「ひととして」
最後の工程は、まだ船底から煙と湯気が出ているうちに行われた。
ザァっと注がれたのは、熱湯である。
ジャッキが外された直後の内腔に、「ザァッ!」と勢いよく注がれたのは、大量の熱湯である。
「えっ、樹脂が溶けちゃったりとかはしないんですか?」
「しねぇよ、寧ろちょうどよく伸びて、しっかり裏打ちさせるのさ。」
男は熱気など気にも留める気配すらなく、平然と作業台のレバーを操作している。
熱せられた舟の木材を柔らかく保ち、内側からの水圧によって形状を安定させ、さらにコーキングとして塗った樹脂の層を隙間なく伸ばして定着させる。
非常にシンプルだが、じつに合理的な工法だ。
――素材選びと工法が、見事にシンクロしている。
これが野蛮? 原始的?
冗談ではない。たった三十年でこれだけのことをゼロから発明してのけられる気が、私にはまるでない。
なにせ、スペースコロニーにはコルダイテスは生えていない。
そもそも、木という素材自体を、この星に降下して初めて目にしたはずなのだ。
スペースコロニーで木工が行われているかどうかについては、厳密に調べたことはない。
しかし――ない、と断言していいと思う。
だいたい、木をどこから持ってくるのさ。
さて、この工程に関しては、ただひたすら、待つことしかできることがない。
「いつまで待つんです?」
「湯が水になるまでだな」
そう言われて、私は空を仰ぎ見る。
じりじりと照り付ける熱帯の太陽が、ほおっておいても水をお湯にしてしまいそうだった。
作業艀から見ると、アリアが桟橋をあらかた作り終えた様子で、大きく伸びをしているのがみえた。両腕をぐっと天に突き上げ、胸を大きく反らせる。
ぴたりと密着した服越しにあらわれる、重力に逆らうような豊かな双丘からすっとくびれた腰、そしてしなやかな太ももへと、一続きの曲線。
どこも筋張っておらず、贅肉の一辺もない。
美しく鍛え上げられたその身体には、爆発的なパワーとパッションが込められているはずだ。
美しい、と素直に思った。
少なくとも、私にはないものだった。
ぼんやりと見ていると、横から不意に声がかかる。
「坊ちゃん、あの人をどうするつもりだい?」
振り返ると、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
どうする?
いやいや、どう振り回されるか、の方だ。
突然、「石炭紀行かない?旅費全部もちで」、と言ってくる女だぞ。
こっちがどうこう、しようがない。
返事に困ってしまう。
――あぁ、この村での扱いのことか。
それなら、私が言っても、そう変わるものでもないだろう。
「どうするも何も、って感じです。」
なんにせよ、私なんかに扱えたものではない。
そう諦め混じりに言うと、男は面白そうに片眉を上げた。
「ほう?」
「なんです?こちらから何か言って、どうこう変えられる人じゃないってことです」
「そうかいそうかい、寧ろ、待ってるように見えるけどな」
「はぁ・・・そうでしょうか」
「攻められるときは、攻めてみるもんだぜ?」
「時々は反撃しろってことですか」
男はポカンと口を開け、まじまじと私の顔を見つめた。
やがて、心底哀れむような目で小さくかぶりを振る。
「あのなぁ……」
それ以上は言葉にするのも馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに、男は深すぎるほどの溜め息をついて、空を仰いだ。
「それより、よく知ってるんですね」
「そりゃそうだろ、同じ村のことだからな。だいたいのこたぁ伝わってくるさ」
同じ村。
「ですよね」
そういいつつ、私はそこに違和感を抱かざるを得なかった。
「だいたいその日のことは1日村長が伝えにくるのさ。朝夕の食事どきにな。んでもって、飯食って帰ると忘れるから、忘れんうちに帰るのがきまりなのさ」
…飯食うと忘れることにあまり連関はない様な気がするけど、さておき。
「…正直いうと、違う印象を持ってました」
「違う?」
「あー、いや、なんというか…」
「なんだ?」
「そうですね、その、別の村がくっついて、一緒に生きてるみたいな」
そういうと、男はうんうんとうなづいた。
「そりゃ、あいつらとは違うさ。あいつらも俺たちとは違うと思ってる。あいつらが狩りに行かにゃ、俺たちゃ食っていけねぇ。あいつらも俺たちなしじゃ生活に苦労する。そういう縁さ」
