肆章「最弱の異能【斥候】」ノ弐
【Side カッツェ】
カッツェは黒装束――屍天王トップを相手に苦戦していた。黒装束が腕を振るうたびに、見えない無数の刃が空中を走り、カッツェの皮膚を血で染め上げていく。致命傷には至っていない。が、これは恐らく、
(……遊ばれている)カッツェは歯噛みする。(恐らく、アイツが本気を出せば、俺様は一瞬でサイコロステーキだ)
「ふふふ、お前にはこの攻撃が視えまい」黒装束が笑う。「私はハシシ。暗殺ギルドが誇る最強集団『屍天王』のトップだ。私の異能は【アサシン】――」
カッツェは驚愕する。カッツェは職業系異能の中でも最弱の【斥候】。斥候系職業には上位職の【レンジャー】、さらに上位職の【シーカー】があり、最上位職に【アサシン】がある。
【斥候】が使う、自身の気配をほんの少し薄くする程度の異能【隠密】などと異なり、【アサシン】の扱う【隠密・極】は自身のみならず周囲の存在すら【隠密】の範囲に取り込み、敵の【索敵】系の異能からその身を隠すことができるのだという。大量の魔物が伊能の【測量】をかいくぐり続けることができたのは、間違いなくコイツの異能によるものだろう。
最弱職【斥候】のカッツェにとっては、逆立ちしても勝てない相手だ。
「――だけではなく」いや、敵の口上はまだ終わっていなかった。「【ニンジャ】」
(【ニンジャ】⁉ 遠く東方における【斥候】系の最上位職! コイツ、ダブルホルダーか⁉)
「その二つを兼ね備えた【ニンジャ・アサシン】だ。この世に二つとない、空前絶後、最高至高の究極職業。それが私の異能だ」
(なんてことだ……)
「我が奥義【インビジブル・ブレード】で死ねること、光栄に思うがいい!」
視えない斬撃が全方位から殺到し、カッツェは一瞬で全身血まみれになる。
(バレるのを恐れてる場合じゃない! 出し惜しみなんてしてたら瞬殺される!)
カッツェは『半分』、覚悟を決めた。異能力を解放する。途端、全身の傷が塞がった。再び、全方位から無数の見えない刃が襲い掛かる。カッツェは全身血まみれになる。が、次の瞬間、傷が塞がる。
再び、全方位から見えない刃。
(いや、違う。隙間がある!)刃自体は目に見えない。が、『見えない刃に斬られた』という結果は目にすることができおる。ここは草原。足元の草花には事欠かない。(ここだ!)
カッツェは見えない刃の隙間を横っ飛びに避ける。が、それは敵の罠だった。カッツェの右足がぬかるみに沈む。
(異能解放!)
――かに見えたが、その右足はぬかるみのギリギリ手前に着地していた。
敵が何度も何度も【インビジブル・ブレード】を放ってくる。敵はあの手この手でカッツェを足場の悪いところへ誘導しようとする。が、不思議とカッツェは転ばない。『転んだ』と思ったその瞬間、異能力を解放して、『転ばない未来』へ至っているのだ。
「お前の異能は職業系の中でも最弱の【斥候】だと聞いている。だが」見えない刃を繰り出しながら、敵が言った。「それはフェイクだな? 【斥候】は【手当て】が使えるが、お前はそもそも怪我を負っていない。お前のカチューシャは俊敏性を上げる異能具だと吹聴しているが、テンペストの話では、それは聴力を強化するものだな。【地獄耳】は【斥候】の異能の一つ。だが、それもフェイクだ」
(まずい……)カッツェは冷や汗が止まらない。
「逆に、お前のその無駄のない脚運びは何だ? けして俊敏なわけではないのに、気が付けば私の死角に潜んでいる。けして動きが速いわけではないのに、私の攻撃が当たらない。それも、見えない刃である私の【インビジブル・ブレード】が! お前は極めてレアな異能を持っており、それを隠している。何だ? 何の異能だ⁉」
(まずいまずいまずい、ほとんど看破されている! 俺様の異能の正体がバレたら、強制的に【魂の誓約】が発動しちまう。【魂の誓約】は最強の切り札だが、同時に下手すりゃ俺様が破滅する諸刃の剣だ)
【魂の誓約】は、最上位職業系異能【王者の素質】を持つリリンに許されたサポート系の異能。その能力は、『リリンが絶対機密と定めた事柄が漏洩した場合、全能力が数百倍化する代わりに、漏洩対象が全員死ぬまで一睡もできなくなる』というもの。『命に変えても機密を守れ』という、実に王らしい異能である。冷徹な領主であろうとしながらもお人好しさの抜けきらないリリンには不釣り合いな異能とも言える。
カッツェはリリンから、『ある事柄』を絶対機密に指定されている。それは、カッツェの異能にまつわることだ。
「貴様、やはり【斥候】ではないな? 【斥候】はカバーストーリーだな。他人に公開できないような、極めて希少価値の高い異能と見た」
今ここで自ら異能の正体を声高に叫べば、カッツェは【魂の誓約】の効果でパワーアップすることができる。が、同時に、今日、この場で暗殺者ハシシを確実に殺しきる必要性が出てくる。逃がしてしまえば最後、カッツェは死ぬまで眠れなくなる。
(相手は【ニンジャ・アサシン】だ。恐らく、世界で最も隠密に長けた人物。ここで逃がしたが最後、次に相まみえるのは不可能だろう。ああ、けどよ、アイツが俺様の異能の正体に気付いていないって可能性だって、ゼロじゃないんだぜ⁉ ヤツが饒舌に喋っていることはすべて、俺様を焦らせるためのブラフなのかも知れねぇ。いや、俺様のことをここまで詳しく調べているヤツのことだ。リリちゃん閣下の【魂の誓約】のことも知っているのかも知れねぇ。俺様を自滅させるために、自ら異能の正体を口にするよう誘導しているのかも)カッツェの焦りが極地に達し、思考が限界を迎える。(どうする、どうすればいい⁉)
「貴様の異能の正体は――」
(ああ、クソ! どうにでもなりやがれ!)カッツェが大きく息を吸い、自分の異能の正体を告白しようとした、
その時。
「うわぁあ~~~~!」
ガラガラガッシャーンッと、背後に何かが降ってきた。
「……な」カッツェは開いた口が塞がらない。「な、な、な、何だとぉ⁉ クソジジイ! なんでてめぇがここにいる⁉」
「いやぁ、はは」満身創痍の少女が、にへらっと微笑んだ。「お主が心配で来てしもぅた」
「来てしもぅた、じゃねーよ!」外見は美少女、中身はジジイの可愛らしい微笑みを前に、カッツェは卒倒寸前だ。「オヤジのマネすんな、気持ち悪い! ぶっ殺すぞ!」
と言いつつ伊能を抱え上げ、アサシンから距離を取るカッツェ。
(危なかった危なかった危なかった! ジジイのいるところで異能の正体をぶちまけてたら、ジジイまで殺さなきゃならなくなるところだった!)
