18 由貴の母親
自分自身をくまなく調べた。
食べた魂はどこにいくのか。
どこにもいけるはずがない。
僕のなかに、雪が降りつもるように重なっているはず。では掘り起こし、取り出すことはできないのか。
懊悩する僕を見ていた友人は、僕を愚かだとわらった。
正当な取引だった。
お前は何も悪いことをしていない。
魂を取り出して、輪廻に戻す? 意味があることなのか?
生まれ変わったときには前世の記憶はまっさらになる。お前が救いたかった人間とは別人になっているのでは?
最初は笑っていた友人は、僕が笑顔を返さなかったから言葉をとめた。
肩に彼女の爪がくいこんで痛みが走った。彼女の尾が僕の頬をぱたりとはたいた。
理解できない、と言われたが僕は「理解できるはずだよ」とこたえた。
君が僕を説得しようとしている理由と同じだよ。
そう言って僕がわらうと目を丸くして、それからわざとらしく長々しいため息を吐いた。
呆れ果てたため息であり、諦めのため息でもある。
彼女は僕よりも何百年も長く生きていて、魔族であるのに人型をとらない程に力が強い。普通僕らは人間と契約するために彼らが警戒心を抱かないよう人型をとる。
しかし、彼女はとても強い魔族なのでそんな無様な小手先など必要なく、白い狐か猫のような可愛らしい姿をしていた。
何故だか僕と彼女は気が合って、なんとなく一緒にいることが多かった。
肩に乗った彼女のなめらかな被毛をまとった尾が視界の端で揺れる。
仕方ないな、という呟きを僕の耳がひろったときには彼女は僕の体を跳ねるようにとび降りていた。
伏せた鏡の前に座りこむ丸い小さな背中が繰り返した。
仕方ないやつだな。
彼女の協力を得て、僕は自分の体を百回ほど切り刻んだ。
断面からは血や臓物のかわりに、微かな霧のようなものが湧き出す。それこそが今まで溜め込まれた魂だった。
痛みは当然のようにあって、意識は陽炎のように歪んでゆらゆらと揺れた。
その揺らめきの合間をぬって、わずかな意識で考える。
僕はこうして友人がいて、それなりに恵まれている。なのに、どうして由貴に関することでは妥協できないのだろう。
少し嫌だな、と思う。
今、彼女に友人を切り刻むなんてことまでさせている。
彼女に嫌なことをさせて、つまりは彼女より由貴を優先しているんだ。
長年の友人より、由貴を。
朦朧としながら、僕は吐瀉物のように自分への嫌悪を吐き出していたらしい。
彼女は小さな雪だまのような体で僕の周りを転がるように駆けて、僕の体にせっせと切れ目を入れながら飄々とした口調で言った。
ただ、あんまり特別でなりふり構ってられない相手ができただけだろう。わたしは下に見られているだなんて感じちゃいない。
そういうものなのかな。
体から力が抜けて、それどころか自分が小さく小さくなっていく奇妙な感覚がした。
このまま僕という存在が消えてなくなってしまうんじゃないかな、と思っていたらその感覚はとまった。
目を開けた。閉じていた自覚もなかった。
目の前に浮いている、吹けば消えてしまいそうな瞬く金の粒たち。
彼女だ、とわかった。由貴の母親。
僕はからからに乾いた口をぎこちなく開いたけれど、何を言えば良いのか分からなくて途方にくれた。
すると、彼女は僕の額の上で二度跳ねた。柔らかな感触が確かにあった。
それきり彼女の行方はわからない。
僕は彼女を解放したのだと友人は言ったけれど、確証なんてなかった。何せ前例のないことなのだ。
彼女の魂の未来を祈ることしか、もう僕にできることはなかった。
切り刻んだ体は友人に繋ぎ合わせてもらったが、溜め込んだ魂を全て失った。さりとて新しく魂を捕食する気もおきず、僕は生まれたての子鹿でもここまで弱々しくはないだろうという有様だった。
弱った僕に代わって、友人が鏡の魔力を貯めてくれるので、一緒に鏡を覗きこむことが増えた。
彼女は僕ほど由貴に惹かれてはいなかった。不思議だった。どうして僕には彼が特別に感じるのか。
彼女は理由なんかわからないに決まっているだろう、と言って笑った。心惹かれるとはそういうものなのだ、と。
異変に気付いたのは彼女だった。
由貴に妙なものが纏わりついていると言う。僕には見えなかった。きっと、僕が以前の万全の状態であっても気付けなかっただろう。
彼女だから気付けた。
彼女の柔らかな白毛の全てが、凍てついた針のようにかたく立ち上がった。
鏡の向こうでは由貴の体が倒れて。一瞬の静寂の後を悲鳴が埋め尽くす。僕の思考も役立たずに停止する。何も考えられなかった。
海だ、と彼女がぽつりと言う。遠い。少し待て、とも。
その声に呼ばれたように頭が回りだす。
こちらの海に原因があると彼女が言った。
この世界の干渉が由貴を傷付けている。
気付くと、僕の肩の上にいたはずの彼女は膝の上に降りて、何かに小さな牙をきつく食い込ませていた。
何かを咥えているせいで、不明瞭な口調で彼女は言った。
けはいをたどって、つながった。
これは……いかか、たこかな。
彼女が即座に原因を探知してくれた。役立たずの僕とはまるで違う、と自分を貶している場合ではなかった。一刻の猶予もない。
膝の上の彼女を断りもなく抱き上げる。彼女に対しての礼を失する行いだったが、彼女からの咎めもなかった。一秒も無駄にできない。
彼女の半開きの口。真珠のような白い牙が留めているもの。
どす黒い。紫がかっている歪な丸い、小さなもの。
僕は彼女の牙に当たらないようにだけ気をつけて、ぶすりと右手の指を突き刺した。
目を閉じ、余計な情報を遮断する。彼女がつくってくれた繋がりを辿る。
ぬめぬめとした醜怪な蛸が、あの子の魂に絡みついている。
深海の暗闇のなかで唯一の星のように、由貴の魂が必死に瞬いている。
僕はとにかく指先に全ての魔力を込めて、醜い蛸が由貴を捕食しようとするのを妨害する。蛸は僕の存在に気付いて暴れだす。その余波がこちらにまで届く。
暴風のような、荒れ狂う海流のような力を受けながら、繋がりを保ってくれている彼女を片手にしっかりと抱きしめる。
もみくちゃにされていると、腕に何かが叩きつけられた。あの鏡だと思ったが確かめる余裕はなかった。
そのとき、抱きしめている彼女の小さな体が、かっと熱くなった。
流石に遠く離れた、それも深海と繋がりを構築するなんて離れ業は彼女でも長くは続けられないのだ。
ゔー、と唸り声が響く。彼女からだった。
あと数秒しか持たない。そう察して僕は、魔力を暴発させたに等しい、馬鹿みたいな火力を蛸のブヨブヨとした体にたたきつけた。
確かな手応えがあった。
脆く、それでも確かにあたたかな彼の魂をそっと蛸のほうへ押し出す。
目の前の蛸を食べてしまいなさい。あまり美味しそうではないけれど。
その思いが彼に伝わったか確かめる前に僕の意識はふつりと途切れた。




