今日日(きょうび)、「私は学生時代、一日十数時間勉強して東大に入りました」的な苦労話は素直に感心できない
立身出世物語でよくある、
「若いころは汗水流して、朝から晩まで働きました。」
「ブラック企業でしたが、仕事をおぼえるまで一日十時間労働でも苦になりませんでした。」
「厳しい部活の練習に耐えることで、努力が結晶化し、準優勝できました。」
「あの頃の厳しい指導のおかげで今の私がある」
などの武勇伝、立志伝(志を立てて、苦労と努力を重ねた末に成功した人の伝記)、 を聞いた時の感想は、正直
「我慢や努力をし続けることができる『根性』という才能があって羨ましいですね」
だけである。
マイケル・サンデルなど多数の著名人も言及しているが、
『根性がある』『我慢強い』も『知能が高い』『運動能力が高い』『身長が高い』『容姿が美しい』と同様に、天賦の才(遺伝子で決まってる)なら『一日十数時間勉強し続けられた』とか、『練習し続けられた』とか、『罵詈雑言に耐え続けた』とか、『緊張状態に耐え続けた』とか、それらは『私美人でしょ』とか『そんな問題も解けないの?』とか『160㎞の球投げられないの?』という嘲笑・侮蔑を投げつけられた時と同じ感想を持って何が悪い?である。
『努力する能力・根性』だけは知能や運動能力とは違って、『人類平等に与えられている』と思ってた純真無垢な昔の人は『スポ根』もしくは『戸塚ヨットスクール』方式で何でも上手くいくと思ってるようだが、さすがに現代人はいないよねと言う話。
ま、同時に、『何でも運命で決まるんだから、チョット挑戦してできないものは、頑張っても無駄!!』と虚無主義ですべて押し切ろうとするのも、何の希望も無いのでいかがなものかと思う。
ただ、『できるだけ頑張ろうという目標ぐらいでは、目に見える壁すら乗り越えられないのか?狂信的に自己破壊的な努力をしなければならないのでは?』という疑惑と焦燥にとらわれているのも確か。




