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8 人魚姫の子守り



 海神様には人間の足がある。とはいえ此処は海の中。

 玉座から立ち上がると海神様は足をとん、とついて、すぃーと僕の方に近づいてきた。

 僕の横を通り過ぎざま、「着いてこい」と言う。

 そのまま玉座の間を出ていこうとするので慌てて後を追う。



 壁面の彫刻が美しい回廊を二人で流れるように進む。


「あ、あのっ」


「……なんだ」


「世話係って? 海神様のお子さんですか?」


「そうだ。が、母親はいない。貴様が世話をしろ」


「僕のこと、ヴルスラさん関連で疑ってるんですよね? そんな相手に任せていいんですか?」


 僕の言葉に、海神様は首だけで振りかえった。

 金翠の瞳が僕を見下ろす。

 

「……よい」


 また視線を前に戻してすいすい進んでしまう。


 疑わしい相手に自分の娘を任せるってどういうこと? 母親がいないとは? と思ったが海神様にはあれもこれもと質問できる雰囲気はない。


「海神様」


「……今度はなんだ」


 しかし、これだけは言っておかねば。


「お聞きになってると思うのですが……僕、男なんです」


「……今の貴様は女だ」


「中身は男なんです。しかも十五歳、一人っ子です」


「……」


「女の子のお世話なんて、自信ないっす」


「……」


 海神様がぴたりと止まった。僕も隣で止まってふよふよする。


 海神様は僕をじっと見下ろして


「蛸の雌は愛情深く子育てをする……」


 と呟くように言った。


「え、ヴルスラさんもそうだったんですか?」


 ヴルスラさんに子供がいたのか? だとしたら僕は子どもから母親を、奪って……。


「いや、ヴルスラに子などおらぬが」


 な、なんだ。よかった。


「一般論として、蛸のメスは献身的な母親になる。そういう生物なのだ。だから貴様も大丈夫だ」


 海神様は妙に早口に告げたかと思うと、おもむろに僕の蛸足の一本を左手で掴んだ。


「え? ……ゔぁっ!」


 そのまま先程よりもスピードを上げて進み出す。掴まれたままの僕は、お正月の凧上げの凧よろしく上半身が振り回される。


「ちょ、ちょ、やめ、やめて、自分で歩き(?)ますから」


「……」


 全然離してくれない。ならば仕方がない。


「……!」


 僕は掴まれていない、残りの蛸足を全て海神様の腕に巻きつけた。

 さらに、二本の人間の腕でも海神様の肩の辺りにしがみついてやった。


 海神様が目を見開いて僕を見ている。めちゃくちゃ至近距離で目が合っている。

 女子だったら、こんな美形と見つめ合って平常心でいるのは無理だろう。赤面、発汗、挙動不審になるに違いない。


 しかし僕は男なので、イケメンだなぁとしか思わないのだ。

 こんな綺麗な顔を間近で見る機会なんて、そうそうない。せっかくなので、じっくり鑑賞させてもらった。


 鼻筋が通っていて、形の良い唇。表情が乏しいのが勿体無い。

 けれど笑顔を振り撒くと人に囲まれて大変なのかもしれない。ここまで自分と海神様以外、人型の生物は見ていないけれど。


 翠の瞳はよく見ると虹彩に金粉が散っていた。それでたまに金色に見えたのだ。

 

 宝石みたいだな。ぽけっと見惚れていると、


「……貴様、恥じらいはないのか」


 ぼそっと海神様が言った。


 そんなことを言われましても……。


「だから、僕、中身は男なんですって」


 「ちょ、べたべたすんなしー」みたいなノリはあっても、男同士でくっつくことに恥じらいなんてない。


 でも、今は体が女の子なんだし宜しくないって言いたいのかな。

 ギュンジウェラさんはくっついても何も言わなかったのに。なんなら吸盤で張り付かせてくれたのに。


「離れた方がいいってことですか?」


 なら貴方が握ったままの僕の蛸足も開放してほしいのですが。


「……別に、構わない」


 そう言ってまた、すいーと進み出した。

 どうやら、しがみついたままで良いらしい。楽ちんだ。


 ……先程まで、親しみやすさ皆無。話しづらいと思っていたけれど、海神様は見た目で誤解されるタイプなのかもしれない。


 お喋りが得意じゃなくて、無表情だから勘違いしていたけれど意外とスキンシップはオーケーなタイプ?


「海神様、海神様」


「……なんだ」


 こっちは見ないけれど、ちゃんと返事をしてくれる。


「海神様のお名前って聞いてもいいですか? 失礼ですか? あ、僕は」


「イブキユキ」


 エビさんから聞いていたらしい。


「あ、イブキが苗字でユキが名前です」


「ユキ?」


「ですです!」


「私は……」


 ちらりと金翠の瞳が僕を見た。


「……ネーレと呼べ」





 進むスピードを少し落としてくれたので、ネーレ様に色々話しかけた。


 伊達にクラス全員で缶蹴りしたり、色鬼したりしていた陽キャクラスの一員だった僕ではない。遠慮などしなかった。


 娘さんはティティスちゃん。五歳。

 お母さんは彼女を産んですぐに城を出て行った。何故かは知らん、とのこと。男女の仲のことなんて僕につっ込めるはずがないのでこの話は終了。


 海は支配階級である数少ない人魚たちが治めている。その全てを統括する一番偉い存在が海神様であるネーレ様らしい。


 そして、なんと『僕がヴルスラさんの何らかの企みに関係した存在なのではないか』というのは口から出まかせだったらしい!


 ティティスちゃんの子守りを頼めるような人魚が近隣にいないので、どうしても僕を逃したくなかったのだとネーレ様はぼそぼそと言った。


 それなら素直にそう言ってよ! と思わず絡ませた蛸足を絞めあげて怒ってしまった。

 いま、ここにいる僕は作られた存在なのではないか。ある日急に消滅、またはヴルスラさんに戻ってしまうのではないか、と怯えていたのに。


 ネーレ様は怒られたことに驚いたような顔をしていたけれど、小さな声で「……すまない」と謝ってくれたので蛸足は緩めてあげた。


 それにしても、別の地域から出張を頼むことも難しいほど人魚は希少らしい。


 魚やエビなどの魚類の臣下はいるけど、同じような人魚(僕は蛸だけれど属性としては人魚らしい)がいるなら逃す手はないと思うのも無理はないのかもしれない。


 小さい女の子のお世話なんてしたことはないけれど、この世界で一人で生きていくのは不安だし、ちょうど良かったと思うことにしよう。


「わかりました! やってみますよ! ティティスちゃんが僕でも良ければですけど」


 僕がそう言うと、ネーレ様はぱっとこちらを向いた。また至近距離で見つめ合うイケメンと僕。

 ネーレ様は何も喋らないが、金翠の瞳は雄弁だった。


 『嬉しい』


 出会って間もないのに、顔を見たらネーレ様が何を思っているのか分かるようになってきた。

 最初は無表情で怖いと思っていたのに。人を見かけで判断してはいけないということだ。


 ネーレ様はなかなか分かり易くて可愛い神様だなぁ。

 不遜にも僕がそんなことを思ってにこにこしているとネーレ様の右手が、ぬっと僕の顔に近づいてきた。


 流石に不敬だったか!? っと焦った次の瞬間。

 

 その手は、ぽんっと僕の頭の上に優しくのせられた。

 頭の丸みにそって、ゆっくり撫でられ、またのせられ、撫でられて。


 こ、これは頭撫で撫で。

 僕は女子じゃないからきゅんきゅんはしない。

 しないけれど、怒涛の展開に疲れていた心がじんわり温まった。





 

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