第5話 エーリス その2
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今から百二十年ほど昔のことだ。
エーリス・ルオッカは、バラヴィアからもっと西にある港町の商家の次男坊で、本人言うところの「気楽な画家の放浪旅」という生活を一年ほどしていた。歳はまだ二十代と若く、明るい金茶色のくるくるとした巻き毛に青い目をしていて、街道を歩いているとき以外はいつも絵を描いていた。
いや、街道を歩いていても、気になる景色や人がいればすぐに懐に手を入れ、羊皮紙と木炭やペンを取り出しては道ばたに座り込んで色々描き込む。おのずと旅はゆっくりしたものになり、なかなか進まなかった。
当時、紙はすでに作られはじめていて紙の本や書類などで普及はしていたが、まだ羊皮紙ほどの耐久性がなかったため、魔術師の保護魔法をかけねばならなかった。それをすると当然ながらかなり高価になる。だが、保護魔法をかけないと今度はペンがひっかかったり木炭がよれてしまったりと、絵が描きにくくなる致命的な欠点があってエーリスや他の画家たちはスケッチ用にはもっぱら羊皮紙や布を使用していた。
エーリスは常に懐に何枚も羊皮紙を入れていて、描きこみができなくなるまでびっしりとスケッチを描くと、今度はそれを鞄に入れて大事に持ち歩いていた。
そんなエーリスがふらっとララスに来た頃、ここはまだこんなに綺麗な町ではなく、山間の人の少ないさびれた集落でしかなかった。山が近いのに水がたりず、海のバラヴィアと山のバステリから色々な怪異がやってきては吹きだまるような、そんな住みにくい場所だったのだ。
そこで集落長がもっと住みやすくして住民を増やしたいと、知り合いを通じて最強の魔術師を頼むことにしたのだ。
呼ばれたのが、当時の魔術師協会の若手の面々だった。若手と言っても、みなそれなりに研鑽を積んでいて、一筋縄ではいかないような者ばかりだ。
まとめているのは、オスカーという中年に見える落ち着いた物腰の魔術師で、人当たりはいいがあまりに全てにおいて柔らかすぎて本当に最強なのか疑わしい、と長をはじめとした集落の人々には思われていたようだった。だが、オスカーは、
「私はまとめ人ですが、魔術に長けているという意味では最強ではありませんよ。この面々の中でその意味での最強は、別におりますので」
と、しれっと笑顔で言い放ち、人々を煙にまいていた。
そんなオスカーがまとめている面子は、自身を入れて5人。
落ち着いた物腰のまとめ人、水の魔術師オスカー、屈強な身体に意志の強そうな目をした大地の魔術師ビョルン、小柄で陽気、いつも笑っているような顔をした火の魔術師ニルス、唯一の女性、赤毛でほっそりとした美女――間違いなく――風の魔女メリザンド。そして、一見すると十代後半くらいの若造に見えるのがマリオンという女名前の水の魔術師だった。
この面子で始まったのが、この集落の改革だ。魔の吹きだまりになるのなら、散らすか最初から入れなければいい。
その頃のララスは、現在よりももっと目尻と目頭の開いている距離が長く、そこに高い防御壁を作るには、かなりの費用がかかることが解った。そんな費用はもちろんない。では、どうするのか。5人の魔術師以外にも、集落長と顔役たちが5人ほど参加していたが今のところ、発言はせず様子見をしているようだ。
山と街道の間の土地を動かして目頭と目尻を細く閉めてしまえばいいのでは? と、なかなか大胆な提案をしたのはマリオンだった。
会議用の大きなテーブルに、この集落を含めた近隣の木版地図を置く。
「開いていて広い部分に、もっと山を寄せてくるのはどう? 街道際まできっちり。山を登らなければ入れないようにすればいいんでしょ。そしたら高壁と門を作る距離が短くてすむよね? 大地の魔術師がいるんだから、いけるでしょ」
山を寄せる? と案を聞いた皆が眉を寄せた。
「そう、大地を少しだけ移動させて、道幅を狭くする。もちろん馬車はちゃんと通れるくらいの幅に。そうすれば防護壁も短くてすむよね?」
それから意味ありげにビョルンの方を向いた。
「魔術師がわざわざ呼ばれたんだから、せめてそれくらいはやらないとね」
「なんだ? それは俺に対する挑戦か?」
ビョルンがマリオンを睨み付けたが、マリオンは涼しい顔で肩をすくめた。
「えぇー、なんで睨むのさ。ビョルンならできると思ったからこその提案なんだけどなぁ。大地の魔術では第一人者なんだし。僕にはできなくても、ビョルンならできるんじゃないかと思うんだけど」
ビョルンの眉が跳ね上がり、マリオンに向かって指を突きつける。
「嘘をつくな、嘘を。お前は自分ならできると思ってるだろう。なにが『大地の魔術では第一人者なんだし』だよ。そんなことカケラも思ってないだろう」
うーん、とマリオンが腕を組んでちょっと考え込み、
「そうか、じゃあ、こう言おうか」
それから挑戦的な視線をビョルンに投げてにっこりと笑う。
「ビョルンにはできないんだね、僕にはできるけど」
この野郎! と、いきり立つビョルンをオスカーとニルスが両隣から椅子に押さえつけた。
「野蛮だわね、ビョルン」
都で流行の少しだけ露出の多いドレスで椅子に斜に腰掛け、優雅にお茶を飲みながら皆の様子を黙って見ているだけだったメリザンドが、静かに、しかしはっきりと声をあげた。
「確かにいい案だけど、できなきゃどうにもならないわね。沸騰する暇があったらホントにできるかどうか、ちゃんと考えなさいな。さぁ、できるのかしら? ビョルン」
