《Regret Story》
一週間に一度更新 is the best?
では、どうぞ。
出会いの奇跡は
いつのまにかあたりまえになった
飽和した奇跡に感動を失くす
誰かが傍に居てくれるんだ
そんなことを言っていたから日常に見失った
世界が廻っても過去はいつまでも付いてくる
グルグルと廻り行く世界は一向に救わない日常
世界の全てを知ったふうに語ったあの日
騙せたのは自分自身の後悔だけ
色を失くした日常は夢に似ていた
明日の朝日を嫌う
あなたの全てを知ったふうに語ったあの日
守れたのは等身大の孤独だけ
色を重ねたキャンバスは嘘に似ていた
人の眸を嫌う
自分の全てを知ったふうに語ったあの日
赦せたのは凄惨な日常だった
意味を失くした愛情は嘘に似ていた
人の温もりを避ける
植えつけられたのは吐き捨てたいほどの劣等感
──1/10000の独り言
***
二ヶ月後、鉱石の街《リグレット》にて。
早朝の空はいつものように灰色の雲に覆われ、その下で生活する人々は雨に怯えている。
晩夏になるだろうこの季節は、すでに蒸すような熱気が引いている。秋の気配がそこかしこに散見でき、季節の変わり目を教えていた。
人々の服装も衣替えをむかえつつある。
少し前までは避暑地として賑わった街も今では観光客は少なく、商業者たちの商談の声が絶えない。彼らの狙いは、この街の金属製品だ。
武器が主流で、刀剣やら鎧などが次々と荷車に詰め込まれて運ばれていく。周辺の街から遠方の街、さらに他国にまで輸出されていくのだ。
そうした商業者の護衛業も盛んになり、街の様子は季節で一変していた。
鉱石の街、リグレット。
その名で知られた巨大な街は、周囲を節くれだった古樹が立ち並ぶ森に囲まれている。森の名前はフォルト、古の魔物たちの楽園であり混沌とした樹海が、街を四方八方から取り巻いている。葉擦れのざわめきに覆われた街は、いつでも人で溢れかえっている。
どこへ行っても、甲高い鍛治の槌音と賑やかな喧騒が聞こえてくる。
街の入口には、巨大なマナクリスタルで造られた《転移門》がある。翡翠に煌く宝石のように美しく、リグレットに踏み込んでまず目に飛び込むそれだ。
マナクリスタルを握った状態で行き先を念じて門の間を抜ければ、簡単に転移出来る代物で、精緻な模様も刻まれ、芸術品としても価値が高い。翡翠に輝くそのマナクリスタルは、リグレットの誇りでもある。
マナクリスタルを門の形状にするという画期的な技術は、リグレット独自のものだ。ただでさえ加工しにくいマナクリスタルを左右対称に削り、装飾も描くのは至難の業だろう。
その技術はどこの街も国も、喉から手が出るほどに欲している。が、リグレットの鍛治組合は、かたくなに提供を拒んでいる。おかげでリグレットは、鉱石の街と呼ばれて、発展を続けていた。毎日、この街は規模を拡大させつつあるというのだから驚きだ。
森を開いた広大な面積の街には、巨大な施設は一つとして存在せず、所狭しと建ち並んだ建築で閉塞感がある。面積いっぱいに隘路が無数に張り巡らされ、見るからに妖しげな工房や近寄るのも憚られる宿屋が軒を連ねている。
この街に住んでいる人間は誰もが、二癖も三癖もありそうな者ばかりだ。
見た目から判断されれば、誰一人として仲良くはなりたくない、と言われてしまうような連中だろう。その半数近くは、鉱石発掘によって一攫千金を手にしようと目論んだ者たちだ。そして大抵は上手くいかずに街に定住してしまった者たちだった。彼らのおかげで、今日もまたリグレットは肥大を続けられるのだ。安価な労働力など、この街でなら掃いて捨てるほどにあった。
肥大の代償として、リグレットには治安維持のための最高権力機関が存在しない。存在したとしても、街全体に目を光らせることなど到底無理だろう。その結果、広大な街はいくつかエリア分けされ、それぞれに治安を維持する者たちが存在することになった。旅人によるギルドもあれば、盗賊団もある。どれもが腕に覚えのある組織で、敵対はせずに協力関係にあった。街の治安を維持する、ということに関しては。
それ以外の場面では、顔を突き合わせるたびに戦闘になることもしばしばだ。互いにライバル意識をもっているため、その関係は不穏と言えた。
しかし、そうした複数の組織がなければ満足に治安が維持されないほどに、リグレットは巨大すぎる街なのだ。
