煙の中で
例の肺魚は結局、私たちの好きなようにしていいということになった。
「釣りで捕ったものは、すぐ死んでしまう」
ということである。むろん、針が鰓に引っかかっていたから、というのもあるだろう。
しかしどちらにせよ、答えは同じ。
村としてはいらない、ということである。
ずっしりとした重みをかみしめながら、アリアはいう。
「この調子、この調子!釣り調査は艀からでもいけそうね」
「…まさか、ずっとこの艀にとどまってる気?」
「いやいや。でもどう話が転ぶか、わかんないでしょ?ほら、昨晩のリゾドプシスなんかも釣ってみたいし」
「夜釣りで騒いだりでもしたら、いよいよ「水おろちが出るぞー」って村ににらまれるよ」
「この黒い水の中で、昼も夜も関係ないんじゃない?沈めれば」
「まぁ…それは、そうかもね」
計測を終えても、肺魚はのたうち回っていた。
「結局歯見れないから、属もわからないね」
「そりゃ、標本にしてから口開かないと。そういうものでしょ?分類って」
アリアはあたりまえのように言った。
そう――当たり前なのだ。
私たちが、身の回りの生き物に名前がついていて、形と名前が対応しているということそのもの――それは、かつて誰かがその生き物を締めて、標本にして、形態と特徴の対応関係があることを明らかにしたからに他ならない。
そういうものなのだ。
一体何匹、見た目と形質が合致していればそれを同じものと見做せるだろうか?遺伝的に交流があるようだ、ないようだ、という差異だけをもって、それに何かしら名前を付けてよいのか。
化石に残った断片と、今目の前にあるそれとを結びつけるものは何なのか。
それらすべてを解決するのは標本だけであり、そしてこの石炭紀の泥炭湿地から、魚を一匹、生きたまま抜き出して現代に持ってくることは、とても現実的ではなかった。
それに――生かしておいてどうするのか?
それは私たちが釣り上げた時点において、その生態系においてすでに消失しているのだから。
ふと思う。
村の人たちが、村のしきたりでの釣りを私たちに許可しなかったのは、理由があるように思った。それは私たちの釣り上げた魚もまた――よそ者でしかないからではないだろうか。
私たちが、私たちの方法で釣り上げた――その時点でその魚は村とも、自然とも、切り離された人工物になっているような気すら、してきたのだった。
私はまだ動いているそれを、冷凍庫に詰め込んだ。
そのすぐ下には、昨日の牙を持った怪魚リゾドプシスが、氷漬けになった丸太のように転がっていた。
ボォーッ…
腹の底を揺らすような重低音。
汽笛だ。
朝夕に鳴らされている人力の霧笛とは、音の大きさも、その低さも、まったく違う。
それよりはるかに大きな――あれが魚なら、これはまるでクジラのような――ものが、こちらに向かってきていた。
ふと目を上げると、そこにあったのはこの村の艀ほどもある、巨大な舟だった。
ただし主機は止めてあるらしく、2隻がかりでタグボートに曳航されている。
おそらく村に3隻あるうちの、2隻。
「ちょっとちょっと、あれ何」
「何って、燃料ローダーでしょ?ほら、発電艀の」
アリアは何ともないかのように言った。
たしかに昨日、燃料補給船が来ると言う話は聞いていたが、あんなに大きいと言う話は初耳だった。
リリィは朝から、不調が出たばかりのタグボートの面倒を見に行かなければならない、と自慢の帆付き丸木ボートで漕ぎ出していっていたのだが、なるほど、あのために2隻必要なのか、と至極納得である。なお勿論のこと、もう一隻は私たちが旅のために借り上げている。
巨大な船は、すこしタンカーにも似て上面が平たく、上に小屋のように艦橋が出ていた。
あの上に人の数十人くらい、住もうと思えば住めそうなくらいである。
細長いローダーが、発電艀の沖に”島”のように飛び出た部分に向けて伸びていった。丸木舟が一艘そこで待ち構えていて、接続を確認しているらしい。
そして、殆ど液体か何かのように泥炭が注ぎ込まれはじめた。
――この森でほぼ無尽蔵にとれる泥炭こそが、発電艀のエネルギー源なのだ。
しかし、村人たちの表情は険しい。
「仕方がないけど、迷惑な人たち」
そう言った。
「人」と言う言葉が出てきたのは意外でもない。
迷惑な人、という、やや丁寧な形にしただけのことだった。
やはり、発電艀と村との間には、かなり距離があるらしい。
大型のエンジンつき採掘船。
つい、先ほどの話が頭にちらついた。
「村長、とかいう人がいたのも、あの船だったんですか」
そう、私は聞いてみた。
「どちらも、もういらないもの」
断言はしなかったが、おそらく――そういうことなのだろう。
しかしこのロード作業、見た目がかなり豪快である。
ローダーを通じて水入りの泥炭が注ぎ込まれると、発酵槽に充満していたガスが押し出されて発電機に送られ、どぉぉおおおおおおお…という低い音が作動音と連続しつつ、煙突からものすごい白煙が生じてくる。
それをみて、私たちのいる作業艀で一番年長の、40代半ばくらいのひとりが言った。
作業艀は、沈黙におおわれた。
「あれを見ると、いつもあの大火を思い出しちゃう」
私はそれ以上、何か聞き出すことはできなかった。
伝え聞いた旧都大火のこと、「焼け跡港」なる不穏な水上港のこと。
彼ら彼女らが、なぜこの森に住むようになったのか。さらには、この星の文明そのものに深く影を落としている火への恐怖…
それらをみんな詰め込んだものが、あの竜巻のように立ち上る白煙の中にあるように思えてならなかった。




