4 UMA、未記載、記憶、幻影
私たちは今、石炭が堆積した時代のピークにきている。
約三億一千万年前。後期石炭紀の半ば、モスコビアンだ。*
目の前を埋め尽くす柱のような森は、今見られるどの森とも似ていない。
柱が密生しているようだ、と言われれば近いのかもしれないが、そもそも森という言葉を使うこと自体が、何か間違っているような気がしてならなかった。
眼前に広がるこの森と大河は、アマゾン川をもしのぐ。
西は北米イリノイへ、東はウクライナのドネツに伸びる、地球規模の巨大な流域。
それがまさしく、石炭紀の赤道を濃緑色に染める、地球史上最大規模の熱帯雨林であった。
「待ちくたびれたよ。でもせめて――第二目標に、何を探すかくらいは決めとかない?」
そう言って、私はザリガニ釣りみたいに、紐の先につけた小魚をポチャリと投げ込む。
さっき、甲板で干からびているのを拾ったものだった。
タイに似た、高い体高。
プラティソムス類の、ここではとてもよく見かける種である。
しかし――正確な種小名までは特定できなかった。
この森と水こそが、すべての源なのだ。
欧米人は三億一千万年後、足元に広がる石炭層としてこの森を再発見する。
そして産業革命を介して、人間の文明を機械文明にかえる。そこから宇宙開発までは、一続きだ。
つまり私は今、文明を機械文明に変えることとなる巨大な有機転換炉に、腐りかけた魚をつるした釣り糸を垂らしている。
「こっちの台詞よ。ねぇ、ケイは何探したい?」
「・・・まだ見てないものが見れれば、なんでも。」
視界の隅を、木製の小舟がさっと通りすぎていく。
人力だ。上半身を晒してオールを漕ぐ漁師の傍らには、1mはあろうかという肺魚が何本か積まれていた。
この村をはじめとした狩猟採集民を、街のひとは「アンダリーリョ」と呼んでいる*。――さまよう者、という意味だ。この星への植民後、さまざまな事情で都市を離れ、狩猟採集生活を行うようになった人々のことである。
*ポルトガル語;Andarilho。
アリアは呆れたように肩をすくめる。
「自分で言いだしておいて、それ?」
「まかせるよ」
私は気のない返事をして、集落を振り返る。
孤立して、可燃物と助燃性の大気に包まれながら、火だけでなく電気すらほとんど使わず暮らしている。かの大火から逃げ惑った記憶は、彼らの網膜に焼き付いたままなのだろう。
そして彼らは、火と電気より、森と水を選んだはずだ。
何が起きているのか、もう自明じゃないか。
「火の恐怖に駆られた同時多発的な幻覚。およびその妖怪化」。
テペが話すだけで震え始めたのが皮肉にも、その最たる証拠だった。
私はあの姿を見てすっかり、やる気を失ってしまっていた。
アリアは自信たっぷりに肩で風を切る。
「じゃ、メガネウラ!これでどう?」
私は竿を持つ手を止めた。
「時代が違うよ。それに、夜探すもんでもない」
「Nope!(違う!) ほんとにいるもん。まだ見てない、クソでっかいの」
私は臍の下あたりから、相棒をじーっと見上げる。
「この時代、この地域から記録ないでしょ。もっとあとの時代だよ。グゼリアン、はやくてカシモビアンだから、目の前のリンボクの森が、みーんな消え失せたあとだね」
自分で言うのもなんだが、人付き合いはちょっと、苦手だ。
しかしアリアは、そんな私の意地悪を意にも介さず、両手を蝶のように広げてみせた。
「拾ったもん。翅だけでこんなでかいやつ!私の記憶も疑うってわけ?」
「ふーん、目測30センチかぁ…飛んでるあれの、一回り大きいくらい?」
私は頭上を指した。
翼開長が20センチ強あるオオトンボ類は、絶えず私たちのはるか上空を旋回し、その姿は上空をゆくモビール細工のようだった。
オニヤンマより一回り以上大きい。
あれでも現在飛んでいたら、相当びっくりする大きさだ。
しかし、アリアは鼻で笑った。
「ぜんっぜん!翼開長じゃなくて、これで翅一枚。測ったら、29センチもあったんだから」
「片翅で29センチ⁉…そりゃ、そうとうのバケモノだね」
さすがに聞き捨てならないサイズだ。翼開長なら70センチに迫る。
「で、翅脈はどうだったの」
「それが帰りの便で粉砕されちゃって写真しかないから、まだ未整理。今回見つけてからやろーって」
「…肝心なところで、雑…」
私はため息をついた。
「サンプリング地点とか、学名の表記がScientific nameかscientificNameかとか、どうでもいいところではやたら拘るのに****」