街中で迷子になる者は後を絶たず、行方不明者の捜索依頼が常に掲示板等に張り巡らされている始末。ミイラ取りがミイラになる、それがあたりまえだ。何年も住んでいる者でさえ道に迷ってしまう話も素直に納得がいく。
そんな街の一角に、商業者もおろか住民たちでさえ踏み込むのを躊躇する区画がある。《赤錆》と呼ばれ嫌悪されたその一帯は、《ケットライダース》を名乗る盗賊団が拠点を置き、治安を静定している。一帯の面積はそれなりに広く、盗賊団の実力を誇示することに一役買っていた。
──近づけば厄を自身に招く。
そう言われて避けられるその場所を好むのは、恐れを知らない猛者ばかりだ。
有名な賞金首や犯罪者がまるで吸い寄せられるようにして、そこに集まる。
そして、彼らをまとめるのは猫族の男で、《撫切》の二つ名で知られ恐れられていた。集まった犯罪者の中には名声を求めて、決闘を挑む輩が少なからずいる。そうした身の程知らずの連中を片っ端から降した故に付いた字だ。
そんな彼らの頂点に立つ者がいて、巷では《死神》《赤錆の王》《魂喰らい》などと呼ばれていた。リグレット最強、誰もがそう呼ぶ存在だった。
──今日も灰色の空だなぁ。
少年は狭い路を縫うように歩き、敷き詰められた石畳で足音を響かせた。カツン、カツン、とブーツの厚い靴底が硬質な音を鳴らし、少年の存在を周囲に知らせる。
ある者は少年を視界に入れないように建物の奥に引っ込み、ある者は敬服して地面にひれ伏し、またある者は羨望と崇拝の視線を向けた。
赤錆色の外套を羽織り、髑髏型の髪留めが鈍く輝いている。背丈はそれほど高くはなく、一六〇センチ前半程度だろう。目にかかるほどの髪は、毛先を黒く染める以外は綺麗な銀色に煌めいている。顔立ちは中性的で、一見少女に見えなくもない。
少年は、何を売るとも知れぬ工房や鑑定屋が猥雑とした空間をつくる間を歩いた。
「やっと来たか、シヲ。約束の時間、20分前だぞ」
少年が歩を進める先で、店頭に顔を出した巨躯の男が野太い声で言った。
男は不衛生に髪を肩まで伸ばし、髭も剃らずにいる。目元には青痣の隈ができていて、男の寝不足気味な生活状態を教える。
上半身は無色の下着姿で、下には灰色の作業着をはいていた。
体つきは逞しく、盛り上がった筋肉は、常に痙攣しているように震えている。
「まだ20分前ですよ、ジンさん」
少年の言葉に男は首を横に振った。
何か問題になることをしただろうか、と少年は首を傾げた。
それに対する男の答えは、少年を困らせるだけだった。
「何事も一歩先ではなく、何歩も先を歩くべきだ」
「また父さんがふざけたこと言ってるよ。ごめん、シヲン。毎度毎度早い集合で」
突如、男の後ろから現れたのは、薄い水色の髪をしたショートヘアーの少女。
怪我によるものなのか、右目に黒の眼帯をしている。右手に槌を握り、全身は砂色の作業服姿だ。
ボーイッシュな感じの少女は小柄で華奢な体つきだ。最近は控えめな身体のラインを気にしているらしく、そのことについて口に出すことは厳禁だ。
「別に俺は構わないよ、ニャオ」
シヲンにニャオと呼ばれた少女は、途端に頬を膨らませた。
別に名前を間違ったわけではない。少女の名前は確かにニャオなのだ。ただ、少女はその名前を好しとしていなかった。
「ニャオだと猫の鳴き声みたいじゃん。うちはナオって名前がいいのに」
確かにニャオであれば、猫の真似に思えなくもない。しかし、アナザーワールドに来てからというもの、元の世界での動物の大半は獣人として現われ、鳴き声の代わりに人語を喋っているのだった。
ニャオが不服そうに言うのを受けて、ジンが無愛想な顔に似合わず笑った。
「いいだろうに、猫の鳴き声みたいで。戻ったら、猫が鳴くたびに反応するようなるかもな」
シヲンは見慣れたその光景を微笑ましく思いながら見守った。
ジンとニャオの二人は実の親子で、同じく旅人だ。
ともにジョブを《鍛冶師》とする両者だが、得意分野は別でジンが刀剣など武器の製造を好み、ニャオは鎧といった防具を得手としている。
知る人ぞ知る優秀な職人で、彼らの商品を買いに求める客は多い。
しかし、彼らが店を構える場所が《レッドラスト》ということもあり、やってくる客は決まって妖しげだ。シヲンからしてみれば、絶対に関わりたくない連中ばかりだった。
もっと街の入口付近に店を構えるように助言をしているのに、この二人は揃って首を横に振っていた。
