5.「消えた癒姫」
「あの子、気にならへんの?」
「知らん」
会議室を後にし、リンドウの背中に追いついたスイレン。彼女は横に並ぶと、前を向いたままそう問いかけた。
しかし、返ってきたのは冷たく突き放すような一言のみ。
そんなリンドウに、スイレンは小さく肩をすくめてみせた。
「にしても、なぁんか気味の悪い子やったなぁ。見さしてもらお思うててんけど、なぁんも見えへんかったわ」
こんなの初めて。
スイレンがそう嘆息する様子に、リンドウはフ、と小さく鼻を鳴らす。
「だろうな。アレは相当な手練れだろう。……私は奴がハランドを殺ったと言われても驚きはせん」
「……なんや、見てへんようでよう見とるなぁ」
思いがけないリンドウによるアランの評価に、スイレンは少しばかり面食らう。
ずっと黙りこけ、目すらほとんど開かなかったというのに、どうやらあの青年のことを相当評価しているらしい。
その評価が、良いものか悪いものかは別として。
剣呑さすら感じさせる眼光。
リンドウは、あのアランとかいう青年に対し、何らかの疑いを持っているらしい。
スイレンからしてみても、マナの動きすら感じさせないほど己を隠す彼には、違和感を覚える。
不信感、あるいは猜疑心ともいうべき感情がある。
「なんか隠しとる気ぃするなぁ」
「あの【天眼】が見初めた男であるなら、そうではないと信じたいものだがな」
「せやねぇ」
とはいえ、シンシアには申し訳ないものの、スイレンとしては疑ってかかるべきだと感じていた。
触れた時のこともあるが、それ以上に、あの胡散臭さが拭えない男をギルド長自らが招いたのだ。何か裏があると思うのも当然だろう。
それはリンドウやスイレンだけでなく、バルガやレイリアも感じたことだろう。
「ほな、ウチは検死でもさせてもらおかなぁ」
アランという青年のことを一旦頭の隅へと追いやり、スイレンは伸びをするように腕を上げる。
艶やかな肢体が、着物越しとはいえ、その美しさを強調する。
すれ違う職員がその動きに目を奪われ、そのまま廊下の置物へと激突する。
そんな様子を尻目に、リンドウが眉間に皺を寄せた。
「スイレン。皆の目に毒だ。場所を考えろ」
ため息交じりに放たれる言葉に、スイレンは小さく舌を出す。
まるで分かってやっているかのようだった。
「ほな、ウチはギルドの人に掛け合ってこよかな」
「あぁ」
スイレンの言葉に、リンドウが短く返事を返す。
それを聞き届けた彼女は、そのままギルドの職員が集う事務室の方へと進んでいく。
残されたリンドウは、その姿を見送ったのち、再び外へと向けて歩き出した。
───────
薬の匂いが残る、白い部屋。
ギルドの中に設けられたその一室で、台に横たわる大柄な男の体を前に、スイレンは着物の裾を紐で縛り上げる。
その男の体には、無数の傷跡が痛々しく残されていた。
生気の抜け落ちたその体を、そっと撫でる。
命を失ってから一日は経っているというのに、どこかまだ温かさが残っているような気がした。
「うん、ええ具合に保存してくれてはるなぁ」
おおよそ、ここまで遺体を運ぶために、保存の魔法を施したのだろう。
スイレンはくすりと笑みをこぼしながら、傷跡や筋肉に触れていく。
己のマナを、その内側へと浸透させていく。
治癒魔法の基本。
それは、自身のマナを対象となる他者のマナと同調させることにある。
そして互いのマナを用い、内側と外側から傷を治癒していくのだ。
だが、死した肉体と同調することは不可能である。
死んだ体からはマナが徐々に抜け落ち、世界へと溶けていく。
こちらだけが同調しようとしたところで、意味をなさないのだ。
「ふんふん、なるほどなぁ。浅い傷も多いけど、深い傷も相当、ってところやなぁ」
とはいえ、死体となった体にマナを浸透させることで、その傷の具合や状態を知ることはできる。
今まさに、スイレンが行っていることだ。
無論、相当な技術を持つ者にのみ許される行為ではあるが。
「にしても、なぁんかおかしいんよなぁ」
「スイレン様、いかがなさいましたか?」
ふと、検死室の入り口に立つ職員の青年が、首を傾げながらそう問いかけた。
スイレンが首を傾げながら呟いた言葉に反応したらしい。
「うん? あぁ、なんかな? 血が足りひんような気がするんよ」
「血、ですか?」
「うん。もちろん、こんだけ傷があるんやから、失血してるんは分かるんやけど、にしたって体に残っとる血の量が少ないんよな……。それに、傷口のどれも、なんか変なモヤみたいなもんが纏わりついとる」
スイレンの言葉に、職員の青年が目を凝らし、傷口を見る。
しかし、彼の目にはただの傷口にしか見えなかった。
「そう、ですか?」
「うん。まぁ、普通の目やったら分からんのはしゃあないんやから、あんま気ぃ落とさんとき」
どこか申し訳なさそうに眉を顰める青年に、スイレンは励ますように声をかける。
確かにスイレンもそう言ってはいるが、実際にその目で見えているわけではない。
浸透させたマナが、それを教えてくれているだけに過ぎないのだ。
「せやなぁ、『呪い』に近い気がするなぁ」
「『呪い』ですか?」
「うん。『呪い』とか受けよると、体にこんなモヤがまとわりつくことがあるんよ」
それに似ている、とスイレンはマナを通して感じた所感を告げる。
だが、傷口にのみ呪いが掛けられることなど、あるのだろうか。
スイレンは触れていた手を止め、考えるように顎へ手を当てる。
「あるとすれば──『魔剣』の類やろか」
そう呟いた、その瞬間だった。
ドス、と背中に何かがぶつかった感触があった。
