔をして話を戻した。
「私だって、負わなければいけないリスクと負うべきではないリスクの分別くらいできますよ。危なくなったら逃げて隠れますから。ソニアさんもそうしてくださいね」
普段の真守は人懐っこい感じがするのだが、非常時の真守は怖いくらい頼りになる。
そもそも真守は霊能力が使えないことに不安はないのかとソニアは疑問に思っている。サンクチュアリが安全だと信じ切っていた時は何も感じていなかったが、事件が起きた直後からソニアは内心では魔術が使えないことに対する不安で頭が一杯であった。それが今、限定的とはいえ魔術が使えるようになって安堵していることを自覚している。
しかしそれなりに実戦経験は積んできたソニアから見ても、真守からは能力を十全に発揮できないことへの不安や恐怖を垣間見ることはできない。ただ、今自分ができることをこなすとしか考えていないだろう。一歳年下なのに、ソニアとは踏んできた場数もその質も違うに違いない。
感心しているようにソニアが眺めていると、真守は淡々ととんでもないことを言う。
「あと、私がどうなっても見捨てていいですから」
「ちょっと、それ遊技場の時も言ってたけど、どういう――」
ソニアの意見も待たずに、真守はそそくさとフロアへ行ってしまった。ということでソニアは一人、環境整備室の前にある小部屋で待機しているというわけだ。
環境整備室ではバリーとベンが怪我をしているにもかかわらず必死に一階の換気を進めてくれている。
ソニア達は一度、一階にいるクレメンスと伝声管を通じて連絡を取った。魔術は使えるようになったらしいが、やはり普段通りの出力には程遠いらしく、その不完全な魔術では瓦礫の撤去作業は難航していると報告を受けた。ラクタリストの残党が四階に来るまでに一階からの救助が来ることはあまり期待できない。
現在は午後五時をもう少しで回る頃だ。ラクタリストの残党が指定した時間まであと二時間程である。しばらくは連中が四階へ侵入することに手間取って、一階の換気が完了し、ソニアの魔術も利用して、一気に事件を解決することができればいいとソニアは願っていた。
しかしそんな甘い考えは許されなかったようだ。
ドゴオオオオォォン!
非常階段の方向から爆発が起きた。やはりラクタリストの残党はまだ爆弾を所持していて、ソニア達が封鎖した出入口を爆破したようだ。
「きゃぁぁぁぁぁああっ!」
突如、女の子と甲高い悲鳴が聞こえた。明らかに真守の声とは違うし、四階から発せられたものだ。逃げ遅れてどこかに隠れていた女の子がいたのだろう。声の高さからして、おそらく歳も十歳に満たないくらいだ。
それから何かを打ち付ける音や何かを投げ落とす音が何度も聞こえてくる。爆破で完璧な通り道を作ることはできなかったが、邪魔なものを動かしたら通れるようになるといったところだろう。ラクタリストの残党が攻めてくるのは時間の問題だ。
ソニアはフロアへ出て、周りを見渡す。すると東側で背の低い人影が走り去っていくのが見えた。
「ちょっと待って」
ソニアが声を掛けても、女の子は気づいていないのかこちらに来る様子はない。
「噓でしょ……」
ソニアは環境整備室を防衛しなければならない。怪我をしたバリーとベンを残すことになる。しかし二人は環境整備室で魔術を使うことができる。ラクタリストの残党が拳銃を使うことが分かっている今ならば、不意を突かれることはないはずだ。そう考えるとまずは環境整備室へ飛び込んだ。そして二人の反応を待たずに言い放つ。
「バリーさん。ベンさん。四階に女の子がいました。私はその子を助けに行きます。だからバリケードを張って何とかここを凌いでください」
「ちょ――」
言い返そうとしたのがバリーかベンかも分からないまま、ソニアはフロアへ、そして女の子が逃げた方向へ駆けだした。
女の子がラクタリストの残党に鉢合わせてしまったら、さすがにすぐ殺害されることはないだろうが、何をされるか分かったものではないし、ソニアは想像もしたくない。たとえ魔術が使えない場所へ再び繰り出すことになろうとも、危機に晒されている幼い女の子を見捨てるという選択肢はソニアにはない。
ソニアは恐怖心を捨て、ただ罪のない人を救うという信念だけで、迷いなく死地へ足を踏み入れていった。




