銀色の、金
夕方。
艀に置かれた大きな、板の間に挟まれた革袋を踏みつけると、ボォーッ、という腹の底に響く音が鳴り響く。
どうも舟の帰還の合図らしく、毎日夕方になるたび、この音が響き渡るのだった。
「あの音ね、もともとは入港時のブザーをまねて作ったんだって」
そう、アリアが言う。
今日の昼間、作っているところを見かけたので聞き出したのだという。
「入港時のブザー?」
「そう、ドッキングの合図とかで鳴る、バー、バーってやつ」
ーーそう、宇宙船の。
「へぇ、視界が悪い日に備えた霧笛なんだと思い込んでた」
「それもまた、あってるらしいのよ」
「どゆこと?」
「地上に降りてみたら、どうも音が通信にちょうどいいって」
「…そこから?」
もちろんながら、宇宙で音は鳴らない。
「そう!最初は景気付けくらいで、物足りなかったんだって。でも雨や霧が出た日には、視界が悪い日でも連絡がとれるって」
「再発明したんだ」
「でね、作り方もいろいろ変わったんだって。今の形になったのはここ4、5年らしいの」
曰く、バネが変わったことが大きいらしい。
ばね、といってもいわゆるグルグル巻きにされた金属棒を使っていたのが、いまでは斜めに張られたある種のリンボク類の板のしなりを利用して、皮袋を挟む二枚の板を踏みつけた後にリコイルするようにしているらしい。
皮袋はなめした分椎類の革で作られていて、ばねの間に挟まれている。
その先には大型のカラミテスを加工した、筒のような笛がついていた。
弁もまた、手作りのものだ。
舟が一艘、二艘と現れると、ピー、プー、という音が響き渡る。
船の上には、細長い笛を横に咥えて、吹く影があった。
「あれはコールサインで、あってる?」
「あれはあんまり聞けてないわ。わかってるのは、トクサの幹で作ってあるくらい」
「カラミテスだよ」
「あんな細いのに?前にジュラ紀でとってきたやつ、もう太ももくらいあるのに見せたら「トクサだねーって言われたのに?」
「太くても細くても、トクサはトクサ、カラミテスはカラミテス。大きさとは全然関係ないよ」
「石炭紀なら、みんなカラミテス?」
「微妙。一応トクサもいるみたいだけど、まだこの村では使われてるのを見てないね。だから多分カラミテス」
そんなことを言っていると、ピーヒョロロロ、ピー、プー、と音が旋律を刻み始めた。
するとドン、ドン、と太鼓の音が腹に響き渡り、ペーシャ!ファーチュラ!というような、独特の叫び声が聞こえてくる。そして見えてきた舟の船腹には、どっさりと何かが積まれているのが目に入った。すると作業艀に戻ってきつつあった男も女も、皆大騒ぎを始めた。
あちこちで、金だの銀だのという語が飛び交っている。
いつもは異常なまでに几帳面な物産並べも今日はがさつで、とにかく早く済ませようというふうがあった。夕方の噂コンピュータももう早く食おうぜという話で持ちきりで、全然機能している気配がない。
とくにものすごい大騒ぎになっていたのは子供たちの艀で、何メートルも離れているというのに、イアーファー!などと、もう絶叫している声が沢山。
何を言わんということはよくわからず、しかしその山積みの魚のことを言っていることだけは、やや予想がついた。
「あれ、何だと思う?」
「うーん…わからない。でもものすごい数」
「うん」
するとちょうど、どっさりとシダ種子植物の葉柄を抱えた男が、
「知らねえのか?ドラード・シルバラド(銀色の金)だ。うめぇぞ。」
と、通りすがりに言った。
銀色の金ってなんだよ、というのは、突っ込まないでおこう。
私たちの皿に盛られていたのは、鰭をピンと張った、40センチはあろうかという魚だ。
すこしサケにも似た大きな口、大きな尾のついた、流線形のシルエット。
今まで食卓に出ていた”魚”には手足がついていたり、ナマズのような淡水サメだったりしていたので、久しぶりに魚らしい魚を食べる、と思った。
そして、なんとも、ふつうの魚、というのは美味しそうに見えるものだ。
「ねぇ、なんだろうこれ??」
「アクロレピス…かしら、わかんないけど」
「この類の同定、正直苦手…でも、それっぽいよね」
私もアリアも、その正体が全然わからなかった。
いや正確に言えば、わからなかったわけでもなかった。
私もアリアも、たぶんアクロレピスではないか、と思った。
ーーだが、あとで検討してみたら、どうも違っていて、本当に名前のないものらしい。
すこしマスにも似た、箱型の頭に、いかつい円錐状の歯がずらりと並んだ大きな口。
大きな尾びれの中央には、黒い筋があり、各鰭はほんのりオレンジ色に色付いている。
「ドラード・シルバラド」という名前の由来が、よくわかった。
それは確かに少し、アマゾン川のドラードという魚によく似ていた。
