第6話 エーリス その3
「いいわ、お茶してくるから! あんたたち、ついてこないでちょうだい!」
メリザンドがぷんぷん怒りながら、会議用の部屋を出て台所へ向かう。しょんぼりした顔のエーリスが、外の庭の飾りレンガの端に力が抜けたように腰掛けた。
「すみません、僕のせいで追い出されるなんて、お二人に迷惑かけちゃいましたね」
「気にしなくていいよ、今はビョルンの独擅場状態だし」
マリオンは、肩を落とすエーリスの隣に座った。
「でも、メリザンドさん、あんなに怒らなくてもいいのに……」
「……しかたがないよ。メリザンドには間違っても僕と恋人同士に見られたくない理由がちゃんとあるんだよ」
マリオンの言葉に、はじけるようにエーリスが顔を上げた。
「え! マリオンさんのこと嫌いな以外の理由があるんですか?」
マリオンはまたのけぞって声をあげて笑い出し、今度は止まらなくなった。
「ああ、おかしい。負けるなぁ、君には」
「すみません、僕、また余計なことを言っちゃいました」
さすがにしゅんとするエーリスに、マリオンが袖で涙を拭きながら、いやいやとかぶりを振ってみせた。
「悪気がないのが丸わかりだからしかたがないんだけどさ。でもね、エーリス、誰かが言う言葉通りに何でも受けとっちゃだめだよね。そして思った通りに口に出すのもだめじゃないかな。ほんとメリザンドが言うように、気をつけないと。笑ってくれる人間ばっかりじゃないからね。いきなり殴られたらいやでしょ」
「……すみません、昔からすぐ口から出たり、行動したりしちゃうんです。色々言われたんですが、なかなか直せなくて」
そうだねぇ、とマリオンは呆れたような労るようなそんな眼差しを向けた。
「まぁたしかに直らないんだろうけどね。心で思ってもすぐ口に出さないようにすればいいんだよ。まぁ、そこが難しいんだろうけど」
そうですよね、とエーリスはまた頭を抱えてうつむいた。
「……僕の知ってる絵を描く人は、感情をあまり表に出さなかったな。『感情は全部絵に込めてるから表にはほぼ出ない』とね」
はじかれたように頭をあげたエーリスの目が丸くなる。
「そ、それはすごいですね。絵に全部入れちゃうんですか?」
マリオンがうなずいた。
「そうらしい。『激しい感情や疑問はいったん全部飲み込んで内側で咀嚼してから絵に込める』んだそうだ。だから一見、何を考えてるのか解らない人ができあがるわけ」
それからマリオンはにっこり笑った。
「ま、それも極端だからどうかと思うし、僕には理解は難しいな。その人のやり方はその人に向いてるんだろうど、君は別のやり方もあるかもね」
「絵に思いのたけを込めるってのはちょっと解ります……でも、全部入れ込めるんだろうか、そこは解らないかも。その人が描いた絵を見ると、その感情は他人でもわかるんでしょうか?」
ううーん、とマリオンは少し唸りつつ、何かを思い出すように遠い目をした。
「そうだなぁ、怒りとか悲しみとか喜びとか焦りとかそういうものは、色や塗り方で解るかもしれないけど、いつどこで誰に抱いた感情かまではわからないね。それはまぁ本人だけのものだし、おもてには出ないね。それにさっきもいったけどね、エーリス。君には君のやり方があるよ。メリザンドに怒られないようにしようという気持ちだけでも持ってれば、大分違うんじゃないかな」
ばしっと誰かが後ろからマリオンの頭を叩いた。
「適当なことを、教えてるんじゃないよ。なんであたしが基準なのよ」
台所にいったはずのメリザンドが、目を三角にして立っていた。手にはお茶が半分程入ったカップを持っている。
「痛いなぁ。実際のところ、メリザンドが怒らない、という基準はわかりやすいだろ」
マリオンは怒りもせず、にやにや笑いながら立ち上がった。
「エーリスはさ、頭の回転がよすぎるんだよね。だから、普通の人が見えないところまで見ちゃうんだよ。で、つい口に出す、と。その回転の良さは、隠した方が自分のためになるよ」