ジン曰く、自分たちは使ってもらいたい人間に向けて物を作るのであって、依頼を受けたから作ってあげるのではない、だそうだ。
それを聞いたとき、ニャオの笑いが半日近く止まらなくなっていた。
「まぁ、ニャオの話は後でいい。シヲに造っていた剣がようやく仕上がった。これでメメント・モリを人前に晒さずともいいな」
メメント・モリ、真紅の刀身をした大鎌。あの刃を見るたびに、鮮血の赤を、黒髪の少女の最期を思い出す。出来れば見たくないのが本当のところだ。見れば忘れたい過去を思い出してしまう。
ジンが一旦店の中に戻り、鞘に納められた二本の刀剣をもってきた。一つは漆黒の鞘に納まったもので、もう一つは茶色の鞘に納まっている。雌雄一対の刀剣だった。
二本とも機動性を重視された片手剣であるらしい。それに使用された素材はどれも一級品だった。
そのうちのいくつかはシヲン自身が集めたりもした。
「ありがとうございました、ジンさん、ニャオ」
この二人にはいくら感謝してもしたりない。少し前は、どの鍛冶屋に行っても満足に武器を造ってくれる職人がいなかった。誰もが恐れるように首を横に振った。
そんな中、二人はわざわざここに来て店を構えたのだ。
店を開いたジンの第一声が、「そこの少年、武器を造らせろ」だったのは忘れられそうにない。
シヲンは手渡された双剣をまじまじと眺めた。鞘から剣を引き抜いてみれば、曇りのない刀身が白光を発した。美しい片手剣だった
「代金はもう貰ってるからな。そいつをベルトに差せ。名前は黒が《ツヴァイダ》、茶が《アインズ》だ。二本で一つの武器の形態だからな」
「うちも頑張って磨いたんだから。斬れ味は抜群だよ。他の店には負けないよ」
ジンが満足そうに頷く横で、ニャオが自慢げに鼻を鳴らした。
よほど自信があるのだろう。すぐさまに切れ味を確かめたい衝動に駆られた。
メメント・モリの性能に頼りすぎると、他の武器に変えたときの落差に狼狽する。死神の鎌は、半永久的にその切れ味を維持し続ける。刀身でなぞるだけで鋼鉄さえも容易く寸断するほどの切れ味を、だ。
だからこそ、シヲンはメメント・モリを使いたくはなかった。見れば、嫌な過去を思い出してしまうのも理由だが、楽をし続けることに抵抗があった。それはシヲン自身で科した罰だった。
シヲンは再度感謝を口にして、彼らに背を向けた。
あまり長居しては、彼らの商売に支障をきたす。自分は《魂喰らい》と呼ばれ、他の客が恐れて近づけない。足早に去ろうとしたシヲンの背中に声がかかった。
「あぁ、それと。シーカーがまたアジトに行ったぞ。お前のことだ、どうせ先手を打って逃げてきたんだろうが。ドーリが大変だな」
ジンの言葉にシヲンは一瞬足を止めて、短く嘆息した。
最近になって、執拗にシーカーのメンバーが訪問してくるようになった。かれこれ二ヶ月近くになるだろうか。
毎回、副団長が先導していて、ぞんざいにあしらうのも躊躇ってしまう。
彼らの要求に応じるつもりはなく、顔を見せるつもりもないからシヲンは逃げていた。ドーリがその代わりに、対応してくれていた。
シヲンからしてみれば傍迷惑な話で、彼らにはどうか他の人を当たってもらいたい、と常日頃から思っている。最近では言動に棘を含むようになり、そのたびにドーリから小言を言われている。
ドーリはレッドラストを静定する盗賊団、ケットライダースの頭目で猫族の男だ。見た目は毛並みのいい黒猫で、人当たりもいい。普段は陽気な性格で、滅多なことでは武器をとらず、相手を傷つけない。人々には恐れられているが、実際はそんな要素は微塵もなかった。
ただ、本気の戦い、殺し合いとなると別人に変わる。視線で相手を殺す、という表現が合致しているほどに、眼つきから変貌する。戦闘能力も抜きん出ていて、屈強な竜人の戦士でさえ相手にならない。
背後でジンが言葉を続けた。
「シヲ、ドーリに近いうちに酒場に顔を出す、って伝えてくれ」
「了解です」
後ろに手を振って、シヲンは振り返らずに彼らから離れた。
人とは一定の距離を置かなければならない。
失った時の喪失感が大きくならないように、守りたいものを増やさないために。
自分自身を戒めるように、いつのまにか自分に科していた。他人ばかりの世界なら、失うものがあっても、心が痛まずに済むのではないか。それは単に現実逃避。
そんなシヲンの態度を、誰もが悲しく思っているのを知っている。