胸の間が、ジン、と熱くなる。
視線を下ろすと、美しい双丘の間から、何かが突き出している。
──違う。
貫かれたのだ。
そう悟った時には、すでにそれは引き抜かれていた。
身を捩りたくなるほどの痛みとともに、体から温かな液体が吹き出すのを感じた。
もはや、スイレンには振り返る余力すら残されていなかった。
薄れゆく意識の中で、彼女はただ、傷口に手を当てることしかできなかった。
その中で、微かな声が耳朶を打つ。
痛みに支配される体の中へ、スッと入り込むような音。
「ゴメンよ。少しだけ、早過ぎたかな」
スイレンの意識の中で、最後に聞こえたのは、その言葉だった。
─────
「は? スイレンがいなくなった?」
明朝、ギルドの本部へと赴いたシンシアに、焦燥を募らせるエリナが告げた言葉は、信じ難い衝撃を与えた。
その驚愕を一切隠そうとしないシンシアは、持っていたパンの袋をその場に落とし、エリナの肩を掴む。
「どういうこと!? まさか、スイレンまで?」
「シ、シンシアさん、ちょっと……痛い、です」
顔を僅かに歪ませるエリナ。
しかし、シンシアはそんな声など聞こえていないかのように、エリナの肩を掴む手に力を込める。
「──おい、シンシア! 何してんだ!」
そんな時、ギルドの扉を潜り、顔を出したアランが、咄嗟にシンシアの腕を掴み上げる。
それにハッと我に返ったシンシアが、申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「ゴメンなさい。つい、我を忘れたわ……」
「だ、大丈夫です……。シンシアさんの気持ちも分かりますから……」
床にへたり込みながらも気丈に振る舞うエリナに、シンシアはますます申し訳なさを感じるほかなかった。
その様子を見てから、アランは口を開く。
「それで、何があったんだ」
「それが、昨日の会議の後、スイレンさんがハランドさんの遺体の検死に向かったんですが……その……」
「?」
歯切れの悪いエリナに、アランは訝しむように首を傾げる。
言いにくそうなエリナに代わり、その答えを告げたのはシンシアだった。
「スイレンが、いなくなったそうよ」
「……いなくなった?」
驚くアランに、シンシアが頷く。
彼女もまだ、しっかりと状況を把握しているわけではないのだろう。
エリナの顔は少しばかり青ざめている。
疲れが溜まっているというのが一目で分かるほどに、窶れていた。
「エリナさん、あんた昨日は寝たのか?」
「いえ、スイレンさんがいなくなったと報告があってからは……」
「ってことは、あの人がいなくなったのは昨日のうちってことか……」
腕を組み、顎に手を当てる。
アランは思考を巡らせながら、昨日のスイレンの様子を思い浮かべていた。
天位の死亡を聞いて、もう一人の天位が姿を消す。
偶然と呼ぶには少し──いや、大いに出来過ぎている。
とはいえ、スイレンにハランドを殺害することはできないだろう、とアランは踏んでいる。
「とにかく、エリナさん。あんたは少し休んだほうがいい」
「ですが……」
「それには私も同意だな」
エリナを心配するアランの声に同意したのは、予想だにしていないところからの声だった。
その声に、シンシアも、エリナも、アランも驚いたように振り返る。
すると、そこには藍色の髪を揺らすリンドウが佇んでいた。
「アンタ……」
「【天眼】、それに【無刃】だったか。スイレンのことなら気にするな。彼奴は死んではいない」
【無刃】と呼ばれ、アランは少しばかり眉を顰める。
確かに、巷ではアランのことをそう呼んでいると聞いたことがある。
しかし、この男にそれを知られているとは思っていなかった。
「なんで、死んでないって分かる」
アランはリンドウへと問いかける。
その問いに答えてくれるか否かは、正直分からなかったが、どうやら答える気はあるらしい。
リンドウは懐に手を入れると、指で摘まめる程度の水晶玉を一つ取り出した。
「これは『灯火の水晶』という魔道具の一種だ。私とスイレンは、互いに互いの命の灯火を宿した水晶玉を保有している。死んでいるのなら、この水晶は割れているはずだ」
「……なるほど。割れてないってことは、少なくとも死んではいないわけか」
「そうだ」
「で、気にするな、っていうのは?」
アランから言葉を引き継ぎ、詰め寄るようにシンシアが前へ出る。
その剣幕に、アランであれば一歩下がってしまうところだろう。
しかし、リンドウは微動だにすることなく、シンシアへと目を向けた。
「言葉の通りだ。奴は私が探す。探し出し、奴を連れ去った者をこの手で殺す」
怒気はない。
凪のように静かで、静謐な響きを宿した声。
しかし、その響きとは裏腹に、その言葉は酷く剣呑なものだった。
リンドウの纏う空気が、パリ、と音を立てた。
僅かに発光したような気さえする。
「お前たちはサンクの言う通り、ハランドの真相を追うがいい」
「アンタ──」
「分かった。リンドウさん、くれぐれも気をつけて」
スイレンの行方を心配するシンシアの気持ちは分からなくもない。
実際、追うなと言われ、リンドウに詰め寄ろうとするシンシアの表情には怒りが滲んでいる。
声を荒らげようとするシンシアを手で制し、アランは言葉を被せた。
シンシアは納得がいかないだろうが。
「ふん。アラン・ノイン、だったか。その狂犬の手綱を確と握ることだ」
「飼い主じゃないんだけどな」
リンドウはアランを真正面から見つめたのち、踵を返して背を向ける。
こちらを睨みつけるシンシアの視線に気づかないふりをしながら、アランはその背中を見送った。




