まおうさん、ひさしぶり
玉座の間は静まり返っていた。
重い魔力が空気を押しつぶすように満ちている。
魔王は立ち上がったまま、二人を見下ろしていた。
赤い瞳。
圧倒的な威圧。
そのはずだった。
だが。
次の瞬間。
「……彩乃?」
その声は、さっきまでの“魔王”のものではなかった。
わずかに震えている。
困惑している。
そして――
明らかに動揺していた。
「え?」
彩乃が一瞬固まる。
百合も横で目を瞬かせた。
「今……名前、呼んだ?」
魔王は一歩、後ろに下がる。
「いや……え、待って……」
赤い瞳が揺れる。
威圧が消えていく。
代わりに出てきたのは、完全な混乱。
「あ、え……なんで……」
「彩乃?」
その瞬間だった。
彩乃の表情が変わる。
目を見開く。
そして――
「ちょっと待って」
「その声」
魔王の動きが止まる。
空気が凍る。
彩乃はゆっくり一歩前へ出る。
「……ひーくん?」
「……………………」
沈黙。
玉座の間が完全に止まった。
魔王の肩が小さく揺れる。
「あ、え……」
「え?」
「いや……え?」
さっきまで世界を圧倒していた存在が、完全に崩れていた。
「彩乃……?」
魔王の声は、もう“魔王”ではなかった。
ただの、戸惑う男の声。
「なんでここに……?」
「え、いや、待って」
魔王は両手を少し上げる。
戦う姿勢ではない。
完全にパニック。
「あ、え、うれしい」
「うれしいけど」
「なんで?」
「なんでここ?」
彩乃はゆっくり聖剣を下ろす。
「……失踪してたから」
「探しに来たんだけど」
「失踪?」
魔王はさらに動揺する。
「え、俺……魔王になってる?」
「なってるよ」
百合が冷静に言った。
「え、なってるの俺?」
魔王は頭を押さえる。
「いや……え……ちょっと待って……」
玉座から一歩降りる。
威厳ゼロ。
「彩乃……」
「ほんとに彩乃だよね?」
「うん」
「え、うれしい……」
次の瞬間。
魔王は顔を覆った。
「いやでもなんで……」
「一生会えないと思ってたのに……」
その言葉に、彩乃の表情が少しだけ緩む。
「……生きてたんだ」
「生きてた」
「めっちゃ生きてた」
間。
百合が小さく咳払いする。
「とりあえず状況整理しよっか」
魔王はまだ混乱している。
「あ、え、うん……」
「ごめん今、魔王やってるけど……」
「それは後でいい」
百合の一言で即却下された。
魔王は素直に頷く。
「うん」
彩乃はじっと見つめる。
少しだけ声が柔らかい。
「……ひーくん」
「うん」
「ほんとに、ひーくん?」
「うん……たぶん」
「たぶんって何?」
百合がまた突っ込む。
魔王はさらに混乱する。
「いや……俺もよく分かってない部分あるから……」
玉座の間。
世界を支配するはずの場所で。
魔王はただ一人、昔の名前で呼ばれて動揺し続けていた。




