第4話 エーリス その1
いささか不穏な成り行きに、気を取り直したブレナンが思い切ってあのぅ、と声をかけた。
「”うみのまじもの”ってのは、なんなんですかね?」
ああ、とマリオンが気軽にブレナンの方を見て説明を始めた。
「海はあの広い海ね。蠱物ってのは、まぁいろんな意味があるけど、今のこの場合は、魔術師とかが捕まえて浄化しようとした魔、海に流されて浄化されるべきだった魔物そのもの、もしくはそれを閉じ込めた”何か”のこと、だね。海とか川とかは、水の浄化を行うことができる場所なんだ。魔力がなくても、自然の力で魔が浄化される。まぁ、それにはそれなりに長い時間がかかるんだけど、その代わり強力なんだ。気配すら残さず綺麗に無くなる」
「ただし、そのためには、魔を何かに閉じ込めることができる”ひと”か”もの”が必要だがね」メリザンドが付け加える。
なるほど、とブレナンがすこし青ざめた顔で小さくうなずく。
「ええと、魔物と対抗できる魔術師か、魔道具が必要ってことですかね」
マリオンがにこっと笑った。
「そのとおり。さすが隊長、理解が早いね。魔道具の中には、魔の浄化のためだけに作られるものもあるんだよ。それなら普通の人でも使用できるでしょう」
メリザンドがあとを続ける。
「そしてその蠱物を封じた魔道具は、海か川に流す。で、時々浄化される前に何かがあってどこかに流れ着き、そこで悪さをすることがあるんだよ」
マリオンが少しだけ顔をしかめた。
「そんなこと、めったにない、あってはならない。そのための魔術師であり、魔道具なんだから」
「ふん、魔術師や魔道具師の腕が悪けりゃ、いくらでもある話さ」
メリザンドは眉をあげると唇をゆがめ、大げさに肩をすくめてみせた。
「あぁもう、めんどくさいね。すっきり浄化しちまえばいいんだろ。マリオン、一発かまして全部なくすのはお得意じゃないか。この際、町の半分くらいはしかたがないね」
ええぇぇ! と声をあげたのは、マリオンではなくブレナンだった。ブレナンは必死の顔で、マリオンの方に向かって祈るように頭を下げた。
「ま、待った、待った! 町を壊されたら困る。お願いします、それだけはどうぞ」
あはははは、と、大口を開けて豪快に笑ったのは、メリザンドだ。
「ごめんよ、ブレナン隊長。いくらなんでも、そんなことはさせないよ。大丈夫、今のは仲間内の冗談だからね」
マリオンが顔をしかめた。
「もう、その相変わらずたちの悪い冗談はやめてよ、メリザンド。笑えないってば。笑ってるのは、君だけじゃないか」
メリザンドが真面目な顔に戻り、マリオンに指を突きつけた。
「ふん、昔はみんなにしょっちゅう言われてた冗談話だけど、そこまで真実とはかけ離れてないね。実際、あんたならやりかねない。むしろ今、冗談にして笑ってやったんだ、気をつけてそんなことにならないようにしておくれよ、いいね?」
冗談だということは解ったが、やってできないわけではないと知ってブレナンの顔色はさらに悪くなる。
マリオンは渋い顔でため息をつくと、諦めたように肩をすくめた。
「はいはい、せいぜい頑張らせていただきますとも、言われなくてもね」
さて、と気を取り直したようにマリオンはブレナンの方を向いて真面目な顔でうなずいた。
「大丈夫。ブレナン隊長、町は護ります。いろんな意味でね。その代わり、これからこの周りに人がいられちゃ困るんだよね。どんな影響があるかわからないし」
といいつつ、周りを困ったように見まわす。遠巻きに人垣が出来ている。何ヤードも離れていて、ものすごく近いとまでは言えないが、話が聞こえる程度には近い。そして、どの顔も興味深そうに話に聞き入っている。
「でも、皆に自分の家に帰るようにって言っても……無理かなぁ。なんか他の所の人たちより怪異慣れしてるよね、ここの人たち」と、今度はメリザンドの方を向く。ああ、そうだね、とメリザンドがうなずいた。
「ここは、海のバラヴィアと山のバステリの中間にあるだろ? 町中に強い結界があって出入りに気をつけていても、やっぱり海の魔と山の魔が出やすいんだよ。最初の頃は、魔獣だの魔竜なんだのが出たようだけれど、徹底して退治したせいか、今はそういうものはやってこない。魔竜だって減ってるだろうし。来るのはあたしでもなんとかなりそうな、さして悪さをしない小物だけだ。だから、慣れちまったんだろうね」
マリオンはちょっと考え込んだ。
「う~ん、そういうものなのか。慣れって怖いな。まぁいいか、せめて広場外に出て貰えば、メリザンドもいるからなんとかなるでしょ」
「なにをお言いだい。年寄りをこき使うんじゃない。自分でおやり」
