《Full Pelt》
絶対に生きているはずだと、祈り続けている。本当であれば、捜しに行きたかった。今の自分の立場ではそれは無理な相談だった。ただ待ち続けるだけの日々。胸の苦しさをじっと耐えるしかないのは、それなりの疲弊を伴う。
でも、自分が疲れた顔をしているわけにはいかないから。仮面を被って剣を振るう。
ロンリークラウンに仲間を奪われた頃の、荒んでいた時期を思い出す。笑顔も涙も胸の奥に押し込んで、本心に蓋をした。
──早く会いたいよ、シヲン。
だからそれは、後回しにしよう。いつかきっと巡り合うときまで。
「キャナ補佐官殿、チトセ副隊長がお呼びです」
多数のギルドとガードによる連合隊となってから、色々と変化があった。これまでのギルドは解体され、一つの集団として組みかえられた。それに伴い、人々の地位も権力も変わった。初めの頃は不平を唱える人たちもいたが、今ではすっかり下火だ。
さすがはチトセさんだと思う。今では副隊長という肩書きだけれども、シーカー団長だった頃の風格のまま。今の制服にも赤い狼のエンブレムを刻んでいる。自分もそれに倣って、エンブレムを残してある。
チトセさんを待たせると恐い。早く行った方が身のためだろう。
「というか、ドーリさん。別に改まった口調じゃなくてもいいのに」
「いやいや、キャナさん。オイラは下々の立場ですぜ」
隻腕の黒猫こと、撫斬のドーリは現在ではキャナの傍付きとして活動中だ。ケットライダースのメンバーたちとも合流を果たした後、こぞってスムーザの街に移動してきた。
鉱山の街リグレットは、今では廃鉱の街に一変している。魔王の魔力の奪略は、ホロウの街さえも瓦礫の山に変えてしまった。
思い出さえも消え去ってしまった。失った仲間との日々を忘れてしまう日が来るのが恐い。弱音は見せるわけにはいかないのだろうから、自分は毅然とした態度をとる。薄っぺらい仮面を被ることにした。
「あ、ドーリさん。工房から連絡きたかな?」
「あぁそうだった。ジンさんと娘さんから言付けを預かってたんだった。武器の量はどうにか調達できるみたいですぜ。不足分もどうにか鍛冶連中で生産が間に合う算段が立ったとかで」
「そっか、良かった。チトセさんに報告しとくね」
魔王との最終決戦の日は近い。
向こうもこちらの動きをどうも把握している気配がある。こちら側に密偵が紛れ込んでいる可能性が少なからずあるものの、なかなか尻尾を掴めずにいた。
手掛かりもゼロ。相手もかなり用意周到であるらしい。
それでもこちらもぬかりはない。
アナザーワールドで唯一、巨大マナクリスタルを所持する街スムーザ。その守人であるイムカという少女の身柄は手厚く保護している。彼女が欠ければ、この拠点は最大の要を失うことになる。
「チトセさんは怒ると恐いからね」
カーキ色の制服は、動きやすさを追求したスリム形状。肱や手の甲を覆う金属製の装甲板が局所を保護している。黒っぽいブーツが硬質な音を鳴らす。身支度を整えて、部屋を出た。
廊下は似たような砂埃色の制服を着た人で溢れていた。日に日に各地から旅人たちがスムーザに集結している。キャナが廊下を進むと、彼らは作業の手を休めて声をかけてくる。キャナ自身、自分が周囲から見てどう映るのかを十分理解しているつもりだ。
男女比でも女性の数は少なく、その中でもそれなりに容姿の整った自分が好意の対象としてとらえられてしまうことは承知だ。
それが人間関係の輪を拡大させる一因にもなっている。キャナは笑みを浮かべて彼らの挨拶に応えた。それだけのことなのに、彼らはひどく救われたような表情を浮かべる。
「早く旦那がこないもんですかね。のんきに道草喰ってる場合じゃねぇですって」
「いやいや私はシヲン一筋だって、ドーリさん」
苦笑を混じりにキャナは後ろを歩くドーリに声をかけた。ドーリは乾いた笑いと共に頬を掻いた。申し訳なさげに垂れ下がった髭が可愛らしい。
片腕になってもドーリは依然として凄腕の剣士のままだった。彼に剣術で敵う者を挙げろと言われても、ほんの一握りしかいないだろう。それゆえに彼の存在がある意味、キャナに対するアプローチの抑止力になっていた。
「──おやおや、これはキャナさん。今日も大変麗しい。どうですか、午後にでもご一緒にお茶でも」
そんなドーリの存在もってしても、動じない相手がいる。無意識のうちに、キャナは重々しい溜息をついていた。
まだ歳は若く二十歳前半で、一言でいってしまえば二枚目。アシンメトリーのくすんだ灰色の髪に、すっと尖った鼻立ち。線の細い顔立ちは中性的だ。鋭い眼光は赤みを帯びている。
