2.「招集」
2.
「ほんっとうにありがとうございます!」
なんとか捕まえたネコを連れ、訪れた一軒の民家。
ドアをノックした瞬間、飛び出してきた女性とぶつかりそうになりながらも、アランは抱きかかえていたネコを彼女へと渡した。
深々と頭を下げ、今にも涙を流しそうな女性に苦笑を浮かべつつ、アランは少しばかり心が温かくなるのを感じた。
もちろん、その間も隣にいるシンシアは、何か言いたげな笑みを浮かべている。
そんな一幕から、しばらく。
日も傾き始めた頃合いに、報酬を受け取るため、二人はギルドへと足を向けていた。
「良かったわね。相当喜んでたわ、彼女」
「ま、スクロール一枚無駄にした甲斐はあった」
肩をすくめてみせるアランに、シンシアは何も言わず笑みを浮かべる。
その様子に少しばかり居心地の悪さを感じながら、アランはコホン、と一つ咳払いをした。
「あー、その……なんだ……今日は……助かった……」
「あら、あんなに邪険にしてたくせに、やけに殊勝じゃない」
「はぁ……そう言うと思ったから、言いたくなかったんだ……」
やれやれ、とばかりに首を振るアラン。そんな様子に、シンシアはくすくすと小さく笑う。
「冗談よ。私はアンタに命を助けてもらったわけだし、こんなんじゃ足りないもの」
「何度も言ってるが、別に助けたってほどでもない。それに──」
「それに?」
「いや、なんでもない。とにかく、あの時のことはもういい。お前も気にすんな」
アランはそっぽを向く。
その横顔を、茜色に染まり始めた陽の光が照らしていた。
シンシアはまだ納得していない様子だったが、これ以上食い下がるのも恩を仇で返すようなものだと思ったのだろう。小さく肩をすくめるだけに留めた。
そうして歩いているうちに、二人の目にヴァンガードギルド本部の建物が入ってきた。
この街の象徴とも言うべきその建物は、茜色の光を浴びて、どこか物々しい雰囲気すら漂わせている。
窓の向こうには、点々と灯る明かりの中を右往左往する人々の姿がちらほらと見えた。
ギルドの職員たちは、こんな時間になってもまだ大忙しらしい。
「今日の礼に、酒の一杯くらいは奢る」
「気にするなって言ったばかりじゃない」
「それは前の話だろ。今日のは別だ。借りはそのままにしておきたくないんでね」
アランの言葉に、シンシアが肩をすくめる。
自分は恩を返されるのを嫌がるくせに、人にはきっちり返したがる。
なかなか面倒な彼の様子に、シンシアはどこか子供っぽさを感じていた。
二人は目の前まで迫ったギルドの扉を開き、中へと入る。
天井から吊るされた大きな照明灯。マナを与えることで光を放つマナ光晶が嵌め込まれた光晶灯が、広い内部を明るく照らしていた。
何度見ても便利なものだ。
そんなことを考えるアランをよそに、受付にいたギルド職員たちは、入ってきた二人を見るなり何やら話し始めた。
「ん? 何かしら」
いつもとは違う雰囲気をシンシアも感じ取ったのだろう。
首を傾げながら、職員たちの様子を眺めていた。
「なんかあったくさいな」
「そうね。でも、ギルド全体が慌てるなんて、一体──ッ」
周囲を見渡しながら話していたシンシアの言葉が、唐突に止まる。
不自然に言葉を切ったシンシアに、アランは何事かと目を向けた。
その目は大きく見開かれ、表情には今まで見たこともないほどの驚愕の色が浮かんでいる。
どうやら、その目で何かを見たらしい。
「おい、一体何が……」
「シンシアさん!」
何が起こっているのか問いただそうとアランが口を開いた刹那、その言葉を遮るように、受付の奥から数名の職員が小走りで駆け寄ってくる。
その表情には、焦りと困惑が浮かんでいた。
ただならぬ状況だということは、シンシアでなくとも一目で分かるほどだ。
「エリナ……」
シンシアが、駆け寄ってきた職員のうち一人の名を口にする。
名を呼ばれた先頭の職員──エリナは、居住まいを正しながら乱れた息を整えた。
エリナ・リクローズ。
まだ若いながら、その器量の良さと仕事ぶりで知られる女性だ。
「シンシアさん。天位の皆様に、招集の命が下りました」
「招集……」
天位の招集。
彼女の口ぶりからすると、招集されたのはシンシア一人というわけではなさそうだ。
アランはそう考えながら、横合いから茶々を入れることなく、その様子を見守る。