「やだなぁ、歳は同じくらいでしょ。いや、メリザンドの方が三つくらい年上だっけか」
「女性の年齢を勝手にバラすなんて、ホントに礼儀がなってないね」
マリオンは無言で肩をすくめ、ブレナンに眉をしかめてみせた。
マリオンがメリザンド婆様とあまり年齢が変わらないと聞いたブレナンは、驚きのあまり言葉を失っている。どうみても孫と祖母くらいは離れていそうだ。いくら魔術を使えるものは加齢が穏やかだからと言って、ここまで違うものなのだろうか。
隊長の心の中を読んだように、メリザンドが少し唇をゆがめて皮肉げに笑った。
「マリオンはね、規格外なんだよ。そのうえ、年齢の割に頭の中身が若いんだよ。だから口調が軽いんだ、じじいのくせに」
「それ褒めてないから、メリザンド」
と、マリオンが言えば、
「褒めてるつもりはカケラもないよ」
速効でメリザンドから答えが返ってくる。
掛け合い芸人の様な会話に、ブレナンは笑っていいのか真面目な顔を通すべきか迷っていた。
なおも何かを言いつのろうとしたマリオンだが、はっと体をひねり謎の男が閉じ込められている檻のほうを見やった。蠱物の男の足は、相変わらず檻の下部分の隙間から見えるが動いてはいない。
「今、声が聞こえた」
メリザンドが一瞬で緊張した顔になる。
「あたしにゃ聞こえないね。やっぱりあんたじゃないと無理なんだね。なんて言ってるか、わかるかい?」
ああ、とマリオンが目を閉じた。彼はしばらくそうしていたが、やがて静かに口を開いた。
「アイノ ヘルミ ハンナ エイノ ラース ヨハン ウルリカ エルサベト ユハニ オラヴィ イルマリ アンデシュ エリア カリーナ インゲ……」
早口で言うマリオンに、なんの呪文だい、と言いかけてメリザンドが気がついたようにつぶやく。
「……人の名前じゃないか」
「名前はまだ他にもたくさんあるみたいだ……に会いに来た、と彼はそう言ってるんだ」
マリオンがゆっくりと昏い目を開けた。
「……メリザンド」
「なんだい?」メリザンドが、いぶかしげな声をあげる。
「いや、……呼んだのは僕じゃない」
マリオンがメリザンドの方に静かな視線を向けた。
「彼の呼ぶ名前の羅列の中に、”メリザンド”が入ってる」
メリザンドの眉が驚いたように一瞬だけ高く上がるが、ふん、と鼻を鳴らしたときにはすでに元の渋い顔に戻っていた。
「……まぁ、メリザンドなんて、ここより南の方ならよくある名前さ」
そうかな、とマリオンが低い声でつぶやいた。
メリザンドは軽く目をすがめ、マリオンの顔を見た。
「それにしても、よく聞き取れたね。あたしにゃ人の名前には聞こえなかったね」
「……そうだね、大勢が一斉にそれぞれ誰かの名前を叫んでいる感じだからね」
マリオンの声は暗く、その瞳はさっきまでなかった翳りを帯びていた。
「蠱物の中に、たくさんの人が囚われている」
マリオンのその声音に、ブレナンが顔色をますます青くしてぞっとしたように肩をぴくりと震わせた。
「昔、ここに僕たちが海神の像を造ったとき、君もいたよね。メリザンド」
メリザンドの目元がぴくりと引きつった。ブレナンは、驚きのあまりぽっかりと口を開けている。
「ああ、いたね」
「その時、海神像を造ったのは僕だけど、元になった海神の意匠は、あの頃メリザンドと仲がよかった画家が描いてたよね」
「……あたしとだけ仲がよかったわけじゃない。エーリスには、あんたも懐かれてたじゃないか」
「そう、エーリス。ああ、エーリス・ルオッカだった、彼の名前。当時は、僕より君と仲がいいように見えてたけど」
と、檻から視線を外さないまま、再びマリオンが静かにつぶやく。
ふん、とメリザンドが鼻を鳴らした。
「単に絵に描きたいだけだったんだよ。綺麗な若い女は、あの頃、近場にゃ、あたししかいなかったからね」
ブレナンが、メリザンドの言葉に反応してひくりと口元をゆがめる。メリザンドが横目でじっとりとそんなブレナンを睨んだ。
「そう、若くて綺麗だったんだよ、ブレナン隊長。文句あるかい? ここができた頃だからもうずっと前だよ」
「ずっと前って……。前すぎる……」
ブレナンが小さくつぶやいた。歴史の教科書に載るほど昔だ。
メリザンドが枯れ木のような腕を組み、今度はマリオンを睨み付けた。
「で、この話はこの蠱物に関係あるんだろうね? そうでないなら、こんなときに無駄な想い出話はよしとくれ」
マリオンがため息交じりで、かぶりを振った。
「残念ながら、無駄な想い出話じゃない」
「はぁ? それはいったいどういう……」
マリオンは振り向くと、メリザンドの目をしっかり見つめた。
「……ここにエーリスがいて、君を呼んでる」
メリザンドは、その言葉を聞くや一瞬で表情を無くした。