ドーリがキャナの前に立ち塞がって、低く唸り声を上げた。
「ようよう、ユーリ。キャナさんは忙しいんだ、さっさと失せろ」
ドーリがこれほどまでに嫌悪感を露わにすることにはわけがある。青年がこれまで何度も何度も繰り返し言っていた言葉が最大の原因だ。思えば初対面のときから最悪だった。
「ハッ、野良猫風情がボクの邪魔をしないでくれるかい。ボクはキャナさんに話があるんだ」
「キャナさんはおめぇみてぇな、もやしに興味はねぇんだよ。旦那が帰ってくりゃ、おめぇなんざと話をすることもなくなるだろうよ」
「いつもそればっかだね。あなたがいつも言う旦那とやらは、もうとっくに死んでるに決まってる。そうじゃなければ、別に女でもつくってるさ」
「てめぇ……」
この二人が顔を合わせれば決まって険悪な雰囲気が漂う。
青年はシヲンをどこまでも邪魔者扱いしたがり、ドーリはそれに怒りを抑えきれない。どうにか穏便に済ませたいと思うキャナでさえ、青年の言葉に憤りを感じることがあるのだから仕方がないのかもしれないが。
この二人は直接刃を交えたことさえある。その際は結局勝敗はつかず、駆けつけたチトセさんに二人とも取り押さえられた。けれども、もしあのまま戦い続けていたら、きっとドーリが負けていただろうと推測している。
それほどまでにこの青年は優れた剣士であった。
「ドーリさん、チトセさんを待たせてるから急ごう。ほら、早く」
出来ることといえば、こうやって逃げることぐらいしかない。一度はっきりと言ったこともあるのだが、彼はちっとも堪えていない。
ドーリは渋々承知して、剣柄に伸ばしていた右手を下ろした。片腕になってもドーリは腰には双剣を佩いている。二つないと落ち着かないのだそうだ。
青年の横を通り抜けるとき、ちらりと横目で見た青年の横顔は不敵な笑みを湛えていた。背筋が凍るような悪寒を感じた。心臓が妙に早鐘を打って暴れ、手足が微かに震えて止まらなかった。
この笑みをどこかで見たことがある。
他人を見下すような酷薄な笑み。恐いと思ってしまった。
副隊長補佐官としての仮面が一瞬剥がれそうになる。シヲンの存在を僅かにも願う。今は自力で切り抜けていくしかないのだ。だからどうにか心を強くもたないと。
足を速めて、本当に逃げるように青年から離れる。ユーリのことをキャナが避けていると思ったドーリが後ろでユーリを嘲っていたが、キャナ自身はそれどころじゃない。
身体の震えがバレないように、出来るだけ早く彼から離れたかった。
彼が同じ連合隊にいることをこれほど恨んだことはないだろう。
もし彼が魔王側と繋がっていたら、と少しでも思ってしまった自分を叱咤した。ユーリはあれで優秀な参謀役なのだ。これまで幾度となく作戦を練り、作戦を成功へと導いていることを忘れてはならない。
暫く歩いて廊下を突き当たると左手に階段が現れる。
そこを上って、最上階へ向かう。ふと元の世界での学校の校舎を思い出した。ちょうどアレとこの建築は似ている。校舎ほど大きいわけではないものの、どこか類似性を感じた。
踏むと軋む階段を上りきると、一気にひとけが少なくなる。先ほどまでの猥雑とした雰囲気はなくなり、張り詰めた空気が廊下を漂っている。
この階に上がってくるような人は、そうそういない。この階には『鬼神』とも呼ばれているあの人がいるからだ。最近は二メートル近い日本刀に似た刀剣を愛用し始めて、ますます人間離れしているように思える。
──すごいって言うか、呆れちゃうんだけどね。やりすぎだって、チトセさん。
キャナは内心苦笑して、廊下を音も立てずに進む。その後ろを影のようにぴったりとついてくるドーリ。
チトセがいる部屋は最上階の丁度中央にある。常に二人の見張りが扉の前に立っているからすぐ分かる。チトセによく呼び出されるキャナは、今では見張り役の人たちともすっかり顔見知りになった。
見張りの一人がキャナに気づき手を軽く振ってきた。もう一人もそれで気づき頬を緩める。
愛想よく手を振り返し、彼らに微笑んだ。後ろでドーリが嘆息したように聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
廊下を進んで部屋の前に辿り着くと、短く二回ノックした。返事はすぐに返り、それに従ってキャナとドーリは入室する。ただしあくまでも、中で話をする役目はキャナだけだ。
副隊長用の事務室は、ここで十分生活できるほど設備が整っている。
非常用の保存食もあり、万全の対策がなされている。
部屋には先客がおり、チトセとともにキャナたちを出迎えた。
「お久しぶりです、カナさん。それにドーリさんも」
