1.「シンシアを探して」
太陽が真上を過ぎて少し。
人通りの多い表通りから少し外れた路地。そこに、その青年の姿はあった。
──アラン・ノイン
それが彼の名前だ。腰に剣を帯び、さらには分厚い本まで帯びた青年。
そんな彼は、積み上げられた荷車の下を、這いつくばりながら覗き込むという、珍妙な姿をとっている。
「おーい。どこだー」
気の抜けた様な声で何かを探している。キョロキョロと視線を左右に巡らせたのち、服についた砂を払い、立ち上がった。
今彼は、まさに依頼の真っ最中である。
「えーと、なんだったかな……、あ、そうだ。シンシアだ」
彼の依頼。それは逃げたペットの捜索である。人通りの少ない往来を探し回り、早数時間が経過している。顔を見せて間もなかったはずの太陽は、もうすでに真上にまで来ていた。
ヴァンガード。人の生活を守り、助ける者たちの組織である。
『力有る者は力無き者のために』
そう掲げる組織、ヴァンガードギルドに所属するアランは、まさにその「人の為に」を実行中だった。とはいえ、サラッサ自由都市群という都市は非常に大きい。中央の区画とそこから伸びる六つの区画に分かれたその都市の中で、小動物一匹を探すのは困難極まりないものだろう。
もっとも、だからこそ数日間誰も手に取らなかった依頼なのだが。
しかし、そういった依頼を率先して受けているのがアランだった。
「しょうがねぇなぁ……。『失せ物探し』でも使うかぁ」
そう言って、アランは腰のポーチから一つのスクロールを取り出す。
それを巻き留める紐を外し、古びた羊皮紙を広げて地面へと置いた。その中央を、とん、と指でついてみせる。その瞬間、何も描かれていなかった紙に、光の方陣が浮かび上がった。
簡単にいえば、魔法を収めた道具である。
「高いからあんま使いたくはないんだけどなぁ」
浮かび上がった魔法陣の光が、ひとつの光球へと収束する。
アランはそう呟きながら、スクロールから浮かび上がった光が、ゆっくりと動き出すのを見つめていた。
「便利なもんだ。魔法が使えなくても魔法が使える」
アランの独り言は続く。
魔法を発動したスクロールは、方陣から溢れ出した炎によって燃え尽き、既に跡形もなく消えていた。
燃えカスすら残らなかった羊皮紙に、少しばかり悲しい気持ちになりながら、アランは光の後を追う。
スクロール。魔法が使えない者でも魔法を扱えるという、便利な代物だ。
アランにとっても、非常に有用性の高い道具だった。何せ、彼は魔法が使えない。
値段こそ張るものの、発動に必要なマナをあらかじめ内蔵したスクロールは、彼にとって重宝する品の一つだった。
もっとも、その一枚に必要な金額は、今の依頼の報酬では到底賄えないのだが。
「ま、しゃーなし。見つけられない自分の所為か」
そう自分に言い聞かせながら、光を追って歩みを進める。
やがて、光は路地を曲がったところで止まった。
そこは、ちらほらと屋台や店が立ち並び、人の往来も増え始めた表通り。
そして、その光は、一人の人物の前で止まっていた。
「ん? これ、失せ物探しの魔法かしら?」
スラリとした細身の体躯に、長い金髪。その髪の間からは、この辺りではなかなか見かけない長い耳が覗いている。
振り返ったその人物の顔を見て、アランの表情が引き攣った。
その人物もまた、光を追ってきたアランの姿を認めると、顔に笑みを浮かべた。
「アンタ、私のこと探してたの?」
「探してない。さよなら」
即座に踵を返し、その場から立ち去ろうとするアラン。
しかし、その肩をがっしりと掴まれた。
もちろん、相手は今し方振り返った森の民の女性である。
「ツレないわね。せっかく会ったんだから、少しくらい付き合いなさいよ」
「断る。依頼の最中だ」
ルーア=シンシア。
それが、この森の民の女性の名前である。
アランは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、肩を掴む彼女へと目を向けた。
彼にとっては、まさに最悪の事態だった。
「コレ、高かったんじゃない? そんなの使って私のこと探すなんて」
消えゆく光を指差しながら、シンシアは煽るように言う。
額に青筋が浮かぶのが、アランには自分でも分かった。
高い金を払い、できれば使いたくもなかったスクロールが、まさかこんな形で役目を終えるとは。
アランの胸中を支配するのは、怒りよりも悲しみだった。
「だから探してねぇよ。ネコ探してんだよ」
「ネコ? それでなんで私のとこに?」
さっさとこの場を離れたいアランとは裏腹に、肩に置かれた手がそれを許さない。それどころか、ますます掴む力が強くなっている気さえした。
そんなアランをよそに、シンシアは楽しそうな笑顔を浮かべている。
太陽のようなその笑顔は、誰もが魅了されるほどの美しさを持っていた。
しかし、アランにとっては地獄への入り口でしかない。もちろん、出口なんてない。
「いいから離せ。仕事の真っ最中だっつの」
