8.「魔剣 その2」
ヘリック・ディロウは空位のヴァンガードだ。
剣の実力も、魔法の練度も。こなしてきた依頼の数だって、そこら辺の奴らに負けていない。そう自負するだけの実力がある。
だが、それでも。何度掛け合っても星位には上がれない。
苛立ちが募る。焦りが怒りを呼ぶ。
血の滲むような努力をしてきた。いつだって、依頼には真摯に取り組んできたつもりだった。
だというのに、ギルドは「まだ早い」の一点張り。
何かが足りない。実力なのか、あるいはこなした依頼の数なのか。はたまた、もっと別の何かなのか。ヘリックにはもう、見当がつかなかった。
だというのに。これほど焦がれているというのに。
誰も評価してくれることはない。
許せない。
──アラン・ノイン。
自分よりも低い階位にいるはずの奴が、遥か高みにいる天位の連中と親しげに話しているのが。
ヘリックには、堪らなく許せなかった。
いつもダラダラと、努力もしなければ、命だって懸けやしない。ただ簡単な依頼ばかりこなして、数だけを増やしている。
なのに、なんであいつはあんなに天位の連中と親しげにできるのか。
なぜ、これほど努力をしている自分じゃないのか。
「くそッ!」
ヘリックは、苛立ちを隠すこともせず、その怒りのままに路地裏に置いてあった木箱を蹴り飛ばした。ガラガラと音を立て、その木箱が転がっていく。
さっきのことを思い出して、ヘリックの怒りはますます増していく。無自覚にも、握る手に力がこもる。
その時、ふと、転がっていく木箱が唐突にその動きを止めた。
「ア?」
箱が行き着いた先。昼間だというのに薄暗い路地、その建物の影が落ちる場所に、誰かが立っている。
その足が、転がっていた木箱を止めていた。
頭からつま先まで、全身を覆い隠すような外套に身を包んだ人物。シルエットだけでは、男か女かもわからない。
顔すら見えないその人物が、かすかに笑った気がした。
それが、ヘリックの怒りを助長する。
「テメエ、何がおかしい」
苛立ち交じりに、普段よりも数段鋭いその眼光が、その人物を睨みつけた。
一般人ならば、それだけで尻もちをつきながら逃げ出していただろう。だというのに、その外套の人物は、微動だにすることはなかった。
「いいえ、おかしくなんてありませんよ。ヘリック・ディロウさん」
「……なんで俺の名前を知ってやがる」
鋭い眼光が、ますます鋭利に細められる。
あからさまに怪しい人物──声からして男か──に、警戒心を隠すことなく腰の剣へと手を伸ばした。
「それはもちろん知っていますよ。空位のヴァンガードともなれば当然でしょう」
「理由になるかよ。空位なんざごまんといる」
「ふむ、自己評価が低いのですね」
「ほざけ」
剣に添えられた手に、力を込める。
その瞬間、目の前が真っ暗になったように感じた。
──いや、違う。
真っ黒な外套の男が、目の前まで距離を詰めている。
それを理解した刹那、ヘリックは剣を抜こうと試みる。
だが、剣は鞘から抜けることはなかった。
柄頭を、外套の男が押さえ込んでいるのだ。
「……ンだこれ……」
手の中に収まる、一振りの剣。
どこか物々しい雰囲気を醸し出すそれは、一目でただの剣ではないことがわかる。昏く、静かなはずなのに、見ているだけで目を奪われるその存在感。
──この剣を使えば。
ヘリックの頭に、そんな言葉がよぎる。
柄を握る。その瞬間、ヘリックの目の前が、血にまみれたかのように真っ赤に染まった。
怨嗟の声。怒りの咆哮。
それらがヘリックの心を侵していく。
そこで、ヘリックの記憶は途切れた。
──────
「──ッ、スイレン!」
霧がかかったような感覚が消え、地下室を見渡したリンドウ。その金の瞳に映ったのは、美しい着物を血で汚したスイレンの姿だった。
いつもは冷静沈着な彼は、すぐさま彼女へと駆け寄った。
なぜこんな場所にいるのか。なぜこれほどの傷を負っているのか。考えるべきことは多かったが、それ以上に、今大事なのは彼女の安否である。
彼女の体に触れ、その呼吸を確かめる。
すると、僅かに胸が上下していることがわかった。
はだけた着物の隙間から覗く肌には、痛々しい傷跡が残っている。だが、もう出血しているわけではないらしい。
その周辺と衣類は血で塗れているものの、どうやら傷口は塞がっている。
傷から感じるマナの残滓から、自身で治癒を施したことがわかる。
「リンドウさん、スイレンさんの容体は?」
「──生きてはいる、といったところか。己で傷を塞いだらしい」
「そう。流石はスイレンね」
リンドウの横でスイレンの様子を窺うシンシアが、安堵したような声を漏らした。
「よかった──」
シンシアがそう胸を撫で下ろした、その瞬間。
彼女の持つギルド証から、焦燥に満ちた声が響く。
いや、彼女のギルド証だけではない。リンドウのものからも声が響いた。
