第7話 エーリス その4
恐ろしいほどの勢いで渦巻きながら穴に吸い込まれていく水流にも動じず、やれやれと言いながらマリオンが地上へと身軽くあがってきた。着ていた洋服も後ろに結い止めた長い金髪もびっしょり濡れているが、頓着したふうはない。
「ちょっとお坊ちゃま。この水は、ちゃんとバラヴィアの港に行き着くんでしょうね? バラヴィアの町中に流れたりしたら目も当てられないけど」
黙って見ていたメリザンドがからかうようにマリオンに尋ねた。
たしかに水平にまっすぐ穴が開いたのでは、バラヴィアの方が低い土地になるため、途中で水があふれ出るかもしれない。マリオンは、横目でメリザンドを見てふふん、と軽くあしらった。
「さーぁ、どうだろうね。バラヴィアまで行って見てくれば、メリザンド。だめだったら風に託して教えてくれればいいよ」
眉を上げたメリザンドが何か言う前に「大丈夫だ」と言ったのは、ビョルンだった。
「バラヴィアの港より西にある崖の中腹に穴が開いて、水はそこから海に滝のように落ちている」
真面目な顔でビョルンがメリザンドに大地の精霊に聞いた話を伝えている。どうやら同じことを考えたビョルンが、疑問を口に出すより早く大地の精霊に聞いたものらしい。
「やっぱりさー、ビョルン。君の方が適任だったんじゃないかなぁと思うんだけどなぁ、僕は」
マリオンがぐっしょり濡れた髪を絞りながら、不満そうに唇を突き出した。
「あのなー」
と、ビョルンが答えようとしたときだった。
「あああああああ。どうしよう、どうしよう」
と、エーリスの悲壮な叫び声に、皆が会話を止めてそちらを振り向いた。
「僕の羊皮紙が、羊皮紙がー!」
水をかぶって濡れたせいで元の革に近い状態まで戻ってしまったよれよれの羊皮紙を抱え、泥まみれになって座り込んだエーリスが悲痛な顔で震えている。
ああ、そっか、僕のために放り出しちゃったからね、とマリオンがそちらへ近づき、エーリスの肩に手を置いた。
「ごめん、エーリス。濡れちゃったね」
「せっかく、せっかく描いたのに……。もう二度と会えない風景や人なのに……」
エーリスは羊皮紙の束を胸に抱えて、深くうつむいたまま顔を上げない。
ええと、とマリオンがどう言おうか迷ってるうちに、後ろから来たメリザンドがひょいっとエーリスの抱えていた羊皮紙を抜き取った。ばらばらと何枚もの泥だらけで歪んでしまったスケッチが地面に落ちる。
ああ、っと慌てて顔をあげるエーリスに、メリザンドがこともなげに言い放った。
「乾かせばいいんでしょ。それくらいニルスとあたしがやってあげるよ。それに絵のゆがみや修復は、この間抜けな天才様がしてくれるから」
間抜けな天才って僕のこと? と、口をとがらすマリオンを見もせずに、メリザンドはしゃがみ込んでエーリスの羊皮紙を拾った。
「ついでに、羊皮紙全部に水に濡れても大丈夫な魔法もかけておもらいな。それくらいは、この間抜けな天才様が」
と、メリザンドがしゃがんだまま意味ありげにマリオンを見上げた。ふーっとマリオンが息をつく。
「はいはい、償いに僕がやりますよ」
「だいたいね、あんたの魔法は雑なのよ」
「すみませんね。繊細なメリザンド様のようにはなれなくてね」
元々の性格の影響も多少あるのかもしれないが、たしかにメリザンドの風魔法は繊細だった。細くこよりのようにそれでいて壁に穴が開けられるような強い風を吹かせることもできるし、大きく全体に揺らすようなそれでもどこにも害が及ばないような優しく力強い風も吹かすことができる。そこまで細かくなくても、というような魔法も得意だった。
マリオンも、全てが大雑把なわけではないが水の魔法を使用するときは、その変幻自在な水の本性に委ねてしまうこともある。
「……意外ですね。逆かと思ってました。一見、マリオンさんの方が繊細にみえますもんね」
と、相変わらず思ったことが口に出るエーリスがようやく少し安心したように笑った。
だが、メリザンドがまた目を三角にして、エーリスに迫る。