しかし尾はといえば、どちらかといえばサバヒーとかそのあたりを彷彿とさせてならない、V字型だった。
それがなんと、一人一匹だ。
まだ夕方、日のあるうちだった。
酒など出ていないというのに、あたかも、飲み会のように皆で騒いだ。
その、タイルのようにビッチリと覆った鱗を、まるでエビでも剥くかのように引っぺがすと、真っ白な身からふわりと湯気が上がって、真っ赤な石炭紀の夕日によく映える。
ふうふうと息をかけて冷ましながら、口に放り込む。
口の中に一杯の、脂の甘味ときめ細かな身がほぐれた。
骨も軟骨のようなもので、まったく気にならないと言っていい。
「はぁ、ほっとしたぁ…なんか、ようやく村に受け入れられてきた気がする」
口にしながら、そうアリアが言った。
「まったく、どうなるかと思ったよ」
「ヤバかったよね、今思い返すと」
「今もヤバいかもしれないけどね、まあ」
二人で笑った。
「一杯やりたい気分」
「いいねぇ。でも、ないでしょ?」
「ない!多分だめだもん、きっと。知らないけど」
「もう、二人とも。困ったらすぐ頼ってね、もう。私も結構苦労したんだから。」
そう、リリィが割り込んだ。
彼女のほうも昼間はあちこちに向かっていて、私たちと顔を合わせる暇がまるでないくらいの状況である。
ただ、その忙しさ、というのもだいぶ、この社会におけるスロー精神のおかげで引き延ばされているようだ――なにせ、一案件に手を付ける前に2時間話して、終わってから2時間話すらしいので、それでは終わるわけがない。
「へぇ、意外」
そんな村の空気を知っていると思っていたので、心の底から出た言葉だった。
「最初の頃は、なんでもかんでも私のせいにされちゃって。雨が降らないのとかまで。」
リリィは手をひらひらさせながら言う。
すると、つい先日、村から邪険な目で見られていたアリアが割り込んだ。
「なんで雨が降らないのがそういうことになるわけ?私みたいにめちゃくちゃやったならともかく」
するとリリィは空を指さした。
「ほら、飛行機で空に行けるなら雨を降らせることだってできるはずだ、って」
「無茶」
「で、どうしたの、それ?」
「むり、って。でも、なんか灰をどっさりもってきて」
「灰?」
「そう、灰。灰を空からまくと雨が降る、って信じられてるのよ」
「…?」
「山火事の周りに、凄く雨が降るからだって。もう折れて撒いてみたわ。そしたら」
「雨は?」
「降っちゃったのよ。そりゃもう、偶々だと思うのよ、でもね?」
「でも?」
「そしたら、追い出されちゃった」
「え?」
結局この逸話は、説明されてもどういうことなのかわからなかった――
しかし、村とのコミュニケーションとはそういうもの、らしい。
結局よくわからないまま、日がすっと沈むとともにみんな静まり返って、すごすごと居住艀に戻っていった。ここの子供たちもまた、異常に聞き分けがいい。
夜闇はしん、と静まり返って、生き物の時間だった。
「じゃ、行こっか、夜戦」
アリアと二人、頷いた。
*あとがき*
石炭紀の大型条鰭類はよく整理されていません。
化石記録自体はあるのですが、その知名度も研究も進んでいないので、あたかも中層に何もいないかのようなイメージができてしまっています。石炭紀の化石研究が貧酸素条件に見舞われる浅い池沼に限局しがちなのは大きな問題でしょう。後期石炭紀後期、あるいはペルム紀になるまで条鰭魚類は大型捕食者のニッチに入ってこなかった、とするのがかつての見解でしたが、河川や大型の湖沼などではすでに出現していた事がわかってきています。(いまのところ多産する例は知られていませんが、知られている化石の多くが死後に輸送を受けた断片的なものであることからして、おそらく化石化可能性が低い環境を好んだと思われます。)
いずれにせよ、石炭紀における15〜20cm以上の条鰭類は「いたことはわかっているが、化石記録が著しく貧弱」といえるでしょう。
さて、アクロレピスはその数少ない例外で、全身を残した化石が知られています。
しかし、それだけでなく、全身の形態のよくわからない、しかしおそらく概形だけはアクロレピスに似た大型魚が、まだまだ石炭紀の淡水をうろついていたはずです。
なお、初期の条鰭類は軟質類ともよばれてきた(いまではステム・チョウザメ類に限られがちだが)ように、脊椎や”小骨”(筋間の骨群)は軟骨性で柔らかいです。このような形態は現在のチョウザメにもみられます。
*ここではEquisetitesを「トクサ」と呼んでいる。Equisetumに相当する化石種の意です。
*ソビエトロシアでは戦勝記念パレードが晴れになるよう、雲を石灰やセメント、液体窒素などで撃墜していた。記憶としてはそういうことかもしれない。いや、むしろ…




