第8話 エーリス そして今へ
それからさらに一週間、だいぶできあがった海神像に今日登っているのは、エーリスだった。一番大事な顔部分の仕上げは、ぜひ君がやるべきとマリオンに言われたのだ。表情の微調整をしてヤスリをかけて磨き上げる。絵とは勝手が大分違うが、元々自分の絵が基になっているということもあって、思ったよりはすんなりとなじんだ。
そして、あの日以来、毎日メリザンドが様子を見に来る。
最初は見られることに少し緊張していたエーリスだが、そのうち何も言わずただ床の上に置かれた椅子代わりの石の塊に座っているだけのメリザンドにすっかり慣れてしまったようだ。と、いうよりも夢中で仕上げを行ううちに、何も言わずにみているだけのメリザンドのことなど忘れている風だ。メリザンドも何も言わない。ふと気がつくと、すでにそこには誰もいなかったりする。そうかと思うと、目の端にいつのまにか鮮やかな色合いが見えて、はっと視線を移すとメリザンドの華やかな刺しゅうの入ったスカートの裾だったりするのだ。
「あの……」
思い切ってエーリスは、像の上からメリザンドに声をかけた。
「ん? なに?」
メリザンドの声は無愛想だが、別に怒っている風でもない。
「見てるだけだとつまらなくないですか? ちょっとだけ、やってみませんか?」
メリザンドは目を丸くして、それから笑い出した。
「あんたやマリオンじゃあるまいし。あたしにはそういう才能も趣味もないのよ」
「ええ? でも……」
「大丈夫。黙って見てる方がずっとおもしろいわよ」
戸惑うエーリスに、メリザンドが珍しく笑顔で答えた。エーリスの耳がちょっと赤く染まる。
「そ、そうなんですね」
続けてエーリスが何か言おうとしたとき、荒々しく扉が開き、慌ただしくマリオンが作業小屋に駆け込んできた。めずらしく冷静さを欠いているようだ。
「ごめんね、エーリス。僕はちょっと都の方に用ができちゃって、一、二週間くらい留守にしちゃうことになりそうなんだけど」
ここから都まで二百リーグ(約1100Km)以上ある。普通に歩けば、行くだけでひと月はかかる。馬で飛ばしても十日以上かかるだろう。エーリスは目をぱちくりさせた。
「えええ? 一、二週間で都まで行ってしかも帰ってくるんですか?」
「ああ、バラヴィアから船で行くことにするよ」
海上を行けば確かに少しだけ短縮はできるかもしれない。
「ああ、なるほど。バラヴィアから船で行って、キルケハーヴあたりの港ですか? あとは魔法で移動が可能ですなんですね?」
納得した感じでうなずくエーリスにマリオンが苦笑した。
「まさか。魔法の移動は、そこまで万能じゃないよ。せいぜいのところ八百ヤード(約720m)程度だよ」
マリオンの話を聞いて顔をしかめたメリザンドが口を挟む。
「エーリス、真に受けちゃ駄目よ。普通は百ヤード(約90m)がいいとこよ。普通ならね。マリオン、あんた、やっぱりおかしいわ」
マリオンは肩をすくめた。
「百だろうが八百だろうがどっちも大して変わらないよ。都までひとっ飛びってわけにはいかない距離ってこと。船なら多少早いし、そこから馬を飛ばして行くことになるかな。まぁどちらにしても、この海神像が設置される頃には帰ってこられると思うんだ」
「忙しいわね」メリザンドがつぶやく。
「わかりました。それまでに僕の作業は終わらせておきますね」
エーリスが、へにゃりと笑った。
「うん、よろしく。また帰ったらね」
マリオンも、エーリスににこりと笑いかけると、手を振っただけで挨拶もそこそこにそのまま出て行ってしまった。
「まるで風のような」
エーリスのつぶやきに、ふん、とメリザンドが鼻を鳴らしシニカルな笑みを浮かべた。
「それはあたしの属性だわよ」
そしてそれが、マリオンとエーリスの最後の会話になるとは、誰も想像していないことだった。
マリオンの帰還まで、二週間ではなく三週間かかった。都で起きた騒ぎの詳細は本人も語らず、ララスまでは噂も入ってこないので誰も知らない。だが、心底疲れきった顔で戻ってきたマリオンになんとなく察するものはある。
「あれ? エーリスはどうしたの?」
美しく完成した海神像は、すでに広場へ運ばれていた。あとはそこへ水を通す魔法を施すだけだ。だが、肝心の制作者であるエーリスの姿はない。
「ああ、彼はね、家に戻ることになったんだよ。お父さんが具合が悪くなったって連絡があってね」
傷ましげな顔でオスカーが教えてくれた。
「ほら、彼はあちこち放浪していただろう。ここでしばらく落ち着いていたおかげでようやく連絡が取れたようでね。それでも、大分遅れてしまったようなんだが」
バラヴィアの港から船で行くことになった、と出て行った、それがちょうど一週間程前だった。
「ああ、入れ違いなのか。海ですれ違った、わけでもないな、きっと」
オスカーがうなずく。
「そう、キルケハーブの港よりもっと近いんだよ、彼の実家。確かエストマール港のすぐ側にある大きな商家だよ。あの辺りでルオッカ家といえば、結構有名みたいだね」
「色々終わったら、今後のことがどうなるにしても、一度戻ってくるって言ってたわ」
オスカーとメリザンドの言葉に、なるほど、とマリオンが小さくうなずく。
「じゃあ、その時でいいか。彼用に旅のお守りを作って持ってきたんだけど」ちょっと残念そうにマリオンがつぶやいた。
***
そして、あれから百二十年経ち、現在にたち戻る。
「でも、二度と彼はララスに戻ってはこなかった」
