第2章 事案発生(4)
ソニアは東階段の場所まで来て、クレメンスの話を聞いた。瓦礫越しではあるが、声はよく通っている。既に犯行グループの男から聞いたことではあるが、ラクタリストというテロ集団の残党がサンクチュアリの五階で人質を取って立て籠っているとのことだ。連盟警察には犯行声明が送られており、ラクタリストの指導者、エヴァン・ペンドリーの解放を要求されていることもクレメンスから伝えられた。ソニアの方からも残党の一人から手に入れた情報をクレメンスと共有した。
しかしソニアにとってはもっと重要なことがある。
「クレメンス。一階で怪我を負った人はいなかったかしら?」
死者が出ていてもおかしくはないような爆発であったが、ソニアが恐れていたような最悪の事態にはなっていなかったようだ。
「軽傷者は数人いますが、どなたも無事です。全員建物の外へ避難しました」
一階の状況にだけはとりあえずソニアも安心する。しかしソニア達の目の前には文字通り大きな壁が立ちはだかっている。
「クレメンス。瓦礫の撤去はできそうかしら?」
メイスラの建物はほとんどがレンガで造られている。サンクチュアリの階段もそうだ。爆発により壁や天井が崩れてレンガの山ができていた。上の方に小さな隙間があるだけで、一階の様子は見えそうにない。
「今、連盟警察が撤去の準備をしております。しかし難航していますね。魔術が使えませんから、馬車を使って崩すことになると聞いています」
魔術が使えればこのような瓦礫の山、ソニアはすぐに吹き飛ばせる。ソニアでなくても手練れの魔術師ならば同じだろう。しかし魔術がなければ魔術師はただの人だ。瓦礫の撤去は道具に頼らなければならないし、地上の世界のような建設機械は魔術国家メイスラにはない。
とにかく二階と一階を繋げるには長い時間を要するということだ。しかもそれが達成できたところで、もう一つの大きな問題が残っている。
「あとは魔術が使えるようにするべきね」
ここは虚空間だ。本来ならば魔術が使えるはずのところを何らかの方法で魔術を使えない環境にしている。その方法さえ分かれば、魔術を使える環境に戻すこともできるかもしれない。
「連盟警察はサンクチュアリの環境について何か情報を持っていないの?」
サンクチュアリの建造には魔術連盟も関わっているという噂ならソニアも知っている。魔術連盟直轄の警察機関ならば詳細を把握しているかもしれないと期待したが、クレメンスの答えは芳しくないものだった。
「現在、照会中とのことです。むしろ、ここのスタッフの方が詳しいのでは?」
クレメンスの指摘通りだ。ソニアはすぐに警備員の方を向いた。ついてきた警備員は首を横に振ってはいないものの、はっきりしないような表情を浮かべている。
「詳細は私達も知りません。異世界の干渉を封じる力場とは教えられていますが、隠された事実は多分にあるでしょう。しかし非常時において力場を解除する方法は業務マニュアルにあります」
そこまで言って警備員は言葉を止めた。警備員の二人が向き合って、何かを確認するように頷き合うと、再びソニアの方を向く。
「実は、サンクチュアリ内部に、一部分だけですが、魔術の使用が可能な領域があります。そこへ案内しましょう。四階にありますから、テロリストが集まっているイベント会場は通りません」
良い提案だと感じた次の瞬間には、ソニアは瓦礫に振り向いていた。
「クレメンス、話は聞こえていたかしら? 私は警備員さんと一緒にその場所へ行って、力場とやらの解除を試みるわ。異世界絡みの力場なら私の黒い炎が役に立つかもしれない」
サンクチュアリの全域で魔術が使えるようになれば、二階に取り残されている人を外に出せるし、事件解決に大きく前進する。力場の解除を実行するべきかは考えるまでもない。
ソニアの言葉に対してクレメンスはしばらく黙っていた。差し詰め危険だからソニアはその場で待機しろとでも言いたいのだろう。しかしこの場で治安維持の組織に属しているのはソニアだけだ。ソニアが動くべき場面であることは間違いないはずだ。クレメンスも言い出す前に折れたようだ。
「分かりました。魔術が使えない状況ですので、くれぐれも無茶はしないように、危険だと思ったらすぐに引き返すようにお願いします」
「ええ、分かっているわ」
とにかくするべきことは決まった。早速、ソニアは警備員と話し合って作戦を立てようと考えるが、もう一つ決めなければならないことがあった。ソニアの隣で、真守が元気よく手を上げる。
「なら、私もお供します」
「いえ、真守さんは二階で待機してください。ミヨク君とエレンさんが心配していますよ」
クレメンスがきっぱりと言った。これにはソニアも同感だ。いくら彼女が強いからといって、メイスラでの立場は民間人だ。しかも霊能力が使えない。銃で武装しているテロリストがいるかもしれないところにそんな彼女を連れていくわけにはいかない。
しかし当の本人はクレメンスの忠告を気にしていないようだ。
「えっ、待ってください。エレンちゃんが来ているのですか?」
突然、真守が食い入るように瓦礫の先へ身体を傾けながら大声で訊く。ソニアが驚いて仰け反ったところを、真守が「ごめんなさい」と謝った直後くらいに、クレメンスからの返答があった。
「はい。来ています。もちろん安全なところまで下がってもらっていますが」
