いい男、間違った獲物、石なき村
「ねぇ、あなたたちにとっていい男ってどんな人?」
――私にはとても聞けない――というか、聞こうとはまずしない質問をしていたのは、アリアだった。
それ以前に村(とはいっても今や一枚岩でもなんでもないことがわかってしまったわけだが)から私たちがどうみられているのかを踏まえると、何を言っているんだ、とも思ってしまう。
しかし、そこで出た答えは異口同音、かつ、単純明快だった。
「狩りのうまい男」
「狙った獲物を逃さない男」
である。
あまりにも単純明快かつ素朴だったので、逆に驚きあきれるほかなかった。
こう、なんというかこの村では、予想は基本的に裏切られるものだった。
そして狩りのうまい男、として、何人かの名が挙がった。
かなり離れた村の男も話題になった。
なにぶん、だいぶ離れたところにある村のテペという男が、小男ながらも凄腕の漁師なのだとかで、話題は尽きなかった。
一度銛を出せば仕損じることはなく、かつ、間違った獲物をしとめてしまうことは皆無なのだという。
「間違った獲物?」
私は興味に駆られて聞いてみた。
「ほら、例えばサラマンダーを捕ろうとして、カイマンがとれたら、間違った獲物。カイマンを捕ろうとしてカイマンが捕れたら、正しい獲物」
そういうのだ。
むろんサラマンダーもカイマンも石炭紀の森にはいないので、おそらく違う何かしらの生き物が、そのように呼ばれているのだろう。
――それにしても、銛とな。
この村では見かけはするが、あまりメインで使われている気配がない猟具だった。
ここで用いられているのは主に、Varragarrotteと呼ばれている特殊な拘束具である。
これはとても奇妙な、他に類を見ない漁具である。
いずれ解説せねばならないだろう。
「銛って、あまりここでは聞かない気がしますけど」
「そりゃだって、銛は作れないもの、壊したくないから普段は使えない」
「作れない?」
「矢じりは硬くて、重くて、高いもの」
「硬くて、重くて、高い?」
「鉄は私たちには作れないし、買うと高いでしょ?石は森の外まで拾いに行かなきゃいけないし」
「森の外って」
「手漕ぎで1か月、エンジン船で1週間くらいかしら」
――なるほど。
「森の中に、石のあるところは?」
「全然。赤黒い、血の小石と、黒い、炭の小石なら森に沸くけど」
「森に沸くんですか」
「えぇ、川底に網を引いて集めるのよ。次の年にはまたできてるわ」
――どの程度本当なのか、もしくは堆積して流れてくる方が自然だったが、湧く、という表現は面白いと思った。一年で析出する石がもしあったら、やや見てみたい気もする。
「それはつかえないんですか」
「重石だけね、あまり硬くないし、重くて脆いもの」
「はぁ…」
「そりゃ当然でしょ、ここは石炭林なんだから」
とアリアが割り込んだ。
それもそうだ。
この石炭紀の熱帯雨林は、いずれ石炭となる泥炭の上に立っている。
泥炭というものは密度が低く、石炭になるにはおおよそ、10倍圧縮される必要がある。
元の岩石質の地質はといえば――その、はるか下にあるのみだ。
金にしろ、石にしろ。
そうした鉱産、地質という概念自体が希薄なのだろう。
「だから、昔はエンジン船で金を掘りに行っていたんですね」
「火を使って」
汚らわし気に、彼女は吐き捨てるように言った。
石や鉄や金属があたりまえである、という概念すら、ここには通用しないらしい。
作りかけの船を沈める重石が菱鉄鉱ノジュールだったのも、いまや奇矯な趣味というより、他に重石になるようなものが得られないからだということがわかる。
金属器はおろか、石器すら入手が困難――
そこに、銛の出番はなかった。
「でもみんな持ってる。どうしようもならなくなった時のために」
という。つまり、次善策として一応は持っているが、ロストを恐れて出来れば使いたくない、というものであるらしい。
「ねぇ話がそれたんだけど、狩りのうまい、って、どんな?」
そうアリアが話を引き戻す。
これもまた、答えは単純だ。
「音を立てないこと」
「姿を隠せること」
「気配を消せること」
――総合すると、こうなる。
影のように音もなく行動し、獲物を見極めて、暗闇でも白昼でも間違いなく仕留める、それが彼女たちの理想の男だ。
それはマッチョでも勇者でもなく、アサシンの類に思えた。
そして彼女たちはいうのだ。
そういう男にだったら、仕留められてもいい、と。
そして、彼女たちの恋バナ(?)はさらに飛躍する。
そうしたいい男には、獲物のほうが惹かれてくる、とまでいうのだ。
つまり、獲物のほうから首を差し出してくるようであるからこそ、間違わず確実に仕留めることができる。
それが彼女たちのいう狩りの論理であったし、それを飛躍させて、獲物もそういう男に惹かれているのだ、だから私たちの恋愛観は宇宙に普遍的なのだ、とまでいいだした。
さらに続く。
静かに獲物に近づくためには、自然と一体になり、自らを消し去ることが必要だという。
強い自我をもち精神的に屈強なものほど、獲物からは逃げられる、だから臆病なくらいのほうがよい、と。
臆病と言ってもひたすらパニックになるのではなく、危機をいち早く察して大事になるまでに逃げおおせることをよしとしていた。
「恐ろしいものに立ち向かうとか、危険から救ってもらうとかは」
と聞いてはみた。
しかし。
「そういう人がいいって人がいるのは否定しない、けど…長くは一緒にいられないと思う」
というのだ。
これはやや意外だった。
「戦う男たち」がもてはやされる、というわけでもない。
人と戦う、という概念もまた、希薄だった。
「間違った獲物」の中に、人間をも位置付けていたのだ。
曰く、それが人であろうと****であろうと、獲物にはならない、という。
それを狙うこと自体が間違っているのだから、間違った獲物でしかありえない、と。
だから、そもそも人が人を殺す、という概念すら持ち合わせていない。
では、人ではなく、自然とだったら?
と、私は思った。
その時、一人がふいに言った。
「テペが鬼火に追い回されたことがある」と。
すかさずアリアが食いついた。
しかし、語ろうとしないのでなかなか何が起きたのかはわからないし、ただ鬼火はひたすら追ってくるから、逃げるしかない。という話しか、得ることができなかった。
史上最大級の泥炭湿地に石という概念はなく、金属は持ち込まれるものでしかなく、強きことは蛮勇でしかない。環境は社会に対して常に優位であり、文化、民俗の発展方向を規定する。