そう言って、その手を振り払おうとした瞬間。
肩を掴んでいたシンシアの手が、ぱっと離れた。
勢いのついたアランは、突然手を離されたことで体勢を崩し、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
どしゃあ、と音を立てて、アランの身体が地面を滑る。
「あ、ごめんごめん」
「テメェ……」
悲しみよりも、怒りの方が勝ってきた。
「アンタが離せって言ったんじゃない」
「くっ……」
確かに、その通りだった。
シンシアは言われた通りに手を離しただけだ。
何も言い返せないことに腹を立てながら、アランは二度目となる砂を払い、立ち上がった。
そのまま歩き出そうと一歩を踏み出したところで、背中にシンシアの声が掛かる。
「待ちなさいって」
「待たん」
「ペット探してるんでしょ? 手伝おっか?」
「要らん」
周囲から、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
遠巻きにこちらを見つめる人々が、二人の様子を見て笑っているのだ。
まあ、当然だろう。傍から見れば、男女の痴話喧嘩のようなものなのだから。
そう思われていることにまで腹が立ってきたアランは、さっさとこの場を去ろうと歩き出す。
しかし、その後ろを当然のようにシンシアがついてきていた。
「だからついてくんなよ」
「いいじゃない。依頼書見せなさいよ」
アランの拒絶をものともせず、シンシアは何度もちょっかいを出してくる。
大きなため息をこぼしながら、アランは足を止め、シンシアへと振り返った。
「こっちはスクロール一枚無駄にして気が立ってんだよ。お前にかまってる暇はないんだ」
「ひっどい言いぐさね。アンタが近づいてきたんじゃない。──それに、探し物なら私の方が適任よ?」
はあ? と言い返しかけたところで、アランはシンシアの翡翠色の瞳を見て、ふと思い出した。
彼女は天位のヴァンガードとして名を馳せた人物。当然、その異名である【天眼】の由来も広く知られている。
「ね?」
「……くそ。借りは作りたくないんだけどな」
しかし、もう一枚『失せ物探し』を使うには、あまりにも出費が大きすぎる。
かといって、この広い都市の中を闇雲に探し回るのも現実的とは言えなかった。
もう一枚スクロールを使うか。時間をかけて自力で探すか。それとも、シンシアの力を借りるか。
三つの選択肢が、アランの頭の中を巡る。
しばらく考えた末、ようやく答えを出した。
それがどんな答えなのかは、彼の表情を見れば明らかだった。
不本意。
まさにそう言わんばかりの嫌そうな表情を、隠そうともしていない。
そんなアランの顔を、シンシアは楽しそうに見つめていた。
「依頼のためだからな」
まるで自分に言い聞かせるかのように、アランは小さく呟く。その姿はまるでいじけた子供のようで、シンシアはたまらず笑みをこぼした。
「そうね、依頼主のためよ」
もっとも、ここでさらに煽ってしまっては、せっかくその気になったアランの気が変わってしまう。それをシンシアも理解したのか、そんな彼の様子を特に揶揄うようなことはしなかった。
「くそ……ほら。コイツが依頼書だ。名前は『シンシア』。錆色のネコらしい」
「なんか、ネコが私と同じ名前って、釈然としないわね……」
依頼書に目を通し、書かれた特徴を確認したシンシアは、少しばかり複雑そうな表情を浮かべる。
そして視線を空へと移し、まるで虚空に何かを追うように、その瞳を上下左右へと動かした。
「んー……あ、いた」
「早いな……」
依頼書を見せてから、まだいくらも時間は経っていない。だというのに、シンシアはもうそのネコを見つけたらしい。
「ここは……ギルドの近くっぽいわね」
次々とネコがいるのだろう場所の特徴を挙げていくその姿は、まるで本当に見えているかのようだった。
いや、実際に見えているのだろう。
彼女の持つ目──「魔眼」と呼ばれる特殊な力を宿した目。その中でも、彼女の持つ【天の瞳】は、稀に存在する千里眼の中でも一際強い力を持つ魔眼だった。
「流石は【天眼】ってわけか」
そんな様子を見ながら、アランはぽつりと呟いた。
小さく漏れたその言葉は、見ることに集中するシンシアの耳には届かない。もっとも、聞かせるつもりもなかったのだが。
とはいえ、彼女の力には畏れ入る、というのが正直な感想だった。
スクロールを無駄にした以上、このままではネコ探しが難航するのは間違いない。この広い都市の中を闇雲に探し回るなど、八方塞がりもいいところだった。
そう考えれば、まさに僥倖といえる。
相手がシンシアでなければ、手放しで喜んでいただろう。
「あぁ、そういえば……って、ネコが移動しそうね」
「マジかよ。急がねえと、また探し回るハメになる……」
「そうね。案内してあげるわ」
二人はシンシアの案内を頼りに走り出す。
アランは若干嫌そうな顔を浮かべていたが、背に腹は代えられない。
今は彼女の目を頼りにするほかないアランだった。




