AIに負けたから創作をやめる、と言う人がいましたが・・・
「AIに負けたから小説書くのをやめる!」
という人がいましたが、これに対して思ったことを書きます。
まず
『今後、小説の8割がAI小説に代替される=8割の人がAIに負けるだろう』
という予測があるそうです。(9割?だったかしら?)
小説投稿サイトでAI作品が書籍化までこぎつけた(未遂?)昨今、すでに8割の人はAIに負けているということです。
その中で、AIに負けたからうんぬん、と言うってことは
「じゃ、今まであなたは小説を書く人の中で上位2割にいるという自信があったんですよね?
どこからその自信がきたんですか?
何か実績があったんですか?
偉い批評家に褒められた経験があったとか?
何かに入賞したことがあるとか?」
と聞きたくなりました。
AIの実力(?)を甘く見てただけ、かもしれませんが、イラストで生成AIに負けることは当たり前になってきた世の中で、小説だけが、『人ならだれでも生成AIに勝てる』時代じゃないと思います。
というか、そもそも、小説に何を求めてるのか?イラストに何を求めてるのか?がはっきりしていれば、それを狙ってAIで作ってみて、ヒットすればその狙いが正しいことが証明され、利益を得られる時代だと思います。
つまり技術的な格差がなくなり、発想だけで勝負できる時代かなと思います。
「自分のやりたい創作は、発想ではなく技術である!」
とおっしゃるなら、AIに負けて終わり、もうできることは何もない、かもしれません。
厳密に言うとそうではなく、新しい技術を開発すればいいだけですが。
技術が無くて自分の思い通りの作品が作れなかったけど、発想は腐るほどあったからそれを形にできて発表できるようになって嬉しい!楽しい!と言う人が出てくることは別に悪いとは思いません。
創作は完成品を世に出すことが目的の一つかもしれませんが、創作の最中の自己満足も大きい喜びの一つだと思います。
別世界に没入できる楽しさは、他者の作品を読んだ時の比にならないと思います。
きちんとそれを他者に向けて伝わるように説明・表現できる人が、評価を得られる人だと思います。
感性に個人差がある『共感』だけは、技術が上達しても得られない場合はあると思いますが。
それ以外の論理的・客観的なノンフィクションのような楽しさ・面白さは伝わると思います。
「だからそうしろ!」というわけではなく、
「書いてるだけで楽しいと思えるものを書けばいいんじゃない?」
というのが結論です。
「究極の自己満足でいいんじゃないの?」
とつい思ってしまいます。
「できれば他人に楽しさを共有してもらいたいから、わかりやすく粒だてて書こう!
ここを強調して書けばいいかな?
強調するためにはその前はこの方がいいかな?
緩急をつけるためにはここを緩くしておいて・・・」
とか、作品ごとに試行錯誤して、読んでもらえるだけでもありがたい!と思えるかどうか、が続くかどうか、かなと思います。
私の場合『加速度的に緊張感を増す』とか、『これを狙った効果がここで出る』とか、やりたいけどやれてないことがまだまだあるので、モチベーションが続く限りはやるつもりですが、めんどくさくなったら更新は止まると思います。(当たり前ですが)
何にしても、楽しめなくなったら休むのは当たり前で、それに対してケチをつけるつもりはないんですけどねぇ。




