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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
プロローグ 石炭紀の熱帯雨林にメガネウラを追う
3/197

3 私たちは、ここにいる

むせ返るような豊饒の香り。

何千年と熟成された、甘くコーヒーと竹酢液を混ぜたような泥炭。

水を含んで崩れていく粘土の、灰と砂糖を煮詰めたような匂い。

熱帯の太陽に炙られた魚の死骸がなす、どこか悪臭とも決めがたい、チーズにも似た芳醇な発酵臭。

それらが混じりあい、干渉しあいながら、温室のような熱気を満たしている。


「ほら、周囲を見回して」

目の前に広がる黄褐色の大河。

流れはほとんどなく、支流から溶け出す黒褐色のブラックウォーターと入り混じって、音符にも似た渦を巻く。それは無限のマキアートであった。


地形をみようにも、ほとんど何も見えなかった。

何千、何万という、天を衝くような巨塔。

鱗木。

それは生物というより、景色凡てを塗りつぶす構造物であった。

枝一本なく真っ直ぐに立ち上がるその姿は、木というよりも、釘か電信柱に似ていた。

針山のように空を串刺しにする、無限の柱廊。

密林などでは、まるでない。

しかしその数そのものによって視界はすべからく埋め尽くされて、川の向こうには何も見えなかった。

山ひとつ、みえなかった。


「見えないところには、何がある?」

見えないといえば、水の中もだった。

10センチの水溜まりか、はたまた10メートルの深淵かすらもが、曖昧だった。ただ、その中に静かならざる何かがうごめいていることは疑いようがない。

時折水音がしては、焦点が合う前に消え失せた。


「音は?」

それだけを除いて、目の前を埋め尽くす泥水も森も、しん、と静まり返っていた。

鳴くものなど、ひとつもない。

自然はただひたすらに、死んでしまったかのように黙りこくっていて、それを乱すのは、ズズ…ギィ・・・と、船や艀がこすれあう音と、どどどどどど…と洗濯機のごとき重低音をあげながら働くバイオマス発電機の音だけだった。


「あーもう、またその変な哲学の話?この前も「我は存在しないがゆえに生成されるようにふるまう強力な幻影である」とか…なんだっけ…いいから何を言いたいのか先に言ってくれない?」


「もう率直に言うしかないね。爺さんたちの話もテペの話も、同じ構造だよ。変なものを見た、聞いた、という話はある。でも、見た、聞いた、だけ。見て聞いたが、触れない。触れるが見えないしきこえない。見えるだけ。せめて3つは揃ってほしいね。五感のうち3つ揃ったら、本当にいるかも」


「辛辣。でも――見ちゃったのって、テペだけじゃないわ。あんなにありありと語ってくれたのは、彼だけだけど」


「ちょっとそれ見せて」


アリアのノートを見ると、それはまさしく、フィールドノートだった。

目撃例からの生態の推察、現代や過去に見られる似た生態を持つ動植物の類型、移動範囲の推定、個体数の計算。そしてマップに記された、生息可能性の高い地域の絞り込み、みっしりと書きこまれた他の種の生息情報。

驚いたことに、あれだけの聞き取り調査を行いながら、そこに文系的な考察は何一つなかったし、私があんなに覚えていた小人や小豆洗い的なものといったことについての考察は一行たりともなかったのだ。


私は最初から最後までひとまず目を通すと、とても論破したい気分をぐっと抑えて、一言に濃縮しした。

「ほんとに火が飛んでると仮定しないほうが、むしろこのあたりの話はおもしろいと思うんだよね」


――そう、夢のない話をしながら、じつをいうと私の方でも、怪談ノートを整理していたのだった。

その数とバリエーションには実に驚かされた。

佐々木喜善が聞いて回った、「遠野物語」の逸話は、実は彼の、ほんの近所どうしであったのを思い出す。民俗学的には、面白いし興味深いもの、ではある。

さらに、まったく文化圏が異なるのに、それらにはそれなりに共通点があるのだ。

たしかに民俗学は、学のていと法則をなしている――そう実感させられざるを得なかった。

集団幻覚?そのほとんどに現実が付きまとう?とんでもない。

私は古書堂で育った。

幼いころから古書を読み漁るうちに、自然と確信していたことがあった。

むしろこういう、変な怪談だらけというのが、社会の自然状態に違いない、ということだ。


――確かに、面白い。

でも――私たちは、石炭紀惑星の植民者についての民俗学的研究に来たわけではない。

あくまで友人とのプライベートな採集旅行だ。

ひたすら様々な動植物を観察し、採集してまわる。調査に来た、というのは語弊も甚だしい。

旅行を楽しんだ結果、成果がついてくる、のであって、調査に行った、というのとは全く違う。

ましてや民俗学など、まったく二人とも縁のない分野だった。

そう、この数日間はものすごく、迷走していた。


テペの言ったことが頭によぎる。

”顔見ろよ。いいかげんにしろって書いてあるぜ”

