Dead-end
アリアの方をちらりと見る。
一歩間違えれば、ああなる。しかも、なぜああなるのか、正直言うと全然わからない。
最早資源を無駄にしたとか、そういう理由ですら棄却される。
私はいまや、観察するしかない。
――謎の風習と価値観が、切迫した危機として迫っている。
目の前が地雷原にしか見えなかった。
そんなときだ。
トン、トン…
ふと、桟橋の向こうから、足音が聞こえた。
軽い、しかしどこか急いた、板を踏む足取り。
すこし弾性があるせいで、すこしくぐもった音だ。
そして、キュッキュッという独特の音。
鱗木板の菱形の葉枕が、滑り止めとして靴と擦れるときの、音。
――そもそもここの人は靴をほとんど履いていないから、誰なのかはすぐわかった。
「二人とも、ストップ、ストップ!」
張り上げられた声に、私は手を止めて、ハッと振り向く。
リリィだった。
私は心底、ほっとした。
彼女はとりあえず、私たち以上には村に明るいはずだ。
村からも尊敬されている――昨日からずっと、村のあちこちの修理に追われていたくらいだから。
少なくとも、私たちのようなお荷物組よりは、確実に村のために貢献している。
そして、私たちが何をやらかしてしまったかについても――わかってくれるかもしれない。
「助かった、ちょうど…」
私はアリアの方を振り返る。
まだ、作業を続けている。
ひどい顔だった。せっかくの美貌が台無しだ。
湿ったはちみつ色の髪が、頬や首筋に醜く張り付き、輝きを失った大きな瞳は、ただひたすらに虚しさを映すのみだった。
自動人形のように、ただひたすらに右から左へと腕が往復している。
ナイフが樹皮を裂く「ピシッ」という乾いた音だけが響いていた。
一閃するとともに、灰色の樹皮が削れて、血の色が失せたような白い中身が躍り出る。
それをさっと手に取って、水に漬けつつすっと引くと、中身がきれいに出てくるから、刃を今度は垂直に使って、カンナ掛けの要領で幹側に残ったぶんを削いでいく。
表情は虚ろだった。
「あと21本…ちょっとしくったわ、今日中に片付けないと…」
そう、ぶつぶつと言いながら、灰色の皮と白い中身の山が、うずたかく積みあがりつつあった。
「アリア、ストップ!」
リリィがそう声をかけても、止まる気配が全くない。
「ああなったら、止まらないよ。論文書いてる時のモードだ、ありゃ」
私が乾いた声でぼやくと、リリィは私に険しい視線を落とした。そして、私の耳元に唇を寄せる。「ずっとあんな感じ?」
低く、切迫した声。
「ずっとだよ、手際どんどん良くなってるし、鬼気迫る、っていうか」
リリィは私から目を離し、わざとらしく大きなため息をついた。
「はぁ…まずいね、とっても…」
敢えて聞こえるようにわざとらしく言ったことが、私にすらわかった。
リリィは首を振りながら、迷いなくアリアへ歩み寄ると、その血の気の引いた手首をぱっと掴み取った。
「何すんの!」
アリアがにらみ上げる。
ギリギリと駆動音が聞こえてきそうだった。焦点の抜けた眼が急に行き所のない怒りに切り替わり、リリィをぐいと睨み返す。
「いいからほら、手を止めて!」
「嫌!離して!」
アリアはブン、と手を捻ると、リリィの手は一撃で降りはらわれてしまった。
残ったのは掴んだ後の、少し赤くなった痕だけ。
「だから、もう…一旦、作業を止めて!」
「嫌だってば! 今いいところなの、リズムが乗ってるの! それに……」
「それに何!?」
私の問いに、アリアは叫んだ。
「……もう、こうするしかないじゃない! 失敗したんだから、数で、完璧な仕事で、証明するしかないじゃない!」
彼女は震える手で、また新しい蔓を掴もうとした。その指先からは、小さな血が滲んでいる。
「止まってよ…もう、みっともないからさ……」
私はアリアの手を、そっと両手で握りしめた。
冷たい。
「みっともない、って、なに」
そう言いながら、私の手を振り払う――ことはなかった。
「ねぇ二人とも、周り見て」
リリィはそれを見て、静かに口を開く。
私は言われるままに、作業場を見渡した。アリアは知らん。
白線で仕切られた区画の中には、作業途中の蔓や道具がそのまま残されていた。
みんな、どこにいったのだろうか。
完全に無人、というほどには至っていない。
しかしだだっ広い艀の、柱4,5本ほど向こうまで距離をとられている。
おおよそ、20メートルくらいか。
その空白地帯には、誰一人として足を踏み入れようとせず、背中を向け、まるでそこに何も存在しないかのように振る舞っている。
「……いつから」
私の声が震えた。
「ケイも、気づいてなかったんでしょ」
返す言葉がなかった。
「みっともない」と口に出した自分の言葉が、呪いのように耳の中で反響する。
それ以前に、そもそもみっともないとみられる相手がいないと、なぜ気づけなかったのだろう。
そう言ったそばから、冷や汗がどんどん出てきて、目の前が青暗くなり、心臓が深く底に落ち込むような、ズンという不協和音を立て始めた。耳の奥で、鼓動が聞こえてくる。
