6 海底の城
シャチさんに蛸足で張り付いての海中移動。
ほんの数時間前まで普通の中学生男子だった僕としては、正直すごくたのしかった。
大きな体は海流なんて関係なく力強くつき進む。たぶん僕に遠慮してくれているだけで、シャチさんの全力はこんなものではないのだろう。余裕を感じるスイミングでどんどん進んでどんどん潜って。
どれくらい経っただろう。
目の前には明るい海底都市が広がっていた。
太陽光なんて一筋も届かないはず。それなのに何故明るいかというと、建物自体が淡く光っていた。
中央には巨大な城があった。城は象牙のようなつるりとした白色で、そこに赤、桃、黄色など色とりどりの珊瑚が野生的に、しかし美しく調和して生い茂っている。城の裾野に民家なのだろうか? 統一した丸っこい白い小さな建物が建ち並んでいる。
それら自体が全てぼんやり明るいのだった。
そこに熱帯魚のような派手な色の小魚の群れや、銀色に光る細長い魚の群れ、海月や亀など、様々な海の生き物が泳ぎ、行き交っている。
僕は見惚れて声も出せない。
自分の変質、シャチとの会話とファンタジーな展開が続いていた。しかしここにきて、今までの現実ではあり得ない景色を見たことで心の底から自覚した。
僕は別の世界に来てしまったのだと。
いよいよ、はらを括らねばならない。
誰の庇護もなく、僕は一人で生きていかなければいけないのだ。不安がひたひたと心のうち側に浸水してくる。
できるだろうか? 義務教育も終わっていなかったのに。
でもこれが現実なのだ。どうにかするしかない。
シャチさんは街並みの上をすいー、と泳いで一息に城の前に降りたった。
巨大なシャチさんに、門番らしい4匹のシュモクザメがなんだなんだと狼狽えているが、話しかけてはこない。
「ついたぜ。ここから先は俺は入れないんだ。一人で大丈夫か?」心配そうな声のシャチさん。「俺の体がもう少し小さかったらなー、入れるんだけどなー」
「ううん、連れてきてくれてありがとう。というか、シャチさんに会えてなかったら、僕どうしていいかも分かんなかったから」
本当にシャチさんに会えたのは幸運だった。不安はあるが、自分を保っていられるのはシャチさんがいてくれたからだ。
この世界で最初に出会ったのがシャチさんで本当によかった。
「シャチさん……ありがとうございました」
万感の思いを込めて僕は頭をさげた。
「お、おいおい……やめろよー」照れたように体をぐねぐねさせるシャチさん。
「いえいえ、ほんとに」
「え、ちょ、やめてやめてー」
「あ、あのう」
と、困惑した声が。
シュモクザメのうちのひとりだった。
「城に何か? あと、そちらの方、お身体の大きい方は物理的に城に入らないので、代理人をたてて頂かなければいけないんですが……」
「あ、すみません。用事があるのは僕だけなんです」
「本日はどのような用向きで」
病院の受付みたいに軽く聞かれた。
本当にこの建物はお城なのか。なんか、もっとフランクな公共施設みたいだな、と思いながら答えようとして。
ここはなんと伝えるべきなんだろう、とかたまる。
「いやー、異世界からやって来た中学生なんです。あ、中学生ってわかります?」とか言ったら、海神様に会うんじゃなくて病院行けって言われるのでは……。
あのそのえっと……とモゴモゴしているとシャチさんがずいっと僕に頬を寄せて言う。
「この子、誰だと思う?」
突然のクイズ。
「え、なんですか、有名人なんですか。」とシュモクザメさん。「すいません。自分、そういうの疎くって」
「え、アイドル?」
「いや、こんな子いないですよ」
「ドルオタのお前が言うならそうなんだろうな」
残りのシュモクザメさんたちも集まって来た。
「え、てか、ちょ。かわいくね」僕の顔を覗き込んで言う、ちょっとチャラい感じのサメ。「君名前なんていうの? どこ住み?」
この「どこ住み?」て異世界でも言うんだ。というか、これ言われて自分の住んでる場所教える女子っているのだろうか。
「ちょっと先輩やめてくださいよ! すみません! 相手しなくていいですからね?」
僕がどう答えたものか悩んでいると、すぐに別のサメがナンパザメくんをどついた。
「先輩、まじありえんですよ! こんな人普通ナンパします? 釣り合うとか思ってんですか?」
「鯵がイルカをナンパするようなもんだぞ」
止めてくれたのはありがとうね、と思うものの、そこまで言わなくても。あともうひとりの言ってる例えはよく分からないな。
僕がサメたちのやり取りに気を取られているとシャチさんが「はいはい、注目!」とヒレを振った。
「やっぱり分かんないよな。この子、ヴルスラ」
とシャチさんは軽い感じで言い放った。
すると、一瞬の静寂の後、
「えっ、えー!!!!」
と騒然となった。
そこからは喧々諤々。
シュモクザメさんたちがひとりを残して何処かに飛んでったと思ったら、すぐに上役と思しき存在をぞろぞろ連れて戻って来て。
その場でシャチさんが僕に起こったあらましを説明してくれて、僕にも軽い質疑応答。
とんとん拍子に王様もとい海神様のもとへ、という流れになった。
「えー、あのおっそろしい魔女消滅したんだー。よかったー。」
「若い女の子とか特にカモにされてたよな」
「しかも、代わりに誕生(?)した魔女がこんな美しい方なんて……」
シュモクザメさんたちがしみじみヴルスラさんの死を喜んでいる。ドルオタザメさんはチラチラ僕を見て、目が合ったか? と思ったら「きゃっ」と震えたり、また僕を見たりしていた。
中身が男子なことは、シャチさんの説明を聞いて分かっていると思うけど、もしかして魚類はあまり雌雄を気にしないのだろうか。
しかし、ヴルスラさんは本当に恐れられ、忌み嫌われた存在だったみたいだ。
僕は気づいたらここにいて直接ヴルスラさんとやり合った記憶がないから、彼女に悪感情はなく、逆になんだか罪悪感めいたものが湧いてしまう。
とりあえず、僕だけでもヴルスラさんを追悼しておこう。胸の前で手を合わせ、目を閉じた。
――ヴルスラさん、どうか安らかに。
祈りを終えて瞼をあげると、そこにいたシャチさんを除く全員が、僕の方をうっとりしたような目で見つめていた。
「え、あの……」
なんだとなんだと慄いていると、ドルオタザメさんがぽつりと呟いた。
「……いい」
……なんか、よく分からないけど、怖い、かも。
……女子って大変かも。
学校で休み時間の度にドッヂボールの鬼と化していた桜坂も、毎日メイクしてきて毎日担任にコットン片手に追いかけられていた矢作さんも、頑なにラノベで読書感想文を書いていた塚本さんも。今まで出会ってきた女子みんなにもっと親身になれたのではないか、と僕は思いを馳せた。




