夜闇
闇は、沈黙する。
時折水の中で何かがうごめく水音、艀を歩き回る、小さな生き物の足音一つ一つまでもが、耳の裏をこすった。
この艀には夜中、私たち旅のものしかいない。
そして、昼間ここにいるのは、確認できる限りでは妊婦ばかりだ。
私の人を見る目を加味すれば、村の認識としては全てそうである、としか思えなかった。
村の人口が、百数十人かそこらであること、さらに同様の艀がもうひとつあってそちらでも女ばかりが働いているのを遠目に見ると、少なくとも人口の1割かそこらが妊娠しているという、異常な実態が浮かび上がる。そして私たちから厳密に隔離されている子供たちにしたって、学校のような過密な集団生活を送っている艀があることからうかがえるように、その数はかなり多い。幼い子供をより年長の子供が育てているようにも思われた。
――しかし、それが旅人に触れることはまずなく、それゆえに彼ら彼女らがどのように育っているのかは、まったくわからなかった。
昼間、私たちはこの村に、なかなか相いれない存在であろうということを実感させられた。
彼らの労働観も、世界観も、私たちとは大きく異なっているように思われる。
いくら彼ら彼女たちが、訳の分からないブラックボックスを嫌い、こちらが何もかもを開け広げにすること、こちらからも何もかもを開け広げに聞くことを求めているという可能性を提示されようとも、私は彼女たちではないのだから、彼女たちにとっても、私にとっても、お互いはブラックボックスのままなのではないか。その結果が、発電艀の人々と彼女たちの間の、ある種決定的な断絶の原因なのではないか――そのような気がしてならなかった。
それを、この場所で、村の中に「入る」のであれば。
私はどうにも、不安に駆られてならなかった。
隣の区画では、アリアが寝返りを打ったのか、うぅん、という声が聞こえた。
リリィかもしれないが。
よく眠れるな、と思う。
私は…まったくといいほど、うまく寝付けなかった。
そう、この夜の艀にいるのは、私たち女の旅人3人だけなのだ。
村の人々が私のことを、女性として扱ったことはここまで、一度もなかった。
むしろ一貫して男として扱い、アリアの婿としてすら見做した。
しかし、そのような実態から外れたとらえ方をされていることそれ自体が、いくぶん自分で気持ち悪く感じる。
境界にあるもの、間のぼやけたもの、よくわからない者――そうしたものは、この村において忌避されるブラックボックス性に他ならないのではないか。それを払拭されるためには、文字通りその身を開け広げて、その実態をさらけ出すほかないのではないか。
境界を扱うものはある種の特権を持つ――そういう話を聞いたことがある。
古来女装した――いや、女性としてふるまう――男性シャーマンや、その逆もが、集団の中である種独立した地位を持ち、それらはある種高位につくものもいれば、その逆もあったし、悲惨な目に遭うスケープゴートとして扱われることもあったという。
私のような、子供とも大人とも、男とも女ともつかないようなものは、自ら望むか望まないかにかかわらず、そういう側面を帯びてしまう、それは避けがたいことである。
そういうことを考えていたものだから、夜な夜な誰かがこの艀に上がってくるのではないかという不安は、ひたすらに私の目を覚まし続けた。とくに緊張が限界に達しつつあった今夜だけは、誰か交代で見張っていてくれ、そう思った。
別の不安もあった。
舟はほとんど、彫り終わった。内面も磨かれ、最後の水中保存だ。
明日、あの発電艀に運び込んで内腔を広げてコーキング処理すれば、完成…らしい。
ただひたすら煌々と灯る発電艀の灯火が視界の隅にちらつくたびに、舟が無事かどうか、気が気でならなかった。三日かけて彫り抜いた舟が明日行ってみたら、パックリ割れた木片と化しているのではないか――と。
いやいやそんなことは、とも思いたい。
しかし、もしそうなった時を考えると背筋が冷えた。
やや類例を感じるのである。
この村は、どうも古代社会を模倣しつつあるような気がする。
そして古代社会といえば、占いである。
とくに自然な物理現象に意味を見出すものが多い。
さらにその中で、普通ならばそうなるが、なにか超越した存在がそれを拒むの、あるいはそれを許すのであれば免れる、といったものは、かなり強い効果を発揮しうる。
私たちが「ふつう」の製法で丸木舟を作って、しかしそれがもし割れたとしたら、何か超越したものの意思、たとえば精霊からの拒絶とみなされて、私たち自身も追放されるのではないか。
そんな疑念が、暗く、静まり返った艀の中でひどく渦巻いていた。
この村のものたちは、夜中、本当に沈黙してしまう。
酸素濃度30%を超えるこの地では、火はあの発電艀でしか扱えず、電気すらもスパークを起こせば全焼に繋がりうる。だから、艀には個別照明という概念がない。
懐中電灯すら使っているものをまず見ない。
というより、各自緊急時用には持っているが、電池が自給できないので、本当の非常時に備えて普段は使わないのだそうだ。というのを、懐中電灯を使って本当に良いのか、と確認したときに聞いた。
ここでは、人は夜に、闇に、抗えない。
過去3万年、ホモ・サピエンスが生まれてから、そんな時代があったろうか。
私たち現生人類にいたる前の祖先から、火を使うという文化はあったらしい。
だから現生人類というもの自体が、火を使うということそのものに関して、デフォルトであるといえるだろう。私たちは夜目が利かないが、そのぶん光を灯す、そういう生き物だ。
それが、この火が荒ぶる世界では、やすやすと使うことはできなくなった。
人は夜に封印され、ただ静かに、それが過ぎるのを待ち望むほかない。
そこは、どこかスピリチュアルな、現実と幻想の間にある場所になる必然性を秘めている。
そんな時だった。
波間に、小さく細い丸木舟のシルエットが見えた気がした。
シルエットからすると、村の共用カノアではなく、モンタリアであろう。
音はまるでなく、すぅーっと進んでいく。普段の漕ぎ方と、どうも違うらしい。
それにしてもこの真っ暗な中で、よく進めるものだ。
が、私はむしろ、何か現実ではないものを見てしまった、というほうに賭けて、このことは口外しないことにした。もしこれが何かの予兆、たとえば村に旅人を迎え入れるということを嫌った土地の精霊が舟で夜逃げした、とでも読み取られたら、たまったものではない。
そして、もしあれが人であったとして、私たちの艀に忍び込んだとしてもその瞬間までまったく気づくことはできないだろう。
誰も話さず、誰の嬌声もないこの深夜の村でさえ、あれは一切の気配を消し去っていた。
そして、影の間を伝って、その姿すら朧気だった。
私は気が張り詰めて、殆ど一睡もできなかった――
そして、気づかないうちに意識が落ちて、朝になっていることに気づく。




