進水
寝坊した。
久しぶりに静かに横になったと思ったら、もう昼だった。
連日の徹夜採集で寝不足が溜まっていたものだから、仕方がない面もある。
しかし、何より一番の理由は、目覚ましがわりになっていた、あの騒がしい噂の連鎖が、今日に限ってなかったことだ。
起きたときにはもう日は高く昇っていて――艀には、人がまるでいなかった。
アリアとリリィはといえば、人のほとんどいない艀を散策しながら、そこらへんに落ちたままの小さなカブトガニ、ユープロープスEuproopsをつついていた。
今まで昼間に転がっているのを見ることはめったになかったのだが、今日ばかりはあちこちに転がっている。朝の集まりがなかったこともあり、叩き潰されたり川に掃き捨てられずにすんだのだろうか。
「Good Morning~もう、昼だけど」
私が起きてきたのを見るなり、アリアがその長い腕を振った。
「ごめん、ちょっと疲れがたまりすぎてたみたい」
「あなたたちの舟はまだ、あそこにあるわ。」
そう言って、リリィは発電艀を指さした。見れば大勢の人々がごった返していて、明らかにふつうの様子ではない。
「…祭り?」
「うん。私が舟で送る算段なの」
リリィの舟に乗る。
この船を間近で見るのは、これが初めてだった。
分厚い木肌は、彫った後が全くないほど滑らかに仕上げられており、かつその曲線が船体を横断するリブにかけて連なっている。
それが、私たちが作っていたものとは全く別の系譜であることが、一目で見てとれた。
「これ…どういう扱いなの?」
そう聞いたのは、この舟が所謂、村人が日常に使う薄く拡張されたカノアとも、男たちが誇りの象徴としている、木をそのまま彫って用いる、細く鋭く力強いモンタリアとも、まったく違う系譜に見えたからだった。
「あぁ、これ?試されたのよ」
そう、なんともないように言う。
「何を?」
「あなたたちと同じね。でも、インストラクション一切なし」
「なるほど…だから」
「発電艀も使えなくって。結局、刃物だけでどうやって作るかって。でも作ってたら楽しくなっちゃった」
そう言って、リリィは思い出し笑いをした。
「この村って、入るときに試練を課すの?」
「そういうわけでもないけど…すくなくとも、必ずしもそうじゃないのよ。」
「じゃあ…」
私たちが信頼されていなかったから、ということだろうか、と思う。
「ねぇ、試練なんかじゃなくて、もしかしてただ単に、村を知ってもらいたかった、とか?」
アリアが口をはさんだ。
あんなにハブられかけていたというのに、いや今もじつはハブられかけてるかもしれないのに、その発想は私には、とてもなかった。
「そんなひねくれた理由、ある?体験コースにしても、さすがに、うーん…」
そう言いかけて、私はそれも否定できないかもな、と思ってしまった。
事実、アリアは有名な発信者だし、有力者ですらある。
村のことを、外に向かって、この星の外、人類の居住圏全体に対して伝えることができる。
その全体まで届くのに、何週間、何か月かかるかはわからないが――始まった波紋は、どこまでも伝わっていく。そして、もし、私たちが村について何か、大きな誤解をしたまま――たとえば未開の部族だ、とか――と紹介されれば、それは人類の常識となってしまうのだ。
それを避けてもらいたかった、というのは納得がいった。
「とにかく、村があなたたちを見放そうとしてる、ってわけじゃないのよ」
リリィは肯定も否定もしなかった。
発電艀には、既に大勢が詰めかけていた。
かのサウナとドライヤーを混ぜたような建屋のまわりだった。
しかし、もうそこには人が一杯で、収まりきらないぶんの村人が、カノアに10人も20人も乗って周囲にぷかぷか浮かんでいる。
もう喫水がぎりぎりだった。
私たちの舟が近づくと、ドンドン、ボォーッ…と、腹の底に響くような重低音が響き始めた。
普段交信に使われていた霧笛や太鼓の音だ。
水上に行きかうのは、数十隻はくだらないカノアの群れ。
そもそもこんなに舟があったのか、と驚くほどの数だった。
村人たちは、今まで見たことのない恰好をしていた。
まだ青いシギラリアか何かの細長い葉を束ねて丸め、スカートのようにしているほか、シダ植物かシダ種子植物の葉を、まるで鳥の翼のように肩から生やしている。
とくに、光の向きによって青紫色の光沢をもつ葉が、キラキラと光り輝いていた。
ここまで近くで見かけることはまずなかった、子供たちの姿まであって、人混みの間を駆け抜ける姿や、今にも水に落ちそうなくらいに、カノアの縁からせり出す姿もあった。
アリアがカメラを回している。
私たちの舟の進路をすっと開けるように、水面にたむろするカノアが動く。
そして、静かに、舟は接弦した。
私はなにか、映画かなにかを見ているような気がして、目の前で起きている光景に現実味を感じられなかった。
しかしリリィが船の舫を結ぶとともに、ふいに舟が少し揺れて、急に心臓がバク付き始めた。
桟橋に上がると、独特な旋律の歌を、村人たちが熱唱し始めた。
体が震えるほどの音響なのに、何を言っているのかはうまく聞き取れなかった。
太鼓や笛や霧笛の音響が響き渡り、もう右も左もわからない。そんな熱狂の中、私たちは押し寄せる村人に次々と手で押されながら、ずんずんと桟橋の奥まで、押し込まれた。
そしてその奥に、樹皮布に覆われた――私たちの舟があった。
熱唱が、その姿かたちを変え始める。
それが、乗れ!という集団の命令形へとかわったとき、舟を覆っていた樹皮布が一気に取り払われた。そこには、たった数日前にはただの丸太だったものがあった。
それはもう、誰の目から見ても、舟そのものだった。
私たちがこれをやってのけたのだ、ということは、それを見ても、まだ少し実感が足りなかった。
私たちは、陸に掲げられたそれに乗り込んだ。
すると村人たちは、一斉に、桟橋に一直線に丸太を並べ始めたのだ。
ごく細い、短く切られた、竹に似たものだった。恐らくカラミテスのものだろう。
そして私たちが乗ったまま、舟を一斉に押した。
耳をつんざくような熱狂の中、私たちはそのままカタパルトのように桟橋を突っ走り――なだらかなスロープの先端から、茶褐色の川に、滑り込んだ。
背後からは、どぉっという歓声が未だ上がっている。
船底が無事だったことを祈りながら、私は舟を見る――
ちらりと視界の隅に、なにか木製の部品が映って、私は青ざめた。
ソリだった。
船底を傷つけないように、着水とともに外れる構造になっていたらしい。
「…漕げる?ここから、どうする?」
私はアリアに目くばせした。
「まかせなさい!」
舟は大きく、弧を描いた。




