7 海神
では謁見の間へ、というときになって僕は重要なことを思い出した。
僕の恩人、シャチさんのお名前は!?
「シャチさん! 僕、イブキ ユキって言います! 名乗りもせずごめんなさい! あのあのシャチさんのお名前聞いてもいいですか!?」
「おう、俺はギュンジウェラってんだ」
「ギュンジウェラさん!」
すごい名前だ。忘れないように手とかに書いておきたい。ギュンジウェラ、ギュンジウェラ、ギュンジウェラ。よし、覚えた! ……はず!
頑張れよイブキユキー。とヒレを振ってシャチさん改めギュンジウェラさんは明かりの届かない海の暗がりに消えて行った。
周りには高官らしい大きな魚やらエビやらがいて賑やかなのに、一人ぼっちになったような気持ちになった。
心細い。
いやいや、ここまでギュンジウェラさんに助けてもらったんだ。頑張らねば。それに今まで怖い目にあったりしてないし! この世界、もしくは海の世界は日本より治安がいいのかも。
などと思っていたときが僕にもありました。
海神様は玉座で僕を待っていた。
美しい血のような珊瑚で装飾された最高級の玉座。
そんな至宝も霞む、壮麗な男性が鎮座していた。
くせのある黒い髪、瞳は翠色だが、光の加減だろうか? 金にも見える不思議な目。大柄で逞しい体つきが一目で分かる、ぴたりとした衣服も高級そうだ。
そう、彼は人間離れして美しい、ということを除けば上半身も下半身も丸きり人間だった。
ここに来て初めて接する人らしい人だった。
しかし、親しみは皆無だった。
上段から見下ろす眼差しは冷え切っている。静かなるプレッシャーが凄まじい。今まで不思議とまるで感じなかった水圧の全てがこの空間に凝縮しているとしか思えない。僕の体は凍りついたように固まっている。
ただ、これが神の威厳というものなのか、彼がめちゃくちゃ不機嫌なのかは分からなかった。
「……」
「……」
全然喋ってくれない。顔はこちらを向いているけれど、いまいち視線が合っているかも分からない。
エビさんに教えられた簡単な作法では、海神様から声を掛けられるまで、こちらが口を開いてはいけないらしいのだが。
蛸足なりに跪いて待った。
ちなみに後から知ったが、顔を上げるのも声を掛けられるまで駄目だったらしい。中学生男子たる僕は知る由もなかった。
「……貴様が」
しゃ、喋った。ぼそりと低い声だったが、不思議とよくとおる声だった。
「ヴルスラではない確証が持てぬ」
なんですと。
「ヴルスラは小物ではあるが狡猾な魔女。変化し、自分すら騙し、何らかの時を待っているのやもしれぬ」
僕は僕を僕だと思ってる。それすらヴルスラさんの創り出した感情で、僕という存在は紛い物?
なんて恐ろしいことを言うんだ。
「魂喰いの反撃にあった場合、身体は魂の形に成る」
「……?」
「以前の己とは姿形、性別まで変わるというのは術の性質上あり得ぬ」
「……?」
「異世界の存在を召喚することは不可能ではないが、異世界の人間を魂喰いすることは限りなく不可能に近い。術が反発する。それを抑えようとしたところで」
「あ、あの!」僕はつい声をあげた。神様の話を遮るのは不敬だったかもしれない。しかし、分からない話をどんどん進められては困ってしまう。「お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
怒っていない、というより今、僕の存在を思い出した、みたいな雰囲気。ようやく海神様と目がしっかりあったように感じた。
「本来なら僕は中学生男子の姿でここにいるはず、ということでしょうか」
「そうだ。お前はヴルスラに捕食されかけ、逆に奴の魂を喰った。身体は勝者の魂に沿ってかたちを変える」
「僕は元の身体に、元の世界に帰ることはできないのでしょうか」
ギュンジウェラさんも誰も帰れると言わなかったから無理だとは思う。でも海神様は色々詳しいようだったから駄目で元々聞いてみた。
海神様はしばらくじっと僕を見てから言った。
「無理だ」
がっくりと肩をおとす。いや、半ば分かっていたことだから……。
「魂喰いの術はまず対象を絶命させ、魂を身体から乖離させるのだ。だから反撃に成功した場合、術者の肉体を奪うしかない。」
絶命。……いや、見てたから知っている。吉田先生、救命措置頑張ってくれてたなぁ、みんな名前よんでくれてたなぁ……。
しかし、気になる点がある。
僕がヴルスラさんの身体を乗っ取った時点で、その肉体は、以前の僕の姿に変化するはずだったらしい。
もし、そうなっていたら後は元の世界に帰る方法を探せばいいだけだったのに。何故、僕は謎の女の子の姿になってしまったのだろう?
「被召喚者が元の世界に帰った前例はない。仮に帰ったとて、お前の本来の体は荼毘にふされている。どう己を証明する?」
それは遺伝子検査とかでどうにか出来ないのかな、と思ったけれどそもそも帰った人、いないんだ……。
海神様は淡々と続ける。
「本来、魂喰いと、召喚術は併用できるようなものではない。ヴルスラが意図した事態だったのか、なんらかの不測の事態だったのか。貴様に起こっているのは前例のない現象だ」
僕に何が起こったのかは分かったが、海の神様にとってさえイレギュラーな状態ということだ。
うつむくと、柔らかそうな白い蛸足が海水の中、揺蕩っている。
「……ちなみに、貴様はヴルスラの肉体に刻まれた魔力、術式を自分のものにできる」
僕が落ち込んでいるからだろうか。海神様が急に利点をあげた。
でも、申し訳ないけれど……だ、だから? と思ってしまった。
この世界で名を挙げたい人はいいだろうけど。突然異世界に連れて来られて、そんな野望抱く人いるのかな。戦国武将とか?
「僕はどうしたらいいのでしょう」
単刀直入に聞いてみた。
僕の存在はヴルスラさんの何らかの企みの可能性がある、と最初に海神様は言っていた。なら、僕自身に身の振り方を決める自由はないだろう。
海神様はなぜか金翠の瞳を僕からすすす、と逸らした。
「貴様を監視する。百年ほどでいいだろう」
「な、長過ぎませんか!? 無事に解放されてもよぼよぼのお爺ちゃんなんですけど!」
あ、間違えたお婆ちゃんか。
つまり死ぬまで監視されるということだ。そんなに僕って疑わしい存在なのか。自分の存在が揺らぐみたいでショックだ……。
「我らにとって百年など瞬きの間だろうに……」
え、今怖いこと言われたな。
「貴様は今日から我が城ですごせ」
え?
「娘の世話係をせよ。よいな」
海神様は妙に矢継ぎばやに告げた。