「そうです。その様子ですと、もうご存じなのかもしれませんが、緊急事態が発生しました。天位の皆様に、ギルド長の名において招集の命が下されています」
──天位。
それは、ヴァンガードという組織における最高位の階位だ。
何百、何千といるかも分からない数多のヴァンガード。その中でも、ほんの一握りの者にしか与えられない階位。
圧倒的な力を持つ者たち。それが、天位である。
ここ数年で新たにその座へ上がった者を含めても、現在その名を持つ者は六人しかいない。
なお、アランは雲位である。
そんな者たちが全員招集されるなど、これまでほとんどなかったことだろう。
少なくとも、アランの記憶にある限りでは、数年前の大災害くらいだ。
であれば、世界のどこかで未曾有の大災害が発生したか。
超規模の迷宮が現れたか。
あるいは──。
「とにかく。シンシアさん──いえ、【天眼】ルーア=シンシア様。ギルド長がお呼びです。ご一緒に来ていただけますか?」
「──分かったわ」
シンシアの一言に、エリナがほっと胸を撫で下ろす。
以前、彼女から天位には自由奔放な者が多いと聞いたことがある。
シンシアと出会ってからというもの、確かにその通りだということは身に沁みているアランだったが、エリナのその様子には、少しばかり気の毒さを感じずにはいられなかった。
まあ確かに、普段なら断りかねない気はする。
そんなことを心の中で思う。
とはいえ、呼ばれたのは天位のシンシアである。
雲位──下から三番目の階位でしかないアランは、もちろんお呼びではないだろう。
そう判断し、アランは口を開いた。
「じゃあ、俺は報酬を受け取ってくる。酒の奢りはまた今度だな」
肩をすくめ、さも残念だと言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら、アランはこの場から離脱しようとする。
これほど慌ただしくしているギルドの中だ。そこかしこから面倒事の匂いが漂ってくる気がした。
「──エリナ、コイツも一緒にいいかしら?」
「……は?」
そんなアランを逃すまいとしたのか、あるいは単なる嫌がらせか。
突然の道連れ宣言に、アランの口から間の抜けた声が漏れる。
「アランさん、ですか?」
唐突なシンシアの要求に、エリナも目を白黒させている。
当たり前だろう。
呼ばれているのは天位であって、雲位であるアランとの階位の差は歴然としている。
文字通り、お呼びではないのだ。
「えぇと……ちょ、ちょっと聞いてみますね」
無理に決まってる。
そうアランが言おうとするより早く、エリナは受付の奥へと駆けていった。
無理難題を平然と要求するあたり、シンシアはまさしく自由奔放そのものである。
そんな中、残された職員の一人──長身の男が前へ進み出た。
「失礼ながら、君は?」
「えぇと……アラン・ノインです……」
「階位は?」
「雲位っス……」
「シンシア嬢、彼は──」
矢継ぎ早に質問を投げかけてきた男は、アランの答えを聞くや否や、眉を顰めて首を横に振った。
その反応には少々釈然としないものを感じたが、今は助け船だと言い聞かせ、アランはほっと胸を撫で下ろす。
だが──。
「シンシアさ〜ん! 許可とれました〜!」
アランの安堵は、小走りで戻ってきたエリナの声によって一瞬で吹き飛ばされた。
「は?」
「なっ!?」
アランと男性職員の声が重なる。
その男性職員──カッツェ・ローズの顔には、驚愕の色が隠すことなく浮かんでいた。
「エリナくん、どういうことだ!」
戻ってきたエリナへ、カッツェが顔が触れそうになるほど詰め寄った。
髪を綺麗に整え、きっちりとした服装に身を包んだ長身の男が、小柄な女性に詰め寄る姿は、どこか犯罪的なものすら感じさせる。
「えぇ、なんで私、カッツェさんに怒られてるのぉ……」
「怒ってはいない! どういうわけかを聞いている!」
「ギルド長がいいって言ったんです〜」
その言葉を聞いた途端、カッツェは詰め寄っていた姿勢を解き、顔に掛けた眼鏡の位置を直した。
心なしか、綺麗に整えられていた髪まで崩れている気がする。気のせいかもしれないが。
ようやく解放されたエリナは一息つき、安堵したように肩を落とす。
それから、コホン、と一つ咳払い。
アランとシンシアへ向き直ると、再び居住まいを正した。
「それでは、お二人ともご案内いたしますね」
「えぇ……俺の報酬……」
アランのぼやきが、虚空へと溶けて消えていった。