ドーリに至っては、毎日のように忠告してくる。最近では、よく口喧嘩をするようになった。いつもシヲンが責めから逃げて、喧嘩はうやむやに終わる。
今のままではいけないのだとわかっている。
それでも、変わる勇気がなかった。自分を許したくはなかった。
これは単なる戒めで、気休めだ。
それでもやめるつもりは毛頭ない。自分を見たら不幸になる、といった陳腐な噂話を巷に流し、自然と人々の足も遠ざけた。
極力人との会話は短く、出来れば避けた。悪目立ちする赤錆色の外套を羽織って、フードを被ることで近寄り難い風貌をつくった。
ドーリを筆頭とした、ケットライダースのメンバーが親しげに話しかけてくるのは、致し方ないと思う。だが、シーカーのメンバーが積極的に会いに来ることは、釈然としなかった。
彼らの要求は、《ファミッシュのタブー》攻略へのシヲンの参加だ。
シーカーが主導しての攻略らしく、少数精鋭のギルドであるシーカーだけでは人数的に不安なのだそうだ。
別に他のギルドと協働すればいい話だと思ったが、ギルドにも諸事情があるようだ。大概は、名が売れていることへの妬みといったところだろう。
予定通りに人員が集まらず、ソロで活動する者からも参加を募集することにしたらしい。
それでも満足に頭数は揃いはしないだろう。ソロにも複雑な事情がある。
シヲン自身がそうであるように、素直に参加に同意する旅人がいるとは思えなかった。
──さてと、どうすっかな。今から戻ってもまだいるだろうしな。
今頃はドーリがシーカーのメンバーをどうにか追い返そうとしてくれている頃だろう。
ゆっくりとアジトに向かえば鉢合わせることもないはずだ。
シヲンは足をケットライダースの拠点である酒場へと向けた。
盗賊団であるケットライダースの頭、ドーリが趣味で始めた酒場は、団員だけでなく悪名高い連中たちで毎日賑わっている。
一斉に検挙されてしまえばおしまいだろうが、集まった連中がかなりの実力者であり、ケットライダースの管理区であることも相まって、半ば放置されている。
ケットライダースは放任されたことをいいことに、犯罪者の身柄を保護したりもしていた。
しかし、犯罪者にとっての安全地帯であるレッドラストにもルールがあり、いかなる罪を犯した者も拒まないが、レッドラスト内での犯罪行為をした場合は厳粛に処罰される。
大量殺人犯であっても快く立ち入りを許されるが、どれほどの実力であろうとも罪を犯せばその日のうちに断罪が待ち受けている。
《魂喰らい》や《撫斬》の存在によって、誰もが罪を重ねようとはせず、レッドラストはリグレットの中で最も危険で最も治安がいい区画になっていた。
視線の先で、シヲンの姿を見た人々がそそくさと逃げるように建物の中に姿を隠していく。
レッドラストの兵も一度はシヲンの噂を耳にしているらしく、進んで挨拶をしてくる者は珍しい。
しかし、中には噂話など気にも留めず、シヲンの実力を知って顔見知りになろうとするような策士もいる。多くの場合が、シヲンでも一度は手配書などで顔を見たことのある者だ。彼らからしてみれば、すでに自分の人生は災厄を呼び込んでいるとのことで、今更それを恐れるのも馬鹿らしいそうだ。
名高い盗賊団《ケットライダース》と密接な関係を結ぶシヲンと、いかに上手く折り合いを付けていくかが、レッドラストでの生活を左右するとも言われていた。
「おぉい、ラスティナイト。おめぇ、まぁた逃げてんのかぁ? あんなぁ美人、そうそうお目にかかれねぇぞぉ。変な虫がつく前にものにしちまえぇよぉ」
酷くしわがれた粗野な声が道端の宿屋の中から響いて、シヲンは溜息とともに足を止めた。
建物全体が蔦に覆いつくされて壁の色を見せない宿は、ホントに営業しているのか疑問に思わせる見た目だ。いつ倒壊してもおかしくないと思った。
その入口からのらりくらりと姿を現したのは、ニメートル近くある長身の老人だった。
リグレットではそこそこ名の知られた人物で、竜人の半蛇族出身だ。一般の竜人と違って、男はまるでシヲンのような白族に見える。実際、半蛇族はその血筋を辿ると獣人と竜人の遺伝子をもった種族だと分かる。
口元を覆い隠す灰色の髭と、後ろで三つ編みにしたくすんだ白髪。エラの張った彫りの深い顔には、幾重にも皺が刻み込まれ、男が生きてきた時の永さを暗に示していた。