「こ、こちらギルド本部! ギルド内で、ヴァンガードの一人が錯乱、暴れています! 誰か救援を──」
焦燥に満ちたその声は、まるで何かに遮られたかのように、途中で途切れた。
その内容に、アランも、シンシアも、リンドウですら驚いたように顔を見合わせる。
「【天眼】、【無刃】。お前たちはギルドに戻れ。私はスイレンを介抱する」
「──わかったわ。スイレンのこと、お願い」
シンシアは、自分が言うことではないと思いつつも、そう言った。
アランは頷き、立ち上がる。もうその手に魔剣は握られていない。いつの間にか納めていたのだろう。
アランとシンシア。二人はリンドウにその場を任せ、急いで屋敷を飛び出した。
屋敷は商業区の外れ。ここから中央区へは、最短距離でも一時間はかかるだろう。
アランは走りながら、そんなことを考える。
だが、それほどの時間をかけている余裕などあるはずもない。
間に合わない。
そんな考えが頭をよぎった、その時。
前を凄まじい速さで走るシンシアが、急にこちらを振り向いた。
「アラン、飛ぶわよ!」
「は!?」
シンシアのその一言に、アランは驚いたまま声を上げる。
しかし、説明することもなく、シンシアはアランの速度に合わせて横に並ぶ。そして彼の襟首を掴み上げ、一気に跳躍した。
「“風よ”“我が身に疾風の如き力を”」
短い詠唱。
その瞬間、空中へ躍り出た二人の体を突風が包み込む。
そして、一気に加速した二人は、中央区のある方角へと流星となって飛翔する。だと言うのに、体にかかる風圧はさほど感じない。相当の技術である。
そこから中央区までの道のりは、ほんの数十秒ほどのものだった。
二人が、地面へと着地する。凄まじいスピードで飛翔したというのに、着地の瞬間は驚くほどに静かなものだった。
だが、それを称賛している暇はない。
アランとシンシアは、そのままギルドへと駆ける。
ギルドの外、そこには多くの人だかりができていた。
職員や、彼らを避難させることを優先したヴァンガードたちが、中の様子を伺っている。そんなギルドの中からは、何かが破壊される音と怒号が聞こえてくる。
「あ、シンシアさん、アランさん!」
「どういう状況?」
二人の姿に気づき、声を上げたのはエリナである。彼女はやってきたシンシア、アランの姿を見て、表情を少しだけ明るくする。
「それが、暴れているのはへリックさんでして……」
「へリックが暴れてる?」
「はい。普段とはすこし違った様子でして、変な剣を振り回しています……」
アランはそんな説明を聞き、僅かに開いた扉から中の様子を伺った。その中では、剣を構え、いつも以上に悪人面をゆがめたへリックと、それを取り囲むように、何人かのヴァンガードが相対している。中には星位のヴァンガードもいるが、膠着状態、といった様子だった。
「どうなってるのよ、なんで星位がいて取り押さえられないのよ」
「大方、あの剣の力だろ」
いつの間にか隣に立つシンシアの問いに、アランが答える。
へリックが持つ剣。それは明らかに魔剣の類だ。滲みでる異様な力が、それを物語っている。
「アラン・ノインはどこだ!!?」
そんな風に様子を窺っていると、へリックがそう叫ぶ声が聞こえた。予想だにしない自身の名前に、アランが驚いたかのように目を見開いた。
「オレ!?」
「ご指名らしいわよ」
シンシアが茶化すようにいう。茶化している場合じゃないだろう、という感想はおいて起き、アランは少しの間考え込んだ。
「オレを狙ってるなら……、エリナさん、今って地下の試験場は開いてるか?」
「試験場、ですか? たぶん……」
「よし。なら、俺が試験場まで誘導す──」
アランがそう言おうとした瞬間、彼らがいるギルドの入口に、机の一つが飛んでくる。咄嗟にアランは身を引っ込めると、その机は扉を粉砕して外へと転がった。
「ようやくお出ましかよ、【刃無し】ィ!」
見つかっちまった。そんな風に思いながらも、アランは腰の剣へと手を掛ける。
「とりあえず、試験場まで誘き寄せる。他に被害が出ないようにそっちは頼んだ」
「わかったわ」
「女とイチャイチャ楽しそうじゃねえかよ、なあ!?」
跳躍し、剣を振り下ろすへリックの一撃を、アランは受け流すことで対処する。体勢を崩したへリックを尻目に、アランは試験場のある地下へと走り出す。
「待てやぁ!!」
「追いついてみろよ」
もともと挑発には弱いへリックだ。今ならなおさらだろう。必ず追いかけてくるよう仕向けるためにも、アランは笑みを浮かべながら挑発する。その背中を、へリックは当然のように追いかけ始めた。
なぜこんなにアランに執着するのか、アランにはいまいち理解できないが、矛先が自分に向いているのであれば好都合。
アランはそんな風に考えながら、地下の試験場へと急いだ。