「大事なことよ! そこが一番大事なんだから。めずらしいものの現物だけあっても、ただのトロフィーじゃない。」
「いやそんなことないって。最初に見つけたのはアリアですって、献名されるかもしれない」
アリア・エンバートンは心底嫌そうに顔をしかめた。
「専門外の生き物でわからないならまだましよ。でも、メガネウラの新種を見つけながら記載まで至らず献名された、なんて。。。絶対無理。メガネウラ・エンバートニ(Meganeura embertoni)は絶対に御免!」
なるほど、動機は不純だが、熱意は本物らしい。
――なお、誤解が多いのだが、生き物を命名するとき、自分の名前をつけてはならない*****。
「だ、か、ら!!!絶対に見つけたいの。だけどライトラでも昼間のルッキングでも影も形も出なかったし、各集落に聞いて回っても誰一人、そんなもの知らないんだもん。私は何を見たの?って。」
「…でも、インドネシア行っても、街行く人のほとんどがギラファノコギリクワガタ知らないよ?島によっちゃ、街路樹にもいるのに」
「それとこれとは話が別!だってここの人たち狩猟採集社会でしょ?そんなでっかい虫がいたら、気づかない方がおかしいじゃない」
「…はいはい、で、そういうのを探して「鬼火」とか、「水おろち」とか聞いて回ってるわけね。実在の生き物の話が混じってると仮定して。」
私は魚のミイラをくくりつけた竿を引き上げる。
ケラとエビを足したような姿のアカントテルソンAcanthotelsonが何匹かくっついているのが見えた。
「My gut tells me.(直感が言ってるの) 当たるって」
「…たしかに、ね。でも架空の何かを見出してしまうのもまた、人間の本能だよ。しかもこんな、未知の世界にほっぽり出されて森の中で生活してるんだったら…特に火への不安は、募るだろうねぇ」
そう言いながら、私はぶん、と竿を振り上げた。
餌にしがみついたうちの1匹が手元にポトンと落ちる。残りは引き上げられなかった。
アリアはあっさりという。
「そりゃ、関係ないと思うけど? だって虫が火をもって飛ぶとか、ちょっと・・・ありえなくない?」
「そこは認めるんだ。ホタルみたいに光るのは、アリだとは思うけど」
そう言いながら、アカントテルソンを掴む。
くにゅりと体を曲げて2対4本の発達した、棘だらけの付属肢が手を引っ掻いたが、ケラを脆弱にしたようなもので、それほど痛いと言うほどでもない。
すると、アリアはぐい、と迫った。
「でも、何かが飛んでて、光ってるってことでしょ?」
「…まぁね。モケーレムベンベとかネッシーとかを一生追いかけてる人たちだって、そんなこというよ、たぶん。あんま期待しないほうがいいとは思うけどな・・・いてっ」
みれば、手に掴んだアカントテルソンが、名前の由来にもなっている、棘のような尾節を指に押し付けていた。少しギンヤンマのヤゴがやるものに似ていて、しかし棘はより大きく、鋭くて、小さな血の点が滲んだ。
そこにアリアがさらに迫る。
「ねぇケイ、夜の森、しかも怪しげなものがいるかもしれないと言われたら、ねぇ、いくでしょ?行くに決まってるよね?」
もうそのまま顔面に衝突しそうな勢いで身を乗り出してくる。
「当然だよ。3日も村に缶詰めじゃあね。あと巨大トンボを狙うなら、夜明けが一番いいんじゃないかな、たぶんだけど。」
するとアリアは声を一気に張り上げた。
集落の一人がふと振り返るくらいの剣幕だ。
「んじゃ決定ー!出発は今夜、日が暮れ始めたら。
帰りは明日の夜明けに合わせて。今のうちに寝といて。オッケー?」
「…おっけー。ただ、飛んで火にいる夏の虫、はごめんだね。まして、石炭紀じゃ、ね。」
かくして、私たちの真夜中カヤッキングが決まったのだった。
――でも、なんでセオリー通り夕方じゃなくて朝方を狙うんだ、くらいは聞いてほしかった。
--注釈--
****標本、観察データの標準交換形式であるダーウィンコアでは、学名の表記は「scientificName」が正しいのである。
*****2025年現在ICZNに自分の名前を献名してはならないという規則はないが、分類学者の間では有名な、極めて恥ずかしい行為とされている。もし破れば、分類学の慣習を知らないことを露呈している証拠か、ものすごく自己顕示欲が強い残念な人と生涯笑いものにされることとなる。実質的に、きまりだ。
用語集→https://ncode.syosetu.com/n1999md/14