――半分は、正解だった。


この村は、動力のない、荷物を乗せたり人が住んだりする大きな浮筏や、それを動かす船がつながってできている。つまりその周囲はすべて石炭紀の川であり、湿地林である。

古生物など、どこにでもいる。

艀から竿を伸ばしたり、ライトトラップを仕掛けたり、近くを散策して植物観察をしたり。

大戦果といっても過言ではない。

正直見るべきものは大体見てしまった気すらするし、石炭紀の豊かさには恐れ入った。

でももう流石に、足をのばさせてくれ。

ちょっとは違う景色が見たい。


「火をもって飛ぶ鳥とか確かにいるけどさ、」

――そう、確かにそう言うのはいるんだけど、だ。

「まずはもうちょっと現実味のある古生物探しに、まず村から出てみようよ、せっかく石炭紀にいるんだからさ、ほら。」


私は足元を指さした。もぞもぞと触れる感触があったそこには、陸上の小エビのようなものがちょうど靴をのぼり切って、靴下からすねを引っ掻こうとしているところだった。

――まただ。

まるでフナムシそのものみたいな生態をしていて、艀のいたるところを駆けずり回っている。

ちょっとつつくと、ピンピンとエビかなにかみたいに飛び跳ねていく。

古生代の半水生イシノミ、ダシレプタスDasyleptusだった。

落ちた先が水面であってすら、数十センチなら水切り石みたいに飛んでいく。

質感がだいぶ違って甲殻類らしい艶を放っていることをのぞけば、概形は現在のイシノミの幼虫と驚くほど変わらない。

黄褐色の水の中は、何も見えない。

しかし水面を飛び跳ねるダシレプタスを追って、つぅーっと水面に筋が入って、ピシャリと何かが跳ねた。

おそらく、パレオニスクス類の小魚だろう。こいつらは水面に落ちたダシレプタスが大の好物で、杭や艀を見上げながらじっとうかがっているのをよく見かけた。

杭には、あの愛すべき――いや、いまはにっくき棘だらけの小さな小さなカブトガニがたくさんへばりついていた。大きさは、カブトムシの雌より一回り小さいくらいだ。

そして、どこぞやの国の国章のような隆起のある甲皮には、その縁に鋭い三角形の棘が並んでいた。ユープロプスだ。

で、どういうわけか陸で甲羅を干す自殺志願者でもある。

もう、自爆特攻型撒き菱といっていい。

集落に迷い込むと最後、どこかに引っかかって干からびて、骸の鋭くとがった棘でけが人が出る。

私も何度か指に刺さった――だって、鞄の中に突然入ってるとかもう許せないでしょ。

寝袋に入った時が一番最悪だった。靴の中に入ったやつは程よく湿度が保たれたのか、生きたまま回収できた。


――もう、水上集落の中ですらそんな野生の王国が広がっているのだ。

徒歩圏内のすぐそこでアースロプレウラが見られるくらいには、この集落周囲でさえも様々な動植物がいる。

十分見た、というにはまだまだ足りない。

しかし、この地における普通種は何かということは十分把握した。

逆に言えば、この環境でふつうにみられる生き物は、だいたい見てしまった、ということでもある。


もう少しでも行動範囲を広げれば、すこしでも環境の違う場所を攻めれば。

もっと数も質も素晴らしい、様々な古生物を観察できることは言うまでもない。


しかしアリアは集落を巡りながら採集するばかりで、ここ三日にいたっては妖怪聞き取り調査に明け暮れている。 

なーにが定点観測ポイントだ。

もっと何かを狙って、攻めていこうよ。

妖怪なんていいから、とっとと森に漕ぎ出そうよ。

私の不満は、もう限界に達しつつあった。


「ってことで今夜、いいね?」

だからアリアの口からそう出たとき、私は心底ほっとした。

「待ちくたびれたよ。でもせめて――第二目標に、何を探すかくらいは決めとかない?」

ようやく出た、本音だった。


艀はいまも、揺れている。

この森には、地盤がない。

岩がない。

石がない。

砂がない。

あるのは、泥炭だけ。

厚さは数十、数百メートル。場所によってはキロメートル級。

生クリームのように柔らかく、ひとの居住はおろか、上に立つことすらも拒絶し、干拓すれば出火する。

3億年後、石炭となったそれは、いまはまだ、植民者にとっての災厄でしかない。


それは偽りの大地であり、安住の地は、水の上だけだった。

コーヒーと竹酢液を混ぜたような泥炭の香り

実際にそうなので嗅いでみよう。ミズゴケ泥炭は香りも酸っぱいので、ヨシ泥炭などがとくにいいにおいがする。C級ピートとかがいい。


粘土の臭い

割と実際そう。

甘ったるいにおいが混じっているのは泥炭の寄与が疑われる。


魚のチーズ臭

割と打ちあがっている死んだ魚は、そんなにおいになっている。