あぁ、終わった。
もうとっくに、愛想を尽かされてしまっていた、というわけか。
きっと、村に受け入れるには失格、と判定が下されてしまった後だったのだろう。おそらく。
引き継ぎもなく入れ替わった、以心伝心だなどと思っていたのは、とんだ呑気だった。
たぶん、ありゃダメね、などと目配せで伝え合いながら、もう見る価値もなし、という意味だったに違いない。どうせほかの艀に集まって、私たちをどう弾劾するか、あるいは追放するか、という算段に及んでいたのだろう。
「もうとっくに、詰んでた、ってわけね。デッドエンドだ、こりゃ」
私がぼそり、とこぼすと、アリアの全身からふっと力が抜けた。
ようやく、彼女の手が止まる。
アリアは憑き物が落ちたような顔で、呆然と周囲を見回した。
その足元には、彼女の焦りと恐怖が形を成したような、異様な数の蔓の死骸がうずたかく積まれている。
「……あたしたち、すっかりのけ者ね。最初から、邪魔者だったんだわ」
「そうじゃない」
「じゃあ、何なのよ!」
アリアはバッと立ち上がった。
剥き出しの肌に付いた木屑が、彼女の激しい呼吸に合わせて震えている。
いまやリリィを上からにらみつけている――リリィを射抜くその瞳には、怒りと、それ以上に今にも壊れそうなほどの困惑が混じっていた。
「どうせヘタクソだって笑ってたんでしょ!? あのよそ者、ほんっと使えないって。だから距離を置いてるんでしょ!」
「いいから、落ち着いて」
「籠もめちゃくちゃにして、縄もブチブチ切って! ガサツで、大雑把で、もう……使いどころがないって、そう思われてるんでしょ!?」
アリアの叫び声が、無人の区画に空しく響き渡る。
「蔓にしたって……いくら完璧にやったって、あたしがやることなんて誰も評価しない。認められる前にやめたら、本当にもう終わりなのよ。だから……!」
「そういうことじゃないわ」
「わかってない! 私は、精一杯……! ようやく、これならって思える方法を見つけたのに……! もう手遅れなの? こうなったら、全部終わらせて、見せつけるまで……!」
彼女はまた、泣きそうな顔で蔓に手を伸ばす。
「だから、そうじゃない!ただ、いったん止まって!」
「リリィまで……あたしを、追い出そうっていうの?」
アリアの声は、最後は掠れた子供のように震えていた。
「そういう話じゃないの」
「違うっていうなら説明してよ! じゃあ、どうすればよかったの……何が正解だったっていうの!」
それはこっちの台詞でもあった。
「村の人たちは一体どこをどう評価してるのか、わからないんだよ。」
私はついに、不安を正直に吐露した。
「何か作業をやらせて、それを通じて私たちが村の信用に足る、村として受け入れるのに足る人物なのか試して観察してるんだと思ってやってたんだけど、どうやら禁忌を踏みまくってしまったみたいだ。」
「禁忌?」
リリィが聞き返す。
私はここまで考えてきたことを一気に吐き出そうとして、その咄嗟の言語化の難しさに直面した。
「わからないけど、たとえば…私たちは行動の予測がつきにくい、とか。言われたとおりの同じ作業じゃなくて、アレンジを加えてしまう、あるいは…手順から逸脱してしまう…村には場違いな、汚物だったんだと思う、ここで汚いっていうのは衛生じゃなくて、場違いだってこと、分類されてなくて得体のしれない異物ってこと――この村は外からの物品に厳しいだけじゃなくて、外からの技術や、方法にも厳しいんじゃないか、って。だからそもそも、外からの荷物と行動と知識を持てば持つほど村にとっては危険になる。この村だと舟がないと艀から艀にも動けないし、舟ができるまで村に認められない、となるともうこうなった以上、ボクたちは、旅を続けることがもうおそらく…」
絶望の淵で言葉が途切れた瞬間、ぎゅっと、温かく柔らかな衝撃が私を包み込んだ。
私はリリィに、ぎゅっと抱擁されていた。
「大丈夫、大丈夫。そんなことじゃないから。」
汗ばむ熱帯の暑さと湿気の中、リリィの体温が、場違いに冷たくなってしまった私の全身につたわっていった。
「…なによ」
アリアの手は、剥き終えた蔓の束をぎゅっと握りしめて、もう真っ白だ。
水に浸された蔓から、ぽたり、ぽたり、と水が滴り落ちている。
肩が震えている。
あれはまずい、ものすごく機嫌が悪いサインだ。
「うん、わかってる。わかってるから。まだ大丈夫。」
そう言い残して、リリィはふっ、と唇を閉じた。
私は解放された。
張りつめすぎていた緊張が急に解けたからか、あるいは風か何かで艀が揺れているのか、足元がおぼつかなくて、へなへなと床に崩れこんだ。
アリアよりずっと柔らかかった、と、場違いなことが一瞬、頭によぎってしまった。
最近本当にどうかしてる。
風が蔓を揺らす音だけが、妙に大きく聞こえていた。
「……あなたたちはいいわよね」
アリアの言葉だけが、ぽつりと響いた。表情はまだ険しい。