無数に傷がある革の鎧を窮屈そうに纏い、鞘のない刃こぼれした両刃剣をベルトで腰に吊るしている。頬だけでなく、腕などにも散見される傷痕が、男が踏み越えてきた場数の多さを教えた。
「久しぶり、ガラッカス。二週間ぶりか? 生きて帰ってきて何よりだよ。
てか余計なお世話だって。あんたにも色々と事情があるように、俺にも諸事情があるんだ。だから、シーカーの連中とは顔を合わせたくないんだよ」
「なに言ってやがんだぁ、おめぇなんざまだまだガキんちょだぞぉ。あんまみみっちいことにこだわってんなよぉ。つうわけでだぁ、あの女は逃がすんじゃねぇ。あとで逃がした魚は大きかった、とか言って泣くんじゃねぇぞ。
っと、こいつは土産だ。今回の戦場はめっずらしく熱帯林でな、リューンが好みそうな果物なんか持って来たぞ」
シヲンに反論の暇を与えず、ガラッカスが背中に背負っていた皮袋の中から極彩色の果物らしきものを取り出した。鼻に纏わりつくような、甘ったるい匂いが立ち込める。
どこからともなく甲高い奇声が響いて、徐々に羽ばたく音が大きく迫ってくる。
「そら見ろ、リューンが早速やってきたぁ」
ガラッカスが満足そうに空を見上げ、シヲンも身体を半分捻って後方を見遣った。
視界に真紅の魔物の姿が映りこんだ。
シヲンの使い魔であるチェイサー、その名をリューンと呼ぶ。
一見すると蝙蝠か昆虫かで意見が割れそうな見た目だが、シヲンは蝙蝠だと思っている。
シヲンがリグレットに来たばかりの頃、哀しみを紛らわそうと樹海の奥へと潜ったときに遭遇した。別の魔物に捕食されそうだったところを救い出してからというもの、何故か付き纏うようになり、今では立派な使い魔へと昇格していた。
食事などの世話は基本、リューン自身に任せっきりにしている。リグレット周辺が広大な樹海で囲まれているために、食料には困らないようだ。
シヲンの魔力の一部を分け与えたおかげで、リューンよりも遥かに巨大な魔物相手にも劣らない戦闘能力を有している。その証が、真紅に塗られた全身だ。どういうわけか、その色を見ても過去を思い出すことはなかった。メメント・モリと同じ色でも、同じ作用があるわけではないらしい。
同じ作用があったとしたならば、それこそ凄惨な日常が待ち受けていたに違いない。
キィキィキィキィ、忙しなく騒ぎ立て、シヲンたちを催促するリューンに対して、ガラッカスは頬を緩めて手に持った果実を宙に放った。
人間の拳大の大きさほどの球体をリューンがすかさずキャッチして、近くの建物の屋根の上に運ぶ。そこで実の果汁を吸うつもりなのだろう。
チェイサーの食事を未だに知らないシヲンは、彼らは雑食なのだろうと推測していた。
「そうだ、シヲン。ドーリの野郎に明日にでも自分が行くから酒樽を用意しとけ、って伝えてくれぃ」
「いやいやガラッカス、大酒飲みもたいがいにしといた方がいいぞ」
「ひっさびさに街に戻ってきたんだぁ、宴といこうじゃねぇかぁッ」
意気揚々とするガラッカスに対し、シヲンは苦笑を漏らした。
悪名高い連中の溜まり場、と言われれば聞こえが悪いが、実際のところは犯罪者であろうとなかろうと、仲良くどんちゃん騒ぎをしているのが、ドーリの酒場だ。
それはドーリのカリスマ性と統率力、そしてシヲンの存在が成し得る業だと言えた。
「分かったよ。んじゃ、俺はそろそろアジトに戻るよ。みんなには、白蛇が戻ったって伝えとく」
「おう、頼むぞぉ」
歴戦の猛者が人間味溢れる笑顔を浮かべ、シヲンに両手を振った。
シヲンも苦笑いしつつ、右手を軽く振り返した。
ジンとニャオそれにガラッカスとの関係は、ただの他人と呼んでいいものだろうか。ふとそんなことを考えて、何か恐ろしく感じた。
そこでガラッカスが思い出したように口を開けた。
「ちゃんと、あの女と仲良くしろよぉなぁ」
その一言にシヲンは口を尖らせてつつも、反論せずにくるりと身を翻して、猥雑とした街並みの間を進み始めた
ガラッカスに言うだけ無駄だ。逆にシヲン自身が言いくるめられてしまうだろう。
空を見上げて軽く背筋を伸ばした。
今日の天気も一日曇り。何となくイイコトがありそうな気がした。
人通りの少ない道をゆっくりとした足取りで進む。
元はケットライダースのアジトだった場所が、ドーリが経営する酒場だ。もはやそこに来る常連客もケットライダースのメンバーのような扱いになっている。