臭い!という感じの臭いにならないことが実はけっこう多い。

特に屋外だとそう感じることがままある。

天然鮒ずしになっていることには期待しないほうがいい。


ブラックウォーター

泥炭などから大量の腐植酸が供給され、紅茶やウーロン茶のような色になった水のこと。飲むと少し甘酸っぱいことすらある。


ブラックウォーターのマキアート

現在でもアマゾン流域でしばしばみられる現象。もっとも有名なのはネグロ川とソリモンエス川の結節点。


鱗木

リンボクとも。 Lepidodendronの和名。Lepidoは鱗、Dendronは木を意味する。なおここでは、和名及びカタカナの時にはリンボク類Lepidodendralesないし、木本性小葉植物Arbolescent lycophyteの意味で用いている。


艀 動力のない舟。居住や輸送に用いられる。第一話用語集参照。


バイオマス発電

有機物を分解して一酸化炭素やメタンなどのガス燃料に変換し燃やす発電法。ガスの制御さえできれば比較的安全に、通常発電の設備を流用できる。この惑星の人口は少ないためか、太陽光や原子力発電などの高度技術の実用化と普及に支障をきたしているようである。


「我は存在しないがゆえに生成されるようにふるまう強力な幻影である」

デカルトの否定から始まる変な哲学。(筆者より:この哲学設定には多大な時間を要した。設定が数千字に及んだため割愛。)


「文系的な考察は何一つなかったし、私があんなに覚えていた小人や小豆洗い的なものといったことについての考察は一行たりともなかった」

文系的な考察とはなんだろうか。

答えが一意には定まらず、見方によって変わることが最も特徴的であるように思われるが、この問いに対する答えもまた、人と見方によって変わるのである。理系の答えは有限かもしれないが文系の答えは無限にある、とでも格好つけておく。


遠野物語

佐々木喜善が集めた遠野の伝承を柳田邦男がまとめたもの。日本民俗学の重要資料である。遠野市を歩くと、本当に当時の遠野が奇妙な伝承だらけであり、それが社会のあたりまえであったことがよくわかる。

そして、遠野が特殊だったというよりも、偶々記録され保存されたというだけに過ぎない、と考える人も多い。


ライトトラップ

昆虫を光で集める採集法。


火をもって飛ぶ鳥

オーストラリア北部のトビなどでは、そのような観察例がある。


ダシレプタス

石炭紀~中生代に知られる原始的なイシノミ類。生痕化石も知られており、半水生であったこと、浅い水中に着水してもそこから飛び跳ねていたことがわかっている。

復元メモ:フナムシのような生態はそこからの着想。鱗粉の証拠は現時点では知らないので、艶があると描写した。


パレオニスクス類

パレオニスクム類といったほうが適切かもしれない。原始的な条鰭魚類の形態であり、単一の系統群というよりも典型的な姿をいうといったほうがよい。ざっくりといえば、ハダカイワシやカタクチイワシに少し似た姿の、ガーのように菱形のビッチリとした硬い鱗に覆われた魚である。


ユープロプス

石炭紀の地層から大量に産出するカブトガニ類。淡水から汽水に分布していたと考えられている。陸に上がったかどうかは定かではなく否定的な意見も多いが、上陸説は確かに存在する。ほかにも、三葉虫のように丸まることができたという説があったりもする。どれがどこまで本当かは、読者諸賢の最新研究のサーチと判断に期待したい。


復元メモ:上陸したという話は怪しいと私も認めているが、上陸に不利な構造の生き物が上陸してしまうのはよくあることでもある。水際や水の上に少し顔を出すことは捕食から逃れるためにあっていいだろうと考えた。

しかし、それが鱗木の幹や湿った地面ならともかく、人工物の上に上陸すれば戻れなくなるのがおちである。つまりここで起きたことは、カブトガニが攻めてきたというより、人が作ってしまったトラップにはまってしまったのだ。


キロメートル級の泥炭層

石炭層の厚さをもととなった泥炭に換算するとそうなる場合がある。


干拓すれば出火

現在の泥炭林でも起きていること。


偽りの大地、安住の地は、水の上だけ

なんとカリマンタンなどの泥炭林では現実に川沿いの半水上集落くらいしか人が住めなかった。なにせ道路をひこうにも地盤沈下し、人が歩くだけでも膝以上まで埋まるからである。そして干拓しようとした結果が終わりのしれない火災である。ましてや泥炭蓄積の規模が現在をはるかに上回り火災リスクの高い石炭紀ではどんなことになるかといえば、こうなる。



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