【魂の誓約】に敵味方の判別能力などない。いや、そもそも『絶対機密』とは味方に対してすら秘密にすべきものなので、機密を耳にしてしまった時点で、その味方も抹殺対象になるのだ。
「カッツェや、大丈夫じゃったかのう?」そんな、カッツェの激しい動揺などつゆ知らず、伊能がカッツェの背中からのほほんと話し掛けてくる。
「大丈夫に見えるのか⁉ このトンチキ野郎!」
「そうかそうか。無理を押して助けに来た甲斐があったというものじゃ」
「ちげーよ。ついさっきまでは大丈夫だったんだ。けど、たった今、大丈夫じゃなくなった! 誰かさんの所為でな!」
「ほうほう、それは大変じゃのぅ。【測量】――三秒後に右斜め四五度に跳べ」
言われたとおりに跳ぶと同時に、【インビジブル・ブレード】が襲い掛かってきた。が、伊能の指示のお陰で傷一つない。
(見えない刃すら視えるってのか! ホントすさまじいな、爺さんの【測量】は)
だが、状況は何一つとして改善していない。むしろ悪化したのだ。
(【魂の誓約】が使えないとなると、勝ち目なんて万に一つも……)
【魂の誓約】の威力は、あまりにも強力だ。『全能力が数百倍化』と簡単で言うが、例えば数百倍化した腕力なら、岩だって拳一つで粉砕できるし、剣を叩き折ったり、鎧を握りつぶすことすら可能だ。数百倍化した脚力なら、空高く舞い上がることすらできる。それで着地のときに体を壊すかというと、そういうこともない。体――骨・筋肉・皮膚の頑丈さも数百倍化されるからだ。
無論、異能力も数百倍化される。カッツェが頑なに秘密にしている『ソレ』が数百倍化されたとき、『ソレ』は驚くべき威力を発揮する。だからこそ機密にしている、とも言えるのだが。
(俺様はいつだって、【魂の誓約】に助けられてきた。斥候兵として敵陣のど真ん中に潜入し、敵に見つかった時。俺様は【魂の誓約】を使って切り抜けてきたんだ)
『死神』
『味方殺し』
『カッツェが命からがら帰ってきた時、カッツェと組んでいたペアは必ず死んでいる』
ミドガルズ領軍にはびこる悪いウワサは、すべて本当のことだった。
(死の淵に立たされた時、俺様はいつも必ず、隣にいる同僚に『機密』を打ち明けた。打ち明けることで【魂の誓約】を発動させ、その力で窮地から脱した……この手で、同僚を殺して)
何度も何度も何度も、そうやって切り抜けてきた。
実に、七回も。
(そうさ、今まで何度もやってきたことじゃないか。なんのことはない。イノーの爺さんが、八人目の『同僚』になるだけのことさ。ほら、さっさと口にしろよ、カッツェ)
カッツェの唇が震える。言うべきだ。自分はこんなところで死にたくない。自分の命を助けるために、伊能を見殺しにすべきだ。だが、ああ。
(言いたくない。イノーの爺さんを殺したくない)
二度に渡る測量の旅で、カッツェはすっかり伊能のことが気に入ってしまっていた。伊能に絆されていた。
『同僚は消耗品』
『いつ見殺しにするやもしれない道具』
そう思い込むことで、カッツェは自分を保ってきた。だから、男勝りな服装やぞんざいな言動、『俺様』などという一人称で、周囲に対して攻撃的な態度を取り続けてきた。そうしないと、隣を歩く誰かと仲良くなってしまいそうだったから。仲良くなってしまったら、『消耗品』などと思えなくなってしまう……そのことが恐ろしかったから。
「【測量】――四秒後に真左へ三歩移動。さらに二秒後に右斜め三〇度へ五歩移動。直後に全力後退」
伊能に指示されるまま、カッツェは【インビジブル・ブレード】から逃げ回る。敵の攻撃はますます激しさを増している。一方の自分はジリ貧だ。いくら体力に自信があるとはいえ、人一人を負ぶったままの全力疾走は、そう長い間持つものではない。
決断の時は、迫りつつある。
(あぁ、クソ。言いたくない。言いたくねぇなぁ)カッツェの瞳が涙で滲む。(言いたくねぇ。俺様の異能の正体が、エレクトラユニーク異能【巻き戻し】だって)




