ルビーの髪飾り
その日、学園の鐘がいつもより早く鳴った。
胸騒ぎがしたのは、その直後だった。
生徒たちがざわつき始める。
「聖堂の聖具が壊されたらしい」
「聖女様の加護が失われるかも」
――そんな声が、瞬く間に広がっていった。
僕は授業のあと、聖堂へ向かった。
石造りの廊下を駆け抜ける間、胸の奥に冷たい痛みが広がっていく。
“また、何かが起こる”――そんな予感が離れなかった。
聖堂の扉を開くと、白い光が割れたガラスの破片に反射していた。祭壇の中央にあるはずの“聖女の聖具”――聖なる杖が、無惨に折れている。
周囲には教師と神官、そして青ざめた生徒たち。
その中心に、セレスティアがいた。
「……これは、一体。」
僕の声に、セレスティアが顔を上げた。
その瞳には、怯えと悲哀が混ざっている。
「誰かが……夜の間に、ここへ侵入したようです。」
彼女の声は震えていた。
誰もが息を呑み、ただその言葉を信じるように頷く。
神官の一人が床の破片を拾い上げた。
そして、その中に“あるもの”を見つける。
「これは……髪飾りか?」
空気が一瞬にして変わった。
見慣れた赤い宝石。繊細な銀の細工。
それは、僕がよく知っているものだった。
「リアナ様のものでは……?」
神官の言葉が、聖堂全体に響いた。
誰かが息をのむ音が聞こえた。
そして次の瞬間、ざわめきが広がる。
「やっぱり……」
「またリアナ様が……」
声が連鎖のように増えていく。
聖堂という神聖な空間が、悪意の噂で満たされていく。
僕は髪飾りを手に取った。
細い金属の一部が欠けている。
見覚えがあった。リアナがいつも右側につけていた、小さな飾りだ。
胸が締めつけられる。
理性では、「これは証拠だ」と囁く声がする。
だが感情が、それを全力で否定していた。
――リアナがこんなことをするはずがない。
セレスティアが、僕に歩み寄る。
涙で滲んだ瞳が僕を見つめていた。
「レオン様……。リアナ様がやったんでしょうか?」
「彼女はそんなことを――。」
「でも、これが見つかったんです。……きっと、何か理由が。」
“理由”。
その言葉に、僕の心が揺れた。
もし、彼女が誰かに利用されたとしたら。
あるいは――。
僕は強く首を振った。
今、疑うことだけは絶対にしてはいけない。
「セレスティア。僕が調べる。誰が何を言おうと、真実は一つだ。」
そう言うと、彼女は小さく微笑んだ。
その笑みは、祈りのように穏やかで――どこか、得体の知れない静けさを孕んでいた。
聖堂を出ると、風が冷たかった。
廊下の向こうから、リアナの姿が見える。
彼女は僕に気づくと、立ち止まり――目を伏せた。
「リアナ!」
僕は駆け寄った。
彼女は一歩だけ下がる。
「髪飾りが……聖堂で見つかった。」
「……そう。」
「君のもの、だよな?」
「ええ。」
その瞳には、迷いがなかった。
ただ静かに、真実を語っているようだった。
「僕は……信じるよ。」
その言葉に、彼女の瞳がほんのわずか揺れた。
「ありがとう。」
その一言を残して、リアナは背を向けた。
風に揺れる髪の中で、髪飾りがない右側がやけに寂しく見えた。
――何かが動いている。
僕は歩きながら、無意識に拳を握りしめた。
聖堂にあった髪飾り。
壊された聖具。
セレスティアの怯えた瞳。
どれも真実の断片のようでいて、どれも嘘のようだった。
そして、ふと気づく。
あの髪飾り――最後に見たのは、事件の起こる前日、セレスティアとリアナが庭で言葉を交わしていた時だった。
あの時、リアナの髪に、確かにそれは“なかった”。
背筋が冷たくなる。
――もし、あれが誰かに“置かれた”ものだとしたら?
僕は足を止め、夜の鐘の音を聞いた。
学院の空は、まるで何かを隠すように曇っていた。