マリオンはぽんぽんと自分の尻の辺りを叩いて土を払うと、今度は自分が台所へ向かって歩き出した。
「あ、マリオンさん」
エーリスが、慌てて立ち上がり、声をかける。
「さっきの理由、聞いてない……んですが、これって今聞くとまずいってことですよね……」
さっきの理由? とメリザンドが、首をかしげる。マリオンが、わざわざこちらを向いて答えた。
「ああ、メリザンドが僕と恋人同士に見られたくない理由ってやつね? それはねぇ、メリザンドが好きな男にそんな噂を聞かれてあらぬ誤解されたら困るからー、です。都に婚約者がいるんだけど、その人はオスカーと仲がいいからね」
「ちょっと! マリオンっ! 何を言ってるのっ!」
メリザンドが怒ってそちらへ走り出そうとしたが、すでにマリオンは笑いながら右手を挙げて指を鳴らすと、その場からかき消えた。
「ったく、なんなの、あいつはっ。ホントにたちの悪い腹黒魔術師だわ!」
マリオンに言い逃げされたメリザンドが、耳の端を赤らめ悔しげに吐き捨てるが、隣のエーリスは聞いていない。
エーリスは、指を鳴らしただけで鮮やかに消えてみせたマリオンの魔法に、大きく目を見開いたまま固まっていた。
「……消えました……あの人は、あんなことができるんですね」
メリザンドは、ふーっと大きく息を吐いて整えると横目でエーリスを見た。エーリスの眼はきらきらしている。
「あいつはね、もともと呪文が必要ないんだよ。自分をどっかへ飛ばすのなんて朝飯前だろ。もっと色々やる気なったらできるだろうからね。なったら、だけど」
エーリスがまだ、ぼうっとした顔で、メリザンドの方を向いた。
「僕もできたらいいのに……」
はっ、とメリザンドが短く笑った。口元が皮肉げに歪む。
「エーリス、あんたにあんな芸当ができたら、街道でゆっくり絵を描いたりできないんだよ? 面白いものも見逃すかもしれない、いいの? それで」
エーリスは、夢から覚めたように目をぱちぱちと瞬きさせてメリザンドの方を向いた。
「あ、本当ですね。それは無理かも」
「なーんてね。そもそもいくら魔術師でもそんな長い距離は飛べないもんよ」
あはは、とメリザンドが大きく喉をそらしながら笑い、それをエーリスはまぶしそうな顔をして眺めていた。
「婚約してるんですね」と、その口元がかすかにつぶやいたが、メリザンドは聞かなかったことにした。
その後、平地の拡張、改革、整備は進んでいった。土地を整備したのは主にビョルンで、皆に感心されるようになるとさらに熱心に細かいところまで作り込むようになる。進むにつれて、ララスはどんどん眼の形に近くなっていった。家が建てばそれなりの大きさになり、集落から村、村から町に格上げされるだろう。
外側の山の麓までの部分は、開墾し牧場にする。不要な枯れ木を焼き尽くし、綺麗に均して土地を肥沃にするのは、ニルスとメリザンドが行った。ついでにメリザンドが牧草の種も均一に風で散らす。オスカーが雨で潤すと、そこは草波も美しい牧場に変わった。
中央に丸い広場を作ると、それは瞳に見えるようになり、ますます目の形に近くなった。そして、そこに井戸を作る話が出た。ここには川が一本も流れていない。水辺がないのだ。山からの水はなぜかこの町には流れ込まず、すべて隣のバラヴィアに流れていく。
土の下に水はあるようだが、地形のせいかかなり深く井戸を掘らなければ、水を得る手段はない。今まではそれぞれの家で雨水を溜めたり、集落内に一箇所ある井戸でみんな水を汲んで我慢していた。
川か、せめて小川程度でも流れていれば、と誰もが思っていた。水がない土地に人は住みにくい。
中央の広場は、まだ石畳にもなっていないが、土は均等に均されていて草の一本も生えていない。
「皆が使いやすいとしたらこのへんだろうな、まん中だし」
と、オスカーが見回す。いまは木でできた仮の通路が幾筋か通っていて仮の小屋などがいくつか建っているだけだが、すでに集落の中心という雰囲気にはなっている。
