第3話 マリオン
「おお、さすがは婆様だ」
感嘆する声がしたが、婆様はまだ眉間にしわを寄せ、息も荒く厳しい表情を崩さない。
「……これは……ほんの一時しのぎ」
歯の間から振り絞るように婆様がつぶやいた。それからあたりを見回し、腕を振りながら声を張る。
「いいかい、この男に近づいたら只じゃすまないよ。喰われてもあたしゃ責任はとらないからね。みんなにそう伝えとくれ」
喰われても、ということばに顔色を悪くした人々は、立ち去らないものの慌ててうなずいて、そのままずずっと何歩も後ろへ下がっていく。代わりに前に出てきたのは、警備隊の屈強な男たちだった。その中には、おめおめと男を門の中に入れてしまった門番もいた。
隊長を務めているブレナンという男が、一歩前に出て婆様に向かって敬礼すると固い表情で謝った。
「うちの門番がヘマしてすまなかったな、婆様」
後ろで青い顔をした二人の門番も一緒に帽子をとると胸にあてて、頭を下げた。
婆様は鷹揚にうなずいた。
「なぁに、門番たちのせいじゃあるまいよ。こやつはちゃあんと計算して入ってきたのさ。それに今夜でなくてもまた明日、昼間にでも入ろうとしただろうよ。昼に来られたら拒むことはできないよ」
「そう言ってもらえると、うちも助かるよ」
それに少しほっとしたようにブレナンは笑いかけ、ショールの檻を見上げてすぐに笑いをひっこめた。婆様が同じようにちらっと檻を見上げた。
「今夜は町長はいないからね」
「ああ、そうだな」
「つまり、決定権はあんたにあるね、隊長。あたしはこれからある人を呼ぶ。そいつが来たら中へいれとくれ」
ブレナンの眉があがる。
「メリザンド婆様、いったいこんな夜に誰を呼ぶつもりなんだ。中へは入れないよ。っていうか、入れたくっても入れないだろ」
「緊急事態だよ。まぁほっといても奴なら自力で中に入るだろうけどね」
ブレナンが驚いて口をぽっかりとあけた。
「ばかな。ここの門にはそれはそれは強力な……」
婆様がうるさそうに手を振った。
「ああ、言われなくても解っているともさ、強力な結界魔法がかかっていることくらい。でもね、本人がかけた魔法なんだよ、入ってくるのは他の者より簡単だろうさ」
「ほ、本人? 魔術師本人?」
この町の歴史はそこそこ古い。もちろん、元々は町でなく、ごく小さな集落だった。そのころにすぐにあのまじない門ができたわけではない。住人たちが散々な目にあった挙句、今のようなまじない門を作るのが一番安全だ、この方法がいい、となったのは、今年四十八になるブレナンが生まれるよりずっと前だと聞いている。まじない門ができて安全な場所になったおかげで、町になるほど人が集まったのだ。そして、そのまじない門の結界は、高名な魔術師がかけた、という話は、子供のころに学校で習う『ララスの歴史』の中にもでてきて、自分も確かに習った記憶がある。
「そ、そんな高名な魔術師が、来てくれるんかね? 来てくれるなら助かるよ」
じろっと婆様がブレナンを睨んだ。
「あたしは貸しがあるんだよ、あの男に。今回返してもらうよ」
婆様は再び懐に手を入れて、金色の鎖のついた小さな蜂蜜色の石を取り出した。よく見るとそれはほっそりとした棒状の呼子笛になっている。
「いいんだね? 呼ぶよ?」
婆様が念を押し、ブレナンが無言でこくこくとうなずく。
「しばらく使っていないからね。届くといいんだが」
婆様は皺の寄った口元に呼子笛をあてると、思い切り息を吹き込んだ。
音はしない。だが、さざめくような、空気を震わせるような何かの気配が笛の先から飛び出し、先ほどまでそこいらに揺蕩っていた不穏な闇を切り裂いていった、ような気がした。息をつめて周りで見守っていた人々も、なぜか一斉に安心したように小さく息を吐きだした。
吹き終わると、婆様はふん、と鼻を鳴らした。
「早くても明日の朝までかかるだろう。今、奴がいる場所が遠ければ、もちろんもっと、かかる。悪ければ何日もだね。だとすれば、その間、この町は封鎖されることになる」
「ふ、封鎖!?」
慌てふためくブレナンの声に、町の人々もどよめいた。
昼の間も封鎖されていたことは遠い昔にはあったようだが、少なくとも今いる人々の中で経験者はいないだろう。今だけの封鎖なら町の中ですべて生活はまかなえるが、好きで出入りしないのと出入りが制限されるのでは、天と地ほども違う。また、長く続くとしたら客商売をしている者は困るだろうし、町で作られていない物を必要とする場合も困ることになる。
「アレがなんだか解らないうちは、客人をここへ入れるわけにはいかないだろ。出すわけにもいかないし。しっかりおしよ、ブレナン隊長」
婆様は涼しい顔でいってのけた。
「それはそうなんだが……。封鎖なんてここ何十年、いや百年ほどもしたことはないだろ?」
ブレナンは動揺の表情を隠せない。町の人々も困惑しているのだろう、ひそひそと何か話しているのがさざ波のように聞こえる。
「別に封鎖する必要はないよ、今夜のうちになんとかすればいいんでしょ」
どこからかよく通る涼しい声が降ってきた。ブレナンや町の人々が見回すと、いつのまにか、噴水の海神の彫刻の上に誰かが立っていた。
