『迷宮の胎動』
「はぁっ!」
短い息と共に、煌めく矢が放たれる。
光の奔流のような一筋の輝きは、空中で無数に分かれ、群がる魔物の数をみるみると減らしていく。
しかし、それも長くは続かない。倒れた魔物を蹴散らしながら、その後ろからも更なる魔物が前へ前へと進み出る。
まるで他の魔物など意に介していないかのような狂乱ぶりに、額を汗で濡らす彼女は、苦い表情を浮かべた。
「キリがない……! せめてもっと広ければ……」
無いものねだり、というのだろうか。
彼女は薄暗い通路を駆け出した。
彼女は今、本来の能力を発揮できないでいた。本来であれば、彼女の本領は開けた場所でこそ発揮される。
しかし、この狭い通路では矢を十分に展開することもできず、いくら魔物を倒したところで、後続がその死骸を乗り越えて迫ってくる。
「だから、迷宮って嫌いなのよね」
こと弓の腕であれば、世界広しといえど右に出る者はいない。彼女には、それだけの自負があった。
だが、どれほどの腕前を持っていようと、その力を発揮できないのであれば話は違う。
この迷宮という場所は、彼女にとって最悪の戦場だった。
「しかも、なんでこいつら、こんなに数が多くてしぶといのよ!」
怒号を放つと同時、即座に振り返って矢をつがえる。
放たれた矢は無数の閃光となり、着弾と同時に炸裂した。
だが、これも時間稼ぎにしかならない。
そう理解しながら、彼女、ルーア=シンシアは踵を返し、走り続けた。
そして次の瞬間、唐突に足元の感触が消え失せた。
「なっ!?」
走っていた勢いのまま、彼女の身体が宙へと投げ出される。
視界に映る景色は、先ほどまでの薄暗い通路ではなかった。
「迷宮の胎動」と呼ばれる現象。迷宮が生きた存在と言われる理由の一つでもある。
時折、迷宮はその内部を組み替え、乱雑に空間を入れ替える。それが今、この瞬間に発生したのだ。
突然空中へと投げ出されたシンシアは、咄嗟に体勢を変えながら、掴めるものがないかと視野を広げる。
しかし、周囲には何もない。
浮遊感の次は落下だ。
前へと進む勢いを失った彼女の身体が、下へと落ち始める。
「くっ……そ!」
咄嗟に、彼女は遠くの壁面へと向けて矢をつがえた。
彼女の放つ矢はマナによって形成されたものだ。その形状や性質は、ある程度自由に変えることができる。
矢が放たれる。
しかし、その矢は彼女の手から離れることなく、壁面へと向かって伸びていく。
ロープのように伸びた矢が壁面へと突き刺さり、落下の勢いが振り子のような動きへと変わる。
なんとか地面への落下は防げたものの、その勢いのまま壁へと衝突することは避けられなかった。
「がっ……!」
空間内に、鈍い音が響き渡る。
痛む身体を堪えながら、なんとか地面へと降り立ったシンシアは、周囲を見渡した。
広く、円形に広がる空間だった。
その上方には、何かが放つ光が輝いている。
「ホント、最悪……」
そう吐き捨てた瞬間。
パキパキ、と音を立てて、光が割れる。
驚きはない。そういう場所だということは、降りた瞬間に分かっていた。
「オオオオオオオオオオォ!」
雄叫びが耳を劈く。
頭痛すら催すほどの音圧に、シンシアは眉を顰め、思わず耳を塞いだ。
砕け散った光の中から、一体の魔物が姿を現した。
巨大な体躯に、人間など容易く握り潰してしまいそうなほどの大きな手。
巨人ともいうべきその魔物は、たった一つの眼でシンシアを睨みつけると、獲物を見つけたとばかりに口角を吊り上げた。
それからのことは、もうあまり覚えていなかった。
疲労の溜まった身体に、全身を苛む痛み。立っていることすらやっとの状況で、あの怪物を相手にどう立ち回ったのかさえ、記憶は曖昧だった。
ただ、一つだけ覚えていることがある。
巨大な手が目前に迫った、その瞬間。
誰かが、声を上げていた。
そして、剣を握り、あの巨大な怪物と渡り合う誰かの姿だった。