ビョルンが顔を赤くして黙り込む。しばらくは誰も声をあげず、沈黙が続く。
涼しい顔をしているのはマリオンとメリザンドだけで、他は皆ハラハラしながら、ビョルンの顔をチラチラと伺っている。
ビョルンの顔色が徐々に元に戻ってきたが、相変わらず、その眉間には深い皺が刻まれている。やがて重々しいともいえる声で、ビョルンが口を開いた。
「簡単ではないが、できる。山を動かすと考えるからいけないんだ。山から土を大量に持ってきて、同程度まで積み上げて壁を作ると考えればいいんだろう。それくらいなら二日か三日あればなんとかなるだろう、いや、する」
おおっ、と周りの人々から感嘆の声があがった。
「地形を考えて……」
ビョルンが木板地図でいくつか質問も交えて説明をしていて、集落長らも熱心にそれに答えている。
その間、向かい側ではメリザンドが思わせぶりに含み笑いをしていたが、おもむろに隣のマリオンの方に身を乗り出すと
「あんた、相変わらず腹黒い男だわね、マリオン」と、面白そうに囁いた。
マリオンが同じように声を落として、小さく笑みを浮かべる。
「ええー、どこがだよ、といいたいけど、まぁそうだね。ビョルンは面倒くさがりだから、あれくらい煽らないとなんのかんの言い訳ばっかりでやってくれないだろ? 全部僕に押しつけられてもいやだしね」
「なんとすごい! そんな意図があったとは!」
と、声をあげたのは、もちろんメリザンドではなかった。うしろのほうで床に座って何やらしていた男がいきなり声をあげたのだ。マリオンとメリザンドが同時にさっと振り向く。ふたりとも口元に指をあてて、厳しい顔をしている。
「だめじゃないの、そんな大きな声で!」
「面倒なことになるから静かにね」
声をあげたのは、集落長に新しい町の設計図を描くよう頼まれていた画家のエーリスだった。二人の勢いにびっくりして目をまん丸にすると、慌てて自分の口に両手をあて、こくこくとうなずいている。
幸いなことにビョルンは、どこから土を持ってくれば一番効率がいいのかを人々と熱く語り合っていて聞こえたふうはない。
エーリスは、ほっとしたように手を下ろして息をついた。
「それにしてもすごいこと言いますね。あの煽りは、普通の人にはなかなか言えないです」
声は小さくなったが、エーリスは目をきらきらさせながらマリオンに身を乗り出すようにして迫った。
マリオンが軽く笑う。
「いやいや、あれはさ、ビョルンだからいけるんだよ。間違っても他の人間には使えないからね」
エーリスが目を丸くして首をかしげた。
「うーん、つまりね。さっきと同じような台詞を僕がメリザンドに言ったとするだろ?」
「僕にはできるけど? ってやつですね? どうなるんです?」
マリオンとメリザンドが声を合わせて答えた。
「いいわね、じゃあ、あたしの代わりにやってちょうだい!」
ぶほっとエーリスが吹きだし、上着の裾を口に当てて声を出さないように笑い転げた。
「ちょっとぉ、なんであたしの台詞がわかるのよ」
メリザンドがマリオンの方をじろっと睨んだが、彼は肩をひょいとすくめてみせただけだ。
「お二人、仲がいいですよね。恋人同士ですか?」
今度はマリオンが声を殺して笑いだし、メリザンドは綺麗に化粧を施したその大きな目をつり上げ、本気で怒りだした。
「冗談でもやめてほしいわ。こんな男、願い下げ! 大体どこをどう見て仲がいい、とか言ってるの、あんた、どこに目をつけてるのよ。画家なんじゃないの?」
マリオンが涙を拭きながら、まだ笑いを収められずにニヤニヤ笑いを貼り付けたまま、
「ひどいなぁ、メリザンド。僕はいくらなんでもそこまで言われるようなことしてないけどなぁ」と言うが、メリザンドは聞いていない。
「いいこと、画家さん。あんた、少しは考えてものを言わないと、その軽いお口で身を滅ぼすわよ」
と、エーリスのほうに向き直ると、真剣な顔で説教をはじめた。
「ええと、すみません。それってよく言われるんですけど、よくわからなくて」
メリザンドが、どんと足で床を踏みならす。
「よく言われるんなら改善しなさいよっ、しかも、よくわからないって何なの? 何がわからないのか言ってごらんな!」
エーリスが目を丸くしてぱちぱちと瞬きをした。
「あ、いや。ええと、今のはどこが悪かったんです? ホントのことを指摘したからですか?」
「はぁぁ? 馬鹿じゃないの、あんた。それとも喧嘩売ってんの? もっと考えてモノを言えっていってるでしょう?! 思ったことをそのまま言っていいことと悪いことがあるのよ」
どんどんメリザンドの説教の声が大きくなり、向かいでビョルンの話に加わっていたオスカーとニルスが不審げにこちらを向いた。
ついにマリオンが声を殺せなくなって、半分涙声になりつつ「ごめん、限界!」と、席を立ったがそこで追撃が来た。
エーリスは、にこにこしながらメリザンドに向かって恐れ気も無く言い放った。
「綺麗な人に叱ってもらえるのっていいですね。今まで厳めしい感じの先生ばっかりで、ちゃんと聞こうと思わなかったんですが、美女の言うことは素直に聞こうと思えます」
メリザンドが言葉を失って、目を見開いたまま固まっている。あははは、とついに堪えきれなくなったマリオンが声を出して笑い出した。気を取り直したメリザンドの特大の雷が落ちる。
「ど・こ・が・ちゃんと・聞いてるのよ! 素直に聞いてないじゃないっ」
あまりにその声が大きかったために今度こそ皆の注目を浴びた三人は、呆れた顔のオスカーにいったん外に出るように促されたのだった。