スムーザの守人であるイムカ・ピースアウトの澄んだ美声が部屋中に響いた。彼女はキャナをカナと呼ぶ数少ない存在だ。
艶やかな銀髪、処女雪のような肌は何度見ても羨望してしまう。そして性格までも慈悲深く、思いやりがあるというのだから羨ましい限りだ。ぜひとも見習いたいと思う。
壁際には黒一色の装束を羽織った彼女の護衛官の姿が二人。武器は一切身につけていない。動物を模った陶磁器の仮面で表情を隠しているものの、身体の輪郭から推測して男女だろう。
彼女がこの場に来るということは、かなり重要な話があるのか。キャナは自然と背筋が伸びた。目に見えない緊張した雰囲気に身も心も引き締められる思いだ。
「よぉ、キャナ。やっと来たかぁ。どうせユーリの奴に足止めでも喰らってたんだろう? まぁ、急に呼び出して悪かったと謝っとこう」
この部屋の主は、設えられた作業机の向こうで革張りの椅子にもたれていた。華やかな桜色の髪を背中まで垂らし、鋭い顔立ちは眉目秀麗だ。女性でありながら、ひどくイケメン。
チトセは両手を絡ませて顎を乗せると、思い悩んだ表情を浮かべた。
何か良くない報せでも言うのではないかと、キャナは不安を覚える。
真っ先に思い浮かぶのはシヲンのことであり、次に魔王のことを考えた。
「──先日、街の南、ハートレスのタブー付近の渓谷で魔王軍の一個中隊が目撃された」
予想以上の悪報に度肝を抜かれた。
一瞬、言葉を失ってチトセを凝視した。
「それじゃあ、暢気にしてる場合じゃ……」
「まぁ、落ち着け。すでにその部隊の壊滅を確認済みだ。生存者を一名捕虜にしてある。話によれば、グラトンが暴走し自分たちを襲い始めたらしい。部隊を急襲してきた者がいてその迎撃にでたらしいが、自滅したようだ。ちなみに急襲してきたのは、悪魔だと捕虜の男は吐いたよ」
「ディアブロですか」
ここ最近になってよく聞く名前だ。こちらが把握する前の魔王の部隊を急襲している者。グラトン複数体を同時に相手できる兵だという。
右腕が石化した少年であり、月夜に白く光る髪をもつそうだ。眼光は闇でも琥珀色に光るらしい。一人だけ思い当たる人物がいる。キャナは無言でチトセの顔をじっとみつめた。
チトセははぐらかすように、視線を背けた。背もたれに身体を預け、椅子に深く座ったチトセは不自然に話題を変えた。
「そうだ。決戦の準備が大体整ってきた。あの怠け面のイクマも最近じゃ真剣だよ。それにともなって、イムカにはマナクリスタルで魔王領への直通路を開いてもらうことになる。魔王側の工作行為も活発になるだろうな。あたしも対策を練ってるが、今のところは護衛官を増やすぐらいだな。キャナにはイムカが郊外に用事があるときなどに、付き添ってもらうようになるだろうな」
「分かりました。それと、武器の方の用意にメドが立ったみたいですよ」
「ほぅ、ジンとニャオたちはやってくれたか」
チトセが満足げに頷く。たったそれだけのことなのに、キャナは不思議な達成感を得た。少し緩んだ緊張に、ほっと一息つく。
もうすこし明るい話題を共有したいものだ。戦いのことばかりでは、息苦しくて仕方ない。
イクマとはこの合同部隊の総隊長を務める男の名だ。《聖騎士》のイクマは、優れた剣術と鉄壁の防衛手段を持ち合わせている。ドミナントパーソンだったが、魔王に全ての魔力を奪われた。回復系統の魔法を失ったものの、彼の存在だけで多くの人間が救われることは間違いない。ものぐさであることが少々キズだが、温厚な人柄はみなに慕われている。
チトセは含み笑いを浮かべて、頬杖をついた。
「それと、レンがついさっき帰還したぞ。随分とレンは大人びたな。会いに行ってやれ」
随分久しくレンにも会っていない。
元々スムーザの門衛を務めていたレンだったが、しばらくは任務で街を離れていた。
調査隊と呼ばれる、生存者の捜索や魔王軍の動向を探る組織にレンは志願していた。その間は彼との連絡も途絶えたままだった。マナクリスタルの大半が奪われた現在、人々に普及していた小形のマナクリスタルは以前の力を失った。魔力の枯渇が原因で、通信といった機能は完全に停止してしまった。
スムーザ周辺では、街の巨大なマナクリスタルの存在のおかげで一部を除く地域で、未だに機能は残っているものの、いつまで保つことか。
「分かりました。それで、用件は以上ですか?」
「おいおい、なんか冷たいなぁキャナ。あたしに会えて嬉しくないのか? ほら、精一杯抱擁してやんなくもないぞ?」
「結構です」
イムカの笑い声とドーリの嘆息が鼓膜を揺らす。
キャナも思わず苦笑した。