婆様が目をすがめ、その姿を認めると口をひん曲げた。
「あんた、どっから湧いて出たんだい」
「やだなぁ、湧いて出たなんて魔物と一緒にしないでくれよ。相変わらずだねぇ、メリザンド」
その影はそう言うとふわりと軽く跳躍し、海神の上から広場へ降り立った。ブレナンたちは慌てて後ずさるが、婆様は腰に手を当てて突っ立ったままだ。
見た目はすらりと長身の若い男、二十代後半くらいか。金の前髪で顔の左側が隠れているが、見えているほうの右側の顔は白く整っている。少しくせのある金色の髪は、腰の辺りまであり、背中のまん中で青いリボンで止められていた。白いシャツに淡い色合いの上着を羽織り、下は黒のトラウザースで町歩きなら普通の服装だが、腰に宝石飾りのついた短剣を下げているのが特に目についた。
「あたしが呼ばってすぐに町の結界ぶっちぎって騒動のど真ん中に現れるなんざ、魔物より始末が悪いね」
婆様が強い口調で文句を言うと、その男はけらけらと軽い笑い声をたてた。
「呼んでおいてそれはないよね。っていうか、ちょうど僕はそいつを探してたんだ」
婆様の目つきがさらに悪くなる。
「あんたのせいでこんな騒ぎになってるのかい?」
金色の魔術師はにこっと人なつこそうな笑みを浮かべ、大仰な仕草で否定の印に手を振った。
「いやいや、とんでもない。僕のせいじゃないよ。やらかした奴がここの隣村のバステリにいるんだよ」
「やらかした……。一体何を?」
うーん、と金色の魔術師は顎に手を当てて唸った。
「なんて言うか、軽率に魔封印を破ったみたいな?」
ふん、と婆様が唇をゆがめて笑う。
「あんたじゃあるまいし。軽率に破れる魔封印なんざ、封印と呼べやしないよ」
まぁそうなんだけどねぇ、と魔術師がつぶやいたところへ、ブレナンがそうっと近づいてきた。
「……メリザンド婆様。このかたは……」
婆様は、ブレナンの方を向くと、お愛想に口の端を少しだけ持ち上げて笑みのようなものを浮かべてみせた。
「ああ、忘れてたよ、すまなかったね、ブレナン隊長。”これ”がさっき呼んだ魔術師だよ」
「僕は”これ”呼ばわりですか」
魔術師がぶつくさつぶやくが、メリザンドはまったく取り合わない。
「マリオン、この人はね、ここの町長の片腕でね、警備隊のブレナン隊長だよ」
マリオンと呼ばれた魔術師が、ああ、と声をあげると、今のこの事態に不似合いな華やかな笑みを浮かべ腰を折り、ブレナンに優雅に挨拶をしてきた。慌ててブレナンも気をつけの姿勢で警備隊としての挨拶をする。
「僕はメリザンドの友人の魔術師、マリオンと申します。以後お見知りおきを」
メリザンドが、「友人だって? 商売敵の間違いだろ」と、また鼻で笑った。
「商売敵? いつ僕がメリザンドの仕事の邪魔をしたんだよ。むしろ助けてあげたじゃないか」
「いや、あたしから恩を借りてるのはあんただろ。この前、あんたがヘマしたときに助けてやったのはこのあ・た・しだよ。今回のこれで半分は返してもらうよ」
「ヘマってなんだよ? あれは僕のせいじゃないし、しかたなかっただろ! しかもこれで半分って納得できないなぁ」
と、不満そうな顔でマリオンが抗議したが、メリザンドはこれにもまったく取り合わない。
「そんなことよりも、さっさとこやつをどかしておくれな。こんなとこにつったってられちゃ鬱陶しいっちゃありゃしない。邪魔で仕方がないんだよ」
メリザンドは不機嫌そうな顔でマリオンに詰め寄った。
「事情は知っているんだろ。こやつの出どこも知ってるってわけだ。今晩中にはなんとかするって、さっき高言をお言いだったね。さぁ、今すぐになんとかしておくれ」
「いやいや、ちょっと待ってよ。今晩中にはなんとかするけど、今晩てのは、朝までをいうんだよ、メリザンド。ちょっと調べさせてもらいたいな」
押され気味の魔術師が詰め寄るメリザンドをどうにか躱し、霧男のほうを向いた。
「出どこははっきりしてないけど、僕がみるとこ、これはどうも海の蠱物絡みみたいなんだよね」
「ええ、あれが海の蠱物だって? なんてやっかいな」
メリザンドが額に手をあてて、がっかりした顔をした。
「しかも海の蠱物なのに、なぜか山間のバステリ村にあったというのが謎だね。だから、わざわざこっちまでやってきた目的があると思うんだよね。ねぇ、メリザンド、彼は何かしゃべらなかった?」と、マリオンが振り向いた。
「これがかい? ああ、しゃべったともさ。ん~に会いに来たってね」
「なにその、”ん~”って」
マリオンが首をかしげ、メリザンドは、腕組みをして顔をしかめた。
「何度も聞いたが、どうしてもそこだけ聞き取れないんだよ。ん~としか言いようがないね。ブレナン隊長、あんた聞きとれたかい?」
ブレナンは口を挟めず、いささかあっけにとられて二人の掛け合いを聞いていたのだが、いきなり話を振られてあたふたした。
「い、いや」と、首を振って答えるのが精一杯だった。
「そっか、しかたがないなぁ、このメリザンドの檻を開けるか、中に入って僕が聞きただすしかないか」
と、マリオンが渋い顔をする。
「確かにあんたなら聞き取れるかもしれないねぇ。檻はあたしが開けるよ」