「ちょっと、画家さん。逆ってどういう意味。あたしが繊細に見えないって意味かしら?」
エーリスが何か言おうとして慌てるが、言葉に出す前にマリオンが、ちょっと嫌みたらしく大げさに肩をすくめてみせた。
「そりゃ、そういう意味でしょ。エーリスは責められないよね」
あんたねー、と今度はマリオンに向かって文句を言おうとするメリザンドを片手をあげてさえぎって、マリオンは拾い損ねていた一枚の羊皮紙をエーリスに差し出した。
「この絵、いいね。海神だよね、これ? これを元にした彫像をここに噴水として置いたらどうかな?」
「あ、それは……ええと海の神様のネプトゥーヌスでした。南の方で海神とされています。でも」
「でも?」
「僕、絵は描けるんですが、立体を作るのは得意じゃなくて」
マリオンがにっこり笑う。
「大丈夫、そっちは僕が得意なんだ」
え、とエーリスが驚いたように目を見開いて立ち上がった。今にもつかみかからんばかりにマリオンに詰め寄る。
「マリオンさん、彫像を作れるんですか? ご自分で彫るんですか? あ、魔法? 魔法ですか?」
「落ち着いて、落ち着いて。基本的には彫るんだよ、自分で。時間がかかりすぎるから、魔法も使うけどね」
「見たいです! 彫るところ、見ててもいいですか?」
エーリスが顔と服に泥をつけたまま、マリオンに迫る。メリザンドが、額に手を当てて呆れた声を出した。
「もう、ホントにこの子は……。少しは落ち着きなさいよ」
広場に噴水を作成するのには、大方の賛同を得ることができた。水が自由に使えることに加えて、ゆくゆくは町のシンボルとなるであろうエーリスの描いた海神像が決め手となった。
「やはり元絵がいいな。迫力があってしかも美しい。これはいい」
集落長がうなり、皆がうなずく。
そのうえ、マリオンはその海神像を中心として町の防護結界を貼ろうと提案してくれたのだ。外からの侵入者が、門だけでなく空からも地下からも入りにくくすると。
「そう、目の中にある血管のように結界を細かく張り巡らせればね」
作業には途中で魔法を使ってもさすがにひと月を要した。最初に大理石を取り寄せるところから始まって、かなり塩気のある地下水を真水と塩水に振り分けるような噴水の設計をするところからだったからだ。
ここの土地は、その昔は海だったらしく、土地自体が塩みを帯びている。そのせいで樹木も少なく、今まで林にも森にもなっていなかったのだろう。表面部分は、草や低木が生える程度には塩みが薄れているが、地下水が流れている辺りはまだ十分に塩分が残っているようだった。
彫像のもつイッカクの角笛からは真水が、噴水の床部分にいる魚の小さな彫像の間には塩水が流れるようになる。そしてふたつの水は、やがて一つの水流になり、大きな巻き貝の彫像部分からバラヴィアの崖の中腹から海へと流れていくように設計され、そのように魔法をかける予定だった。
おおまかなところを魔法で削り、エーリスの絵の通りに鑿でマリオンが海神を彫りはじめる。その出だしだけでも十日以上かかった。
通常なら何年もかかるところなのだから、手作業とすればとてつもなく早い仕事だが、魔法を使っての作業としては遅めだ。手作業を減らしもっと魔法を使えば、半日もあればできあがるだろう。だが、マリオンはそうしなかった。
仲間たちはマリオンが当然のように手作業で像を作成していることを面白がり、作業場にしている小屋に作業を眺めに来ていた。土台は先に作成されていた。今は中心になる海神像を作っているところだった。顔部分はすでにだいたいできていて、今は海神が掲げているイッカクの角笛の辺りを掘り出しているところだ。
「これは見事だ、いい出来だよ。こだわるねぇ」
と、ニルスが感心したように、海神像を見上げた。幅は十フィート、高さは手にした角笛を入れると十四、五フィートほどあり、かなりの存在感がある。
「魔法でやりゃすぐなのにな、ほんとによくやるわ」と、ビョルン。