「なるほど…」
そう言って、「食っていけねぇ」と、「苦労する」の強さの違いが気になった。
「苦労する?」
「あぁ、あいつらの集落は何十とあるぜ?俺たちの村は幾つかしかねぇ。あいつらは森の中で、あいつらだけでやっていけるのさ。」
「なるほど…」
「ただな、俺たちもあいつらも、みんな外から来たやつかその二世さ。この星にきてたった半世紀もたってねぇからよ。それに、粒揃いでもないわけよ」
「…そうでしょうね」
スペースコロニー「ノヴァ・ブラジリア」の社会制度がどの様なものであったかはよくわからないが、少なくとも火星の支配下にあったらしいこのコロニーにおいては、そこまで人々の均一度が高くなかった可能性が高い様に思う。少なくともパラーの街を建設した人々とここの人々では、かなり考え方が違うとしか言いようがなかった。
…地球人はどうだろう?正直言って、みんな固まって、同じことをしている気がした。
コロニー開発公社の連中が、いつまでたっても老朽化が進む、しかし「文明的な」工業地帯に集住しているように。
「それで、別れた、と。そこにも歴史があるんですか」
「いや、最初から同じで、違ったのさ」
「同じで、違う…」
「街のやつ、村のやつ、野のやつ、そいつらが適したところに行っただけさ。初めから全然違ったのが、見えるようになった。それだけさ」
「はぁ…つまりあなたたちは村の人、あの人たちは野の人」
「いや、違う。…ちがわねぇか…そういうわけさ。お前たちの方はどうなんだ」
…
また返事に困った。
「違う、ってのは…どういうことなんですか。」
「俺たちが人っつったとき、あいつらを含めちゃいない。あいつらは俺たちをそうは扱わん。街のやつ、野のやつ、あいつらは****だ。」
…なるほど。
全てをわかった気がした。
部族はしばしば、彼らが人、を表す呼び名で自らを呼称し、それらの名で呼ばれる。
逆に言えば、集団においての人の範囲は、Homo sapiensをさすものとしてはあり得ない。
そこには大抵「Homo sapiensだが人ではないもの」の語彙か、概念がある。
そして、人という範囲はたいてい狭く、そして、一般的ではない。
地球のアトラス社会だって同じだ...人として扱われることと、生存が保障されることは違う。
「彼らとは違う」「あいつは」「人として」そう言ったものにはしばしば、「あいつらは人ではない」という、非人格化が含まれている。
人と人間を同格にしてもなお、「人としてどうなのか」や、文化を無視した「人道」なるものが綺麗事として出てくる。それらは全て、人ではない。
その意味において私は、人ではない。
地球にも、ここにも、人として認めるものはほぼいないだろう。
そんな、人ではないものとして、私は、このことに口を出すことはできなかった。
そして、今までも、この旅でも、私が人の名前というものをまるで覚えることができなかったということ自体も、そういうことを象徴しているように思えてならなかった。
事実、今はなしている相手がだれかということすら、私は覚えていなかった。
舟を作る発電艀の男、彼は野の人ではなく、村の人と自称する。ただその村はわたしたちのいる村ではなく、発電艀に限定されるらしい。だから昼も働いているし、さまざまな作業を行う、それ以上には。
「あいつアトラスに参照しないでしょ?」
――突然、会社での悪口がフラッシュバックした。
「なんっていうか、生身の頭で考えてる、って感じ。だから間違ったことばかりするってわけ」
「生身の頭?それって、霊長類?」
――石頭のポンコツAIを御神託のようにあつかう、平均化知性に言われたかないね。
私はさんざん悪口を言われたり、嫌がらせを受けたとしても、彼ら彼女らに恨みを抱いてはいなかった。私にとって、それらは平均であり、無であり、真の意味で存在しなかったからだ。
この村の制度は、少なくとも10年前には完成されていたようだ。
つまり、植民から20年。
では、考えてみよう。
20年ぶりに一緒に育った友人に会ったとする。
彼女なり彼なり、それが槍を持ち、紐同然の樹皮布を腰に一枚巻いただけの裸姿で、体中に泥を塗りたくって、丸木舟を彫ることを男の証だ、などというようになっていたら...
そういう了見の狭さを持たない、あるいは封じ込めておける人々の方が、むしろ少ないであろう。