「ほれ、そろそろお前の出番だろうが」
口をへの字に曲げたビョルンにマリオンがつつかれた。マリオンはわざとらしく目を丸くして見せる。
「えー? 僕?」
「えーじゃねぇだろ。何にもしてないくせに」
「いやいや、門の魔除けは僕がしましたけど」
ふん、とビョルンが鼻で嗤った。
「一瞬でな。手間賃なら銅貨一枚分くらいだろ。あぁいや、二箇所だったから二枚か」
むーっとマリオンが唇をとがらせてふてくされる。
「あいにく僕は成果主義なんで」
言いながら、マリオンがすらっと腰の剣を抜く。近くで話を聞きながら絵を描いていたエーリスが、羊皮紙を放り投げると慌てて飛んできてマリオンの手をつかんだ。
「いけません、暴力は。そんなことしちゃだめですよ」
一瞬驚いたマリオンが目を丸くし、それから笑い出した。そして、優しくエーリスの手をほどく。
「いやいや、大丈夫だよ。ビョルンに切りつけようなんて思ってないから」
「でも、その剣は?」
こうするんだよ、といいながら、マリオンは剣を持った手を高く振り上げ、気合いとともに町の中央の大地に突き立てた。
その剣は抵抗なく固い大地にずぶずぶとのめり込む。マリオンが水の召喚呪文を唱えながら、大地に根元まで刺さった剣を今度はゆっくりと抜きはじめた。少しずつ剣が姿を現しながら、淡い青色の光を放ちきらめく。ついに剣の先が大地から離れると、その先からつうっと青く細い光がしたたり落ち、落ちた先からじわりじわりと水が湧き出しはじめた。
陰からそっと見守っていた住人たちがおおお、と驚きと歓喜の声をあげる。待望の水だ。
が、すぐに水はどんどん水量を増し、やがて溢れてきて辺り一面をぬらしながら低い方、バラヴィアの町の方へ向かって流れはじめた。人々が大慌てで水の来ない側に避難している。みるみるうちに、それは小さな川になった。このままだともっと大きな川に変化するかもしれない。
「お前なぁ。村のど真ん中にでっかい川を作るつもりかよ。これだから天才様は困るんだよ」
ビョルンが舌打ちしながら、まわりの皆にもっと遠くによけておくよう指示を出した。そして、懐から出した四角い札をどん、と大地にたたきつけると、自分もさっと身体を後ろへかわす。地鳴りとともに直径二十ヤードほどの光の円が地面に浮かび上がった。と、次の瞬間、その円の内側だけが、まるで器をえぐり取るように五フィートほど沈み込む。あふれる湧き水が流れるのをやめ、どんどんそこへたまりはじめた。
「ああ、いいね、ありがとう。ビョルン」
円状の溜め池の中で膝辺りまで水に浸かりながら、よけることもしなかったマリオンはビョルンを見上げて笑顔で答えた。そこから動く気は無いようだ。
「ついでだから、ビョルン、貯まった水をバラヴィアに向けて流すための地下排水溝も作ってもらえると嬉しいな」
「あほか、成果主義ってんなら最後までしっかり自分でやれ。お前ができないわけない。面倒くさいだけだろ」
下をのぞき込んだビョルンがまた鼻を鳴らす。マリオンはおおげさに肩をすくめた。
「あ、ばれてる? まぁ、そうだね。しかたがない、自分で責任はとるよ」
しかたがないだとー、と不服そうに唸るビョルンを尻目に、マリオンは先ほど突き立てた剣を今度は横にしてかまえて土の壁の方へ向かう。濡れるのもかまわず腰を落とすと、バラヴィアの方角に向けて剣をゆっくりと真横に突き刺しぐるっと回す。壁にはぽっかりと回した分の丸い形に線がひかれた。すでに水は片膝を立てて座り込んだマリオンの首の辺りまで来ている。
マリオンは、ざばりと水音を立てて立ち上がると、とん、と軽く土壁を蹴った。すると、まるで薄い壁が壊れたかのように、いきなり穴が大きく開いて急激に水がそこへ流れ込んだ。それとともに、地上をバラヴィア目指して光の線が走る。地下の水路はその光の線のとおりに作られているようだ。