「いやいや、手作業の方がどうみても元絵の感じを再現できているし、味が出て繊細で柔らかくていいじゃないか、すごく」とオスカー。
「まぁそうだな、腕がいいのは認めるぞ」珍しく素直にビョルンがうなずいた。
やがて、皆が立ち去るとそこへ遅れてメリザンドがやってきた。
「よくやるわね、手作業なんて。ようはみんなにちやほやされたいのね、この目立ちたがり」
と、相変わらずメリザンドは辛辣だ。
「誰が目立ちたがりだよ。ちやほやされたいわけでもないぞ」
と、マリオンが答えると、メリザンドがふふんと口元をゆがめた。
「じゃあ、言い直すわ。他のめんどくさい仕事をしたくないので、時間稼ぎをしてるのよ」
「違います!」
一段と大きな声でメリザンドに否定の言葉を返したのは、マリオンではなく像の足元で絵を描いていたエーリスだった。彼の側には、マリオンに強化魔法を施して貰った羊皮紙が大量に積まれている。その羊皮紙の山を崩してまで立ち上がったエーリスは、拳を握りしめ、唇をふるわせている。
「マリオンさんは、これが芸術だと認めてくれたんです。そのへんにいくらでも転がってる平凡な絵師の僕の絵を、丁寧に作品にすべきだと思ってくれたんです。そしてこんなすごいものにしてくれたんです。マリオンさんは悪くないです。いくらメリザンドさんでも、僕は、僕は……」
あまりにも真摯なエーリスの擁護に、メリザンドが思わず真顔になった。返す言葉はない。
「まぁ落ち着いて、エーリス。僕もこういうのを作るのは好きだからね。だから作ってる。それに元絵の良さを生かせるんならちゃんと生かして、ララスというこの場所の守護神にしたいじゃないか。魔法なら簡単にできるかもしれないけど、これは僕とエーリスの共同作業だしね、ちゃんと自分の手でやらないといけないと思ってるよ」
マリオンが像の上から、鑿を手にしたままにっこりと微笑んだ。
エーリスが顔を伏せ、蚊の鳴くような声でメリザンドに向かって謝った。
「……すみませんでした、メリザンドさん」
彼女は小さくため息をついた。
「もう、そこまで言われたら、あたしが謝らないといけないじゃないの。ホントに芸術家ってやつは、どいつもこいつもめんどくさいんだから。悪かったわね、エーリス」
顔をあげたエーリスが何か言う前に、ええ~? と、すかさずマリオンが声をあげた。
「そこは僕にも謝るんじゃないの? メリザンド」
ふん、とメリザンドが顎をあげた。
「……悪かったわね。せいぜい、元絵の良さをだいなしにしないように頑張りなさいよね」
「ってそれ、謝ってないし」
マリオンは、からからと笑うと像から身軽く飛び降りた。
「もうお昼過ぎてるし、メリザンドの奢りでご飯食べに行こうよ、エーリス」
突然の成り行きに、エーリスが目を白黒させている。
「ちょっとー、誰が奢るっていったのよ」
「誰がって君の態度がそう言ってるじゃないか。ぜひ奢りたいわ、あたし、って。僕たちにたくさん奢ってすっきりしようよ」
「たくさんってなによ。一食分しか奢らないから!」
「よし、エーリス聞いたよね、今の。一食分奢ってくれるっていうんだから、遠慮なく行こうよ」
ようやくエーリスが少し笑った。
あとで、マリオンがメリザンドに釘を刺した。
「芸術家ってのは、君が思ってるよりよりずっと繊細で素直な部分があるんだ。エーリスだってそう。エーリスは芸術家なんだ。しかも今までちゃんとした評価を受けられず、いろんな人間に虐げられてきた分、他人が傷つくことにも敏感だ。君と僕のきつめの軽口にはついてこられないんだよ。まともにとってしまう人なんだ。解ってると思うけど」
「……解ったわ、あたしが悪かったわ」殊勝な顔でメリザンドがマリオンの言葉にうなずいた。
「今度から何か言うときは、エーリスの分を入れてあんたにだけ倍にして言うことにするわ」
一瞬だけマリオンの眉が小さくしかめられたが、すぐに口元は小さく笑みを浮かべた。
「素直じゃないねぇ、メリザンド」




