3-1 監視対象と提案
ギルドの二階。
昼下がりの静かな空気の中、
書類の擦れる音だけが、かすかに響いていた。
「……例の新人だが」
ギルドマスターが、書類から目を離さずに言う。
受付嬢は一瞬だけ間を置き、
静かに頷いた。
「薬草採りのタイチですね」
「永世薬草採り名人、ね。まさか、うちのギルドから出るとはな」
軽口のように言いながら、
ギルドマスターは一枚の紙を指先で弾いた。
受付嬢は机の上の地図に手を添えながら、
「はい、称号もそうですが。やっぱりおかしな点が、」
オーク討伐時の記録。
参加者の配置。
受付嬢は迷いなく一点を指した。
「この位置です」
「タイチがいた場所です」
ギルドマスターが身を乗り出す。
「ここか」
「はい」
一瞬、間。
「新人の薬草採り風情が居るには危険すぎるな」
「はい」
短い返答。
「安全な区域から逸脱し過ぎています」
ギルドマスターの視線がわずかに変わる。
「……迷ったか?」
「いいえ」
即答だった。
「自発的に安全ではない側に入っていました」
「……どういうことだ」
「あの子文字が読めません」
「それとどう関係が?」
「地図の上下も分からず逆さまに見ていました」
くるっと地図をひっくり返す
「この向きで見れば安全に見えます」
地図を見て、
次に書類を見て、
もう一度地図を見る。
「そして逆さまにすると安全な区域は全部、危険な区域になる。か」
「はい」
机の上の別の書類に軽く触れる。
淡々とした声。
「森の入り口以外は、すべて危険区域です」
「初日から奥に入っていったと情報があるので」
「…初日から逸脱していた。と」
「はい、そして一度も森の入り口で採取している姿は見なかったと」
「でも、毎回無事で帰ってきてるんだよな」
「ええ、唯一の怪我は、」
「剣姫か」
「そうです、怪我をしたのは剣姫に切り付けられた時だけです」
事実だけを置いている。
「ただの運がいい、で済ませる範疇を超えてるな」
「違和感しかありません」
間。
「異常幸運、か」
「それ以外の可能性が極端に低過ぎて」
「なんでもかんでも異常で片付けるのは、好きじゃねぇな」
「私もです」
即答。
「ですが、説明としては成立してしまいます」
「本人に自覚は?」
「薄いかと」
「隠してる様子は」
「今のところありません」
「……今のところ、ね」
同じ言葉を繰り返す。
ギルドマスターは椅子の背にもたれた。
「で、どうするのがいいと思う?」
「本部に監視要員の派遣願いを」
「うーん、あんまり大事にしたくねぇな」
「しかし、こちらにその人員を割く余裕は」
部屋にわずかな沈黙が落ちる。
「……なら」
先に口を開いたのはギルドマスターだった。
「バルキリーに入れりゃいい」
受付嬢の視線が上がる。
「バルキリー、ですか」
「ああ」
気軽に言う。
「目が届く位置に置ける」
「多少おかしくてもあいつらならなんとかする」
「ちょうどいい」
受付嬢は一拍置いた。
「反対です」
「ほう」
「観察環境として不適切です」
即答。
「行動の再現性が低い」
「記録の精度も担保できません」
「戦闘環境も過剰です」
「細けぇな」
「必要です」
表情は変えない。
「対象はまだ新人です」
「異常の正体も不明な段階です」
「リスクが高すぎます」
「死ぬってか」
「可能性は上がります」
「だが、生き残ってる」
ギルドマスターが地図を指で叩く。
「ここにいて」
「無事で」
「成果まで持って帰ってる」
受付嬢は答えない。
「だったら、もう少し分かりやすい場所に置く」
「それは理論ではありません」
「最初から理論で分かる相手なら、ここまで話は来てねぇだろ」
受付嬢は口を閉じる。
否定はできない。
「……本人の意思を尊重してください」
少しだけ譲る。
「実際あいつらが受け入れるかどうかも分からん」
「彼女たちが受け入れなければ?」
「そん時ゃまた、考え直すさ」
軽く返す。
「全部任せる気はねぇ」
「向こうがどう出るかも見たい」
受付嬢は小さく息を吐いた。
「異常の可能性があることは伝えてください」
「全部は言わん」
「構いません」
「ですが、無説明での投入は反対です」
「分かった」
手を振る。
ギルドマスターは扉へ向かう。
その手前で、足を止めた。
「……それに、あいつらもそろそろ一皮剥けてもらわなきゃ困る」
扉が閉まる。
静寂が戻る。
受付嬢は一人、
地図を見下ろした。
安全ではない場所。
そこに、迷いなく立っている。
そして――戻ってくる。
「……運」
小さく呟く。
都合のいい言葉だ。
だが、それで片付けていい現象ではない。
「それだけなら、楽なんですけど」
誰に聞かせるでもなく言って、
書類を静かに重ねた。