マリオンが悲しげに目を伏せた。
「そうだったわね、その後、しばらく連絡がなかった、半年後くらいにようやくこちらへ戻ると手紙が届いて……」
メリザンドがそこで怒ったように言葉を切り、天を睨み付けると吐き出すように付け加えた。
「……でも、彼は戻って来なかった」
家が落ち着いたので、たぶんララスに来ようとしたのだろう。エーリスは、エストマールの港からバラヴィアに向かって船に乗り、そして、その船は時化に遭い消息を絶った。
「ああ、船はあとで見つかったんだよ、一年くらい後かな。もちろん、エーリスの遺体もね、もう骨だけだったけど、そっくりそのまま船倉に残ってた」
マリオンの言葉にメリザンドが驚いたように彼の顔を見た。マリオンは目を合わせない。
「はじめて聞いたよ、その話。わざわざ確かめに行ったのかい? エーリスの……」
「……ああ、彼だった。復元の魔法で確認できた。他にもたくさんの人が亡くなってて……名簿を作って復元された人と名前をあわせるのが大変だった。その後で合同葬儀がエストマールでしめやかに行われたよ」
その時のことを思い出したのか、マリオンの顔が少し蒼ざめこわばっている。たぶん彼が魔法で死者全員分の復元を行ったのだろう、とメリザンドは予想した。思い出したくない記憶なのかもしれない。
「それがなんで、ここにエーリスがいるんだい。なんであたしの名前を呼んでいるのさ」
メリザンドが、今度はマリオンを睨み付ける。
「しかも今になって。もう百二十年も経っているんだよ。なんで今、なんだい」
マリオンは静かにかぶりを振った。
「それは彼に聞かないと解らない、……この霧男に」
マリオンは深くため息をついた。
「片をつけなきゃならないね」
それを聞いてメリザンドが珍しく心配そうな顔をした。
「マリオン、ぶち切れないようにしておくれよ? また、あたしに貸しを作る羽目になるよ」
マリオンは、苦笑を浮かべた顔を僅かにメリザンドに向けた。
「……檻は僕が開けることにする。メリザンドもブレナン隊長も広場から出るかどこかに隠れておいて」
「わかった」
うなずいたメリザンドが振り向いて、町の人たちに向かって声を張る。
「さぁ、あんたたちは後ろへさがるんだよ。広場から出なかったら、何があっても責任はとれないよ! いいね?」
ブレナンが慌てて皆に通路へさがるように声をかけると、ざーっと波が引くように一斉に人々が広場から通路へ向かった。
マリオンが腕を上げて、音高く指を鳴らす。ゆわん、と空気が揺れたような気配だけがした。それだけだった。
広場の石畳とそこへ至る通路の石畳は、色も模様も違っている。その通路へ最後の一人が足を踏み入れた途端、ぴしっと空気のきしむ音がして境目の隙間に赤い光が走った。光は広場の周りをぐるっと囲んで、やがて静まった。だが、だれも広場に踏み出して、何が起こるか試そうとする愚かな者はいなかった。
残っていたメリザンドが、ぐるっと広場を見渡しマリオンの結界がきっちり貼られたことを確認して満足げにうなずいた。
そして、広場の外へ出ずに側に残っていたブレナンに、自分の手首から銀の地に白いマザーパールがいくつかはまった大ぶりのブレスレットをはずして渡した。
「いいかい。町の責任者として見守りたいんだろうけど、ここにいたら邪魔になる。これを左手にしっかりはめて、はずしちゃならないよ。あんたは、そうだね。あそこの北の入り口にある街灯の陰にしよう、あたしと一緒においで」
メリザンドは、ブレナンと一緒に広場の入り口まで走った。
「あの男、本当に怪異よりも危険だね。ぶち切れそうな危険な匂いがするよ」
街灯の陰に身を潜めた婆様が、かすかな舌打ちと共に掠れた声でつぶやくのを聞いたブレナンの顔がより一層青白くなった。
「あの、あの魔術師さんは短剣しか持ってないように見えるんだが、大丈夫なんだろか」
確かにマリオンは、かなり軽装なうえに、腰に十二インチ(30cm)あるかないかのきらびやかな飾り短剣しか身につけていない。
メリザンドがふんと口をゆがめて小さく笑った。
「剣が必要ならどっからでも出せるんだろ。そっちの心配は無用だよ。彼はもっと恐ろしいものを持ってるからね」
それを聞いてブレナンはもはや声も出さずうなずき、街灯の石造りの足にしっかりと掴まった。これからのことを想像して震えてしまうのを止められないのだ。
「では、出てきて貰おうか、霧男君。君は一体何者でどこへ行こうとしているのか、僕がきっちり聞いてあげようじゃないか」
マリオンが、つかつかとメリザンドのショールの檻に近づいた。
男の足は、声のした方へ向こうとしたのか震えるように小刻みに動いている。だが、それは見るからに人間の足の動きではない。ぎくしゃくとしたひとではない何者かが足踏みをしている。
「開放!」
マリオンが右腕を檻の方へ伸ばし高らかに宣言すると、空気がぴしっと音を立てて揺れた。
膨らんでいたメリザンドのショールが力を失って、ふわふわと力なく落ちてくる。それを空中でしっかりつかむとマリオンは、唇をゆがめた。もう一度ショールを空に投げ上げると、それは再び風に乗り、メリザンドのいる方へゆっくりと流れていく。そちらにはもう目もくれず、マリオンは姿を現した異形、霧男を睨み付けた。
「開放はするが解放はしてやらないよ。君が何者か解るまでは」
※ごめんなさい、少しお休みします。続きは鋭意制作中です。お待ちいただけますと幸いです。