そうした者からの寄付金で、酒場は幾度も拡張され、酒瓶の銘柄も高級なものばかりが揃えられている。内装には手が回らないらしく、漆喰の壁にはひび割れが目立ち、石畳の床の上には木製のテーブルと椅子が無造作に配置されている。
酷くごちゃごちゃとしているが、塵や埃は隅々にまで存在してはいない。猥雑すぎる空間とは裏腹に、一定以上の清潔感が保たれていた。
それにはドーリの妻である女性の存在が大きい。猫族の女性で、全身が純白の毛並みのスラリとした体躯の美人だ。といっても、白族のシヲンから見れば可愛らしい猫に映る。二人にはすでに三人の子供がいて、歳は十歳に満たない。可愛いげな三つ子の猫族の少年少女だ。
シヲンは子供たちから『シヲンおじさん』と呼ばれて、親しまれている。
幼い子供からの無垢な笑顔を向けられるのは、何となく気恥ずかしく、嬉しい。
暇があれば、子供の遊び相手になってあげていた。子供に好かれやすいのか、父親のドーリよりもシヲンと遊びたがる子供たちに、盗賊団の面々からは笑いが絶えない。
比較的大きな道を通るのは避けたかったために、シヲンは脇道に逸れて細い道を進んだ。道には人の姿はなく、建物の中から時折挨拶の声が飛んできた。そのたびにシヲンも言葉を返して、簡単に挨拶を済ませた。
一部が崩れ落ちた塀の隙間を通り抜け、人目を避けて隘路を進む。
そんな自分に嫌気が差してくる。今ある日常を失うことを恐れて、毎日ビクビクと怯えている自分がどうしようもなく嫌だった。それでも守りたい世界が小さい方が、ラクであり安心出来た。
腕を伸ばせば端に届いてしまうような、小さな世界ならば壊れない気がした。
ふと、早朝から曇天の空とは裏腹に快活な笑い声や陽気に歌う声が聞こえてきた。朝から近所迷惑になっている音の発信源が見えてくる。
増築された結果、場所ごとに壁の色や建物の形が全く異なった三階建ての建築だ。一階全体が酒場で、まるで腫瘍のように突き出た増築場所は造りが粗く、建物の形を歪なものにしている。
一階部分の上に単に載せられたような印象を与える二階部分は、一目でそこが増築されたものだと分かる。上に向かうほどに拡がった台形をしていて、壁からは排気管らしきパイプが数本確認出来る。二階部分だけが窓は円形をしている。
そしてその上に新たに載せられた場所が、丁度見張り台のような格好をしていた。こぢんまりとして、個室であるかのよう。
建物の外には看板が出され、でかでかと猫のイラストが描かれている。それだけではこの建物がどんな場所か要領を得ないだろうが、そこに描かれた絵がケットライダースのエンブレムだと、ココでは誰もが知っている。そして、片手にグラスを握ったまま、歌って踊ってのどんちゃん騒ぎをしていれば、それとなく察することはできるだろう。
あの場所こそが、ケットライダースの拠点であり、レッドラスト唯一の酒場《フィッシュストーリー》だ。
日本語に訳していいのならば、でたらめ話。大袈裟な嘘。そんな名前の酒場には、確かな賑わいが存在した。
店の扉は両開きで、重い木製のものだ。
シヲンは店に近づく前に一旦立ち止まると、顔の前で十字を切った。途端にシヲンの身体が透け始め、とうとう完全な無色透明へとなった。
これは透明化魔法、インビジブルの効果だ。
最近では魔法を使用するのも、呪文やイメージだけでなく、決めた動作による発動も取り入れていた。そうすることで、いちいち魔法を思い出さずとも、呪文を口にせずとも咄嗟の動作で使えるようになった。一度に複数の魔法の使用も可能だ。
そうでなくては生きていけない場面に幾度も遭遇した。無我夢中で樹海を駆け抜け、魔物を狩り続けた日々に編み出した技だ。
完全に景色に溶け込んだのを確認して、酒場へと近づいた。
さすがにシーカーのメンバーは立ち去った頃だろう。中からは談笑する声がひきりなしに聞こえてくる。その声の主たちの多くは、首に高額の賞金が掛けられた者たちだ。
いくら少数精鋭のシーカーメンバーといえども、店の中に留まり続けるだけの度胸は持ち合わせていないだろう。
そんな風に高を括った。
シヲンはおもむろにドアの取っ手に手を伸ばした。が、指が触れる直前で、ドアが内側に勢いよく開かれ、店内から伸びた手がシヲンの手首を掴んでいた。
開いた口が塞がらなくなった。
突然のことにシヲンは反応出来ずに、目の前に現れた人物をじっと見つめた。
まさかいるとは思いもしなかった。
シヲンの目の前には、薄い茶髪を長く垂らした容姿端麗な少女の姿があった。
