作品作りを作為的にやる場合、同じ言葉周辺の連想だけでは面白くないんじゃないか?
『連載・浄見』で連載中の「追憶の扶桑樹(ついおくのふそうじゅ)」のテーマは『桑』で、作品内にできるだけ統一感があれば、面白いんじゃないか?と考え、書いてみた。
ただし『桑の木を扱うからって、その周辺の連想ばっかりでは納得感は低いのではないか?』という疑いは残る。
桑→扶桑国は日本の別名→神木、とか
桑→蚕→白い糸、とか
桑→桑中之喜→逢引き、とか
神木→穢す→呪われる、とか
神→帝、とか
できるだけ連想に絡む出来事を多く書けば、脳内で繋がりが多くできて、『面白い!』が発動するかと思ったが、そんなに単純ではないだろう。
それに、主目的のひとつ『感情を引き出す』ことは、連想ゲームだけでは無理な気がする。
だからって、過剰に書けば感情が乗るか?と言えば逆に『大げさな言い回しは臭いなぁ』と冷めることもある。
『熱量』が全ての面白さの素じゃないかと思うが、その表現方法として、『過剰・大げさ』は自然とそうなるならアリだが、無理やりすると鼻につく?
『熱量』が自然に発露すればいいが、そんなものを待ってられないので、作為的にするとすれば、『どのように技巧を凝らせばいいか?』という問題に帰着する。
思いつくまま列挙。
・過剰に表現する。言葉を装飾する。
例えば、「彼女が死んだ」というところを「彼女の瞳は光を失い、その美しい唇から息吹を感じることはできなくなった」
・形を変えて同じことを繰り返す
例えば、『覗き見』『盗聴』『後を付ける』などの『監視』や、『身を呈して守る』『批判の矢面に立つ』などの『自己犠牲』、は『熱愛』を表現できる。
・周辺から核心に近づく
例えば『桑』のことを『扶桑』、『蚕の食べ物』、『逢引きに使われる場所』、『厄払いの弓の材料』『実には血糖値を下げる物質が含まれている』『神木』など
・他の分野の似た事象を比喩として使う
例えば、性格の『外面』と『内面』を表現するために肉まんの『まんじゅうのがわ部分』と『肉餡部分』に例えて、「表面上の付き合いだけで本音を見せない」ことを「あの人は『がわ』が厚くて『肉』が見えない」とか。
・喜怒哀楽の感情が動いた場面を思い出して当てはめる
例えば、『自分より楽器を上手く演奏できる人を見て、凄いな!自分にはできないな!かなわないな!と思った』という経験を、登場人物が劣等感を持つ場面で当てはめて表現。
・理性を失うなど、熱量のあまり異常な事が起きる
例えば、『好きな人の前で緊張してうまく言葉が出ない』という経験を当てはめて表現。
これを全部やったからとて、面白くはない気がする。
『上手くやる』のが大事だと思うが、その『上手く』はどうすればいいの?
『上手い作品』とはどんな作品?
思いつくだけ列挙
・意外性がある、予想外の着地?
・万人の頭の中にあるが、まだ形になってない概念を表現している(脳の空白を埋めるものを見つけ出すこと)
・真実・真理である(少なくとも現在はそう見える。未来には修正されているかもしれないが。)
・すでに熱狂してる人がいる(時代の流行り・空気を掴んでる最先端の人?が飛びついているものは以後ヒットする)




