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船の名は

係留所にある、私たちの舟を改めてみやる。

樹脂の艶が乗り、キラキラと飴色に光るそれが、確かに自分たちの舟だ、という感触が、なかなかしてこなかった。

なんというか、あたかも既製品のように思えてならなかった。

こういう、何か大きなものは「誰かが作るものだ」という感触を、私たちはいつの間にか植え付けられてしまっていたのだろうと、あらためて気づかせられざるを得ない。


もしかすると、それは――

「名前、どうする?」

アリアの声で、思索は打ち切られた。


「名前?」

「舟には、名前つけるものでしょ?」

――正直ここでの村のしきたりがどうなのかわからない。

すくなくともほかの村人は舟を○○号だとか言っていた様子はなかった。

「うーん…つけるものなのかなぁ、舟が重なる、とか言い出すようなとこだし」

「なにそれ」

「言ってなかったっけ?同じところに舟を留めると、存在論的に重なってしまう、ってやつ」

「ヘンなの!でも似た話聞いたことあるかも。同型船でも同じドッキングベイを流用するな――っていうジンクスじゃない?」

「なにそれ」

「ちょっとした個体差が命取りだって話。でも、色々バリエーションがあるみたいね。ここでは、そういうことなのかも。で、名前と何の関係?」

「いや――重なるっていうことは、混じってあたりまえ、ってことでしょ?名前を付けるような文化と噛み合うのかな、って」

「うーん、でもそれとこれとは、別じゃない?」


「うーん、どうなんだろうね」

――同じだろ、と思いながらも、私は濁すしかなかった。

すると、アリアはふん、と首を軽くひねりながら言う。

「じゃ、つけない」

180度ひっくり返したので、私は呆気にとられるほかない。

「本当にそれでいいの?」

「だって、ケイがそういうんでしょ?じゃ、つけない」

「いや、だからって…つけない、とは言ってないよ。」

尖った鼻が、ヒュッと風を切った気がした。

「そう?でも、この船に一番貢献したのは、あなたでしょ?」

――いやいや。

「ボクだけだったら、今頃丸太が浮いてるよ、舟じゃなくてね。」

そう、私は皮肉った――わけではなく。本音でしかなかった。

「そ。まぁたしかに、舟の形にしたのはあたしかも」

「ってことだからさ、アリアが決めてよ」

「だーから、それで聞いてるんじゃない。私はケイに決めてほしいから」


だからといって名前を付けない、というのもなんなので、私は目の前の舟を見つつ、首を傾げた。石炭紀の森で作った、アリアと二人で、いや村の人々と助け合いながら作った――木を彫って。丸太号などというのもなんとも味気ない。

コルダイテス材だからコルダイテス、というのもなんとも、直球過ぎる。

私はいろいろ悩んだ挙句、ふとあるエピソードが頭に浮かんできた。

「じゃあ…ステルンベルギア、とかでどうかな」


「なんで?」

「…なんとなく。」

話すと長くなるのは確実だったので、私は濁した。

「なんでよ、いきなりそんな名前出てくるとも思えないじゃない」

アリアが詰め寄る。


「いや――まぁ、ね。」

「なんでスタンバーグ号とかシュテルンベルグ号じゃなくてステルンベルギア号なのよ。「ステルンベルグの」号みたいで変よ、それ」


結局私は、この名前にいたる、長い長い、マニアックにもほどがあるきっかけを話すこととなった。

「まずカスパー・マリア・フォン・シュテルンベルクの話はしたっけ。古植物の父ともよばれ、レピドデンドロンなどなど名付けた人。だいたい、ゲーテと同時代の人だね」

「前言ってた気がする」

「そ。古代の植物は現代とは違っていた、っていうのが彼の最大の業績。だから古植物学の父と言われてたりするんだけど…まぁ、18-19世紀らしい多才な聖職者、といったほうが的確かも」

「ドイツの人だったっけ?」

「ドイツでも重要人物だけど――チェコの人といったほうがいいかな。」

「あの辺りって昔同じ国だったんだっけ」

「そ、神聖ローマ帝国。それがちょうど、ナポレオンに破られて滅ぶまでの激動の時代を生きた人だね。で…それが彼の前半生。古植物にのめりこんだのはおもに晩年だね。チェコには彼の墓があるんだけど、そこには礼拝堂式の柱廊の中に置かれた墓の上に、レピドデンドロンの化石が置かれてるらしい。未来の自然科学者が、私の墓だとわかるように――だって」

「…で、だからシュテルンベルクの、ってこと?」

「いや。だってこれレピドデンドロンじゃないでしょ?」

「たしかに、コルダイテスよね、これ」


「そ。前に髄腔の話、したっけ」

「あれね!真ん中に穴が開いてるって話。ほら、あれでしょ?舳先のロープ掛けてる穴」

「そうそう、あれ。髄腔だけ化石に残るって話は?」


「えっ、木じゃなくて、穴が残るの?」

「そうそう、木が鋳型になって穴が残るってわけ。で…」

私は話をつづけた。

この化石を巡って、ちょうどいま起きたことに似た、名づけ争いが起きたことについてだ。


アルティスはシュテルンベルグにちなんでSternbergiaと名付け、逆にシュテルンベルグはアルティスにちなんでArtisiaとつけた。結局、Sternbergiaという名前は他の植物に先取りされていたから、その化石はステルンベルギアではなく、アルティシアと呼ばれるようになった、ということ。――そんなことだ。


なお、ここまで考えておいて、この名は結局、呼ばれることはなかった。

なぜか。

「あのー、舟に名前を付けたりは、するんですか?」とある村人に聞いたら、「つけんな」と一蹴されてしまったからだ。

「村の外のやつらはつけるが、あれはその・・・舟に自分のものって感想がないからだろ?」と。

「えっと…逆だと思ってました」

「自分の手で作ったもんに、敢えて名前を付けないと実感を持てないっつー感覚は、よくわからんな」

男はそういった。



――ふと、思い出した。

シュテルンベルクのことだ。

「化石植物がなぜ研究されてこなかったのでしょうか?」

そう聞かれたシュテルンベルクは、このようなことを答えたという。

「植物化石の一個は、乾燥植物の1000点よりも重く、一つ手に入れるだけでも何人もの人手がかかる。ふつうの植物ならば100本を抜いて持ち帰れば済むだろうが、化石となると運搬だけでも桁違いだ。そして、それらに対して確実な判断を下せる状態でもない。

だから名のある植物学者ほど、名を汚すことを恐れてためらってきたのだ。

私はあえて危険を引き受けた。石を投げてもいいのが自然物の同定で一度も誤りを犯したことのない人だけならば、私の身はまず大して傷つかずに済むだろう。」


――では、この旅は、どうだろう。



*Die Grafen Kaspar und Franz Sternberg, und ihr Wirken für 'Wissenschaft und Kunst in Böhmen. より。かなり意訳している。

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