線の細い顔立ち、シミのない処女雪のような肌、長めの睫毛、薄紅梅色の唇、整った形質が眸に飛び込んだ。
その容姿のために、ファンがいるという噂も聞く。事実、街中を歩けば大抵の人間が振り向くほどだ。
青紫と赤紫の二色で染められた服は戦闘用なのだろうが、少女のスタイルがいいためかオシャレ着に見えた。
少女は広く名の知られた旅人だ。その名前は誰もが一度は聞いたことがあるほど、と言っていいかもしれない。《一閃》、その二つ名で知られる少女がシヲンのもとを訪れたのは二ヶ月前に遡る。フォルトの森で姿を見られたのが原因だろう、その後少女はリグレットにまで戻り、ケットライダースの拠点に顔を出したのだ。
あの時の盗賊団メンバーの驚きようは見物だった。いきなりトップギルドの副団長様がやって来たのだ、無理もないだろう。その日以来、少女はちょくちょく顔を見せに来るようになった。初めの頃は勘弁してもらいたいと愚痴るしかなかった。
少女の足は一向に遠ざかる気配を見せず気づけば、少女はシヲンを名前で呼ぶようになり、盗賊団メンバーとも打ち解けていた。
ぜひともその不屈の精神を称賛したいところだ。見習いたいとは思わないが。
濡れた眸には周囲の景色しか映りこんでいないが、少女はシヲンの存在を確かに感じ取っていた。少女が目を瞬かせながら、口を開けた。
「あれ? 多分、掴まえたと思うんだけどなぁ。反応がない……」
「キャナさん、いきなり立ち上がってどうしたんですか」
少女の後ろから狐を想起させる風貌の少年が駆け寄って、首を傾げた。
ひょこひょこと動く三角の耳は、幼い顔立ちと相まって、愛くるしさを増大させる。
一度だけでいい、あの耳を触ってみたい。
少女は眉根を寄せつつ、少年を顧みた。
「えっとね、多分掴まえたと思うんだよ。ここにシヲンがいると思うんだけどなぁ」
少女が余った左手でペタペタとシヲンの胴体を触り始める。それだけで分かりそうなものだが、少女は未だに確信がもてない様子だった。いや、単に白を切っているようにさえ思えた。シヲンの存在を確信しているのに、知らないふりをしているようだった。
このままでは何をされるか分からない。シヲンは慌てて少女の手を引き離そうとして、少女の華奢な身体を軽く押した。それがいけなかったのだろう。少女がバランスを崩して、シヲンに倒れ掛かった。
「きゃぁッ」
シヲンは咄嗟に少女を抱き止めに入ると、少女がそのまま抱きついてきた。背中に手を回して、ぎゅっと腕に力を込めてくる。少女の体温がじんわりと伝わってきた。意識しないように努めても、少女の身体の柔らかさについつい意識が向いてしまう。
どうやら少女が着痩せするタイプだということが分かった。シヲンの胸板に伝わる柔らかくも確かな圧力が教えてくれた。
少女のほうがシヲンよりも少し身長が高く、シヲンの顔のすぐ近くに少女の顔が迫った。少女の髪から花のような甘い匂いが漂い、鼻腔をくすぐる。
シヲンは早まる鼓動の抑えかたを忘れ、頭に血が昇る音が聞こえた気がした。
突然美女の顔がすぐそこまで迫ったのだ。感情の高まりは仕方のないことだと思いたい。
どくん、どくん、と高鳴る心音が伝わっていまいか不安になった。
さすがに耐え切れなくなり、シヲンは少女の抱擁から身を捩って逃れた。少々名残惜しい気持ちがあったのを首を振って忘れようとした。
シヲンは目の前の少女が苦手ではなかったが、ズカズカと人の心に歩み寄ろうとするその気が知れなかった。どうして何度も自分の前に姿を見せに来るのか、その意図が分からなかった。どうしてこの世界にいるのか、その理由を知るのが恐かった。
しかし、一番に恐れていたことは、少女が自分に関わったことで死にはしないか、ということだった。そのために、暇があればやってくる少女を見るたびにホッと安堵し、失う恐怖で心臓を鷲掴みにされた。
そんなシヲンの葛藤を知らない少女は、何故か幸せそうに笑みを零していた。
その笑顔を見たシヲンは、眸を奪われた。そして、脳裏にすでに失われてしまった少女の笑顔が過ぎって、きつく下唇を噛んだ。
もはや夢のようにさえ思えてしまう過去の日々は、それでもなおシヲン自身に警告を続けた。
お前では誰も守れない。
そんな戒める声が聞こえた気がして、少女から距離を置くために数歩後ろに下がった。
そこで店内から新たに姿を現した人影が眸に映った。