いくらエレンが優秀な魔術師だからといっても、危険な事件に巻き込むわけにはいかない。ソニアはそう思っているが、真守の考えは少し違うようだった。
「エレンちゃんに伝えてください。エリザベスちゃんを屋上で待機させてくださいと」
エリザベスとはエレンの守護霊のことだ。霊体にならば身の危険も心配せずに協力を要請できるだろう。しかし真守の頼みにはとある意図が含まれていることに気づかないソニアではない。
「真守。それはつまり、真守は五階に行くつもりってこと?」
ソニアは少し咎めるように言う。霊体がサンクチュアリに入れるようになった時、二階で合流すればいい。わざわざ一人だけを屋上に向かわせる必要があるとすれば、すぐにテロリストと人質がいるイベント会場へ行くためだろう。
真守が何かを誤魔化そうとした風に、苦笑いを浮かべながら答える。
「念のためですよ。万が一、私も行くことになったらの話です」
「そんな事態にはさせないわよ。そもそも、四階までついていくこともまだ認めていないのだから」
「さっきは私のことを協力者だって言ってくれたじゃないですか」
確かに真守はラクタリストの残党の一人を拘束することに大きく貢献し、爆発を事前に察知することで人的被害を防いだ。今のソニアよりも頼りになる存在だろう。それに今は助けがほしい状況である。
「分かったわ。真守も一緒に来て。でも、さっきクレメンスが言った通り、危なくなったらすぐに逃げ帰るのよ」
「了解しました。臨時教会員・久遠真守。一生懸命頑張ります」
背筋を伸ばして敬礼をする真守を「はいはい」とあしらいつつ、ソニアは瓦礫の先のクレメンスに話しかける。
「ということで真守にも協力してもらうわ。そろそろ行くわね。瓦礫の方はよろしく」
「分かりました。ただ、四階といっても銃を持った残党のメンバーが見回りに来るかもしれません。くれぐれもご用心ください」
「ええ。とにかく任せておいて。戻ったら連絡するわ」
そう言って、ソニアは瓦礫から離れる。幸い、三階へ続く階段は大半は損壊しているものの、歩いて通れる程度には残されている。このまま三階へ行くことも可能だが、ソニアとしては確認しておくべきことがある。警備員に質問した。
「力場についてもっと詳しい人はいませんか?」
「支配人なら熟知しているでしょうが、事件発生当時は五階のイベント会場にいたはずです。他のお客様と一緒に人質になっていると思われます。管理部門の職員なら何か知っているかもしれません」
その直後、真守が二階にいる大勢の人々に向かって叫び出した。
「どなたか、力場について詳しい方はいらっしゃいませんかぁああああ!」
かなり大きな声であり、東側の人達には聞こえただろうが、しばらく待っても返答はなかった。ソニアの耳が少し痛くなっただけだった。落ち込んでしまった真守は放っておいて、ソニアは次の質問をする。
「業務マニュアルでは具体的に何をするようにと書いているのですか?」
「基本的には換気をするということですね。全ての階の換気口を一括で開閉できる場所が四階にあるので、そこへ行って換気口を全開にします」
なんとなくサンクチュアリのからくりが分かってきたようにソニアは思った。しかし現時点では確信を持てないし、あまりにも突拍子もなく妄想の域を出ないので黙っておいた。真守も同じ考えのようで、「なるほど」と呟きつつもそれ以上は何も言及しなかった。
ただ、ソニアはサンクチュアリの環境以外で思いついたことがある。
「差し支えがなければ教えてください。警備員の皆さんの適正属性は何ですか?」
この質問に対して、答えたのは一人だった。
「警備員は皆、風が適正属性です」
ソニアの思った通りだった。つまり配管を通じて空気を入れ替えることが、緊急時には必要になるということのようだ。それならばなおのこと、ソニアも役に立てるかもしれない。
「では、そろそろ行動に移しましょう。警備員さんは二人が二階の人達の保護及び、力場に関する聞き込みをしてください。知っている人がいて、でも機密ということで答えを渋るようでしたらヘンシェル教会の要請だと言っていただいて構いません。あとの二人は私と真守と一緒に四階まで行ってもらいます」
「了解しました」
ということでソニア達は四階へ向かうことになった。警備員が早急に装備を整えるということなので、ソニアと真守が階段で待つ。その間にソニアは気になっていたことを真守に訊く。
「ところで、フォルトナー四姉妹だったかしら。四人いるのに、一人だけでいいの?」
「一人で十分です。まあ、エレンちゃんは言われなくても周囲の監視をするので、三人は残ってもらった方がいいでしょう。それでも力場が解除された後、エリザベスちゃんさえいれば、私がテロリストを制圧できます。人質も傷つけさせません」
真守は即座にすらすらと答えた。けっして誇張表現ではないのだろう。ソニアから見ても真守は言ったことを実際にやってのけるだろうという期待感がある。そう思われていると自覚しているのか、真守は不敵な笑みをソニアに見せる。
「安心してください。今回は、みよ君の代わりに、私がソニアさんの騎士になりますよ」
「別にそんなこと頼んでいないわよ……」
そう言いつつも、ソニアは真守がいることに心強さを感じていた。