かなりの巨漢だった。二メートル近くのガラッカスに匹敵するだろう。黒い肌をしており、純粋な日本人ではないことは一目で知れる。スキンヘッドの頭を寒そうに見ていると、男は顎をさすりながら周囲を見渡した。
「おい、シヲンとやら。聞こえているなら姿を見せてくれ。オレたちには時間がない。それはお前だって同じことだ。すでに残り一年半を切っているんだ。どうか討伐に参加してくれ」
高圧的な言い方だと思ったが、シヲンにも男が切羽詰った心境にあることが分かった。
男の言い分ももっともだと感じて、姿だけでも見せようと魔法を解いた。
シヲンの姿を確認した少女が表情を綻ばせる。その笑顔を見ただけで、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「あんたらの言う通りなんだろうな」
「じゃあ──」
「でも、すまない。俺じゃ駄目なんだ」
男の言葉を遮って、シヲンは首を振った。その言葉に傍から見ていた少女と少年が、明らかな落胆の色を見せた。
男はそれでも食い下がらず、シヲンに詰め寄ってきた。
「どうしてだ。お前ほどの実力者の何が駄目なんだ?! 二ヶ月前、お前がイモータルを葬ったのを見た。一〇〇〇人近くを喰らったタブーの怪物をたった一人で倒したという話も聞いた。それで何が駄目なんだ? 十分すぎるほどお前は強い。なのに何故だ? おい、答えろ──うッ」
「噂で聞かなかったか? 俺に干渉するな、死ぬぞ」
男が言葉を詰まらせて、足を止めた。その首筋には真紅の刀身が当てられていた。
禍々しいほど赤い刃は人の血の色を思い出させる。
光化が主なこの世界では、血の赤は滅多に見られない。体内に魔力を有していない人間のほうが、遥かに珍しかった。
「旦那ッ、なにやってんですか!? オイラの店の近くで、いざこざはやめてくだっせい。それにそこまで頑なに拒否しなくてもいいじゃねぇですか」
店から大慌てで飛び出してきた黒い影は、シヲンと男の間に割って入ると、シヲンに大鎌を下ろさせた。
影の正体は黒い毛並みの猫族の男、ケットライダースの頭を務めるドーリだった。一年を通して半袖短パンという格好で、シャツには猫のイラストが描かれている。
「悪かった、ドーリ。ついやっちまった」
「悪いと思ってんなら、ダンゾウさんに謝ってくだせい」
ドーリに言われて、シヲンはダンゾウに対して深々とお辞儀した。
「本当に悪かった。だけど、俺は一緒に戦えない。力になりたいと思う、けど無理なんだ。今の俺じゃ、誰も守れない……」
「…………そうか。ならばもうお前の元には来まい。他に当てがありそうな人間を探そう。おい、キャナとレン。そろそろギルドに戻ったほうがいいだろう。団長が待ってる」
ダンゾウの呼びかけに、渋々ながら少女と少年が頷いた。
男とは違い、この二人はどういうわけかシヲンに好意的だった。特に少女は事あるごとに、シヲンの傍に近づきたがった。
「シヲン、君には言わなくちゃいけないことがたくさんあるの。謝らなくちゃいけないこともたくさん。だけど、一つだけ言わせて。私は君に出逢えて本当に嬉しかった。後悔はしてないよ」
その言葉にどうしてか救われた思いがした。
「ありがと、カナ。だけど今日でお別れだよ。どうか無事で」
「うん」
キャナは眉尻を下げて悲しげに微笑んだ。
そのままキャナたちは懐から指先ほどの水晶を取り出した。あれは簡易転移用水晶だ。
使い捨ての代物だが、どんな場所でも転移出来ることから価値が高い。
一般人ではなかなか手が出しにくいものだ。
マナクリスタルの原理は知らないが、あれもまた魔力が関係しているらしい。簡易転移用水晶は、通常のマナクリスタルよりも数倍魔力が宿っているようで、一粒で街の巨大水晶に匹敵するほどそうだ。ただ小さいだけあって、極端に脆くすぐに砕ける。
それを街中で使用することからも、彼らが本当に急いでいるのだと理解した。
罪悪感が込み上げて、彼らを呼び止めたい衝動に駆られた。拳を固く握って、言葉を喉の奥に押し止めた。
「じゃあね、シヲン」
瞬時に光に包まれていくキャナが最後まで手を振っていた。その顔には先ほどまでの寂しさはなく、笑顔が浮かべられていた。精一杯つくった笑顔なのだと悟った。
だからこそシヲンは、その笑顔を忘れないように眸の奥に焼き付けておこうと思った。
「さようなら、カナ。君を忘れないよ」
シヲンの呟きは、酒場の談笑が掻き消した。